それは適切な表現では無いのかもしれない。
 それでも、本来の使い方も把握出来ていないから、吉田はあえて思う。
 佐藤って、なんだか色っぽい。

 ちょっと、たまにだけど。



「井上さんってさ、彼氏のどのへんが色っぽいな、とか思う?」
「へ? なに、いきなり?」
 ふとした折、廊下で井上と遭遇した時、吉田はそういえば、と思い出した気になる事を尋ねてみた。しかし、学校の廊下でするには、多少奇異な質問だった。事実、井上は怪訝そうだ。かなり。
 吉田は慌てて、さっきの質問に補足を付け加えて行く。
「あー、いや、ウチの母ちゃんが父ちゃんの事格好良いだの色っぽいのだの言うからさ。一体それってどんな感じなんだよーみたいにちょーっと気になって……」
 必死に行っている説明ではあるが、その述べられた事は全て嘘である。吉田が男性のどの辺に色気があるのかを疑問に思ったのかは真実なのだが、それは母が父にではなく、吉田が佐藤へそう思ったからだ。
 佐藤と居ると、たまなんでもない時にドキっとする。あまりに些細な事で、思い出すのも困難な程だが、一番最近感じたのは本の文章を追う目線だった。
 例え、他の人が同じ事をしていたとして、吉田の胸には何の感慨も沸かないだろう。ただ佐藤と言う人物に対して心が疼くのだ。それはきっと、何か魅力を感じているからに他ならない。
 しかし吉田は、自分が男性である故に、男のどの部分に魅力があるのか、色っぽいと思えるのか、とんと見当がつかなかった。
 確かに感じているのに、その理由が解らない。それは経緯の記憶無くしていきなり目的地に到着してしまったような感覚で、深刻さは伴わないものの、「なんでだろう」と甲斐性出来ないものを抱える事になる。
 とはいえ、気になると言っても日常生活に支障の来たす程でも無く、他に何か興味を抱けば、あっさり奥に引っ込むそんな感傷だ。
 思いつめたりはしない。でも、出来るなら解明したいと思う。
 より明確な理由が解ると、もっとはっきりした輪郭を持って、佐藤の事をより格好いいと思えるだろうから。


 そしてこの日、そんな常に抱いているふとした疑問と、丁度答えられそうな井上が居合わせた為、吉田の口から質問の形でぽろっと零れたのだ。半ば、無意識だったと思う。言った後の配慮を欠いていたというか。
 面倒見が良過ぎて困る、と虎之介の事を懸念する井上も、やっぱり面倒見が良いのだろう。こんな質問だが、ちゃんと答えてくれた。
「そうね……わたしの場合、手、かなー」
 手、と吉田は呟いて反芻した。
「手を繋いだ時とかね、そんな逞しいって程でも無いんだけど、やっぱりわたしより手が一回りもふた回りも大きくて、すっぽり包まれちゃうような感じなの。そういう時、ちょっとドキっとするかな」
 ふぅん、と頷きながら、吉田はその意見を聞き入れる。
 吉田は何でも無い時でも佐藤似ドキドキする理由を掴めたいのだから、手を繋ぐという恋人的なアクションを起こした上での井上の体験はやや主旨から外れているかもしれないが、それでも貴重な意見だ。だって、他に聞ける相手も居ないし。
 知ってる女子は佐藤に夢中で、母親には色んな意味で訊きたくない。
「なるほどー」
 と、吉田は再び呟いてみせる。魅力を発するポイントの1つであるようなので。
 しかし手の大きさが男性の魅力に繋がると言うのなら。
「……俺って魅力ないな……」
 吉田は石川啄木のようにじっと手を見る。きっとこの手は、井上のと大きさはあまり変わらない。下手すれば小さいかも。
 地味に肩を落とした吉田を励ますように、井上がその背中を叩く。
「何言ってんの、これは個人的な意見だって!吉田だって良い所はたくさんあるから!」
「それって、どこ?」
「……………………」
 たくさんある、という割には1つも言えず、ひたすら沈黙に徹する井上に、優しさと同時に残酷さも感じる吉田だった。


 相手のふとした仕草に、まるでキスをされた様な、激しい動悸が湧き起こる。不思議だけど、実際にある事。
 これが相手が異性なら、もっと上手にその理由を汲み取ることが出来たのだろうか。吉田の中で、魅力的な男性像は掴みにくいが、魅力的な女性像ならそれとなく浮かび上がる。胸が大きいとか。まあ、佐藤も胸が大きいけど……胸囲が。
 女性になった佐藤か。吉田はなんとなしにその想像を固めてみる。きっと髪は今と同じ黒くてさらさらで、何となく長髪のイメージだ。運動も勉強も出来て、清楚で可憐だとやっぱり学校中の噂の的になっているのだろう。制服だって変に着崩したりせず、品行方正、容姿端麗、まさに非の打ちどころのない美女に。
 それでもやっぱり佐藤なので、ヘンなチョコ食わせたりしてくるんだろうな、と思った辺りで吉田の眉間に皺が寄る。
 そして、その眉の間を、佐藤がデコピンした。
「何、一人百面相してるの」
 面白くて良いけど、と佐藤は笑っていた。どうも、思考の移り代わりが思いっきり顔に出てしまってたようだ。課題という現実逃避に走りたい直面に対した自分の脳は、あてもない想像ばかりを連ねていたらしい。
 英語の課題を出されたこの日は、放課後は佐藤の部屋へと直行だ。
 佐藤にとって自宅とは言え、目の前でいきなり制服から着替えだされた時は、何だか焦った。その程度の着替えは体育の着替えと大差ない筈なのに、吉田はなんだか急激にドキっとなった。やっぱり、何がどうして、そんなに鼓動が撥ねたのかは解らないが。
「別に、大した事じゃないし」
 気まずさと恥ずかしさに顔を赤らめた吉田は、課題に取り掛かろうとする。が、佐藤がそれを許さない。
「それでも、宿題の手が止まる程の事なんだろ? 何、気になる」
 説明して、と佐藤は暗に脅すのだ。従わない場合、酷い目に遭わされるので、これはもう脅迫で良いだろう。しかし吉田の言う「酷い目」も、他者から――例えば山中からしてみれば「ただイチャイチャしてるだけじゃねーか!」と鋭い突っ込みが飛び出す類のものだが。
 だからさ、と吉田は懸命に口を動かす。一旦我に返れば、あまりに詰まらなく、くだらない想像だった。
「佐藤が、もし女性だったらどんな人だったかなって」
 それで結局、今みたいにモテモテ何だろうなという結論に落ちつた、という所まで吉田は包み隠さず打明けた。
 単純に考えれば、女性にキャーキャー言われる今がひっくり返るのだから、男子にキャーキャー言われる毎日になるのだろうか。まあ、牧村と山中は、絶対に声をかけるだろう。
「………………」
 そう思うと、何となく2人を殴りたくなる吉田だった。
「まあ、今更さ。男同士だとかそんな事考えたりしないけど」
 佐藤の場合は同姓云々より本人の性格の方が余程重大な問題であるし。
「佐藤が女だったら、今はどうなってるのかなーとか、そんな事思った」
 多少なりとも付き合い方に差が生じるだろうが、何をどう違えるのかが吉田にはいまいち考えつかない。それは勿論、女性と付き合った経験が無いからである。
「そうだな。もし俺が女だったら、」
 吉田の戯言を受け、佐藤も考えているようだ。少し考えるような素振りを見せ、言った。
「多分今ごろ、既成事実を作る手立てを計画しているだろうな」
「……………………」
 色々初心な吉田だが、此処で言う「既成事実」が何かは、理解出来た。
 佐藤はすぐに「冗談v」と明るく言ったが。
「……俺、男に生まれて良かったのかも……」
 佐藤の問題発言にして爆弾発言に、吉田がぼそぼそと言う。子供を持つのはやぶさかではないが、出来る事なら環境を整えてからにして貰いたい。付き合ってから早々、さっさと孕まされるのはご免である。
「吉田には、そんな事しないよ」
 う〜ん、と唸っているような吉田に、佐藤がさらっと言う。しかしながら、力強い口調でもあった。
「好きな子に、そんな事は出来ない」
 冗談の延長であると言うのに、佐藤の言い方は実に淡々としていた。佐藤も、あるいは今の吉田みたいに、あらゆる関係を思い描いてみた事があったのだろうか。いや、それはさておき。
「じゃあ俺もしたくないよ。そんな事」
 表情でそんな事をするのは最低だ、と言っているような内容を、何故自分が実行しなくてはならないというのか。不平等の前に、理不尽である。不条理とも言える。
 むっと口をへの字にして剥れる吉田の姿を、佐藤は小さく噴出して笑みを浮かべる。
「――まあ、どっちかが女だったり、あるいは両方女だったとしても、」
 そう言って佐藤は、吉田に手を伸ばす。それで、正面から髪を優しく撫でた。
「吉田が吉田で、俺が俺なら、今日のこの時間も、やっぱりこうして過ごしている気がするよ」
 むしろそうであってほしい、と。生まれた時点で切り捨てられた可能性ですら、吉田と共に居るのを佐藤は望んでいた。意味の無い事かもしれないが、吉田はそう言って貰えて何だか嬉しかった。
 吉田の髪を撫でた佐藤の手が、す、とまた元の位置に戻る。たったそれだけなのに、その動きになんだか吉田はまたもドキっとなった。さっきの着替えはまだ肌が見えるだとか、脱ぐ時の仕草だとかで一定の憶測は浮かぶけど、こんな些細な仕草に、何故。その手が自分を撫でたからだろうか。でも、今のは手自体よいうより、元の姿勢に戻った動作になんだかときめいたような気がする。井上から「手が素敵」という言葉を受けてから、それとなく佐藤の手を気にかけてたから、解る。
 ささいな事や何でも無い事でも、顔の温度が上がるくらい、ドキドキしたりぎゅうっと胸が締め付けられるのは。
(まあ――それだけ、佐藤が好きって事なんだろうな)
 散々考えた割には、弾きだされたものはあまりに陳腐な答え。
 それでもその結果に吉田は満足出来る回答だった。



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