そして2人はゆっくりと文化祭を堪能した……と、言いたい所だが何せ校内ほぼ全員の女子の関心を引く佐藤と一緒である。辛うじて騒ぎは起こらなくても平穏にはややかけ離れていて、ゆっくりとは言い難い。何より、どこに行っても始終人の視線を感じているのはあまり気分の良いものでは無かった。
 吉田は、佐藤と居る時だけこんな感覚を味わう訳だが、佐藤は常にこんな感じなのだ。大変だな、と思うと同時にそこまで強固な仮面をつけている佐藤に、何だか煮え切らない気持ちも覚える。そんな風に周りに合わせた自分を作らなくったって、佐藤は佐藤のままで十分良いのに。
 それでも、吉田だけ居ればいいと断言した以降でも、態度が変わらないのを見ると、自分では中々取り辛いものかもしれない。そんな時こそ、自分が頑張らなくてはと思うのだが、吉田もまた上手い方法が見つからないのだった。


(う〜ん、誰が誰だか解らないな)
 自由参加にも関わらず、生徒達の仮装率は高かった。事前で解っていた事だが、こうして実際を目の当たりにすると改めて実感する。秋を迎え、クラスメイト以外でも顔見知りが出来たかという頃だが、今日はそんな面子が全く分からない。あるいは、クラスメイトですら、擦れ違って気付くかどうか危い所だ。皆、自分でありながら自分以外の姿になるという、仮装と言う非日常を存分に楽しんでいる。
 とはいえ、普段の制服を着ている生徒が皆無という訳でも無い。たまに制服姿の生徒と擦れ違うし、そもそも佐藤もまだ制服だ。途中から着替えるとは言っていたけども。
 吉田は思う。佐藤が仮装に意欲的ではないのは、すでに普段から女子の為で演技をしているからではないだろうか。わざわざ仮装なんてしなくても、違う自分になっているのだから。
 そりゃあ吉田だって、全ての人に同じ態度で接する事は無い。相手によって自分を変える事はあるだろうが、佐藤の様に完全に隠しきったりはしない。だから何となく、不安と言うか、心配を覚えるのだ。
「そういや、高橋のクラスにはいかないのか?」
 互いに紹介し合っては無いが、虎之介が吉田の親友だというのは吉田だけの話でも十分解る事だ。こんな時、真っ先に親友のクラスに顔を出したがるものだろうが、何故だか佐藤がそう切り出すまで、吉田からそんな話題は一切上らなかった。
 佐藤に話を振られ、吉田がギク、と方を強張らせた一瞬を、当然佐藤は見逃さなかった。
「え、えー、ほら、とらちんのクラスは山中が居るし……」
 確かにそれは理由の1つだろうけど、全てでは無い筈だ。何より、一番の原因でも無いのは吉田の態度で解る。
 佐藤の高性能の頭脳は、校内中のクラスの催し物の全リストがインプット済みだ。検索を掛けてみると、すぐにヒットする。
「そういえば、」
 と、いかにも佐藤はたまたま思い至った、という風な話し方で切りだす。
「今回、仮装が出来るって言う事で、ハロウィンにかこつけたような催し物が多いとか……
 例えば、お化け屋敷、とか」
「………」
 吉田は、余程何度、あの時の屋上に時間を遡らせ、自分の口を封じたいと思った事か。今の様な事態でまさにそう思う。
「……………………」
「……………………」
 やおら訪れた沈黙。ややあって、佐藤は不意に吉田に満面の笑みを浮かべる。平和の象徴であるはずの笑みは、佐藤の手にかかれば波乱の幕開けになってしまうのだ。吉田にとって。
「さー、吉田! 高橋の所に行くか!」
「ヤだ――――! 嫌だってばぁぁぁぁ――――!!!」
 海賊姿の吉田を小脇にかかえ、ルンルン気分なステップで佐藤は吉田を強制連行した。


 そもそも、今日は全体的に校内の様子がお化け屋敷に近い。まあ、廊下にゴシック調な黒いカーテンが張られてたり、髑髏やジャック・オ・ランタンが辺りに飾られているという具合だが。
 そんな中、お化け屋敷を催すクラスは多いが、そこは高校生にまでに培われたセンスと企画力により、他クラスと粒や話無い様、それぞれ趣向を凝らしたものとなっている。例えば純和風にしてみたり、お化け役に札をつけて脱出するアトラクション物に仕立ててみたり、はたまたカフェにしてみたり。冥土喫茶とかベタなものもある。吉田はそっとスルーさせてもらう事にした。牧村だったら意気揚々と駆けこむだろうか。いや今は、生徒会長に熱を上げてる様だし、それは無いかも。
 そんな中、虎之介のクラスは、洋風寄りのホーンテッドマンションがテーマの様だ。クラスの出入り口が、装飾に寄り洋館のような扉に姿を変えて居る。
「ふーん、中々凝ってるな」
「わーん、馬鹿ー! 行かないって言ってるのに!!」
 呟く佐藤の横、未だ抱えられたままの吉田が喚く。しかもこんな状態だというのに、女子から「佐藤君とあんなに密着して」という負のオーラを感じるし。
「友達のクラスなのに、薄情だなぁ、吉田」
「とらちんにはもう言ってあるから! 行かないって!! 俺がお化け屋敷嫌いなの知ってるし……」
 ぶちぶちと文句を言う吉田を降ろしてやる。佐藤はあの時知った事実だが、高橋はそれより前に知っていたのだろう。何せ中学3年、ずっと同じクラスだったというのだから。全く羨ましいものだ、と佐藤が胸中で思っていると。
「おう、ヨシヨシ。来たんか」
 事前に言っていた通り、狼男の格好の虎之介が現れた。灰色で大きな耳と尻尾を揺らして吉田の元へと寄る。胸元はファーのついたマフラーで覆われていた。狼男だと言われて納得の姿である。
「うん。うう………」
 ホントは来たくなかったんだけど、と悲愴な顔で吉田が佇む。その隣には、佐藤が居るがすでに降ろした後なので、虎之介には佐藤が力づくで連れて来たとは思って無い様だ。
 吉田を見て、んー、と虎之介は考える。これが他の友達なら「まあ入ってけ」とか言うのだろうが、いかんせん吉田はお化け屋敷嫌いだ。
「一緒にどっか回るか?」
 気遣った虎之介の申し出に、吉田はぱっと顔を輝かせた。
「えっ、良い……」
「いや、吉田はお化け屋敷に入りたいんだって。なっ、そうだろ?」
 頷こうとする吉田を阻むように、すかさず佐藤がそう言う。
「え、ええええ………」
 あまりに咄嗟の事に、吉田に上手い反撃が思い浮かばないで居ると。
「なっ」
「……………」
 その、「なっ」の裏には「頷かないとここでキスするぞ。ものすごいやつ」という意味が込められているのが、吉田にも解った。
「……う、うん。入る」
 かくかく、とぎこちない動きで頷く吉田に、虎之介が目を丸くする。
「えっ、いいのか? 結構力入ってんぞ、このお化け屋敷」
 虎之介がそう諭すのを聞いて、吉田は顔を引き攣らせる。まあ、力の入り様はこの入口からでも十分窺えるけども。
「平気だろ。俺が一緒だもんな」
 と、言って佐藤が吉田の肩に腕を回し、吉田はそれにぎょっと身体を固まらせた。そんな仕草は、友達同士でも十分行う事だけども、今、この場で佐藤は「恋人」として吉田にそういう風に触れて居る。とらちんの前で何してんだ!と吉田は決して声には出さず、吊り上げた目で佐藤に訴える。が、至って素知らぬ顔でスルーされてしまった。何か悔しい!!
「まあ、入りたきゃ入っていいけどよ……今丁度、誰も居ないからすぐに入れるぜ」
 ちょっと前は行列で来てたんだ、と製作に携わった身だからか、ちょっと得意げに言った虎之介だった。
「そういや……山中は?」
 なるべく佐藤の耳に届かない様、そっと虎之介に窺う。少なくとも校内においては、山中は虎之介にべったりの筈なのに、今はその姿が無いのだ。居たら居たらで虎之介に迷惑な山中だが、居なかったら居なかったでどこで何をしてるんだろう、とまた面倒な心配をさせる奴だった。
 吉田の問いかけに、虎之介はまず首を軽く傾げて見せた。
「いやそれがな、さっきまで鬱陶しいくらいベタベタしてたっつーのに、クラスに戻ってヨシヨシが居るなー、って思った時急に「用事思い出した!」つってどっか行っちまってよ」
 何なんだ?と虎之介には疑問符しか浮かばない様な事態だったようだが、吉田にはその時の山中の心情が、痛い程解ってしまった。山中は、吉田と一緒に居る佐藤に怯えて姿を眩ませたのである。
 未だあの時の恨みを引きずる佐藤も佐藤だが、その恐怖が染みついて離れない山中も山中だと思う。せめてどちらかの態度が改善されれば、自分もフォローに回ってならないでもないけど。まあ、フォローした所で特にメリットにもならないだろうが。単に、お互いの確執を持った2人が鬱陶しい方向に面倒臭いってだけで。
 すぐに入れるとは言っても、準備はある。脅かし役の人にスタンバって貰わなければ、演出も効果も何も無い。吉田としてはその方が余程有難いのだが。
「そんなに緊張するなよ」
 と、吉田の様子を見て佐藤が言う。緊張というか、苦手なものに直面した際の変な動悸が止まらない、といった感じだろうか。
「確かに凝った作りだけど、所詮文化祭レベルだろ。大した事無いって」
 そのクラスが聞いたら怒りだしそうな佐藤の発言だが、虎之介は脅かし役の準備を言いつけに一旦中に入っているいて、聞いたら怒るだろう相手は居ない。何より佐藤は、吉田を解そうと思って言ったのだから悪意はそもそも無かった。しかし、そんな風に気遣うくらいなら、最初から入るだなんて言ってくれなければ良いのに。いっそ虎之介の申し出通り、3人で校内を回っ……るのは佐藤の立場と性格上、難しそうだけど。
「ヨシヨシ、準備出来たってよ」
「なら、入ろうか」
 入口に張られた暗幕をかき分け、虎之介がそう言う。しかしそれに応えたのは呼びかけられた吉田ではなく、佐藤だった。
「う〜………」
 お化け屋敷の前に立った時、予防注射の順番待ちを思い出す。どっちも逃げ出したい衝動に駆られるが、予防注射はまだ一瞬で終わるし生活上必要な事に対し、お化け屋敷は一瞬では終わらないし、まして生活に必要な事でも無い。何故、わざわざ、入らなくてはならないのか!!
 大いなる矛盾とジレンマを抱えながら、吉田は恐る恐る足を踏み入れた。
「手、繋ぐ?」
「………ヤだっ!!」
 即答出来なかったのが吉田の状態を物語っていると言って良い。
 それでも吉田は、カピパランドでは佐藤の背中にひっついていたのを思えば、まだ自力で歩ける程は平静を保てている。最も、手と足が同じ方同時に出て居るけども。
 作ったのも脅かし役も、自分と同じ高校生、という認識が吉田を動かしているのだろう。
(う、うん、大丈夫だこのくらい! 佐藤になんか頼らなくても……!!)
 どうせうろたえる姿が見たくて、お化け屋敷に引き込んだのだろうけど、そうはいくものか!と吉田は気丈にも佐藤の前を歩いていた。
 中は廃墟と化した城をイメージされていて、所々血しぶきや血の手形等がついている。壁についているそれらを見ない様、吉田はひたすら前を向いて歩いた。
 だから、つまり。
 通路に脅かし役の生徒が現れたら、吉田はモロに対峙してしまう訳で。
 角を曲がった所で、ジェイソン姿の脅かし役と遭遇してしまった吉田の絶叫は、学校を揺らす程のものだった。


 散々だった。とにかく散々だった。
 聞き逃しようのない吉田の悲鳴を聞いた虎の介は、やっぱり、とばかりに吉田を外に引き出した。吉田に怖い思いをさせるのは可哀そうだし、それにパニくった吉田がセットを壊しかねないとも思ったからの判断だった。佐藤の方は、超絶驚いた吉田が見れたので、それで満足したようだ。良かった……とは絶対思えない。
 ともあれ、吉田の大絶叫と佐藤が居るという情報をキャッチした人達により、虎之介のクラスの前は混雑して来た。潮時とばかりに、ぐったりとした吉田を引き攣れ、佐藤はその場を人ごみに紛れて後にした。
「ほら。吉田」
 大声を出した吉田の喉の為、佐藤はミルクティーを差し出す。険しい目つきのまま受け取るが「……ありがと」と礼を言ってしまう吉田だった。そんな所が可愛い、と佐藤は小さく笑う。
「まあ、良い宣伝だったんじゃないか? 今度高橋に奢って貰えよ」
「……いらないよそんなの………」
 むす、と目を吊り上げ、それでもミルクティーを飲む吉田。貰ったのは冷たヤツだけども、この先温かい飲み物が心地よくなるのだろう。季節の移ろいを気にするのは、佐藤と過ごした長さを実感するからだ。出会った――というか、佐藤似告白されたあの春が、つい最近のような、遠い昔の様な。
「――そろそろ、時間だな」
 携帯を出し、そこで時刻を確かめて佐藤が呟いた。佐藤の発言の通り、吉田の店番の時間が迫っていた。
「教室行くか」
「う、うん」
 そのまま、教室に向かう先、吉田はふと気になった。自分が当番の時、佐藤は何をしているんだろうというか、何をするんだろうというか。他の誰かと一緒に文化祭を回るんだろうか。その誰かとは、とても可愛い女の子だろうか……
 いや、仮に女子と回っていたとしても、佐藤には何の他意もないのだ。付き合いというか、ガス抜きというか、女子に度々フォローをしないと、放課後一緒に帰れる機会も減ってしまうのだし。だから、佐藤が女子と居たとしても気に病む事は無いのだ。何も。
 そう結論付けて、うんうん、としきりに頷いている仕草はそのまま表に出てしまっていて、その動作から佐藤は吉田の胸中を図り、密やかに笑った。


 吉田のクラスが開催する巨大ジェンカは、対戦ではなく記録を残すゲームである。長く続けば続いた程良く、そして時間制限で崩れなかった時はその高さで優劣が決まる。最終的に決まった優勝者には、ちょっと豪勢にiPodである。ジェンガの材料は全て廃材の再利用なので、材料費はゼロ。その分浮いた費用で賞品のレベルを上げる事により、集客を狙ったのである。その読みはどうやら正しかったようだ。
「こちら最終列ですー! 待ち時間は20分ですー!!」
 声を張り上げ、吉田が客を呼び込みつつ整理する。中々の盛況で、吉田もサボる隙が無い(コラ)。
 とある男子が、参加賞で佐藤との2ショットを出したらもっと呼び込めるんじゃないか、と言ってみたところ、物凄い非難轟々の集中豪雨の雨霰を食らってしまった。彼はこの先、この学校における学生生活で彼女が出来る事は無いだろう、くらいな。まあ、佐藤を人寄せパンダみたいに使うのも腹立たしかっただろうが、何より自分達が客の立場を利用出来ないからという怒りの方が凄まじかったと思う。あの時の場面を思い出し、吉田は思うのだ。雉も鳴かずば撃たれまいって、ああいう場合の事を言うんだな、と。
「凄いお客さんだね〜」
「これはクラス賞、狙えるんじゃないか?」
 吉田と同じローテーションになった秋本と牧村が口々に言う。文化祭の出し物は、アンケートにより好印象だったり、企画が斬新だったり、そして客の到来数の多かったクラスには賞が贈られる。貰ったとしても、次の全校集会等で表彰されるくらいだが、やっぱり貰えないよりは貰えた方が嬉しい。皆のモチベーションも上がるというものだ。
「お〜い、交代だぞ〜」
 次の当番であるクラスメイトが声を掛けた。吉田は掲げて居たプラカードを渡し、順番待ちの名簿も手渡す――と。
「あ、あれ、佐藤??」
 本来、もう1つ後の組である佐藤がその場に立っている。
「ああ、部活の方の催し物で、トラブルがあったらしくて」
 目をぱちくりさせる吉田に、佐藤が説明してやる。
「じゃあ、交代したって事?」
「いや、どうだろ。割と深刻だったようだし、出れないかもって言ってたな」
 その時の会話を思い出すように、佐藤は言った。
「えー、じゃあ、連続って事か?」
「そうなるかもな。ま、大した作業じゃないし、貸しにしてやったからな」
 貸しにしてやった、の部分で佐藤が悪どい笑顔を浮かべた。徐々に素が出始めて来たのは多分喜ばしい事なのだろうけど、と吉田はその笑顔に顔を引き攣らせる。
「ふーん、そんじゃ、キツくなったら俺を呼んでも良いから」
 無理すんなよ、とそっと気遣う吉田のフォローが嬉しい。思わず抱きしめたい所だが、観衆が多いのでこの場は我慢する事にした。
「このまま最後まで入ったら、次会うのは後夜祭だな」
 文化祭の終了後、校庭で後夜祭と名打ったただ集まって騒ぐだけの集会が催される。それでも、締め括りとなるイベントだ。
「……うん」
 頷いてから、吉田は思った。佐藤は自分の当番が終わったら着替えると言ったから、次会う時は装いを新たにした佐藤と出会う。
 たったそれだけなのだが、それが妙にそわそわしてしまう吉田だった。


 その後、吉田は店番の終わった高橋と合流し、改めて一緒に楽しんだ……と言いたい所だが、これまた山中のせいで素直に楽しんだと言えない所が悩み所だ。最終的には佐藤の存在をチラつかせねばならないだろうか、と覚悟を決めかけた前に虎之介の鋭いパンチで沈黙した為、その必要は無くなった。今の山中は、保健室のベッドの上である。虎之介に引きずられて。
 吉田は携帯を見てみる。代打した生徒が戻って解放されたという旨が届いていないか、それとなく確認し続けていたのだが、そういうメールは入って居なかった。気付けば、そろそろ文化祭も終わりの時刻が差し迫っている。後夜祭に向かう為、皆でやる本格的な撤収の前に一旦締めるのだが、今ごろはその準備だろうか。吉田は、自分の教室へ向かった。


「えっ、もう代わった!?」
 教室へ着いた時、吉田と対面したのはなんと佐藤と交代した筈のそのクラスメイトだった。その驚きと来たら。
「ああ、10分くらい前にな。今ごろなら、校庭に向かってるんじゃないか?」
 辺りを見ても、教室の中に入るよりも校庭に向かう流れの方が大きくなっている。人で混んでいたこのクラスだって、今は誰も居ない。居るのは当番の生徒だけだ。
 念のためにもう一度携帯を見て、やっぱり何のメールも入って無い。そりゃ確かにはっきりとした約束はしてないけど、でも終わったならそれくらいの連絡してくれてもいいのに。
 ちょっと不貞腐れながらも、吉田も校庭に向かった。その雑踏は、やはり明らかに仮装の割合が多く、ちょっとした異世界気分を味わえた。
 いつだったか、佐藤が言っていた。異世界じゃなくて、平行世界の事だ。人生の中、直面する選択の度に両方の可能性がそれぞれ別の世界として成り立っているというもの。例えば今日、吉田は昼食に焼きそばかホットドックかを迷い、最終的にホットドックを選んだが焼きそばを取った未来が別個して存在しているという話だ。それを聞いた時、何とも途方の無い事だと吉田は思った。そんな些細な選択でいちいち世界が生まれていたら、膨大な「自分」が存在する事になる。
「でも、見てみたいよな。そんな色んな吉田」
 佐藤は、あり得ない事だと踏まえた上で楽しそうに言う。まあ、確かに、吉田だって見れるとなれば見たいと思うだろう。
 そして、気になる。分岐の度に生まれる世界。その中で絶対あるであろう、あの春に佐藤が告白をしなかった世界の自分達。
 ただの友達なのか、あるいは挨拶くらいしかしない仲なのか。あるいはもっと別の形で気持ちを通わせ合い、今の自分達より余程幸せに過ごしているかもしれない。
 気になるなぁ、と思いつつも果たされない願いだ。
 だってそもそも、同じ世界の佐藤にだって、知らない事が多いと言うのに。そんな、違う世界の事もだなんて。


(あれっ、佐藤……いない、のかな?)
 校庭に出て、吉田がそんな風に思ったのは女子がやたらキョロキョロしているからだ。佐藤が居れば、その視線の方向はいつも定まっている。佐藤の居る方へと。
「あっ、吉田!!!」
 同じクラスの女子が、目敏く吉田の姿を見つける。この大きな海賊帽は、結構目印にやりやすいようだった。
「ねえ、佐藤くん知らない!? さっきから探してるんだけど、見つからなくて〜」
 言ったのは目の前の彼女だけども、それはこの場に居る皆の総意だろう。吉田に言ってる先からも、佐藤を探して忙しなく視線は彷徨う。
「いや、俺も来た所だし……佐藤も仮装してるっていうから、どこか紛れてんじゃない?」
 吉田は帽子を被っただけの仮装だが、中にはマスクをして正体不明になっている者も居る。佐藤がどんな格好を取るかは知らないが、その可能性はある。
「でも、佐藤くんなら仮装してても解りそうな気もするし……」
 何の根拠も無い発言ではあるが、吉田は何となく頷いてしまう。たかが仮装くらいで佐藤の輝くオーラが揺らぐ事は無い。最も、本人が意識していたらその限りでも無いが。
 佐藤、女子に騒がれるのが嫌でどっか隠れてるんじゃないだろうな。そんな嫌疑が吉田に浮かんだ。それはそれでまあいいとして、問題になるのはその説明を女子にする時、自分をダシにする事だ。そして目出度く、吉田は女子の標的となるのである。……全く目出度くもなんともないけど。
「見つけたら、教えなさいよ!」
 絶対だからね!と彼女は言い残して、再び佐藤捜索へと移る。ふと見てみれば、校庭には随分人が増えて居た。とは言え、強制参加でもないから、校内にちらほらと居る生徒もいると思うが。もしその中に佐藤が居たのなら、探すのは骨だな、と吉田は胸中で呟く。
 メールで佐藤の居場所を尋ねる事にした。内容は率直に「どこに居るんだよ!」というもので。
 そのメールを打っている時、近くの女子達の会話から吉田によって嬉しくない内容が聴こえて来た。
「さっきさ……もしかして、幽霊見ちゃったかも」
 その内容が耳に入った時、吉田の動きがピキ、と凍った。お化け!学校に、お化け!これからまだ2年かようというのに、そんなものが出ては困る!と吉田は戦慄した。
「えっ、幽霊ってどんな!?」
 もう片方の女子が言う。吉田は聞きたくないと思いながらも気になってしまうので、結局聞いていた。実に難儀だ。
「何かねー、向かいの校舎に居るの見ただけなんだけど、黒いスーツにマントで、それで真っ白な仮面してたの。それも、ただ人の顔の表面みたいな仮面で不気味っていうか……顔の半分覆ってて、逆に顔が解らないっていうか」
「でもそれ、誰かの仮装なんじゃない?」
「だったらいいけど、あの仮装は無いわ〜。いっそ幽霊の方がいいかも」
 いくない!!!と吉田は心の中で絶叫した。
 それにしても、現在校舎の中ではそんな幽霊かと噂されるような存在が居るのか。これはいよいよ入りたくない。
 そして、佐藤からの返信は無い。もう、どこで何やってんだ!と返事をしない佐藤に吉田が憤る。これでは、校舎の中を探さないとならなくなるじゃないか!!!
 ほっとく、という選択肢の無い、人の良い吉田だった。
 しかしここで吉田は1つ気付いた。外に出るには、靴を履かなければならない。つまり、上履きがあったら外に出ているという事になる。気付いた俺えらい!!と自画自賛しながら、吉田は佐藤の靴箱を覗いた。すると――靴は無かった。佐藤は、校舎の外に居る。よし!と吉田は無意味にガッツポーズをしてみたりした。薄暗い校舎になんか入らないぞ!
 けれど、結局振り出しに戻ったとも言える。佐藤は何処に居るのか。
(もしかして、着替えてる最中なのかな?)
 それなら気付かなくても仕方ない……か?
 校庭に居ないのなら、オチケン部室か、中庭だろうか。いかんせん、まだ1年生の吉田はそんなに校内に詳しいとは言えない。他に候補も思い付かなくて、吉田は中庭に行く事にした。

 中庭という場所は、吉田にとって思い出深い。何せ、ファーストキスの場所なのだから。その当時は佐藤とこうなるなんて全く予想だにして居なかったのだから、感慨深いというか。
 校舎内じゃなければいい、と思ったが、人気の無い中庭はそれはそれで薄ら寒いものを感じる。それは気温の事もあるし、それ以外の事もある。何より、秋になって日没が早い。すでに黄昏時も超えてしまったようだ。空にある月が輝く。こんな日に相応しい様な三日月だった。
 綺麗な三日月だな〜と、吉田がのんびり空を見上げながら、中庭に足を踏み入れる。
 誰も居ない。そう思ったが、それは間違いだった。その人物の姿が黒一色だったから、闇が濃くなった空間に紛れてしまっていたのだ。
 黒いスーツ、黒いマント。そして真っ黒なシルクハットを被っていて、顔の半分を白い仮面が覆っている。――さっき、聞きかじった噂の「幽霊」だろう。
「…………」
 相手は、吉田が気付くより先に吉田に気付いたようだった。それでも、何の反応も示さずただ立っている。それがなんだか現実味を薄れされていた。なんだか、マネキンを相手にしているような――
 けれど、吉田ははっきりとした声で言う。
「佐藤」
 疑問でもなければ確認でも無い。正体不明の相手に揺ぎ無い自信を持って、その名前をただ言った。
 相手の口元が、空に浮かぶ三日月同様、弧を描く。
「やっぱり、吉田には解るんだな」
 言いながら、仮面を外したその下にあったのは、紛れも無く佐藤の顔だった。


「………………」
 折角佐藤と会えたと言うのに、吉田は不機嫌極まりないという表情だった。この顔を見て吉田が喜んでるんだなと思える者は絶対居ないだろう。
「メール、無視しただろ」
 あの時と同じように、ベンチに並んで座る。しかし服装がまるで違えば、互いに対する印象も、何より関係が違う。
「無視というか……んー、返事は出さなかったな」
「それを無視してるっていうんだよ! なんだよ、俺が探しに来なかったら、どーしてたんだよ!」
「でもほら、探しに来たじゃん」
「そーじゃなく!」
 吉田も、自分で何をこんなにイラついているのか、よく解らないまま、佐藤に喚いていた。
「さっきだって、俺が当てるの待ってたみたいに……解らなかったかもしれないじゃん」
 さっきの、仮面をつけていた時の佐藤は「佐藤らしさ」が一切欠けていた。それでも、何故佐藤だと解ったのか、きっと理屈じゃないから説明は出来ない。
「それだって吉田、俺なんだって解ったんだろ?」
 嬉しそうに言う佐藤。それを、吉田は手放しで受け入れられない。
 だって、だってそれならさっき、言い当てられなかったら。探しに行かなかったら、佐藤は自分に失望して――
 勝手に期待されたら困るのだ。だって、きっと出来ない事の方が多いのだから。
 それで裏切られたとか思われたら――もう、どうしようも出来なくなる。
「まあ、別に探しに来なくても、言い当てられなくても構わなかったんだけどな」
 そんな吉田の胸中を察したか、佐藤がそんな事を言い出す。その声に、俯いていた吉田は、そろそろとその顔を上げ、佐藤の方を向く。
「じゃあ、何がしたかったんだよ」
 しても、しなくても構わないというなら。佐藤が解らなくなるのはこんな時だ。でも、そんな時は、佐藤も解ってないのかもしれない。
 佐藤は、少しだけ首を傾げさせた。
「まあ……どんな結果になっても、ああこれが吉田だな。吉田は吉田だなって思うだけかな」
 それがしたかった、と説明されても、やっぱりピンとこなかった。
「勿論、見つけてくれてた事は嬉しいけど」
 でも見つけられなかったとしても、特に何とも思わない、とも付け加えた。ますますややこしい。要するに、と要約する事が出来ないのだ。
「……………」
「ごめん、怒った?」
 メールを無視……というか返信しなかった事からを含めてか、結果として吉田を試した様な態度に対してか、佐藤がそう詫びる。
 確かに、あまり機嫌は良くなかったけど、それでも別に謝って欲しかった訳じゃない。
 何かを言いたい。言ってやりたい。朗々と、宣言して突きつけてやりたい事がある。
 吉田はふと視線を落とす。佐藤の手の中には、白い仮面がある。吉田はちょっと考え、それを奪った。佐藤は少し驚いたようだが、特に抵抗はしないで吉田の好きにさせる。
 仮面を手にした吉田は、佐藤の顔に被せる。
 そして、剥きだしたままの顔の下半分。その口に、ぱっと勢いよくキスをした。
「!?」
 中途半端につけられた仮面のせいで、視界がよく効かなかった佐藤は突然の唇の感触に驚く。慌てて仮面を取るも、その時すでに吉田はベンチから離れて、校庭へと出ようとしていた。
 佐藤がその足を止めようと声を掛ける前に、吉田が振り向く。やっぱりちょっと怒った様な顔で、でも佐藤にはとても可愛く見えた。
 吉田は尖らせていた口を開く。そして、言う。
「捜すよ。捜すに決まってんじゃん。見つかんなくてもさ」
 結果として見つけられなかったとしても、言い当てたれなかったとしても。それでも見つけたかったし、当てたかったのだ。過程は結果と違って形にならないし解り難い。それを解って欲しいと、他ならぬ吉田が佐藤に期待していた。
 佐藤は、吉田の台詞を聞いた後、瞬きを一回して本当に嬉しそうに笑って見せた。こんな笑顔の自分が弱いと、吉田は自覚がある。
「――もう、早く後夜祭行こうよ。始まっちゃってるから」
 つい話しこんでしまったけど、今はまだ文化祭で、それも、大事なクライマックスの最中だ。
「そうだな。行こうか」
 佐藤も立ちあがり、吉田の傍へと赴く。そして、並んで歩いた。
 おそらく、あの女子生徒は着替えた後、中庭に行こうとしていた佐藤の姿を見たのだろう。きっと他にも目撃者は居ると思うが、あの時の幽霊紛いと佐藤が同一だと考える人は居ないだろう。
 吉田のは重厚な記事だが、佐藤はそうでもなく、歩く度にマントがひらひらと舞う。そのはためき具合も、何だか佐藤に合っていて格好いい。
「結局、それ、何の仮装?」
 吉田が素直な疑問を口にした。
「まあ、一応オペラ座の怪人風って感じかな? 仮面がポイント」
「それって、ミュージカルだっけ?」
 いつぞや、やたらCMで聴こえたようなタイトルのような気がする、と吉田が言った。
「まあ、元々はホラーよりのサスペンス、みたいな小説なんだけどな」
「えっ、怖いの!?」
「ホラーって言っても、ジェイソンみたいなホラーじゃないよ」
 その台詞に、さっき卒倒しかけた記憶が蘇り、吉田の顔が苦々しくなる。それを、にこにこして眺める佐藤。わざと言ったようだ。吉田にもそれが解り、キツく睨む。
 どうやら佐藤は、さっきつけていた仮面はつけないで後夜祭に参加するようだ。まあ、正解と言えるだろうけど、仮装のポイントではなかったか、それは。
 普段とはまるで違う姿の自分達に、吉田はまた平行世界の事を思い出していた。この服装のままの身分で、自分が海賊で、佐藤が怪人だったとしても。
 それでも佐藤は自分の事を好きになって、自分も応えたいと思うだろうか。
(思うんじゃないかなー)
 吉田がそう思うのは、例え今とは違う選択肢を選んだとしても、それは結局「自分」に他ならないからだ。
 「自分」は「佐藤」が好き。
 いつでもどこでも、どんな世界でも
「あー、やっぱり始まってるか」
 佐藤が言う。校庭に出てその光景が見られた。と、言う事は校庭に居る人も佐藤の姿が目に入ると言う事だ。早速黄色い歓声が沸き起こる。うんざり、というか、げんなりとする吉田。
 ほぼ全校生徒が集まっているか、という校庭を見て、佐藤が吉田に言う。
「俺の傍からはぐれるなよ」
「――うん」
 吉田も、佐藤に返事をした。その時の吉田が、とても嬉しそうな微笑みに包まれていたのは、佐藤だけが知る事実となった。



<END>