恐れ多くも、生徒会長に向けての牧村の恋は、まだ破局に至っていない。
 とはいえ、これは告白していないから断られていないというだけに過ぎないのだが。
「……ねえ、告白とかしないの?」
 と、牧村に対し、そう言ったのは吉田だ。若干うんざりした表情になっているのは、オチケンに来てからこの時まで、たっぷり牧村の現・恋の相手の有馬まち子生徒会長の魅力やら何やらをたっぷり聞かされた疲労によるものだ。毎日毎日、話題に欠かさない事だ、と皮肉を通り越して感心してしまいそうになる。
「えっ、……いや〜、告白だなんて、そんな、お前、そんな」
 吉田に言われると、牧村は顔を赤らめ、その体躯をもじもじさせた。
「いつもなら、すぐにしてるのに」
 吉田は言う。思い切りがいいのがある意味、牧村の潔い所だったというのに。まあ、潔いと同時に愚かな所でもあるのだが。
「だって……いきなり告白なんかしたら、なんか気まずくなるだろ? 今みたいに、顔見に行ったり出来なくなるじゃねえか」
 と、牧村にしては珍しく愁傷な事を言い出した。そう言えば、と吉田は思う。今までの牧村のパターンは、告白して気まずくなる関係すら無かったのだな、と。
 人は失うものがあると逃げ腰になるんだなぁ、と人生について学んだ様な吉田だった。
「だってよ、だってよ、」
 と、机の上で指でのの字を書きながら、牧村は言う。
「生徒会の仕事とかして、凄く助かるって言ってくれるんだぜ? 俺に。今まで、そんな事言ってくれる人なんて、居なかった……」
 その時の事を思い出しているのか、ぽわ〜んとした顔(当社比)で牧村が言う。
「告白したら、今の様な純粋な関係が無くなってしまうのかと思うと……思うとぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 感極まったように牧村が叫ぶ。とりあえず、彼は彼なりに、色々葛藤しているようだ。今までの様なインスタントな感じに比べれば、まあ、進歩してると……言って良いのか、悪いのか。
 まち子さぁぁぁぁぁん!と喚く牧村の対面の席にて、忘我の極致に達しようかという吉田と、すでに達している佐藤が居た。
 おもむろに牧村は、籍をガタタッと達、前の2人に詰め寄るように身体を前に倒した。
「そうだ! この際、お前らにちょっと聞いてみたいんだけど!!」
 この際ってなんだ。この際って、と吉田は釈然と出来ない思いを抱く。
「今の俺みたいな場合、お前らならどうする!? 告白するか? ……あるいは、胸に秘めて、今の関係を取るか?」
「え? え、えーと、」
 ”この際”呼ばわりの割には、中々深い質問だった。吉田にはすぐに答えが弾き出せない。何せ吉田は、これでも告白された側なのだから。そして、告白して来たのは、隣に居る佐藤である。ちらっと、何となく佐藤に視線を向ける。
「俺は言う」
 かなりきっぱりと、佐藤が言う。
「っていうか、むしろ言ってた、って感じかな。別にその時、っていうのは決めて無かった」
「……ああ、本命の子か〜。えっ、お前の方が告白したの?」
「そうだけど」
「へー、ちょっと意表だったな。佐藤がされた方かと思ってた」
「中々、そういうの言ってくれないタイプなんだよ。好きって言葉も、まだはっきり聞いて無いかも」
「はあ……お前の恋も、中々難しいんだな。なっ、吉田」
 牧村に急に話題を振られ、それまで居た堪れなさで椅子の上で縮こまっていた吉田は、そのままの姿勢で少し飛び上がった。
「なななななな、何で俺に聞くのかなっ!!?」
「吉田の方も、何だか複雑そうじゃん? まあ、その方がやりがいはあるから、めげるなよッ!!」
「はあ……あはははは」
 何故かここで牧村に激励されてしまい、空笑いするしか無い吉田だった。確かに、やりがいはあるだろうか。危険も負担もありそうだけど。
 そんな吉田のやり取りを、横で見ていた佐藤は密かに笑っていた。


 想いを告げる上で、何を一番躊躇すると言えば、その後の関係の事だ。どう転ぶか解らないでも、告白以前と同じには決して過ごせない。
 その点、佐藤にはその辺りの垣根は低かったと思う。高校に入ってからは、吉田からは常に喧嘩腰でとても良好な関係ではなかったし、小学の時点では交流らしい交流も無かった。そんな繋がりでも、惜しくないと言えば嘘になるが、想いを告げる方が遥かに価値があると佐藤には感じられた。
 だからあるいは、と佐藤は思う。
 小学の時から、吉田と友達としての交流があったらどうだったろうか。友達として、笑い合う様な。その関係を代償にしても、やっぱり吉田に好きだと告げていただろうか。はたまた、そんな気持ちに蓋をして、一生親友面をして過ごすのか。どっちも苦しいだろうな、と佐藤はふと苦笑を洩らす。
 可能性としてはどちらも同等だろうが、それでも佐藤は友達として吉田の横に立つ自分が上手く想像しない。
 だってこんなに激しい懸想を抱き、劣情すら沸いてくるこの想いを、どう抑えて吉田と居られるというのだろう。堪えていても、きっといつか溢れてしまう。あるいは佐藤が最も恐れる、最悪の形で。
 吉田はどうだろうか。それまで友達として居た相手に、ある日告白されて恋人として受け入れるのか。吉田という人物がそんなに器用では無いのは、佐藤にも良く解る事だ。
 色々激しい紆余曲折(主に佐藤が)をしたような気がしない事も無いけど、もしかしたら自分達は最もベストな経緯をたどっているのかもしれないな、などと佐藤はちょっと自惚れてみる。少なくとも、今現在吉田は恋人として佐藤の部屋にも来ているのだし。
 この部屋に越した初日。この部屋に、このソファに、吉田の体躯があるだなんて、一体どうやって予測できただろうか。本当に、気の遠くなる奇跡だ。
「ねえ、吉田」
「んー?」
 ソファの上で、本を呼んでいる吉田は、佐藤の呼びかけに生返事だ。しかし。
「キスしよ」
「ん……へっ!!?」
 たっだ4文字の佐藤の台詞に、一瞬にして顔を赤らめる。佐藤には、この瞬間が堪らない。
「言ったら良い、って言ったよな?」
「う……うん」
 吉田に言われたその場は、むしろ佐藤の方が余程動揺したが、もはやすっかり自分のものとしている。吉田も自分で言い出した事だからか、余程の事、例えば学校内でだとか、じゃないと拒む事無く応じてくれる。とは言え、すぐにとは言えないが。まあ、あー、とかうー、とか言って、顔を散々赤らめてから頷くのである。慣れない様子が、本当に愛しい。
 ソファの上で寝転ぶような吉田は、本を閉じ、座りなおして佐藤のキスに備えた。律儀なヤツ、と佐藤は微笑む。
「じゃあ……するよ」
「うんっ………!」
 近づきながら、囁く様に言う佐藤を前に、吉田はぎゅうっと目を閉じてしまった。無防備な姿は、微笑むと同時に苦笑してしまう。
 意地悪するな、と怒る吉田だけど、そんな気を起させるのは、むしろ吉田のせいだ。
 眼と一緒にぎゅっと退き締められてしまった吉田の口に、佐藤は唇では無く、人差し指でそっとなぞった。
 予測していたのとは、違う感触に驚いたか、吉田が「ひゃぎゃあ!」と妙な声で飛び上がる。
「何、今の。凄い声」
 悪戯の成功した佐藤は、上機嫌で言う。対して、悪戯された吉田は勿論不機嫌な訳で。
「もー! するならさっさとしろよ!!」
「わ、大胆だなー」
「ばっ、ばばば、ばかっ!! そうじゃないー!!」
 佐藤のばかー! と罵倒にもならない台詞で、真っ赤になって怒る。こんな顔は、きっと友達だったら見られないもの。
 まあ、その反面友達でしか見られない面も多々あるのだろうけど。
 こんな可愛い吉田を前にすると、そんな問題も些細に思えて来る佐藤だった。


 ……とはいえ、虎之介と楽しくしている吉田を見ると、やっぱりどことなく羨ましいと思ってしまう訳だが。



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