とりあえず、勉学が学生の本分だとしても、学校生活で一番の楽しみなのは秋に催される文化祭だと言う生徒は多いのではないだろうか。吉田も、一番とは言わないが、まあまあ楽しみにしていたのは否定しない。
 その学園祭だが、今年はちょっとばかり趣向を凝らすらしい。最も吉田は今年がこの学校で初めて迎える文化祭なので、去年と何かが違おうが、あまり違和感も感じられないだろうが。
 それでも、確かに今年の文化祭は例年からは外れているのだろうと吉田達も十分思わせた。
 何せ、文化祭中は仮装をするというのだから。


「ま、これもどうせ、あの腹黒会長が企んだ事だろうけどね〜」
「えっ、そうなの?」
 野沢(姉)の呟きに、吉田が目を瞬かせた。何故吉田が野沢と一緒に居るかと言えば、単に画材を運ぶ手伝いをさせられているのだ。幸い重いものではないが、何せ嵩張るものが多かった。そんな野沢の視界の前を通り過ぎた吉田は、ちょっと運が無かった。
「でも、皆を仮装させて何か良い事ってある?」
 手に沢山の荷物を持ちながら、吉田は首を傾げる。
 体躯は小さくても力は男子高校生並なので、見た目のおかげで何だか力持ちに見える吉田だった。まあ、当人にとってメリットにはならない事だろうけども。
「馬ー鹿。また佐藤目当てだって。学校だと制服姿しか見れないもんな。私服が見たけりゃ休日にストーカーするしかないだろうけど、会長の立場じゃ不味いだろ?それで文化祭にこじつけて制服以外の姿拝もうって魂胆」
 と、野沢姉が偏見と独断を込め、解り易く説明してくれた。
 会長の立場が無くてもそれは不味いと思うのだが……そうか、佐藤か。吉田は苦虫を噛み潰したような顔になる。特に佐藤が仕掛けたという訳でもないし、佐藤は実際とても格好良くてそれに女子がはしゃぐ気持ちも解るけど、なんていうかこう、もやもやするというかなんというか。
 それを素直にヤキモチと認められない素直じゃない吉田だった。
「んで、」
 と、野沢が吉田に声を掛ける。
「吉田は当日どんなカッコすんの?」
「へ? 俺?」
「だからアンタに聞いてんじゃん」
 一発で解れよ、とばかりに野沢が冷たい視線を向ける。
「いやー、まだ決めてない……っていうか、そもそも自由参加なんだしさ」
 例によって、生徒会長に片恋中の牧村が「文化祭盛り上げる為に皆も仮装しようぜ!」と無駄に青春していたけども。吉田はそこまで熱くなれないというか、牧村の心証を良くする為に動かなければならないのだというか。
 ふぅん、と野沢は相槌を打って、
「でも、弟が結構気にしてたからさ。どんなの着るのかなーって」
「え、そう?」
「うん。その姿デッサンしたいって」
「……………」
 そう聞かされて、ますます仮装する気の失せてしまった吉田だった。


 しかし本人の意思がそうであっても、周りがそれを受け入れてくれるかどうかはまた別問題である。というか往々にしてままならない。
「なあ、ヨシヨシは仮装するんか?」
 まさか虎之介からそんな質問されるとは思って無かった吉田は、目を丸くした。その口振だと、虎之介も仮装する気でいるような感じだ。少なくとも、迷っている感がある。
「とらちんは、するの?」
 質問を質問で返すのは禁じ手と思いながらも、吉田は思わずそう訊き返していた。虎之介は、おう、と答えてからやや顔を赤くする。
「……山中がやりたいって言ってるし……」
「……………」
 薄々予想していた返事とは言え、実際聞くとまたダメージと言うか。最もまだこの場合、虎之介の命や財産が危機に瀕する自体ではないのを喜ぶべきか、そこまで切迫している状況に嘆くべきか。
「やっぱり、何か仮装するの?」
 再度、吉田が尋ねると虎之介は照れ隠しか、頭をガシガシと掻いて言った。
「あー、狼男だな。まあ、黒い服着て耳としっぽつけるくらいだけどよ」
 仮装とは言ったが、ハロウィンに近い季節を鑑みて、モンスターのコスプレが多そうだ。
「山中は、吸血鬼の格好するってよ」
 これまたいかにもな格好を選んだものである。実際の姿を拝む前に、何だか顰め面をしそうだ。
 しかしながら、虎之介や山中のケースを含む事無く、男子生徒でも仮装での参加に結構意欲的だ。野沢姉から聞かされてから、それとなく皆に尋ねてみた所、やるとやらないの比率はだいたい半々――むしろ、参加側の方が若干多いかも、という程だ。確かに、こんな時でもないと仮装なんてする機会はないだろうし、何より学校での思い出作りである。仮装の為の投資も惜しくは無いのだろう。
「で、ヨシヨシはどうなんだ?」
 そもそもの最初の質問が、ここでまた繰り返された。吉田は、んー、と返事に迷う。吉田の心境は、気持ち的にはしたいけど、気分的にはしたくないという、なんとも宙ぶらりんな状態だった。
「まだ考え中……かな〜」
 たっぷり返事までの時間を取った後、吉田が答えたのはそれだけだ。仮装するのに、別に何も申請も許可も要らない。だから、前日に急に決めても何も問題無いのだ。
 女子にからかわれるのも野沢(弟)にデッサン取られるのも嫌だけど、吉田もやる派の男子と同じく、楽しそうだなと思わないでも無い。それでも、やるにしても、やらないにしても、吉田にはまだ決定的なものが足りないと思っている。そしてそれを齎すのは多分、この騒動の発端でもあるあの男に違いないと、吉田は揺るがない確信を持っている。それはもう、信頼とでも呼べそうな。


「――で、佐藤は仮装やるんだ?」
「うん、まあね」
 吉田の中で決定的な何かを握る佐藤は、その問いかけにあっさり答えた。特に嫌がってる風でも無さそうな、それ以上に楽しみとも思え無さそうな。時折、佐藤の本心は凄く解り難い。かと思えば、戸惑うくらい解り易い時もある。
「何やんの?」
 あっさり答えてくれたから、素直に教えてくれるかと思った吉田は甘かった。
 佐藤は、綺麗ににこり、と笑みを作った後、人差し指を自分の口の前に立てて、
「秘密v」
「……………」
 これが他の人物(例:山中)とかだったら、その面殴り飛ばそうかという気障な仕草だが、佐藤だと許してしまう吉田だった。実際物凄く似合ってるし。
「吉田は何をするの?」
「………秘密ー」
 仕返しとばかりに、吉田も口を尖らせつつ、そう答える。そんな吉田に、佐藤はゆったりと微笑んでいるだけだった。これが余裕の笑みというやつだろうか。それすら格好いい佐藤だった。きっと、どんな仮装でも似合うだろう。そしてまた、女子がキャーキャー言うのだ。解りきった事だ。だから、妬かないのだ。絶対。なんて思う吉田の眦がますますつり上がるのを、横で佐藤が楽しそうに眺めていた。
「じゃあ、当日のお楽しみだな」
 お互いに、と佐藤が言う。……何やら、zキツにさりげなく当日仮装する事が決まってしまったような気がする。吉田はあれ?と首を傾げた。
(ま、いいか)
 どうせ、どっち付かずな状態だったのだ。どっちに転んだとしても、そう嘆く事は無い。
「楽しみだな」
 どんな格好しようか、と吉田がさっそくあれこれ脳内で思い浮かべて居ると、不意に佐藤が呟く。そういえば、と吉田は自分が知る限りの佐藤の素性を思い起こした。中学の3年間はまるごとイギリスに行っていて、文化祭なるものを体験するのは佐藤はこれが初めてなのだろう。小学にそんなものが無いのは、同じ学校に通っていた自分も知っている事だ。
 小学卒業から高校の再会まで、その間の佐藤を吉田は知らない。どうでもいいと言えば嘘になるが、それに気を取られて、共に過ごす今を疎かにするのは間違っていると思える。
「うん、楽しみだな」
 高校での文化祭が初めてなのは、吉田も同じ事。まあ、当日はきっと平穏には終わらないかもしれないが、その分も込めて忘れない記憶になるだろう。かけがえのない思い出が出来る予感に、吉田はそっと笑みを浮かべた。


 吉田にとって、多少幸運だったのは文化祭がハロウィンの後にある事だった。行事ものは当日になると途端に値が下がるのは、25日のクリスマスケーキでも解る事。そして当日を迎え、ハロウィンの為の仮装衣装も叩き売るような低価格で振舞われた。こんな安くていいのかな〜と思う程だが、小売店でバイトするクラスメイトから聞くには、定価で売れないよりは半値にして売れた方が良いのだそうだ。勿論、定価の時に比べて利益は下がるけども、売れなかったらゼロなのだからそれにくらべれば、という話らしい。
 半額にされたグッズの中で、吉田が選んだのは海賊が被っているような帽子。髑髏マークのついたヤツである。それとアイパッチも付属でついていたのだが、片目の視界が潰れるとバランスがとり難くて危ないので、これは付けない事にする。後は私服で、襟の大きめなシャツでも着て行けば、なんとか様になるだろう。自分の仮装が決まり、まずは一安心の吉田だ。
 クラスの出し物も決まったし、あとは当日を待つのみ。皆、特に女子が浮足立っている。佐藤がどんな格好をするか、今から想像が膨らんでいるのだろう。勿論というか、吉田もその中の1人に当て嵌まってしまっていた。
 まあ、どうせ格好良いに決まってるんだ。そんな結果は解っていても、やっぱり何かドキドキしてしまう。ワクワクというか。
 そして、ついに訪れた当日――
「嘘付き!!」
 その日は、そんな吉田の声から始まった。その「嘘付き」と呼ばれた先には佐藤が居る。
「佐藤、仮装するって言ったじゃん!なのに、何でフツーの制服来てるんだよ!!」
 ズビー!と吉田が怒りながら指差した先には、当然のようにしれっといつもの冬服verの制服を着込んだ佐藤が居た。佐藤が着ると、ただの高校の制服も何かのブランドがついて見えるようになるから、不思議だ。
 佐藤は、吉田の怒声をものともせず答える。
「自分のローテーションが終わったら着替えるよ」
 別に文化祭中ずっと着てるとは言ってないだろ?と返されてしまい、全くその通りだった為に吉田も黙るしかない。
「……でも、佐藤の当番って一番最後じゃなかったっけ?」
 ある程度グループ分けをし、何度も話し込んでようやく決まった当番なので、吉田の頭にもその表が入っている。それと照らし合わせてみると、そんな結果が出た。
 吉田達のクラスの出す催しものは、巨大なジェンカ。直方体の木片を積み上げるバランスゲームを、ダンボールで作った1メートル弱の大きさでやってもらうのである。実際やってみると以外に難しく、そんなに長い間出来る人も居ないだろうが、とりあえず時間制限を設けさせてもらい、タイムアップした時に持っていた人物も負け、というルールを作った。こうしればゲームが早く進む事だろう。
 その中でする仕事と言えば、まずチケットを受け取る係、時間を図る係、あるいは列が出来た時の整備係くらいなものだろうか。頑張れば1人でこなせそうな仕事量だが、ここで頑張っても仕方ないし、1人だけ居てもつまらないし、という事で常時4人が教室に居る事になっている。そして、吉田と佐藤はその同じ4人の中には入っていない。まあ、別に、それ以外の時間で一緒に校内回るし、当番まで同じが良かったなんて言わないけど。
「あーあ、当番も吉田と同じが良かったな〜」
「……………」
 吉田は言わなかった事を、あっさり言う佐藤だった。
「ま、いいか。可愛い格好の吉田と一緒に校内回れるし」
「……えっ、一緒に回るの!?」
「何だ、ダメなの?」
「……ダメじゃないけど……」
 吉田個人の感情としては、勿論一緒に回りたい所だが、相手が佐藤の場合何せ周りが許してくれない。今ですら、女子からの視線をそれはもうビシバシと痛い程感じているのだ。この上、各模擬店を周り、一緒にゲームしたり焼きそばやバナナチョコを食べて居る所を見られたら、一体どんな怨念が自分に伸し掛かるか。
 とはいえ、不特定多数の女子の怨念より、目の前のたった一人の佐藤の嫉妬の方が恐ろしいのは、吉田もよく解っている事だ。ここで佐藤の誘いを断って別の誰かと一緒に行こうものなら、自分共々その誰かも呪われそうだ。ここは大人しく佐藤についていくのが一番良いのだろう。……多分。
 いや、吉田としても佐藤と回るつもりは満々だったけども、それは人目を忍んでというか、あからさまに女子に見られるのは避けたいと思っていたのだ。しかし、佐藤の様子を見ると実に堂々と校内を回るつもりらしい。
 しかし、基本調和を重んじる佐藤に、女子を荒ぶらせるようなこんな選択は珍しい。女子を断る口実として吉田と遊ぶからとはよく言っているが、実際にその様子を見せる様な真似はしてこなかったというのに。
 などと、吉田が思っていると――
「――吉田!」
 弾ませたその声色で、背後から迫るその人物が、振り返るまでもなく吉田は解ってしまった。勿論佐藤もだろう。その証拠に、佐藤の顔が壮絶なものになっている。
「吉田、海賊の格好してるだな。うん、凄く可愛いな……」
「そ、それはどうもぉぉぉぉぉ!!!?」
「見るな。減る」
 一応褒めてくれたらしい西田に、吉田もマナー程度の挨拶はしておこうと思ったのだが、独占欲を剥き出しにした佐藤によってそれは阻まれてしまった。今の吉田は、ぎゅうぎゅうと佐藤の腕の中である。
「ちょっ……!佐藤!苦しい! マジで苦しいって!!」
 体中から圧迫されそうで、吉田がじたばたと暴れる。
「そうだ、佐藤!吉田が苦しがってるじゃないか!!」
 西田も、そんな吉田の状態に憤るが、敵愾心の強い相手から指摘されては逆効果というものだ。西田黙っとけー!と吉田は胸中で叫ぶ。
 が、吉田が実際苦しんでいる事を佐藤はきちんと把握できたか、力を込めて居た腕は緩めてくれた。まあ、依然として腕の中であはあるが。
 佐藤のきつい抱擁が解けた事で、若干拝めるようになった吉田の姿に西田はほっこりとした笑みを浮かべた。その表情に、佐藤がムカっとしたのが抱きしめられている吉田にも伝わる。
「な、なあ、吉田」
 と、西田がそわそわした具合で言う。何故か、吉田は良くない予感がした。そしてそれは的中した。西田は、吉田に言う。
「その、写真とか撮って……」
「! だ、ダメ! さすがにそれはちょっと……」
「……そうか」
 やっぱりな、と西田はがっくり肩を落とした。ちょっと可哀そうとは思うけども、こういう所のけじめはきちんとしないと、後で大変な事になりそうだし……佐藤が。
 断られる事はすでに想定済みだったのか、比較的早く回復した様な西田は、めげなく吉田に話しかけた。吉田としては、西田が何処へ行ってくれないと佐藤も抱きしめた腕を解こうとはしないだろうから、西田には早く退場願いたい所なのだけども。せめて、佐藤の居ない間で会いたかったというか。
「でも本当、可愛いな、吉田。そのマント、よく出来てるし」
「あ、これ、演劇部のを借りて来たんだ」
 いかにも海賊が着るような、大きな襟の立ったマントをちょっと掴んで吉田は言うが、それは全て真実ではない。
 正確には、中途半端な格好の吉田を見た野沢(姉)が「なんなの、それ! 描く方の身にもなれっつの!」と良く解らない文句と共に演劇部の部室へとなだれ込み、それっぽいマントを強奪してきたのである(野沢が)。おかげでより決まった格好になったのはいいのだが、その後双子揃ってデッサンを取られたのはちょっと辟易したというか。ポーズにあれこれ注文されたのだ。
 鬼というより神のような早さでスケッチをした後、双子はこれまた揃って美術室へとなだれ込んだ。感じ取った完成をその場で直に叩きこむのが芸術なのだとか言って。あの2人にとって、文化祭よりも美への探究なのだろう。それはそれで、1つの人生の楽しみ方として否定はしない。が、それ以上に同意も同調も出来ない。
「西田の格好は……カウボーイ?」
 特徴のあるテンガロンハットを被って、皮素材の様なベストを着込んだ西田に、吉田はそう尋ねてみる。どうやら適当に言ってみはそれは当たったようで、西田の顔が輝く。
「ど、どうかな?」
「……え、まあ、いいんじゃないかな……」
「そ、そうか、そうか!! ありがとう、吉田!」
「………」
 こんな気の無い返事に、全力で喜ぶ西田がいっそ憐れに思えて来た吉田だった。良い人なんだから、早く他に好きな人を見つければ良いのに。
 まあ、それでも自分を好きになってくれる相手を好きになるとも限らないし、恋とは本来そんな計算とは無縁の筈だ。賢い選択で人を好きになる人なんて、多分いないと思う。背後の人物を思うと、吉田にそんな考えが浮かぶ。
「おい、早く自分のクラスに戻れよ」
「……言われなくても、今から戻るよ」
 割と似た様な表情で言い合い、睨みを効かし合った後、西田はとても名残り惜しそうに吉田を振り返ってから自分のクラスへと戻って行った。
「西田、忙しいのかな」
「まあ、あいつの事だから、雑用全部引き受けてるんじゃないか」
 佐藤がさして興味も無く言う。全部は誇張だろうが、仕事量が他の人より多いのは確実そうだ。良い人なのだ。本当に。そして、そんな僅かかもしれない自由時間の中、こうして会いに来たのか。
「……………」
 両想いなら嬉しい、と思うべき所かもしれない。そう、両想いなら、だ。相手が佐藤だったなら、痺れるような高揚感に包まれるのが、想像だけでも解る。西田は良い人だと解るけど、でも西田ではだめなのだ。佐藤じゃないと。
「……吉田?」
 沈黙の続く吉田に、佐藤が窺うようにそっと覗きこむ。
「……あー、うん。早く行こうか」
 西田が行った事で、佐藤の腕の拘束も離れる。
 並んで歩く。佐藤とだと、それだけの事でも何だか楽しい。
 折角の文化祭だ。自分は付き合えないけど、西田にも楽しい思い出が出来れば良いと、吉田はそう思った。


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