実の所、吉田は朝の時点で自分のミスに気づいてはいた。
 けれども、本当のミスはそこで「イケる!」と踏んでそのまま登校してしまった事だろう。
 季節の変わり目、気温がまだ安定しない中は暑さ寒さが入り乱れる。その日は前日に比べ、2度程最高気温が低かった。たかが2度、されど2度である。夏服のシャツにカーティガンをひっかけただけの合い服では、若干の肌寒さを覚えた。

 しかしながら、吉田も何の根拠も無く「これで良い」と思った訳でもない。今は朝だけど、昼になれば気温も上がるしマシになるだろう……と、思ったのが一番の失敗だった。せめてこの朝、ちらりと天気予報でも見て居れば、今日はずっと曇り。それも薄曇りでは無く、気合の入った曇天で朝と昼の気温差がほぼ無い様な日だったのだ。つまり、肌寒さはずっと継続された訳だ。
 こんな日こそせめて体育があれば良いのに、今日はずっと教室で授業。いや、それも違う理科室での授業があったのだ。だが、理科室というのは何故か、やたら寒い。とても寒い。おまけに授業というか実験ですらなく、ただひたすら自然の生態系についての映像を見せられただけだ。だったら視聴覚室に行けばいいのに、と思うが余所のクラスが使っているから此処なのだろう。
 元から、この部屋でも映像を見る事は多々ある。重厚な遮光カーテンを閉めた室内は、昼間とは思えない暗さになった。その暗さに目が慣れて、ようやく隣の人の顔が解るか、という程だ。
(……う〜、寒いな……)
 いよいよ陽の差さなくなった室内、吉田は無意識に腕を摩る仕草をする。
 と、その時。
「寒いの?」
 席が自由に選べるのを良い事に、ちゃっかり横に座った佐藤が言う。顔を近づけて囁く様に言ったのは、勿論上映されている映像のナレーションの声を邪魔しない様になのは解っているが、こう、若干暗闇の中での顔のどアップはやっぱり……好きな人の顔だと特に……
「あ、う、ううん。別に、そんなでも」
 実際、今は顔が熱いくらいだ。間近の佐藤のせいで……というか、おかげで。
「明日になったら、また気温が上がるらしいよ」
 どうせ明日も天気予報なんて見て来ないだろう、とでも佐藤は思ったか、そんな事を言う。
「えっ、マジで? 身体可笑しくなりそうだな……」
 吉田が苦々しい顔で言う。なまじ規則正しい生活をしていると、余計に影響は大きそうだ。吉田はそんなに清く正しい生活ではないだろうが、決して乱れた生活もしていないだろうし。
 もっと吉田と内緒話(いや別に内容は内緒にすべきでもない事だが)していたいが、生憎授業後にはレポートを提出しなければならない。さすがの佐藤も、見て居ない映像に纏わる内容は書けないので、この後は学生の性分に従事する事にした。
 時折、吉田の眠たそうな横顔を盗み見しながら。

 さて放課後。
 夕方になり、あまつさえ室外とあって肌寒さのWパンチだ。いっそ、走って帰ってみたら身体も温まるだろうか。いやしかし疲れる事はしたくない……と、吉田も今時の若者らしいジレンマを抱えた。
「吉田、やっぱ寒いんじゃないのか?」
 横を並んで歩く佐藤が言う。さっきの授業中を同じく、それほどでもないと言おうとした吉田だったが、反対の腕を掴む、自分を抱きしめるような姿勢を知らず取っていた。この体勢ではあまりに説得力が無い。
「ん〜、まあ、後は帰るだけだし。早く帰るよ」
「……………」
 あはは、と気楽に言った吉田は、あくまで佐藤に心配させまいという配慮故からだが、生憎それは佐藤にとってあまり喜ばしい事態では無い。早く帰る、なんて。
 さてどうしたものか、と辺りに視線を巡らせると、上手い具合に自販機を見つけた。
「吉田、ちょっと待って」
「?」
 言われて吉田は、素直に足を止める。佐藤の行った先を見て、自販機で買いたかったんだな、と吉田は思った。けれど、その買った品を手渡されたとは想定外。
「缶コーヒー、無糖しかなかったから、ココアにしたよ」
「あ、え、あ、う……あ、ありがと……あつっ!!!」
「そりゃまあ、ホットだしな」
 手にした缶の熱さに、慌てふためく吉田を、佐藤は可笑しそうに眺めた。
「それじゃ、」
 と、佐藤。
「ゆっくり帰ろうか」
 佐藤は吉田の肩にガシッと手を回し、近くなった顔に笑いかける。
 それは友達同士でもする事だけども、相手が佐藤だと途端に意味が変わる。近い距離はすぐにキスを連想させる。
 それを誤魔化すように、吉田は手にしてある缶を開け、グビっと一気に飲み込む。
「!! あち――――!!!」
 外が熱いそれは、当然ながら中も十分熱かった。
 肌寒い気温の中でも、何だか熱い事しか記憶にない様な、吉田の今日はそんな1日だった。


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