「ねえ、とらちん。あそこ行こうよ」
 虎之介の今日の放課後は、山中と一緒にゲームセンターへと繰り出す事で埋められた。
 そして散々遊んだ後、山中が虎之介に向かい、そう言ったのだ。あそこ、とは、虎之介が見つけた、子猫とその母親が住処としているその場所である。最初こそ山中にひた隠しにして餌を持ちこんでいた虎之介だが、つい先日山中にも露見する所となり、もはや隠す意味も必要も無くなった。一緒に行くのを、拒む理由も無い。
 行くついでに、コンビニで母猫用の餌を買い込む。まだ授乳期であるようなので、母親の方に栄養を付けさせた方が良いだろうとの判断だ。
 件の公園に行き、茂みをかき分けて猫達の前に姿を現す。
 子猫は全部で3匹。それぞれ白と黒のぶち模様で、しかし今は子猫だからか、真っ黒ではなくてやや茶色い、という毛の色だ。
 子猫たちは、母猫の傍で気ままに過ごしていたが、山中が姿を現すと一斉にそっちへと顔を向けた。
「おっ、子猫でも格好いいのが解るのかな?」
「変なヤツが来たな〜って眺めてるんだろ」
 子猫相手に自惚れる山中に、虎之介がぴしゃりと突っ込んだ。
 生まれたての子猫たちは、にゃーとは鳴かず、みぃみぃと高く細い声で鳴いている。その猫達の奥に居る母猫に、虎之介がそっと猫缶を差し出した。猫の方も、虎之介を覚えたが、警戒する事無くその餌を咀嚼していく。子猫たちは、まだ母猫が口にしているそれが食べるものだと解らないのか、缶の周りをうろつくだけで、口をつけようとはしなかった。それでも、気になるらしく缶の淵に手を付け、よじ登るような仕草も見える。子猫の無邪気な行動に、虎之介の心もほっと安らぐ心地だった。今日も、吉田に教科書を返そうと、呼び出しを頼んだ女子を怯えさせてしまったし。
 ふと視線を感じ、横を向くと山中が猫では無く、虎之介の方を向いていた。虎之介が山中の方を向いた為、視線がバッチリと合う。
 視線が合った後、山中は綻んでいた口元を、より一層ふやけさせる。
「あ〜、とらちん、可愛いなぁvv」
「はあ!? いきなり何抜かしてやがる!」
 可愛いだなんて、もはや親ですら言ってくれない。きっと、全世界を探してもこのバカな男だけだ。
 顔が赤くなるのは、慣れない事を言われているからだ。虎之介はそうやって、上がる一方の顔の温度を、誤魔化そうとした。
「と〜ら〜ちん♪」
 山中が歌うように、自分を呼ぶ。
 それは中学時代の友達のみが使う筈の呼称なのに、何故か山中も言っている。止めろと言っても止めなくて、でもたまに止めろと言ってしまう。山中がその名を使うと、何か特別な意味がありそうで、もやもやするのだ。
「なっ、なんだよ!」
「チューしたい。キスしよう」
「はぁッ!? ここでか!!?」
「ここだから、するんじゃん」
 確かに、ここには人目は無い。
 人目は無いけども。
「……………」
 2人の会話する声に、子猫たちの興味が今度はそっちに移った。興味津々そうな円らな目が、こちらを向いている。
「だっ、ダメだ!!」
「え〜、なんで?」
 ぎゅぅ、と固く目を閉じて拒む虎之介を見て、山中が猫以上に猫撫で声で虎之介に強請る。
 不意に、山中が何かに気付いたか、ああ、と声を上げる。
「何、猫相手に恥ずかしがっちゃってるの? とらちん、ホントに可愛い。マジで可愛い」
「〜〜〜〜っ、う、うるせーうるせー!!」
 言い当てられた事と、可愛いと言われた事に、また虎之介が赤くなる。真っ赤になった虎之介は、吉田でも戦くくらい壮絶なのだが、山中にはそれすらやっぱり可愛いらしい。
「あー、もうダメ。我慢できない」
「ばっ……オイ、こら!山中!!!」
 虎之介の制止なんて諸共ともせず、ぐぐぐ、っと山中が顔を近づける。どんどん間近になる整った顔に、虎之介は息を飲んで、抵抗を止めてしまう。
「っ………!!」
「とらちん……v」
 そして、あと数センチで届くかという時に――
 バゴッ!!!!!
 突然、山中の頭は大根によって激しく殴打された。大根である。間違いなく、大根だ。
 身のしまった大根は、立派な武器だった。山中は、殴られた衝撃で横転する。
「まったく!! 何やってんだこのバカ!!!」
「よ……ヨシヨシ!!」
 虎之介は現れた親友兼大根殴打犯に目を丸くした。
「うん、買い物ついでにちょっと立ち寄ったんだ。エサ、もうやったみたいだな」
 じゃあ、これはまた今度あげておいて、と吉田は自分が購入した餌を虎之介に託す。
「いっ……いってーな!! お前吉田!! 食べ物で人を殴っちゃいけませんって、親に教育されなかったか!!」
「不審なヤツを見かけた時は、手持ちの物を何でも武器として活用しなさいとは言われた」
「誰が不審だ!」
『『お前だよ』』
 山中の猛抗議に、吉田と虎之介の声がハモった。
「ヨシヨシはもう帰ってたのか」
 直帰であったのなら、一緒に遊びに誘えば良かったかな、と虎之介は少し思った。
「ああ、うん。家でゴロゴロしてたら、何だか見られたみたいに母ちゃんからおつかいしてこい、ってメールが来てさ」
 手にしたエコバックは、その指令を全うした事を表している。
「お前、佐藤はどうしたんだよ」
 言ったのは、山中だ。吉田は、何か不味い事を指されたように、ぐっ、と言葉を詰める。
「……別に。女子と帰ってんじゃないか?」
「ふーん、へー、ほーぉ」
「…………何だよ、その返事」
 上から目線と言うか、揶揄する感じと言うか、あまり愉快では無い山中の態度に、吉田の眦もいよいよ釣り上がる。
「べっつにー。俺を浮気者だとか罵る前に、それをもっと疑うべきが他に居るんじゃねの? って思っただけー」
「!!! 佐藤は! そんな真似、しねーよ! お前じゃあるまいし」
「だって現に、女子達と帰ってんだろ?」
 しれっと言う山中。事実なだけに、余計に腹が立つ。
「帰るだけだろ! それくらい、べつにどうでもいいし!」
「馬鹿だなー。女子に誘われて、帰るだけで済ます男がどこに居るってんだ」
「済ますだろ! むしろそれだけで済まさない方が可笑しい!」
「そりゃぁ、お前は、まあ、アレだし」
「アレってドレだ――――!!?」
 ヒートアップする2人の会話に、なんか入っていけねぇ、と虎之介は手頃な草を駆使して、子猫の遊び相手を務めていた。


(全く、山中のヤツめ!!)
 不愉快な事態に見舞われたが、あの場に足を運んだのは大正解だった。場所が場所だし、虎之介がどんな目に遭ったかと思うと、それだけで恐ろしい。
 いっそ山中と2人きりになっちゃダメ!と言いたくなるけども、そこまで首を突っ込むのもどうかと思うし、何より虎之介が山中を好いているのが問題だ。大問題だ。少なくとも現状では、山中と引き離す事は虎之介を悲しませる事になる。山中に愛想をつかせてくれたら、ここぞとばかりあんなヤツ、どっか遠くに放ってやるのに。
 そんな小憎たらしい山中だが、良い所もある。例えば、虎之介への気持ちが本気な事と、愛されている実感を自身へ繋げている事。大分自惚れも混じっているだろうが、基本の所は履き違えていない。浮気癖が治らないのは、むしろ虎之介への信頼がそうさせているのではないか。学校中から嫌われ者になった自分を気にかけてくれた虎之介は、多少遊んだくらいでは自分とは別れないと。実際そうなっているから、性質が悪い。
「……………」
 吉田は思う。佐藤も、そうなんだろうか。帰り一緒に帰れないくらいでは、女子の方と一緒に帰った程では、吉田は怒ったりしないと。
 それを信頼の証として見てもいいのかどうか。
 少し愚痴っただけで、あんなに思い詰めてしまうのは、佐藤には想われている自覚が無いからかもしれない。なんて思ったら、手の荷物が急激に重さを増したように感じられた。
 虎之介の気持ちを微塵も疑いもしない、バカみたいでアホまるだしな山中が……ちょっとだけ羨ましい。
 間違っても山中が良かっただんて思わないけど。決して、誓って思わないけど。
 ふと気付くと、佐藤と道が分かれる分帰路が近い事が解った。
 じゃあね、と別れを交わして道を別にする時は、いつだってちょっとだけ哀しい。明日になればまた会えるのだけど、別れは別れだし。
 佐藤は、もう帰ったのかな。
 そう思いながら、分帰路を曲がった時だ。
「吉田」
 見つけた、とばかりに、佐藤の声がした。


「さ、さ、――さとう? い、今帰り?」
「ああ」
 そう、佐藤は頷くけども、そんな事は尋ねるまでも無く、未だ制服姿のその様を見れば一目瞭然だった。
「……どこか、寄ってた?」
「うん、CDショップに」
 CDショップか、と吉田は胸中で呟く。ヘッドホンをかけて視聴する姿に、女子がキャーキャー言ってそうだな。
 楽しかった?なんて言いそうになり、吉田はぐっと口元を引き締める。
 これくらいでは、妬かないのだ。それに、建て前だろうが、社交辞令だろうが、以前のようにクラス中から苛められるよりは、クラスに溶け込んでいる遥かに良い。溶け込む所か、際立っているけど。
 それに、佐藤は山中のように自分から声をかけて女子を引っかけている訳でもないのだから。この点は、重要だ。
 ……まあ、自分をダシにて、女子の誘いを断るのだけは勘弁して貰いたいのだが。謂れの無い恨みは貰うし……しかし、正当な佐藤の恋人である身分なら、むしろ妥当な嫉妬なのだろうけども。
「それ、1つ持とうか」
 佐藤が、吉田の荷物を見て言う。
「いっ、いいよ別にこのくらい、平気……」
「いいから。一緒に帰ろう」
 この「一緒に帰ろう」とは、吉田の家の前まで行く、という意味なのだろう。
「え、あ、い、いや、」
 あるいはすでに、母親が帰っているかもしれない。佐藤をどう紹介すべきか、プランの纏まっていない吉田には、由々しき事態なのだ。
 しかし、佐藤はそんな吉田を見越したように。
「大丈夫。ご両親には見つからない様に気を付けるから」
 そういうの得意って知ってるだろ?と笑みを向けられる。しかし、それに何と答えてやればいいか。
 会わせるのが嫌な訳ではない。決して。しかし、自分にとってあまりに重大な意味を持つ事だから、下手な事は出来ない。
 ……この辺りの駆け引きの拙さが、佐藤に心の底からの、愛されている自覚を与えてやれないのだろうか。そう思うと吉田は軽く自己嫌悪に陥る。
 絶対に間違えたくないのだ。その辺りの慎重さが失敗を招いたとしても、無鉄砲には挑めない。
 それほどに大切だから。佐藤が。
「………ん。じゃあ、頼む」
 吉田は、そう言って軽い方の荷物を差し出す。が、佐藤はそっちを受け取らず、やんわりとした手付きながらも、重いほうの荷物を取り上げた。物言いたげに口をうごめかした吉田だが、結局何も言わずに顔を逸らしてしまう。可愛く赤らめた、その顔を。
 今日、やっと見れたその顔に、佐藤の顔をもふっと和らぐ。自分のする事にいちいち反応する吉田が愛しくて、その時の表情を見ないと一日をやり損ねたような気になってしまう。
 手にした佐藤のエコバックには、サラダオイルや味噌などが詰まっている。きっと、安売りでもしていたのだろう。
 ふと、吉田を見ると、佐藤の手を気にしているのが解った。荷物に何かあるとは思えない。と、なると?佐藤は少し、頭を働かせた。
 今、佐藤は右手で荷物を持っている。吉田も、同じく右手で。
 それが、気になるというのなら――
 佐藤は左手に持ち替えた。程なくして、吉田の小さい手が、自分の手にそっと寄り添う。
 2人の手が繋がるように握られるのは、それからすぐの事だった。


 そこで、和やかな雰囲気のままで終わればいいのだが。
「い……嫌だ―――!やだって言ってんだろ!!」
「この位置なら大丈夫だって言ってるだろ! だって今日はキスもまだ……」
「わーわー!!キスとか言うなぁぁぁぁ!!!」
「……吉田が言ってるじゃん」
 さよならのキスの攻防に、かなりの時間を浪費してしまい、やっぱり帰宅していた母親に「遅いじゃない!」と小言を貰う吉田だった。
 実際にしたかどうかは、本人たちの胸にある。



<END>