*今月号ネタバレありです^^




 今日と言う一日はとても波乱に溢れていた。一日ながらも三日くらいのボリュームはあったに違いない。
 屋上に呼び出された時まではまだ普段通りだったかもしれないけど、頼まれた内容がまさかマドレーヌを渡してくれじゃなくて、取り返してくれだったとは。本人以外、一体誰が正確に言い当てられただろう。
 何せ相手には――佐藤には知られない様に取り戻して、との事だったので、吉田は知恵を振り絞った。それはもう絞りまくり、挙句捻りだしたのは佐藤を部屋に招く→水分を摂らせる→トイレに立たせる→その隙に奪う!!というものだった。英語赤点の学力を宿す頭ではこれが限界だったのだ。仕方ない。吉田本人には完全である計画だったのだが、悪魔の知恵の様な持ち主の佐藤には算数の足し算より拙い計算だったようだ。トイレ行くふりして戻ってみれば、せめて本当に行ったかどうか確認してから行動すればいいのに、即座に目的に移る辺り吉田の浅はかさというか、愚かさと言うか。まあ可愛いんだけど。
 結局、吉田の目論見は達成できたのかどうか――計画通りにはいかなかったけれど、彼女のマドレーヌは永久に佐藤の口に入る事も目に触れる事も無いだろう。何故なら、吉田の母親が食べてしまったからである。
「――って事でごめんな〜。残りのはちゃんと渡すから」
『ああ、俺も忘れて悪かったよ』
 ここでの、佐藤の「悪かった」とは、忘れてしまった事に対して貰った女子達に向けた言葉では無く、吉田の家に残して手間をかけさせてしまった事での謝罪だろう。不謹慎とは思うが、自分と付き合ってる癖にほいほいとマドレーヌを貰ってきた佐藤にもやもやしていたものがちょっと晴れる。
 しかし、今日はちゃんと自分で断って、佐藤も成長したという事だろうか。最も内容が内容なので、いつものように吉田をダシに使う事も出来なかっただろうが。
 佐藤忘れ物を伝える報告の為の電話を切って、ふと気付いてみればまだ制服だった。この時間、普段ならとっくに部屋に着替えて、だらだらと漫画でも読みながら、自堕落に寛いでいる。
 でも今日は、自分の部屋には佐藤が居て。
「………………」
 マドレーヌを取り返す事ばかり先行して、思わず部屋に招いてしまったけど、早計だったというか、もっと大事に進めすべき事だったかな、と吉田は今更思った。仮にも――というか、正真正銘付き合っている相手を部屋に誘うのはそういう事だと佐藤は言っていたし、吉田も特に異は唱えない。
 そういや、佐藤の部屋に行く時、正確にはおいでと誘われた時はちょっと緊張したものだ。あの時、まだ佐藤が好きと言う自覚も薄かったけど、確実に意識はしていたんだろう。
 佐藤の部屋に比べ、吉田の部屋はかなり狭い。大分狭い。とても狭い。それにお菓子の1つも出さないで、ひたすらお茶という水分を勧めていただけだった。冷静に思うと付き合っている人の部屋に誘われたというのに、あんまりな展開だろうか。でも、きっと自分はそういう演出を出すのはは苦手、というか経験不足も手伝ってほぼ皆無だろうし。
 佐藤は、本当に自然のように自分に触れて来るから、なんだかそうされるのが当然だとすら思わされてしまう。今日だって、気付けば押し倒されていたし、こめかみ付近にキスをされてしまった。背後から抱き締められる形で。
 背中全体で感じていた佐藤の体温を思い出し、吉田は真っ赤になる。佐藤がこの場に居なくて良かった。またからかわれる、と吉田は頬を冷ますように摩ったのだが、逆に摩擦で熱くなった様な気がしないでも無い。
 あの時はマドレーヌを取り返す事だけで頭がいっぱいいっぱいだったが、佐藤が自分の部屋に居たというのは、可笑しいと言うか変と言うか――無理やり表現するなら違和感とでもいうべきか。自分から誘ったのだし、決して嫌ではなかったのだから、良い意味での違和感なのだろう。違和感に良い意味も悪い意味もあるかどうかは知らないけど。
 佐藤が、この部屋に居たのだ。そこに坐って、お茶を飲んで(飲ませて)。滞在していた時間はそんなに長くなかったけど、佐藤、退屈じゃ無かったかな。楽しかったかな。また来たいって思うかな。
 吉田が佐藤の部屋に行く理由は色々ある。寛げるソファはあるし、面白い本はあるし、美味しいお菓子は出るし、何より佐藤と一緒に居ても誰かの痛い視線が突きささる事も無い。それは自分の部屋でも同じ事だけど、さて、他の項目はどうだろうか。良く考えれば、佐藤に振舞ったのは水分摂取の為のお茶くらいなものだったし。まあ、探せばそれでもお菓子くらいあるだろうが、佐藤から出させるものとは比べてもいけないレベルのものだろう。何だか、思えば思う程自分の部屋なんて訪れる価値が内容に思えて来た。
 それでも、佐藤の部屋が自分の所並に狭くても、本もお菓子も無くったって、吉田はやっぱり誘われたら行きたいと思うだろう。佐藤の部屋に。他の事なんてどうでもよく、そこが佐藤の部屋だからこそだ。何も無くてもきっと楽しい。
 今回はこんな形になってしまったが、今度はもっとゆっくりした時にでも誘おうか。気の利いたものは、多分やっぱり出せないと思うけど、一緒に過ごす事は出来る。せめて精いっぱい持て成そう。ペットボトルのお茶じゃなくて、急須で淹れたりして。
 誘うとなったら、まず部屋の片づけからだな。床に直に置かれた雑誌の山を見て、吉田は胸中で呟く。みっともないとか思われる以前に、スペースの問題だ。実際佐藤はちょっと窮屈そうだったし。座布団も用意しておこうかな。
 そして、なにより気にしなければならない事は。
 さっきまで不味さに震えていた母親だが、ようやっとその症状(?)から脱却出来たようだ。これに懲りて人の物を勝手に食べないで貰いたい。
 そろそろ夕飯の支度でもとりかかろうかという母親に、吉田が声を掛ける。
「あのさ、母ちゃん」
「んー、何?」
「……えーと、休みの日とか、どっか遊びに行ったりしない?」
「? 何、急に?」
「いや、なんでも………」
 今日みたいに、突然帰宅されてはゆっくりも何も無い。
 佐藤を部屋に誘うのは、母親の不在、しかも長時間が解ってからの事だな、と吉田はそれだけを確かにした。



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