宿題を見てやるから、と言って家に誘う佐藤はずるいと思う。しかし、そうでもなければ素直に応じられない自分の方が、もっとずるいのかもしれないけど。鞄にノートと教科書を入れ、吉田は自分の家を出た。予定の時間より、大分早く。
 早く出たのだから、早く着くだろう。時間のブレはいつもある程度はあるから、吉田はさして連絡も入れなかった。いつものようにマンションの入り口に着いた所で、吉田は携帯から佐藤に電話を入れた。何回目かのコール音の後に、佐藤がようやっと出た。普段ならもっと早く出るのにな、と思いつつ吉田は口を開く。
「あー、あのね。もう着いちゃった」
『えっ、』
 佐藤から焦った声がした。どうしたんだろう?と首を傾ける吉田。
『ごめん……今、ちょっと出掛けてて』
 明日の朝食に食べるパンが切れていたのに気付いて、吉田が来る前にちょっと買いに行ったのだそうだ。そこまではいいが、今日はレジが混んでいるらしい。まだ、佐藤は会計を済ませていない。
『だからごめん。少し待ってて』
「うん、解った」
 申し訳なさそうに言う佐藤がちょっと面白くて、吉田はむしろ笑ってしまった。まあ、待ってと言われた所で1時間も2時間もかかる訳じゃないだろうし。
 電話を切った後、吉田は誰かの邪魔にならない場所に移動し、携帯電話に内蔵されているゲームに興じた。それから程なく、佐藤が現れた。おそらく、パン屋のだろう、袋を引っ提げている。
「ごめんな。待った?」
「別にそんなでもないよ」
 軽く息が上がってる所を見ると、佐藤はかなり全力で走って来てくれたみたいだ。そう思うと、ちょっと照れるような心地になる。
「どうせ吉田も来るからって、菓子パンもちょっと買ったんだ。後で食べよう」
 佐藤に言われ、顔を輝かせる吉田。しかし、その後言われた「でも宿題が片付いた後にな」という顔で、ちょっと渋い顔になったのだった。


 佐藤が買って来てくれた中で、吉田はまずドーナッツを食べた。今の状態でも勿論美味しいが、出来たての方がもっと美味しかったんじゃないかな、とちょっと恨めしく思う。こうして食べられているのだから、勿論宿題はきちんと終えた後だ。今日は英語のでは無かったから、まだ早く終わっただろうが。
 最近ドーナッツは、焼いてあるのだったり、はたまた生だったりするのもあるが、やっぱりこうして揚げてあるのが一番ドーナッツらしくて良い、と思う。
「美味しいな、これ」
 もぐもぐ食べながら吉田が言う。
「それは良かった。口の端に食べカスついてるけど」
「ええっ、どこっ!」
 慌てて口の周りをゴシゴシと拭う吉田。それを見て、にやりと笑う佐藤に、吉田は悪戯だと気付いた。ひとしきり、いつものように怒った後、再びまったりとドーナッツを食べながら、他愛の無い会話を楽しむ。会話くらいなら校内でも出来るが、楽しめる余裕はない。佐藤には女子がひっついてるし、吉田には西田がたまに押し掛けるし……
 それにやっぱり、皆の前では友達を装ってるが、実際は恋人なのだ。どうしても意識してしまう。
「ところで、」
 と、佐藤が話しを切り出す。
「吉田にも合い鍵渡した方が良いのかな」
「へっ?」
「今日みたいな擦れ違いが続いたら、さ」
 つまりは吉田に待ちぼうけさせる事無く、部屋への出入りが出来るように、という事だろう。だがしかし。
「い、いやでも、ちょっとそれは……ここ、お姉さんも住んでるんだろ?」
 戸惑い、吉田が言う。それにうっかり落としたりでもしたら、とんでも無い事になる。ついでに言えば、中に佐藤の姉が居る状態で、吉田だけが入りこんだら紹介も済まされていない今、かなりややこしい事になるのではないか。
「まあ、そうなんだよな」
 佐藤が割かしあっさり受け流した所で、半分くらいが冗談で言ったのだと解った。まあ本音の部分も、皆無でも無いだろう。それにしても心臓に悪い事言いやがって、と吉田は胸中で唸った。合い鍵だなんて、ちょっとドキドキしちゃったじゃないか。いや、かなり。凄く。
「俺だけの部屋だったら、すぐに渡すんだけど」
「…………」
 さらっと言ってしまう佐藤が憎かった。
「……ま、一番良いのは、合い鍵が要らない事だけど」
「? それ、どういう意味?」
 きょとんとする吉田。佐藤は、ふっ、と小さく笑い「解らないなら良い」と笑顔の割にはつれない返事だった。何なんだ、と釈然としない気持ちを抱え、吉田は出されたコーヒーを啜る。
 合い鍵を渡す必要が無い、それはつまり一緒に暮らす事だと吉田が理解するのはもう少し後の事で、真っ赤になる顔色もその時まで先送りになったのだった。



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