山とら話です^^
山とらメインの話ってもしかして初めてじゃなかろうか……



 最近は、天気予報士にもキャラ立ちが求められるのか、何だかアイドルみたいな装いで今日の天気の行き先や、そして明日の天候の予想を天気図を元に説明している。付けっ放しだったテレビから流れるそれを、虎之介は殆ど右から左へと聞き流していた。しかし。
「今日は、中秋の名月です」
 所謂、十五夜というヤツだ。月見の晩である。
 月、という単語を聞いて、思い出す人物が居る。月と一緒に、自分を好きだと言った男だ。ふと、今日が十五夜だというのをメールでも送ってやろうかと思ったが、止めた。虎之介が好きと言った事を、月と一緒に忘れないと言いながら月と一緒に忘れるような男なのだ。そんな誠意の無い相手に見られた所で、月も迷惑だろう。
 でも折角だから、と出会った時に比べ随分小さくなってしまったヨシヨシこと、吉田へと虎之介はメールを送ってみた。今日の月はきっと綺麗だろう。それを見て、吉田が楽しめばいいと思う。
 自分は、見ないけれども。


 それから程なくして、虎之介の携帯が着信音を奏でる。設定で人物別にはしていないから、誰からの電話なのかはディスプレイを見るまで解らない。さっきメールをしたから、吉田からだろうか、と思って手に取った虎之介は思いっきり裏切られる。山中、と自分達の関係を思うとあまりに素っ気ない登録をしたその名前がディスプレイに瞬く。
 さっきまで、その男の事を考えていた所だ。完全にこっちの都合だが、なんとなく出たくないような気もする。しかし、出ないと後々面倒な事になるのは目に見えて居るので、虎之介は少し物憂げに溜息をついてから、電話に出た。
「何だよ」
 素っ気ない虎之介の言葉。しかし、その程度で怯む山中では無いのだ。何せ、目と口元を腫らしても虎之介を可愛いと言ってのける男なのだから。
『あっ、とらちん! ねえ、知ってた!?』
 何をだよ、と虎之介が突っ込む前に、山中が言う。
『今日、十五夜なんだって。中秋の名月ってヤツ』
「…………」
『俺ね、さっきテレビ見て気づいたんだ。とらちん、知ってた?』
 知ってたも何も、それをお前に伝えようかとちょっと悩んだ所なんだぞ、とは絶対に言えない事だ。まあ、一応、と虎之介は言葉を濁した返事をする。
『そっかー。早く知ってたら、今日会う約束したんだけどな。ねえ、今から会える?』
「馬鹿言うな。ンな急に」
『あはは、だよね』
「…………」
 押し切られても困るが、こうしてあっさり引き下がれてももやもやとした気持ちになる虎之介だった。
『とらちん、今、家?』
「ああ。……まさか、来るとか言うんじゃないだろうな」
 もしそうなら、それは徹底して断らなければならない、とそこは意思を固める虎之介だった。他の所は、吉田も溜息つく程甘々なのだが。
『行きたいのは山々なんだけどね。行ったらとらちん、怒るでしょ?』
 勘のいい奴だ。
『だからさ、とらちん。ちょっと外出て、月見てくれる?』
 俺、今、月を見てるんだ。
 電話越しにその声を聴いた虎之介は、通話状態の携帯を握りしめ、サンダルを履いて外に出て居た。


 この季節、日中は真夏かと思う程暑いが、それでも日が暮れると秋の装いを見せる。ひしひしと迫る冬の気配を纏い、暑い夏を労うように、ひんやりとした夜風が過ぎるのだ。
 家を出た所では、月の見える角度では無い。辺りをあちこちうろついて、ようやく月の見える位置へと辿りついた。ここは住宅街だし、コンビニも近くに無いから、こうして立ち止まっていても性質の悪いのに因縁をつけられる事は無いだろう。
「……見えた」
 携帯を耳に当て、呟く。ホント?と、山中の嬉しそうな声がした。
『うん、俺も見てる』
「…………」
 そう言う山中だが、本当に見て居るかどうか、その性格を思えば怪しい所だ。でもここは、山中を信じる事にしよう。
『やっぱり綺麗だよね、とらちん。良かった、今日見れて』
「……そうだな」
 虎之介は、自分に美的センスなんて備わっていないと思いはするが、それでも今夜の月は綺麗だと思える。
『あー……でも、残念』
「?」
 いきなり何が残念なんだ?と顔の見えない相手に向かい、怪訝な表情を浮かべる虎之介。
『こんなに綺麗に見えるなら、ますますとらちんと一緒に見たかった』
「………」
『ホント、残念』
 とてもがっかりしたような声が耳を擽り、なんだかそこから起きた熱が顔に広がって行く。本当に、コイツは馬鹿なんだと虎之介は思う。自分に会えない事を馬鹿な事なんて言うヤツこそが馬鹿なのだ。
 そして、その馬鹿に今会えないのを、寂しいと思う自分が一番の馬鹿。
「……来年……」
『え?』
「来年、見りゃいいだろ。ンながっくりしてないで」
 普通に言えただろうか。声が変に上擦っていないだろうか。そんな不安に胸が動悸する。
『そっか、』
 と、山中の声。
『そうか、そうだね。うん、来年は見よう、絶対に見ようね!』
「………おう」
 意気込んで言う山中に、しかし虎之介は素っ気ない返事だ。今はこんなに、感激している山中だが、きっとこの月の消える明日にはまた忘れてるのだろう。そういうヤツなのだ。
『約束したからね。忘れないでよ、とらちん』
 それはこっちの台詞だ、と胸中で呟く。
「……なあ、山中」
『何?』
「俺の事、好きか?」
『え?』
 山中も驚いただろうが、しかし一番驚いているのは、言葉を発した虎之介当人だったかもしれなかった。実際、言った後物凄い羞恥に見舞われた。何故、言ってしまったのだろう。
「いや、悪い。何でも無……」
『うん、好き』
「………」
『大好きだよ』
 この、ろくでもなくどうしようもない男に、良い所を上げるとすれば、まず顔で。
 それから、好意を惜しみなく伝える所、だろう。その点だけは、敬意を払ってやっても良い。
「……おう、俺も、好きだ」
 周りに誰も居ない事を確認してから、虎之介は此処には居ない相手に向けて言う。山中は、凄く嬉しい、といつぞやと同じ回答を言った。同じように、また忘れるのだろうか。
 けれども、自分は覚えておこう、と虎之介は思う。
 昨日の月なんて、虎之介も覚えて居ない。あの時の月の輝きも、どんなものだった。具体的にか思い出す事も出来ないだろう。
 だからせめて今日の月だけは、忘れずに覚えておこう。
 自分達の関係が、続くかどうかも確証もない来年の約束をした事も、自分から好きという言葉を求めた事も。
 全部、忘れない。


 次の日。
「とらちん、おはよ!」
「おう、ヨシヨシ。おはよう」
 校門に入る前、吉田と出会う。そのまま連れだって校舎の中へと入って行った。
「あ、昨日のメール、返事なくてごめんな。気付いたのがもう寝る直前だったからさ」
 こういう所を律儀に謝るのが吉田なのだ、と虎之介はにっとした笑みを浮かべる。
「いいよ、気にすんな。で、ヨシヨシ月見たか?」
「うん。………あー、佐藤と一緒に見たんだ」
「へえ、そうなんか」
 若干、目を泳がしがちに言う吉田だが、虎之介は特に気にしない。
「うん、佐藤がさ、天体望遠鏡持ってるとかで………。………………」
「ヨシヨシ?」
「えっとね、だからね、天体望遠鏡で、すごくよく見えたんだ、これが!」
「そ、そうか」
 何やら、自分の中に湧いた別の記憶を押し込めたいように、強く言い張る吉田に、虎之介も迫力に推されながら頷くしかない。
「去年はさ、別に十五夜とか特に気にもしなかったけど、やっぱりそう言う日に月を見るって、なんか良いな」
 ある程度落ちつく事が出来たのか、普段通りの調子で吉田が言う。普段に戻った吉田に、ちょっと安堵しながら、虎之介もそのセリフに深く頷いた。
「ああ、俺も、そう思った」
 惰性で流れる日常に、何か少しでも特別を持たせたい。当たり前に過ぎるこの時だって、もう二度とは訪れないのだから。
 そんな風に虎之介が思うのは、あの男に出会ってからなのだが、その当人と言えばぽんぽん忘れて行く。
 本当に、どうしようもないヤツだ、とその事について何度目か解らない溜息を吐いた。
「とーらちん! 朝から溜息しちゃって、どうしたの?」
 どすん、という背後の衝撃と共に、甘ったるい囁き。吉田と別れたのを見計らったのか偶然か、山中が背後から伸しかかって来た。
「別に、何でもねえよ」
 ぶっきら棒に言い放つ虎之介。しかし、背後の山中を振り解こうとしないし、山中も当然のようにどかない。
「ねー、とらちん」
「何だよ」
 背後に山中を張りつかせたまま、歩く。若干歩きにくいが、歩けるものだ。
 山中が言う。
「昨日の月、綺麗だったよね」
「……………」
「ね?」
 どうしても返事が欲しいらしい山中に、虎之介はそうだな、とだけ言ってやった。
 来年は一緒に見ようね、という言葉にも、同じように。



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