季節外れのにわか雨だ。
 しかし、佐藤と吉田は運よくアーケード街近くに居た為、素早くその中に入れ込めた事で、被害は殆どなかった。
 さっきまで何とも無かった風景が、今は霞がかかったか程に、激しい雨が降り注いでいる。
「うひゃ〜凄いな……傘、買おうかな」
 傘ってどれくらいの値段だっけ、と頭の中で記憶を探っていると、横の佐藤が言う。
「いや、どうせすぐ止むよ。傘を買うより、どっかその辺の店に入ろう」
 すぐ止む、というのは勿論見せかけの理由であり、本心は吉田の帰りを引きのばしたいが為である。朝、吉田の顔を見れる喜びと差し引きに、放課後はこうして別離の寂しさに、佐藤は胸が少しだけ軋むのである。その日の吉田の思い出を糧に、堪えられるくらいではあるが。
「あー……店って言っても……」
 鞄の紐をぎゅう、と握り、吉田が言う。その口振りなら、大体言おうとしている内容も解ろうか、というものだ。ついでに佐藤は、吉田の小遣い日も把握している事もあるし。
「今、そんな手持ちに無いし〜……」
「いいよ、別に」
「良くないって、そんな」
「なら、身体で払っ、むぐ、」
「な、何を言う気だこんな所でー!」
 公衆の面前で、とんでもないセリフを言いそうになった佐藤の口を、吉田は思いっきり腕も脚も伸ばして、どうにか手で封じる事に成功した。時間にしてほんの数秒の事だったが、あまりに素早く行動した為吉田の息が上がる。
 唇に、温かい吉田の掌を感じながら、佐藤はそっとその手を取った。そして、ついでとばかりにその取った手を引っ張って歩き出す。あわわ、とたたらを踏みながらも、何とか歩く吉田。
「いいから、とにかく入ろう。外に居たら、風邪引くかもしれないし」
 確かに、雨が降った事で気温はぐっと下がった。秋といえども、まだ半袖で居た吉田は、多少の肌寒さを感じつつある。それでも、佐藤に握られてる手首が熱くて、おまけに顔まで熱くなって来たような吉田だ。
「う〜……わ、解った。行くから、手、離せよ」
 吉田は少し走るように足を進め、佐藤と並ぶ。それでもまだ、手は離されない。
 小学生ならまだしも、高校生同士が手を繋いでいるという光景は一種異様だ。何より、目立つ事を吉田は気にする。
「え〜? そんな、勿体ない」
 佐藤がにやり、と悪戯を仕掛けるように笑う。全くコイツは!と吉田は眦を吊り上げる。
「止めろってば! クラスの女子に見られたらどーすんだ!」
「吉田がうろちょろするから捕まえていた、って言っておくよ」
「そっちもヤだ!むしろそっちの方が嫌だ!!」
 ギャーギャー騒ぐ吉田の声を心地よく訊きながら、手近にコーヒーショップを見つけた佐藤は、そこへ吉田を引っ張った。


 佐藤はブレンドのブラック。吉田はカフェ・モカ。他にもホットサンドとマフィンをトレイに乗せ、2人は2階の席へと移動する。一番窓際の席を選んだ。そこからだと、外の様子がよく見える。
 意外と、店内は混雑していなかった。雨宿りの客が多いと思ったが、元から商店街に居たのではなく、外を通っていた人達はここまで逃げ込むまでの時間が無かったのかもしれない。
 吉田がトイレに立った為、佐藤はぼうっと窓の外を見て居た。道路に車がランダムに過ぎるのを、ただ目に映す。
 車があったら、こんな雨の中、吉田を濡らさずに家まで送る事が出来るだろうし、帰宅までの時間が短縮され、その分滞在の方に回す事が出来るだろう。知識にしても、技術面にしても佐藤は今すぐにでも自動車の免許が取れるくらいだが、いかんせん年齢が足りない。こればかりは、どうしようも無い事だ。別に18歳未満に免許を取らせない制度が憎いわけではないが、したい事に対して制限がかかるのはやはり面白くないのだった。
 いざ免許を取るにしても、最短で取ろう。吉田と居る時間が減るのは何とも勿体ない、と考えていると、その吉田が戻って来た。たった席に座るだけの動作なのに、吉田がしているとそれだけで佐藤には何だか微笑ましい。そして食べる仕草はもっと可愛いのだ。これは金が払う価値がある!(力説)
「あっ、そうだ」
 手についたパン屑を舐め取りながら、ふと思いついたように吉田が言う。
「この隙に、宿題教えて貰おうかな〜」
 ごそごそ、と鞄の中から教科書とノートを取り出す。しかし今日の英語の授業では課題は出されなかった。出たのは数学である。
「次、なんだか当たりそうだから、解答完璧にしておきたくてさ」
 日付と同じ数字が入っている生徒番号の者が当てられやすい。そして、当てられて間違った答えをしてしまったのなら、とんだ赤っ恥だ。吉田は、その辺りを危惧したのだった。
「ん、いいよ。ついでに俺もやろうかな」
 そう言って、佐藤も同じくノートやら筆記具やらを取りだす。まだ食べるものが乗ってるトレイは一旦横に置いて、2人は課題に取り組んだ。とりあえず、最初は吉田も自分だけでやってみる。佐藤の教え方はスパルタで厳しいと思うけど、途中で教えるのを放棄しない辺り、優しいのだと思う。仮に逆の立場だったとして、同じように出来るかどうか。
 まあでも、あり得ないけど。本当にありえないけど、佐藤に教えるのだったら、自分も放りだしたりはしないけど、と思う吉田だった。


 最後に=を書くと、気分はもうゴールのイメージだ。後は、解の公式を書き、終了。これが最後の問題だ。終わった、という達成感と喜びを感じながら、吉田はノートと向き合って凝ったような肩を解す為、う〜ん、と背伸びした。その時、きゅっと閉められた目が、猫っぽくて可愛らしい(by佐藤)。
 背伸びしたついでに、外の景色が見れた。その風景に、吉田は殊更顔を輝かせた。
「佐藤! 雨が止んでるよ、ホラ」
「ああ、何時の間に」
 吉田もだが、佐藤も集中して気付かなかった。吉田が集中していたのは宿題にだが、佐藤と言えば宿題を解く吉田の様子に集中していた。悩んだりしているその姿は、苛めっ子気質のある佐藤には非常に価値あるものなのだ。勿論、今浮かべている笑顔だって好きだが。
 しかし、顕著な天気である。さっきは先も見えないくらいの豪雨だった癖に、今はけろりと青空すら覗かせている。
「虹、出たかな」
 吉田が、窓から空を覗きこむように言う。
「どうだろう……もう、消えた後かもな」
 あるいは、最初から出て居なかったか。そう言えば、虹というものを最後に見たのは、何時だったか。あるいは、まだ見た事無いのかもしれない、とすら佐藤は思った。昔はずっと、下を向いて歩いていた。顔を見たら、因縁を付けられるから。……まあ、今は今で、顔を見たらややこしい事になると思うが。
 見てみたいな、と佐藤は思った。
 吉田と一緒に虹を、その場で並んで見てみたい。
「虹って言えばさ」
 と、吉田。うんと小さい頃の話だ、と言った。
「空に架かるんじゃなくて、どこかから生えてくるものだと思ってたんだよなー。それで、どっから生えて来るのかとっても気になってさ。探していつか行ってみたいって思ってたけど、それは凄く遠い所だろうし、虹ってすぐに消えちゃうし。いつまで経っても行けないんじゃないかって、ちょっと悔しかった」
 そこまで言って、吉田はちょっと笑って追加注文したフライドポテトを摘む。
「バカだったなー。あの時の俺」
「そう? 凄く可愛いけど」
「……ちょっと馬鹿にしてない?」
 しれっと言った佐藤に、吉田が探る様に見る。
「そういう所が、可愛いんだって」
「じゃあ、やっぱり馬鹿にしてんじゃん!」
 佐藤、性格悪っ!と吉田が詰る。そんな悪意の無い悪口は、却って睦言みたいなものだ。そんな風に、何でも言ってくれる方が、佐藤には有難い。社交辞令と建て前と、欺瞞ばかりが渦巻く世界で、吉田だけは馬鹿正直に真っすぐだ。それでいて気遣いが皆無ではない、という所がまた佐藤を惚れ直させる。
「いつか行ってみようか」
「え?」
「虹の出る所」
 自分で言う分には笑い話で済むのか、他人に言われると恥に思う様だった。言うなよ、とばかりに顔を赤らめる。
「本気で探すとかじゃなくて、そんな目的で出掛けるのもいいんじゃないか、って話」
 正直、吉田と出掛けるのに理由も目的も要らないけども、無意味に動くのも何だか味気ないように思える。
 つまりは、中見だけが大事で、その箱は何だっていいのだ。
「それでもさ、」
 とやや憮然して言う吉田。
「虹なんて、もたもたしてたらすぐ消えちゃうって」
 その麓を目指しても、すぐに見失ってしまう、と吉田は言う。さっきは諦めて居て最初からしていないというような口ぶりだったが、案外小さい頃の吉田は実際に虹の麓を目指した事があるのかもしれない。
 佐藤は、言った。
「車で追いかければいいよ」
 ぱちくり、と大きな瞬きをした吉田の脳裏に、「車で、」という反芻がなされた。
 車。虹。
 片や、現実的な移動手段。片や実体の伴わない自然現象。まるで合いそうにない2つのギャップに、吉田がちょっと笑った。
「うん、そうだな。いいな、そういうドライブ」
 吉田が乗り気に、佐藤も嬉しくなる。最短期間で免許を取る心構えにも、力が入ろうというものだ。
「まあ。まずは、免許だな」
 割と真面目な声で言う佐藤に、吉田はまたしても瞬きをした。
「えっ、本気?」
「そうだよ。何、吉田は冗談だと思ってた?」
「いや、うーん………」
 そうじゃない、と言いたげに吉田が眉を寄せる。
「別に、嘘でも楽しいなって思ってて、」
「なら、本当にしたらもっと楽しいよ」
 まるでへ理屈の様に佐藤が言い返す。
 それでも、そっか、と返事をした吉田は、虹が出るような青空みたいに笑っていた。



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