校内で絶大な人気を誇り、これだけ女子生徒の関心を引き寄せている佐藤だが、その割には佐藤の素性はあまり明らかとなっていない。せいぜい、渡英歴があるというくらいだ。
 これは女子の追究が甘いのではなく、佐藤のはぐらかし方が巧みなのだ。聞き出せなくても「まあ、佐藤君と話せただけ良いわv」となるような。
「って事は、誰も佐藤の家、知らないのかな」
 吉田は不意に、そんな事を呟いた。
 勿論学校側には、通う生徒の居住地はデータとして記録されている。しかし厳重になる管理の下、絶対不可能とは言わないが、そこまでしたら佐藤に嫌われるという意識が蔓延しているのか、そこまで非常識な手段に出る生徒は居ないようだ。最も、他校の女子とタイマンはったり、マラソン大会で独占権を駆けたりと違う面で一般を逸しているが。
 呟かれた吉田の台詞に、しかし佐藤はすぐに返事はしなかった。ちょっと、視線を彷徨わせる。
「あー……まあ、そうだな」
「?」
 ちょっと引っ掛かる言い方だけども、特に気になる反応でも無いので、ほっといた。何となくだが、大丈夫な時とそうでない時の区別が出来ているような気がするのだ。
 そんな事があってから、数日。
「吉田! ちょっと、頼まれてくんない?」
 そう、吉田の元に訪れたのは、野沢(姉)だった。この双子と関わると、ビミョーにとんでもない事に繋がりそうで、出来ればあまり関わりたくない吉田なのだが。
「頼むって、何を?」
 それでも話を聞く辺り、吉田の人の良さが滲み出ている。
 野沢は言う。
「うん、また佐藤にモデルになって欲しいんだけどさー。今度は中々引き受けてくんないのよね。
 だから、吉田が頼めば頷いてくれるかも、って」
「お、俺がどうこう言ったって、佐藤は別に……」
 まさか佐藤関連の話題だとは思ってなくて、吉田は若干挙動不審になりながらも、答えた。
「でもあんたら、仲良いじゃない」
「そっ、それは、クラスメイトだし、何となく……」
「ふーん?」
「う………」
 探るような野沢の視線に、吉田はドSオーラ全開の佐藤と対峙た時とはまた違った具合で委縮する。
 たまに思うが、野沢は自分たちが、所謂「恋人同士」的な関係であるのを、知っているのかどうか。キス寸前までの、際どい姿勢を見られても居るし。いっそ専門バカと言われそうだが、野沢の眼はあなどれない。何せ、佐藤の本性を見抜いているのだから。
「前みたいに、家までひっついて来たら絶対引き受けないって言うから、もう手の打ちようがなくてさー」
 それしか手段がないという野沢の方に問題がありそうな気もするが。
 しかしそう突っ込むより先に、吉田は1つ気付いた事が合った。
(そっか。野沢さんは、佐藤の家、知ってんだ)
  窓に張りついてまでモデルの依頼交渉をしてきた野沢に根負けしたのが、前回のパターンだ。そう言えば、佐藤の家はマンションなのにん何をどうやって張り付いていたのか。ヤモリか?
 これでちょっと前、佐藤の家を知ってるのは誰もいないのか、という吉田の問いかけの様なセリフに、佐藤がちょっと微妙な顔をしたのも解る。野沢は知っているけども、吉田は佐藤のファンの中で、という意味合いで尋ねたのでその範疇から外したのだろう。不都合な事実に蓋をしたのでは無く、質問の主旨を鑑みての言動だ。
 まあ、別に、あそこで「野沢は知ってる」と言ってもそれはそれで全く構わないが……と、思おうとする吉田だが、そう思った端から何やらもやもやしてきた。
 そりゃ、野沢は佐藤をただのモデルとしか見てないし、実は意地悪い本性も見抜きつつあるけども。
 だから同時に、佐藤の本当に良い所も見抜きそうな気がしてならない。それは、独占権を競ってバトルロワイヤルしている女子より、余程厄介な事だろう。厄介と言うか、洒落にならないというか。まあ、他の女子も十分洒落になってないけど。
 それに、ちょっと覗いた時、やけに顔をくっつけていたし……あの行動の真意は、未だに吉田は掴めていない。
「の、野沢さんは、佐藤の家に行ったりしてるの?」
 恐る恐る、吉田は聞いてみた。聞いてしまった。
「へっ? なんで? どうして、何のために?」
 物凄くきょとんとした顔で尋ねられてしまい、吉田もこれ以上どう訊けばいいか、解らなくなってしまった。
「いや……折角知ったんだから、行ってみようかな、とか」
「なんで用も無いのに行かなくちゃなんないの」
「用があったら、行く?」
「そりゃ行くでしょう……って、さっきから何なの。ねちねちねちねちと」
 明らかに遠まわしな質問にキレやすそうな野沢が、早速吉田のやんわりとした物言いにイラっとしてきた。自分でも大層意地悪い事を聞いているという自覚のあったら吉田は、小さい身体をますます委縮させる。
 何だか、自分が凄く嫌なヤツみたいで酷く恥ずかしい。仮に佐藤と野沢の間に、交流があったとしてそれに自分が口を挟むべきではない……と、頭の中では整理は出来ているのだが。
 黙ってしまった吉田の代わりに、野沢がふん!と鼻息荒く言う。
「あたしは、ただ描きたいものが描きたいだけで、その為の手段は選ばないって事よ。だから、目的以外に動く訳ないっつーの。
 大体、佐藤がなんぼのもんよ」
 佐藤も、「なんぼ」呼ばわりされているとは夢にも思ってないだろう。
「そうは言うけどさ、野沢さんだってそんな佐藤をモデルにしたんだし、」
「モデルにすりゃ、好意を持ってる証拠だって言うっての?
 じゃあ――ほら、これであんたも同類」
 そう言いながら野沢は、手にしていたスケッチブックにさささっと鉛筆を滑らせ、あっという間に吉田の顔を描き上げた。確かに、これで野沢の中で、佐藤と吉田は同じ扱いだろう。
「は、早いな」
 完成された自分の絵を見て、吉田が言う。
 あっという間、という表現は今の為にあったのだろう、と思わせる早さだ。
「だって、直線で描けそうな顔してるし」
 ↓つまり、こんな具合だ。>直線で描けそうな。
 \ /×
   Λ
「……って、野沢さん、ちゃんとした絵が描けるんだ!」
 まるで感嘆したような吉田の声だが、それは思いっきり野沢の逆鱗に触れる。
「何、普段描いてるのはちゃんとしてないっていうの??」
 こめかみに血管を浮かせてそうな野沢が、吉田の頬を抓る。「いへへへへ!!」と言いながら涙目になる吉田。
「そーじゃなくて、この前のはなんだか、ほら、ピカソみたいな絵だったし」
 対して、今野沢が描いて見せたのは、普通の似顔絵だった。普通に、人の顔……というか、吉田の顔をしている。
「そりゃまあ、基本が出来ないと自分のスタイルも貫けないし。
 はい、これあげる」
 びりびりびり、と豪快な音を立て、画用紙がスケッチブックから破り取られていく。そして、当然のように吉田へと渡された。
「え、えっ? なんで??」
「だって、こっちの手元においてもしょうがないし」
 それもそうだ。
 と、言う事で、吉田も素直に受け取ってしまった。折り目がつかないように、くるくると巻く。
「じゃあ、佐藤に話し、お願いね!」
 その件、まだ生きてたんだ、とちょっと吉田が汗をかく。
「まあ、言うだけ言ってみるけど……断られても、怒らないで欲しいな〜……」
「じゃーねー! 頼んだからねー!!!」
 吉田の、後半の台詞が始まる前に、野沢は手を振ってどこかへと去って行ってしまった。おそらく、半分も聞いて貰えていないのではないだろうか、今の台詞は。
 やれやれ、と嘆息して吉田は思う。
 佐藤にひっついてる自分が、女子にあれだけ言われているのだ。モデルを頼んだという野沢も、結構な扱いを受けてしまったのではないだろうか。
 まあ、そんな事を気に病む彼女とはとても思えないが、それでも気分の良いものではないだろう。
 悪い事をしてしまったな、と吉田は手で丸めた自分の似顔絵を、そっと握った。


「ダメ。無理。ヤだ」
「……断るにしても、もうちょっと何かしゃべれよ……」
 完全な拒絶を目にし、吉田もどうすればいいか途方に暮れる。
 野沢に対しての、無神経な言動を詫びたいと思った吉田はせめて佐藤へのモデルの件を、快諾させてやろうと思った。が、勿論現実は甘くなかった。
 放課後、佐藤の部屋に遊びに訪れた際、吉田はすぐにも切り出したのだが結果はご覧の通りだ。
 佐藤にしてみても、しつこい勧誘に辟易していた所で、吉田からも言われてしまってもううんざり、といった所だろうか。返答の態度がかなり雑だ。
「だって、デッサンの間、吉田と遊べなくなるじゃん」
 だから嫌だ、と佐藤は言う。それが理由なら、なるほど自分が野沢に託されるのも理に適った流れ……だろうか?
「そうだけどー……でも、何カ月もかかる訳じゃないんだし、」
「……なんで、吉田。そんなに野沢の肩を持つんだ?」
 しつこく食い下がりを見せる吉田に、佐藤が不審を持ったらしい。佐藤の不審は、もれなく嫉妬に繋がる。
 ヤバイ!と悪寒を感じた吉田は、正直に自分の気持ちを吐露する事にした。
「いや、ちょっと野沢さんに嫌な言い方しちゃったかな、って思って……」
「何言ったの?」
 そう言いながら、佐藤はどうせ全く大したことじゃないんだろうな、と思っている。吉田が人を傷つけるような事を、言う前にそもそも考えついたりもしないだろうし。
「う〜……だ、だから、前に佐藤にモデル頼んだのって、やっぱり佐藤が好きなのかな〜……みたいな事?」
 最後、疑問形みたいに言うのが何とも吉田らしい。そしてやっぱり、まるで大した事じゃなかった。
「吉田が気にする事じゃないよ。っていうか、そもそも向こうが気にしてないって」
 一気に気を良くした佐藤は、にこにこと笑みを浮かべて吉田の頭を優しく撫でる。
「野沢に妬いたの? 可愛いな〜」
「!!!!! っな!!!」
 ぼっっと顔を赤くした吉田は、言葉に詰まる。この反応から窺うと、ちょっとは自覚があったらしい。
「だ、だって佐藤、野沢さんの事、嫌いじゃないとか……!!」
「人としてちょっと面白い、ってだけだよ。俺が好きなのは、吉田だけ」
「うっ………!!!」
 佐藤が何か言う度に、面白いくらい吉田が顔を赤らめる。極限まで赤く染まったと思った所で、佐藤はそっと顔を引き寄せてキスをした。軽いキスを何度も繰り返す。触れる度に吉田がぴくっと震えるのが可愛い。
「うううう………っ」
 キスの雨の中、居た堪れなくなった吉田が呻く声を上げる。目尻に溜まった涙を舐めて、ぎゅっと軽く力を込めて、その身体を抱きしめた。愛しいこの吉田に、自分へ向けられた心がある。それが酷く嬉しい。
 少し高めの吉田の体温を感じながら、それに浸っていると視線の先に気になるものが入った。
「なあ、さっきから気になってたけど、あの紙は何?」
 吉田のバックから、にゅっと筒状にされた紙が飛び出ているのだ。材質を見る分には、画用紙のようだが。
「ああ……色々あって、野沢さんに似顔絵描いて貰っちゃったんだ」
「色々って……似顔絵描いてもらう流れって、どんなのだよ」
「そんな事言われても、描かれちゃったんだし」
 困った風に言う吉田に、その額へ最後の仕上げのようにもう一度キスをした。これは不意打ちだったらしく、「うひゃっ!!」と小さい声が吉田から上がる。
「だから、いきなりはするなって……!!」
「ねえ、その似顔絵、見せて」
「人の話は聞け―――!!!」
 そう怒鳴りながらも、見せてやる吉田だった。全く、お人好しだ。
「へー、ちゃんと描けてる」
「それ、野沢さんに言ったら怒られるよ」
 体験に基づく発言をする吉田だった。
 絵を広げ、佐藤は吉田の絵を余す所なくじろじろと眺める。それは自分では無くて自分の似顔だし、他の人が描いたものとはいえ、段々恥ずかしくなってきた。
「なー、もう、良い……」
「この絵、俺が貰っても良い?」
「へ?」
「欲しくなっちゃった。ダメ?」
「だ、ダメっていうか……うーん……」
 吉田は考える。
 野沢に手渡されたけども、贈られたとうより処分を任せたという具合だったし。
 自分の部屋に持ち帰っても、どこか片隅に追いやられるだけだろうから、こうして欲しいと名乗り上げた物に渡した方が、絵にとっても良い……と、思う。
 その結論に居たり、吉田は絵を佐藤へと譲った。いいよ、と返事をもらった佐藤は、喜色を浮かべ手にした絵を改めて眺めた。
 そうやって眺めている顔なら、携帯の画像フォルダにも入っているだろに。とは言え、逆なら自分も欲しいと強請ってしまいそうな気がして、吉田は何も言えず、黙って顔を赤くした。
「吉田」
「うぇっ? ふえ?」
 そんな中、名前を呼ばれて、吉田はかなり間の抜けた顔と声で返事をする羽目になった。しかし佐藤は意地悪く其処に触れたりはせず、言う。
「野沢に言っといて。絵のお礼として引き受けてやるって」
「えっ………」
「あと、同じ手に2回応じないって」
「え、あ、うん」
 要するに、今回に限ってこれでOKという事だろう。伝えるべき内容を、吉田はしっかり頭にインプットした。
 望みが叶い、野沢も余転んでくれるだろう。
「……野沢さんってさ。俺達の事、気付いているかな」
 思い出した疑問を、ふと言ってみる。野沢は、佐藤と仲の良い吉田の事ならきくだろう、という打算の元、吉田に話を持ちかけて来た訳だが、その「仲の良い」が、クラスメイトとしてなのか、あるいはそれ以上を含めているのか。
 辺りに吹聴したりする事は決してないが、事実は伏せられただけで消えては居ない。実際、山中も2人のやり取りを傍目見ていて勘付いたのだし。
「さあ、どうだろうな?」
 佐藤の口調は、深刻さとはまるで縁の無い言い方だった。
「知ってても知らなくても、あいつの態度は同じだろうし、どうでもいい事なんじゃないか?それこそ」
 たまにこうして交渉人として派遣するくらいで、と佐藤は言う。そう言われると、吉田も否定の意見は浮かんでこない。むしろ、そうかも、と納得してしまう。
 自分たちがどう付き合っていようが、野沢には関係ないのである。
 自分達の関係に、それは意識したり対向したりする西田や山中、そして歓迎を示す艶子とはまた違った印象だ。これはこれで、悪いものではない。たかがその程度、と思う事で気が楽になる面も確かにある。
「……そういえば」
 佐藤が口を開く。なんだろう、と吉田が視線を送った先で、佐藤が言う。
「別に。別々にならなくても、吉田が一所にデッサンに付き合えばいいんじゃないか。
 あっ、折角だから、2人一緒に描いて貰おうかな〜」
「ばっ……そんなの見られたら、女子にまた何て言われるか!!!」
 いきなり降ってい湧いた、佐藤の飛んでも無い提案に、吉田が声を上げて抵抗する。
 女子をいちいち気にするのか、と思う反面、女子の反応がなければ素直に応じてくれるのか、と相反する感情を同時に持つ佐藤だった。
「嫌だ。もう決めたから。そうじゃないと、引き受けてやんない」
「なっ……は、図ったな!!?」
「そんな、人聞きの悪い。ちょっと思い付いちゃっただけだろー?」
 ぎゃふんと瞠目する吉田に、佐藤が冷静に突っ込む。嬉しそうに、口元を緩めながら。。
 さて。
 それで。
 暫く後、野沢の新作が廊下に並べられたのだが、それが誰がモデルかなんて言われない限り絶対に誰も気づかず。
 そしてまた、その絵に何人が描かれているのかも、さっぱり不明だった。
 それは描いた本人と、描かれた当人たちだけが知る所である。



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