石をぶつけられた時の傷が癒えた頃、吉田は改めて少年を探しに出た。非常事態だったとは言え、相手をほったらかしの状態は良くない。きっと、戻ってみて、自分の姿が無く、驚いた事だろう。
 何だか、居場所を欲しがっているような子だった。それでいて、求めるのを初めから諦めているような目をしていた。そんな彼だったから、吉田も気になってちょっとついて行ってみよう、という気になったのだ。……別に、御馳走をあげる、というセリフに吊られた訳でも無い。半分くらいは。
 しかし、改めて訪れた屋敷に人の気配は無く、どこにでも出入り出来る姿を活用し、それとなく情報収集を行った所、彼の一家はもっと都に近い場所へと越したのだそうだ。さすがに、その行き先までは解らなかった。
 もっと、力があれば解ったかもしれない。一瞬先に、そこにまで辿りつく事だって。
 しかし吉田には、人に化ける術しか無かった。まあ、たった一つ使える術と言う事もあり、完成度には結構自信はあるけれど。
 猫の姿だった吉田は目を閉じ、意識を集中させて人の形を模した。
 思えば、初めからこの姿で出会えば良かったのかもしれない。それなら、屋敷に居た所を目撃されても、いきなり石を投げつけられるような事も無かっただろうから。
 とは言え、もう、今となってはどうしようもない、ただの後悔にしかならなかった。
 人に化けた吉田は、特に意図も無く、その姿のままで草原に寝転がった。
 見上げた空はとてもいい天気だった。この晴天を見て、あの子の心も少しは晴れるといい。
 そんな事を思いながら、吉田はうつらうつらと眠りの世界に入って行った。


 ――べちゃり。
 と、いうか、何か重さのあるものが顔に張り付く感触で、吉田は思わず飛び起きた。
「わああああっ!何だっ!?何だ何だ!!?」
 きょろきょろと辺りを見渡すが、何も特異な物は見かけない――辺りには、の話で。
 ふと自分の膝もとを見ると、小さい猫――いや、山猫――いや、虎が居た。黄色の毛並みに黒い模様が走っている。
 虎にしては小さいのだろう。というか、子供に見える。それでも、眼差しの鋭さを匂わせているのはさすがとでも言おうか。
 仔虎は、吉田が起き上がった拍子にひっくり返ってしまったらしく、両手足を天に突きだしておぶおぶともがいている。
 吉田はちょっと考え――そっと抱き上げた。例え相手が子供でも、その牙や爪で致命傷を負う危険は余るほどある。それでも、吉田は手を伸ばした。起き上がれなくて困っている仔虎に。
 抱き上げた時、仔虎は全く無抵抗だった。懐こい性格をしている、というより警戒心というものが無い様に思えた。
 いや、それよりも、だ。
(――こいつ、どこから来たんだ?)
 見渡す限りの大平原。仔についている筈である親の姿は見えない。そして、親のような大人の虎が居たら、こんなに静かな空間である筈が無いのだ。
 吉田は思い付きで、抱き上げた仔虎をまた地面に戻した。行動を阻む物が無ければ、普通、仔は親の元に駆ける筈だ。
 しかし、仔虎は何処にも動かず、じっとしていた。
 じっと、空を眺め続けていた。


「野沢さん。おーい野沢さ―ん」
「なーにー?……なんだ、吉田か」
 まるで詰まらないような物みたいに呟かれ、吉田はちょっとむぅ、となる。まあ、存在としては野沢の方が上等なのかもしれないが。
 野沢は由緒正しい白狐だ。双子の弟と共に神社を守る由緒正しい眷属で、お参りに来る人間が自分達を稲荷神と同一にして困る、と吉田に愚痴るような仲にある。
 妖怪である癖に、人と仲良くしようという吉田の気質が、野沢は結構気に入っている――というか突くと面白いので、退屈まぎれにからかっている、といった方が正しい。奔放な姉と違い、弟は結構礼儀正しいが、突っ走る破天荒な性格なのは同じなので、あまり大差ないとは吉田の弁だ。
「コイツなんだけど」
 と、吉田は保護した仔虎と野沢に見せる。
「ん?――どうしたの、それ」
 野沢は軽く目を見張って言う。その意味に気付かない吉田は、言葉をつづけた。
「いやー、っていうかそれを聞きたくて来たっていうか。
 なんかどっかで迷子の報せとか出てないかなって」
 あたしは迷子案内センターか、といつもの野沢なら突っ込んだろうが、この場ではそれは保留となった。
「あんた、それが何か解ってるの?」
「え? だから、俺らの仲間みたいな……」
「違うわよ」
 スパッと吉田の勘違いを野沢は切る。吉田は、吊り目をぱちぱちと瞬いた。
「それじゃ、普通の虎?」
「馬鹿ね。日本で虎が見つかったらアーネスト・トンプソン・シートンが猟銃持って押し掛けるわよ
 そいつはね、神獣よ。アンタだって知ってるでしょ?北に住んでる白虎の一族」
 その腕に抱いている小さいな仔は、自分達の世界の最上位の存在だと、野沢はそう言う。
 しかし、だ。
「でもさ、白虎って、白色っていうか、銀だろ?
 こいつ、黄色いよ?」
 それこそ、豊潤に実った稲穂のように、綺麗な黄金をしている。まだ幼い故か淡いその色彩は、年を重ねると共にもっと鮮やかになるだろう事が予想された。
「察しが悪いわね。だから、アンタが今持ってるんでしょ」
「それって、どういう……」
「捨てられたのよ。色が違うから」
「――…………」
 野沢のセリフに、仔虎が身じろいだような気がした。しかし、それは吉田が抱いた腕に力が籠った為の錯覚だった。
 仔虎は微動すらしなかった。自分の身に降りかかった、その残酷な仕打ちをはっきり聞いていても。


 野沢は神の使いとして君臨している為、そっちの事情には精通していた。そこで吉田に、訥々とその世界の内側を語った。最高位に立つ物達の傲慢さ、排他的な振る舞い。それらは威厳を保つ使命の為に。
 野沢の言っている事は、吉田には何となく解る。種の繁栄の為に選別し、切り捨てる必要がある事も。
 だけど。
(でもだからって――こんな小さい仔を落とすなんて)
 この仔はまさに、たった今落とされたばかりなのだろう。そして、この世に生まれ出でたばかりでもあるのだ。あまりに無垢な振る舞いは、そうであると吉田に教えていた。
 社に腰掛けた吉田の膝の上、仔虎を乗せたのだが、虎は吉田の体躯に手足を引っかけ、よじ登ろうとしている。それが親元に戻りたいという意思の表れなのだとしたら、何だか泣けて来てしまう。
 吉田はよじ登る仔虎を抱え、再び膝の上に乗せた。頭を撫でると、昇ろうとする動きは止まった。
「それで、あんたはそいつをどうするの?」
「どうするって――」
「落とされた理由によっちゃ、拾ったあんたも危ないかもしれないのよ。
 ただ要らないってだけならともかく、存在自体が邪魔だったりとかしたら」
 野沢に突きつけられるまで、その可能性は吉田にはちっとも浮かばなかった。この辺り、お人好しだとからかわれる原因なのだろうとは思う。妖怪のくせに、と。
 改めて吉田は抱えている仔虎を眺めた。この仔はまだ何も知らないのだ。世の中は残酷で、でもそれと同量の優しさも備わっている事も、それの見つけ方も。
「――ま。育ててみるよ。本気でヤバいんだったら、そもそもその場で殺してるんだろうし。そんなに深刻でもないのかも」
 これも何かの縁だもんな、と言葉の意味もまだよく掴めない仔虎に、そう投げかける。案の定、きょとんとした目つきで見上げる仔虎。それでも、頭を撫でると心地よさそうに目を細めた。
 あーあ、と野沢はその光景を眺めて嘆息する。吉田の言う通り、すぐにでも危険ではないとは彼女も思うが、同じくらいに安全という保証もない。そしてこの場合の危機は命の存続にそのまま繋がるのだ。吉田は文字通り、リスクを抱えてしまっている。
 それでも野沢は、吉田が仔虎をこのまま引き取るのだろうと何となく予想していた。そういうヤツなのだ。
「えっと、それじゃ名前考えないと。
 そうだな。虎だから、虎之介なんてどうかな」
「……今更、あんたに拾われたそいつが不憫に思えたわ」
 超ストレートなネーミングセンスに、野沢は冷やかに言った。


 こうして名も無い捨て子の虎は、虎之介となり、行く行くにはとらちんという愛称も貰ってすくすく育った。
 と、いうか明らかに成長スピードが速かった。
 元からの神獣の成長速度なのか、あるいは下界に落とされた副作用的なものかは定かではないが、吉田の唯一の特技である変身術も教えたその日に体得してしまった。おかげで吉田が虎之介に教える事は何も無くなってしまい、他、細かい力のコントロールなどは野沢達から施しを受けながら、地上では有り余る力をその内側に収め、虎之介は毎日を過ごしていた。
 自分が捨てられたのだという自覚は、早いうちから芽生えていた。誰とも無く事情を聞いた訳では無く、例えば空腹を感じたら何かを食べるというような、元からの基礎として根付いているようなもので、空を見ると郷愁にしてはやけに冷たく重いものを感じ取るのだった。
 それでも、虎之介が捩れたり歪んだりしなかったのは、夜になれば抱きしめて眠ってくれる相手が居たからだ。虎之介は生きる上で一番大事な事を、確かに吉田から貰っていた。


 2人の主な食事は魚である。勿論これは、吉田が化け猫だから、という解りやすい理由からだ。
 前は吉田が2人分取っていたが、今は虎之介が率先してやりたがるので、その自由にしてある。今となっては、虎之介の方が余程魚を取るのが上手い。しかし、まだ虎之介は取っていい魚の大きさや量がよく掴めていない。教わった事を、注意深く思い出しながら魚取りを行う虎之介だった。
「うっひゃー、とらちん、今日は凄い大物だな!」
 取り上げた獲物を見て、吉田は再び歓声を挙げた。吉田の背丈の半分以上もある大きな川魚を、虎之介が見事仕留めたのだった。その成長を、吉田はとても喜んだ。自分が教えてあげれるのは、変化か魚とりしかないからだ。
 実は、もっと大事な事を吉田は虎之介に教えているのだが、気付かないのが吉田らしい所だった。そんな彼の元だから、虎之介も荒神とならないで居られるのだ。
「早速焼いて食おうぜ」
 これも吉田の教えた通り、枯れ木を組み立てて行く虎之介だが、吉田から待ったがかかる。
「丸ごと焼いたら、中に火が通るまでに表面が焦げちゃうよ。こういう大きいのは、3つくらいに分けた方がいい」
「ふぅん。そうか」
 これでまた1つ、賢くなった虎之介だった。
 吉田の指導の元、美味しく焼き上げられた魚は2人の胃袋に収まった。しかし。
「……何か、食い足りない。ヨシヨシ、もうちょっと食っていいか」
「うん。でも、取る川は変えた方がいいよ」
 きっと今は毎日が成長期なのだろう。虎之介の食欲は常に盛りの状態だった。今は外見だけ立派だけど、いつか中身も成長し切っちゃうんだろうな、と思うと、吉田にちょっとだけ寂しさが過る。
 吉田の許しを得た虎之介は、解ったと一言返事をすると、あっという間に木々の中に消えて行く。
 その美しい金色の毛並みの残像を、吉田は目を細めて眺めた。


 残った吉田は、魚を取ってくるだろう虎之介の為に、火の燃料となる小枝を集めていた。
 すると。
「ヨシヨシー、また大物だぜ」
 しかもさっきよりでかい、と虎之介は嬉々として報告する。
「へぇー、そりゃどんな魚……って」
 地面に置かれた物に、吉田は目を疑った。
 それは確かに大物だが――魚では無い。絶対に、明らかに!
「ままま、牧村―――――ッ!!!」
 虎之介が加えて運んで来たのは、顔見知りの狢の妖怪だった。この顔、他に見間違いようがない!
 ぐったりしているが、外傷は無いので虎之介が仕留めたという訳ではなさそうだ。ちょっと安心する吉田。
「それじゃ、3つくらいに切るか」
 教えた事をきちんと覚えて実践に繋げる良い子のとらちんである。……ではなくっ!
「だ、ダダダ、ダメ!とらちん、ダメ!仲間食べちゃダメ―――!!」
 吉田の必死の制止に、虎之介はきょとんと首を傾げた。
「魚は食っていいのに、何でそいつは食べちゃダメなんだ?」
 おおおお、こんな場面で生き物という根源に関わるような深い質問をされるとは……!と吉田は衝撃を受けた。出来ればもっと、避けて通れない問題というならば。せめて時間にも心にも余裕のある時にして欲しかった!
「ややこしい話だからまた今度……って今度っていう言い方は良くないんだっけ。
 うーんと、えーと」
 子育ての壁にぶつかる吉田だった。こんな時に。
「食って良いのと悪いのと、何が違うって言うんだよ。
 鯨を食べるのがどうして野蛮なんだよ。賢いからダメって、その基準は誰が決めるんだよ。知能指数や脳の作りで賢さが決まる訳じゃないだろ。
 そもそも燃料になる油だけ取ってその他肉や臓器を押し付けて来たのは向こうの方から」
「だ、誰か―――!とらちんが食文化から国交に関する問題を提示して来た――――!!!!」
 吉田は思わず助けを求めた……が、有意義な解答を与えられる者は、誰も居ないのだった。誰も。


 とりあえず、虎之介を何とか宥め、牧村は食料にならずに済んだ。
 3枚に下ろした後強火の遠火でこんがり焼かれて美味しく食べられる寸前だった、というのは本人に隠しておこうと思ったが、生憎虎之介に捕まった記憶は彼の中で健在だった。
「お、おおお、お前! 俺を食おうなんて、なんて酷い事しやがる!」
 まだ女の子とデートした事無いのに!と怒るポイントが何か可笑しい牧村だった。
「いやまぁ、その辺りは謝るけどさ。でもとらちんが見つけなかったら、お前そのまま流されて海に着いてたかもしんないんだぞ」
 話を良く聞けば、牧村が川からどんぶらこと流れて来たから、虎之介は捕まえて来たという。普段の食糧である魚はいつも川から取って来ているからか、川にあるもの=食べて良い、みたいな構図が虎之介の中にあったと思われる。間違っては無いが、ちょっとの訂正は必要だと吉田は思った。
「っていうか、何でまた川になんか流されてたんだよ」
 吉田が言うと、牧村は地面にのの字を書き始めた。雷雲より尚濃く黒い雲を背負いながら。
 それを見て、いつもみたいに、女の子から強力な平手を食らったその惨事の末なのだな、というのを察し、それ以上は何も言わないであげた。それが優しさというものだ、と虎之介に何気に教えつつ。
「ヨシヨシ。俺、腹減った」
 くい、と吉田の袖を引っ張って虎之介が訴える。そう言えば、そもそも食い足りないと言って狩りに出かけ、その獲物は食べられないでいるのだから、空腹を主張して何も可笑しくなかった。
「ん? お前、腹減ってんのか?」
 そう言ったのは、吉田では無く牧村だった。
「だったらこれやるよ。食いもんじゃないけど、金に換えられるから」
 と、言って牧村は、可愛い簪を差し出した。高値ではなさそうだが、物はいいみたいだ。
「え?い、いいの?」
 ちょっと戸惑いながら吉田が訊く。尋ねるまでもなく、これはフラれた女の子にあげる筈だったものだから。
「いいんだいいんだ。どうせ俺が持っていても仕方ないし、何だかんだで助けられたみたいだから、お礼はしないとな」
 若干の自虐は入っているものの、牧村なりに虎之介を気にしてくれたらしい。
 確かに贈り物を別の人に転用するのもどうかと思うし、吉田はありがたく受け取る事にした。これで牧村の気が少しでも晴れる事を祈りながら。


「それじゃ、とらちん。町に行くから、人の姿になろ」
 すでに人の姿になっている吉田が虎之介を促す。うん、と虎之介は頷いた後、吉田よりもずっとスムーズに人へと変化した。
 その出で立ち、というか背格好は吉田とほぼ同じだった。今まで気にしてなかったが、虎之介は人間というとこのくらいの大きさであるという思い込みがあるのかもしれない。だったら、町に連れて行くのはいい経験になるな、と思った。
「とらちん、町に初めて行くだろ。面白いぞ、色んなのが一杯あって」
「獲物が沢山居んのか?」
「うーん、そういうんじゃないけど……まあ、行けば解るよ」
 大ざっぱになってしまった説明に、律儀にも頷く虎之介が健気で可愛い。吉田は、自分にそっくりの背丈の虎之介の頭を、くしゃりと撫でた。


 初めて訪れた町の光景は、虎之介に大きなカルチャーショックを与えたみたいだ。瞬きを忘れ、全てを見ようとしている。そんな虎之介の手を引いて、吉田は町の中を歩く。目的である質屋への道のりを、ちょっと長くして。
「ヨシヨシ、何か、凄いな」
 山の中では知りえないだろう物の数々に、虎之介はただただ驚きの連続だった。
「だろ? で、町に来て気をつけないといけないのは――………」
 と、説明しようとした傍ら、まさにその「気をつけないとならない事」が起こった。
 だがしゃーん!と吉田の目の前の店頭で、男が倒れ込んだ。男より、店の被害の方が甚大で、倒れた先にあった台は潰れ、勿論その上にあった品物も、それを乗せていた台と同じく悲惨な末路を辿った。
 男は子供に聞かせたくないような悪態を突き、自分を吹っ飛ばした相手へと突っかかって行く。そして今度は、返り討ちにあったその相手が被害と破壊を撒き散らす。
 誰か止めて!という意味を込めた女性の悲鳴が、辺りに響く。
 しかし両者とも良い体格をしていて、並大抵の大人では歯が立たない。だから周囲も遠巻きに見ているのだった。
「ヨシヨシ、あいつら何やってんだ?」
 虎之介にとっては素朴な質問だっただろうが、何だか風刺的なセリフにも聴こえた。
「まあ、何て言うか、その………」
 答えに吉田が詰まっていたが、そんな状態でも気付くべく事は気付く。
「――とらちん!」
 急に、何かに気付いたような吉田が虎之介を突き飛ばす。
 そして吉田の居る場所へ、さっきのように男が吹っ飛んで来た。物ではなく人が(実は妖怪だけど)巻き込まれた事に、ざわめきが大きくなった。
 さすがに咎める声も出てきたが、怒りのヒートアップした彼らに睨まれ、あっという間にかき消える。
「おい、あんた大丈夫か!?」
 野次馬達の一部が吉田の元へと駆け寄る。
「ヨシヨシ!ヨシヨシ!」
 その中心で、虎之介が自分を庇った吉田に呼びかける。
「う……いててて……」
 潰されたショックで一瞬意識が遠のいたが、自分を呼ぶ声に吉田は目を覚ます。動きのあった吉田に、周囲も安堵の息を洩らした。
 いってぇー、と痛みを紛らわすように何度も呟きながら、吉田はとりあえず座りなおした。ふぅ、とゆっくり息を吐く。
「ん……とらちん、大丈夫か?」
 全身に痛みが走っているだろうに、ぽん、と頭に乗せられた手。
 虎之介は改めて吉田の優しさに胸を震わすと同時に、そんな彼を傷つけた相手に怒りが湧く。悪い事をしたら、謝る。なのにアイツら、謝って無い!!
「あっ、とらちん!」
 吉田の制止も間に合わず、虎之介は未だ迷惑な喧嘩中である2人の間に突っ込んで行ってしまった。
 どん!ととりあえず手前の男に体当たりしてみる。しかし、虎之介の身体の重量では、びくともしなかった。
「なんだ、こいつ!」
 邪魔だ!と文字通り虎之介を投げ飛ばす男。丁度、店と店の間の隙間に虎之介は投げ込まれた。
 ドンガラカッシャァン!と物が激しくぶつかる物騒な音が響く。
「と、とらちん!」
 今度は吉田が駆け寄る番だった。身体のあちこちが痛むけど、そんな事は構ってられない。
 野次馬をかき分け、吉田は暗い隙間を入って行く。色んな物が雑多に置かれ、虎之介が飛び込んで来た衝撃で壊れている物もある。満身創痍な虎之介の姿が浮かび、吉田は必死になって埋もれてしまった虎之介を探した。
「とらちん!とらちん!!」
 ガタンガタン、と荷物を退かす。現れた隙間から、手を突っ込んでみる。
 その吉田の手は、握り返された。しかし、それは予想とは違う感触だった。
 上に乗っている荷物を、起き上がる時の勢いで撒き散らす。その虎之介の姿に、吉田は唖然となった。
 明らかに、さっきまでの虎之介の姿では無かったからだ。
 何て言うか……デカい!!!!ついでに顔が怖い!(それは元からだったけど)
 さっきまでは吉田と同じく、少年のような体形だったのが、今や立派で精悍な体つきをした青年となっていた。
「と、とらちん……大きくなったね……」
 あまりに驚くと、見た目のままにしか言えない。今の吉田がそんな感じだった。
「おう。これなら、イケるだろ」
 身体を慣らしているのか、コキコキと首をゆっくり回す。
 あっさり男に返り討ちになって、虎之介は思った。小さいから投げられたのだ。だったら、大きくなれば良い。
 大人の身体のイメージは、町に来て実物を見た事ではっきりと掴んでいる。それを実現してやれば良かった。
 ふと吉田を見てみると、対比の問題で、吉田が随分小さく感じられる。こんなに小さいのなら、ふっ飛ばされたり、潰されれてしまうのも無理は無い、と今の身体なら思える。
 虎之介はちょっと考え、ここに置いた方が吉田は安全だという判断を下した。
 なので、じゃあ、ちょっくら行って来る、と未だ呆けた顔の吉田を残し、虎之介は改めて自分の目的を果たしに表へ飛び出した。
 我に返った吉田が、自分の足で表に出れた時、全ては終わっていた。
「ほら、お前ら。ヨシヨシに謝れよ」
 そう言われて男2人は土下座している……いや。
 きっちり伸されて、地に伏しているだけだった。


 そういえば、さっき吹っ飛んだ小さい子はどうしたんだ?という声が大きくなる前、吉田は虎之介の手を引っ張ってすたこらとその場を退散した。暫く、あそこには寄らないといいな、と思いつつ。
 しかし駆けだしたはいいが、身体のダメージが取れてない状態だったので、人の輪を外れた所で足が崩れる。転倒寸前だった吉田を抱えたのは、勿論青年の体つきになった虎之介だった。
 そのまま、吉田は虎之介に背負われての帰宅となった。
 まだ身体はあちこち痛むから、こうして運ばれるのは有難いと言えば有難いけども。
「ヨシヨシ?どっか痛むのか?」
 吉田が顔を顰めているのが、空気で解ったのか。虎之介が話しかける。
「いや、そうじゃなくてさ……もう、とらちんに背負われちゃうのかーって思って」
「? 俺に背負られるのが、嫌か?」
「そうでもなくてさ。……ちょっと、上手く説明出来なくて」
 ちょこちょこ後ろをついてくる、自分が教える事で世界の理を知って行った小さな子は、もう居ない。1人で学んで実行し、自分で先を切り拓ける虎之介が居る。勿論、その成長は喜ばしい事なのだろうけど。
「……ちょっと、早すぎるよ」
「ん? 何か言ったか?」
 何でも無いよ、と吉田は、言ってしまった事を照れるように誤魔化した。




<終>


*某虎の人へ。やっとこさ出来ました。
 とらちん大好きヨシヨシとヨシヨシ大好きとらちんが書けて自分的に満足です。
 あと何故か野沢姉出張った。
 ついでとばかりに牧村も出た。