「これは何かの陰謀だ……きっと裏で、何か大きな力が動いてるに違いない……!」
 ぐぬぬ、と歯ぎしりしそうな程、吉田は呻いている。表情も壮絶だ。けれど、そんな顔も佐藤には好物にしか過ぎない。
「大袈裟だなぁ、吉田。合掌コンクルールの選曲くらいで」
 あっさりと言い放つ佐藤に、吉田はぎろり、と睨みつける。その双眸には、涙すら滲んで見えた。
「だって!そうじゃなきゃ、可笑しいだろ!!」
 吉田は吠える。
「何で、合唱コンクールの歌が英語の歌なんだよ―――――!!」
「せめて、聖歌って言えよ」
 わあああん!と嘆く吉田に、佐藤が突っ込んだ。


 何かの陰謀、なんて吉田は言ってみたが、理由なんて思いっきり佐藤のせいに決まっている。3年ほどイギリスで暮らしていた佐藤は、英語の発音が何せ良い。現地で培ったものだから、当然と言えば当然だ。
 英語の授業、教科書を読みあげる佐藤に、女子の誰もがぽーっと頬を染め、その声に聞き入っている。
 そんな時、吉田が思うのは1つだけだ。こんな流暢に読み上げた後に、自分が当てられませんように!という事だけだ。絶対もれなく笑われる。きっと笑われる。ていうか笑われた!
「もう、口パクでいいと思う……」
 今から疲れ果てたような吉田が、そんな事を言う。
 力無くテーブルの上に顔を乗せた吉田に、佐藤はデコピンを喰らわせた。いてっと吉田が跳ね起きる。
「コラ、ダメだろそんな事したら。ちゃんと参加する事に意義があるんだから」
「何だよー、優等生ぶって!!」
「吉田との思い出に、俺は手を抜きたくないってだけ」
「………………」
 正直、佐藤だって吉田がからんでなければ、学校行事なんて適当に流している事だろう。でも実際は吉田も一緒だし、共有する事になる思い出を適当になんか出来ない。
 全ては、吉田の為。
 それが通じたか、吉田は赤くなってぷいっとそっぽ向いた。こんな反応が、いちいち可愛くて困る。
「でもさー、英語なんてさ〜……」
 それでも、未練と言うか不満が募るのか、ぶちぶちと愚痴を零す。ここまで陰鬱な吉田も珍しい。余程英語が苦手と見える。まあ、知っていたけど。
「選曲も採点の対象だって言ってたからな。その辺も兼ねてるんじゃないか?」
 まあ、吉田程毛嫌いする生徒はそう居ないだろうが、いざ人前で歌うとなると敬遠する人は多い筈だ。実際他に洋楽での参加は居ないようなので、目立つ条件の1つであるオンリー・ワンという点はクリアできている。最も、やはり点数の大きいのは実際の歌唱力だけども。目立つ選曲をしても上手く歌えなかったら、それは本末転倒も甚だしい。
「ま、とりあえず映画見よう」
「ん〜」
 生返事の様な吉田の相槌だった。
 クラスが選んだ曲は、讃美歌ではあるがとある映画の中で使われている曲だ。それを、これから佐藤の部屋で見ようという休日の予定なのである。とにかく、英語の歌に触れて免疫を付け、苦手意識を克服しないと前に進めそうもないと思った佐藤の判断だ。
 セットする佐藤の手元を見て、吉田があれっと思う。
「DVDじゃないの?」
 佐藤が手にしてあるのは、DVDというかCD-ROMである。表面には、佐藤の字で映画のタイトルが書かれてある。
「ああ、この作品、DVDと地上波で吹き替えの声が違うから。俺は地上波の方が好きだから、前に放送した分を落としてあるんだ」
「ふ〜ん……佐藤って意外と凝り症だよな」
 ふと漏らしただけの、吉田のそんな一言だったが。
「一番熱心なのは、吉田の事かな」
 そんな反撃を食らってしまい、また真っ赤になったのだった。


 そうして映画を見終わり、吉田は純粋に面白かったという感想を抱く。ハラハラする場面もあったし、笑う所もあればじんと来るシーンもある。何より見終わった時の、収まる所に収まった、というスッキリした感じが良い。考えさせられるような、哲学的な難しいラストは良いか悪いかを別として、あまり好きじゃない。
「っていうか……役者の人、歌上手いな〜」
 吉田が一番強く持った感想は、それだった。
「まあ、向こうはそれこそ、歌って踊れるのが当たり前、みたいな感じだから」
 オードリー・ヘプバーンがオスカーを取れなかったのも、もしかして彼女が歌が達者では無かったからかもしれない。佐藤がそう言うと、吉田は「そうなんだ」と感心する。
 そして、吉田は溜息を1つ。
「……あの歌を歌うのか〜………」
 無理、という2文字が見え隠れする様な声色だった。別に吉田は音痴では無い。が、歌詞が言えないとなると下手以前の問題だ。
「単語より、歌の方がリズムがついてて覚えやすいよ」
 実際スピーチの原稿を暗記するより、歌一曲の歌詞の方が覚えやすいだろう。文字数が同じだとして。
「そうかな〜……」
 佐藤がそう言うのを聞き、吉田が歌詞カードを見る。けれども、英語だらけの(当然)それを見た途端、顔を顰める。
「ま、とりあえず始めよう」
 にっこり笑う佐藤の笑み。その笑顔で、吉田はコンクール当日までの長い苦難が始まったと、何となく確信した。


「いや〜、一時はどうなるかと思ったけど、結構覚えられたもんだな〜」
 と、少し得意そうに言っているのは、牧村だ。
「うん、それに結構繰り返しも多いしね」
 良かった、と秋本も言う。
 合唱コンクールの選曲が讃美歌である事に、女子は満場一致で反対意見なんて無かったが、男子からはささやかながらにブーイングが飛んでいた。あまりにささやかだったので、そのブーイングの方が飛んでしまったが。理由は吉田と同じで、歌詞が覚えられないというものだったが、割と皆は覚えていった。それは佐藤が言ったように、リズムに乗った方が覚えやすいというのと、秋本が言ったように繰り返しが結構あった、という所だ。不安を強く感じて居た面々も、この頃になると何とか歌えそうだ、と安堵の色を浮かべて居る。――若干、一名を除いて。
「…………」
「…………」
 その1名に向けて、どう声を掛けてやるべきか、牧村と秋本は答えを見いだせないで居た。
「ちょっと、吉田!」
 と、そんな時、鋭く響いた女子の声が。
「アンタだけなんだからね、まともに声が出てないの! まさかこの期に及んで歌詞覚えてないとか言うんじゃないでしょうね!!」
 覚えてません、と言う事すら許されない吉田だった。
「〜〜〜、だからもう、口パクしてるから〜〜〜」
 佐藤に対してと同じ事を言ってみたが、やはり佐藤と同じように却下された。
「ダ・メ! きちんと参加する事に意義があるんだからね!!」
「………。それって、佐藤に言われたの?」
「やだ、なんで知ってんの?」
 目を瞬かせて言う。それを見て、やっぱりか、と吉田は項垂れた。そうじゃなきゃ、合理的で行動派の女子の事である。吉田が言いだす前に「アンタはもう口パクしてろー!」と激昂して練習だって出なくて済んだかもしれない。
 おのれ佐藤め、と吉田が恨めしく思っている前で、女子はまた、佐藤を見る時のぽーっとした目つきになる。
「合唱コンクールにも真面目に取り組む佐藤君って、本当にステキv これだから佐藤君は良いの。言った事をきちんとやるから」
 佐藤が有言実行の男だと言う評価に、それには吉田も反対しない。……まあ、悪い意味も含めてだが。
 言った事はやる佐藤だが、そもそも言った内容が真実という訳でもないのだが……佐藤の裏の顔、というか真の顔を思うと。吉田と居る、という佐藤の説明が、真っ赤な嘘であるのを彼女たちは知らない。……まあ、最近は事実でもあるが。
「だ! か! ら! ちゃんと歌えるようになっておきなさいよ!!」
「……努力はしてるって……」
「努力はどうでもいいの。結果を出しなさい、結果を!!!」
「………………」
 ここはブラック会社か、とノルマのキツさに、吉田は涙目になった。


 屋上に出ると、やっぱりちょっと肌寒い。でも、空は高くて青くて、それを見たら気分も少しだけ明るくなった。
 周りには、誰も居ない。
 吉田は、おずおずと声を出し始めた。


「あれっ、吉田は?」
 少し教室から出て居た佐藤だが、戻って来て居ない吉田に真っ先に気付いた。牧村が「屋上に歌の練習に行ったよ」と佐藤に告げる。
「かなりぐったりしてたなー。当日に倒れなきゃいいけど」
 縁起でもない事言うな、と牧村に対して胸中で呪う佐藤だ。
「でも、吉田の気持ち解るな〜。球技大会の時の俺と、多分一緒だ」
 はあ、と吉田の憂鬱が乗り移ったような秋本の溜息だった。確かに、動機は同じと言っていい。
 そうだなー、と牧村が相槌を打つ。
「球技大会はチアになれるけど、合唱コンクールじゃそうもいかないもんな」
「……別にチアになりたいって訳じゃないけど」
 あんな記憶は、もう増えないと良いと思う秋本だった。その横では「それもアリかもな」等とちょっと佐藤が企んで居たりした。まあ、実行しないけど。
「ふーん、じゃあ、俺も屋上入って来る」
 来たばかりなのに、また出て行く佐藤だった。吉田が居ないんだから、此処に居ても仕方ないとばかりに。
「うん。寒いかもしれないから、気をつけてね」
 先に行った吉田にも同じ事を言っただろう。秋本のその台詞を受け、佐藤は軽く手を振った。


 合い服の制服でぎりぎり過ごせる気温だろうか。屋上に出て、吹く風を浴びながら佐藤は思う。
 そして、その風に乗り、なんともたどたどしい歌声が聴こえる。
「えっと……ヘ……ヘイル……ホーリー……クィーン……」
 きっと吉田は、自分に気付けば歌を止めてしまう。佐藤は、注意を払いながらそっと吉田に近付く、吉田は外のフェンスに顔を向けて立っているから、幸い佐藤の今の位置は完全な死角になっている。佐藤は、それでもそっと足を進めた。
 吉田が歌う。
「……アウア……ホープ……イン……ソロウ……アンド……イン……ラブ……」
 ――悲しみの中にも愛にも希望にもなってくれる
 この一節を聞く度、佐藤はどうしても吉田を思い出してしまうのだ。


 一応、歌えてるのかな、と吉田自身にはそれすら解らない。だから、なんとも不安定な歌声なのだ。
「ふーん、一応発音は合ってるよ」
 カタカナ発音だけどな、という背後からの声に、吉田は飛び跳ねる程驚いた。
「えっ! なっ! 佐藤!!!?」
 吉田は、本当に全く佐藤に気付かなかったようだ。目を極限まで見開いて驚いている。そんな表情を、佐藤は「可愛いなーv」と笑う。
「い、いいい、何時の間に!」
 ガシャン、とフェンスに背中をぶつけてうろたえる吉田。
「んー、歌が始まった頃?」
「!」
 佐藤の返事に、吉田は衝撃を受けたように固まった。
「な……!だ、だったら、一声かけろよな!!」
 まるっと一曲終わった後だ。しかも、吉田はつっかえつっかえだったので、本来の時間よりかかっている。倍になろうかと言う程。
「だって、そしたら吉田、歌うの止めちゃうだろうし」
 佐藤が言うと、吉田がうっと詰まる。
 ただえさえ、佐藤と吉田は声のトーンのせいでパートが分かれ、それに倣って位置も離れて居るのにその上吉田が自信なさげに声を小さく歌うものだから、佐藤は練習が始まってもさっぱり吉田の歌声を聞けなかった。かと言って、2人きりの時歌ってと言って素直に応じる相手でも無いし。
「声をもっと出さないと、口が覚えられないだろ?」
「……う〜……でも………」
 顔を赤らめながら、もじもじする吉田。そういう顔をするから襲われるのだと、いい加減自覚して貰いたい。理性を消費しつつ、佐藤は吉田に言う。
「音程は合ってるんだから、大丈夫。可笑しくないよ」
「……………」
 佐藤が吉田と向き合ってそう言うと、吉田は。
「……そっかな」
 と、顔を赤らめて言う。けれども、同じ赤面ながら困り果てて居たさっきと違い、今は照れている、という感じだ。
 その様子を見て、もしかして吉田は、慰めて貰うより、大丈夫と後押しして欲しかっただけなのかな、と佐藤は思った。だとしたら、ここ最近の佐藤の行動はやや的外れだった。吉田は単純で、解り易くて可愛い奴だけど、所詮は他人の佐藤がその胸中を全て推し量れる筈が無い。当然だけど、難しい事。
 まあ、それはちょっと置いといて。自分のあんな言葉一つで自信を持つ吉田も単純だが。吉田を元気付けられたのが嬉しくて、天まで昇る様な自分の方が、余程単純なのだろう。それはそれで、とても幸せな事だと、薄い青色をした秋の空を仰いで佐藤は思った。


 そして本番。当日も、吉田はしっかりカタカナ発音だったが、歌なので音程さえあればそれなりに聴こえる様にはなる。佐藤はさりげなく吉田の近くに立ち、その声を聞く事が出来た。吉田らしい、歌声だった。
 洋楽に挑戦したと言う事で、クラスは何だか特別賞めいたものを貰った。そして、合唱コンクールは終わった。
 吉田のあの拙い聖歌も聞く事も無くなったが、真剣に覚えた為か吉田の無意識なのか鼻歌のリズムがそれだった。
 はっきりとした歌にはならないその旋律を、佐藤が一番身近で聞いている。



<END>