無欲の勝利というか、やはり欲に目のくらんだ人の頭上では、幸運の女神はほほ笑んでくれないものらしい。
 母親から押し付けられる形でやった商店街の福引で、吉田はポケットティッシュ以外を手にする事が出来た。全く当てる気が無かったのが、幸いしたのだろうか。
 手に入れたのは、プラネタリウムの入場無料券。この1枚で、2名が入れるものだ。
 これがホテルのディナーやら、エステ&スパのご招待券なら、母親の手にあっさり渡る所だけども、こうした物なのでちゃんと当てた本人――吉田の手にある。さて、どうしたものか、と吉田は入場券を見ながら考える。
 いや、この券の行方は決めている。佐藤と一緒に行こうと、手にした時から吉田の頭にはこの事しかないが、問題はどうやって誘うかである。
 どうやっても何も、素直に「福引で当てたから、一緒に行こうぜー」で済む筈なのだが、自体をややこしくしているのは相手がただの友達では無く、恋人だからだ。どういう文句で誘うのがいいのか、これまで恋人というものが居なかった吉田には、さっぱり浮かんでこないのである。いっそ友達のように、普通に誘ってしまえばいいのかもしれないが、でも、佐藤は友達じゃなくて恋人だし、と吉田なりのこだわりというのがあるのだ。プライドと言ってもいいかもしれない。
 それに、例え同じ場所に行くのだとしても、誘い方如何では相手がもっと喜んでくれるかもしれないし。
 女子にするのではない、佐藤の素の笑顔を思い出し、吉田は自室で人知れず、顔を赤めていた。


 そして、次の日。
 昼休み、いつものオチケンで毎度のように佐藤と一緒に昼食を取る吉田だけども、今日はプラネタリウムに誘うのだという使命感で、やや緊張していた。放課後、一緒に帰ろうと言うのは慣れて来たけど、だから余計に畏まって誘うというのが意識してしまう。
「あ、あのー、佐藤、次の休みとか、何かある?」
 全身からそわそわとした雰囲気をかもしながら、吉田が言う。その目が泳いでいて、佐藤は笑いを堪えるに必死だ。吉田の事態度を見れば、どこか遊びに行くのを誘おうとしていると、大抵の人は勘付く。勿論、佐藤もしっかりその中に含まれているのだった。
 しかし残念な事に、佐藤の予定はすでに埋まっている。
「その日は、ちょっと英検取ろうと思ってて、試験日なんだ」
「ちょ……ちょっと、で英検が取んのか、お前は!!」
 そっちをまず瞠目するんだ、と佐藤はしばし冷静な目で吉田を見てしまった。最も、吉田の英語力を思えばこの驚愕はむしろ納得できてしまうが。吉田にとって英語は、完全理解不能という点においては、もはや呪文と近い。
「ほら、俺、ちょっと前までイギリスに居たから、英語で暮らしていたし」
 どうせなら、その体験が新鮮な内に挑んでおこう、と佐藤は思ったのだ。こういうのは、使わなければどんどん衰えていくものだ。
「折角だからさ。取れるものなら、どうせなら取っておこうかなーって」
 英検の資格を、何だか100均に売ってる便利グッズのような扱いで言う佐藤だった。
「………うう〜……」
 世の中には取れなくても取れない人がごまんと居るのに、佐藤の台詞は完全な勝ち組だった。明らかな負け組である吉田には、ある意味耳が痛いというか、胸が閊えるというか。
 もやもやするというか。イライラするというか。
「だから、次の休みならいいけど、」
「つっ、………つ、次の休みじゃないと、ダメな事だから! この話、終わり終わりっ!! 昼メシ食おう!!」
 吉田はそう言って、無理やり話を終わらせた。そして、話す意思は無いと見せつけるように、昼食を猛然とした勢いで食べていく。
 この吉田の苛立ちの理由は複雑で、さすがの佐藤もあっさり全てを看破、という訳にはいかない。
 今は感情のピークだろうから、事情を聞き出すにしても後にした方が良さそうだな。
 ちょっと空気の悪い昼食に、佐藤は密かに嘆息し、自分の昼飯に手を付ける。
 こんな日でも、吉田とずっと一緒に過ごせば、後から笑って思い出せる。そんな記憶になるだろうと少しばかり願いながら。


 英語の教科は満点だと言う佐藤の成績を、勿論吉田が知らない筈は無い。
 きっと、これから受ける英検だって、あっさりスムーズに取れる事だろう。対して自分は、一生をかけて挑んでも3級すら取れるかどうか怪しい……と、いうか多分取れない。そんな自分に苛立って、結果佐藤に八つ当たりなような態度を取ってしまった。別に、この入場券には期日の規定なんて無いのに。
 どうしようかな、とポケットに入れて居た為、少しよれた券を見つめる。
 さっきの会話で、このプラネタリウムの話題は出なかったけど、こんな事態になっては、そのきっかけを作ったこの券自体に吉田はあまり良い印象を持てなくなっていた。元々、それほど労力無しに手に入れたものだから、固執する理由も薄いというのもあるだろう。
 もう、いっそ誰かにあげてしまおう。それが良い。そうしよう。
 そう思った時、丁度秋本が前方から歩いてくるのが見えた。1人でも入っても問題は無いが、折角のペア券なのだ。連れだって行けるような相手が居る人を選んだ方がいいだろう。可愛い幼馴染の居る秋本にあげるのが、いかにも適切な気がした。
 早速呼び止め、入手した経路をざっと説明してから手渡す。ただ福引で当てただけだと言えば、相手も受け取り易くなるだろうし。
 友達なら、こうやって気楽に言えるのに、と吉田はさっきの自分を思い出し、少し肩を落とした。
「ありがとな、吉田」
「いいっていいって。洋子ちゃんと楽しんで来いよ」
「う、うん」
 洋子の名を出すと、途端秋本は顔を赤らめた。
 きっと、この後の秋本は、昨日の自分と同じように、どういう誘い文句で声をかけるか、散々悩む事になるだろう。同じカテゴリ内に居る男子として、とても良く解る。
 自分は失敗してしまったから、せめて秋本は上手くいくと良いな、と吉田は券を大事そうにしまう秋本を見て、そう思った。


 そして、佐藤が英検を受けるのだと言うその日。吉田の計画として、佐藤と一緒にプラネタリウムに行く日でもあった。しかし全ては終わった事だ。
 誘うのを失敗した時を思い出し、少しばかりむしゃくしゃした吉田は、部屋に引きこもるよりも遊びに出る事を選んだ。街に出れば、気を紛らわしてくれるものは沢山ある。
 しかし一人の徘徊なので、逆に行く先も狭まれるというか。これが2人とか3人なら、ファミレスにでも入ってドリンクバーでだらだら話でもする所だけども。
 ゲームセンター……は、小遣いの残りが少ないので、ちょっと避けておこう。気付けば湯水のように小銭を使ってしまう、危険な所だ。あそこは。とりあえず、無難な所で書店に入った。好きな漫画の単行本が出てるかもしれないし。
 結果として、単行本は出て居なかったが、そのまま書店に留まる。漫画はもれなくビニールで梱包してあるので、必然的に文芸書などのコーナーに足が進む。この前、現国の授業で扱った小説を、そう言えば気にして居たのを吉田は思い出した。教科書に乗っていたのは長編の1章分くらいなので、前後の展開が気になる所だ。
 運良く、というか、珍しく作者名と作品名を記憶していた為、本を探し出すのは思いの外スムーズに出来た。ラッキー、というのも可笑しいかもしれないが、ちょっと良い気分だ。
 早速中身を見てみる。中々そそる導入部だ。どんどん作品の中に引き込まれていくのが、読んで居て解る。
 これはじっくり腰を据えてよみたい所だけども、文庫では無いので値段が少々気になる所だった。図書館にあれば、借りる事が出来るだろうけど。
 あるいは、佐藤の部屋にあれば。
「………………」
 佐藤の事を忘れようと思って街に出て、結局思い出してしまったのは佐藤の事だ。
 しかし吉田は、それをもう否定するでも拒むでも無く、自分の一部として受け入れた。
 この先、どうなるか、解らないと言えば解らない。佐藤がぽつり、と漏らしたように、どちらかが「もう無理」といって別れてしまうのかもしれない。
 そうだとしても、佐藤と過ごしたこれまでの時間は、もう絶対に自分に欠かせない部分だから。


「吉田、見つけた」
 その声よりちょっと早く、肩を叩かれた。だから、半ば反射的に振り返った時、まさにその台詞を言っている最中で。
 その相手を、吉田はぽかんとした顔で見てしまった。
「さ、……佐藤?? 何で??」
 そこには今日、検定の試験を受けに行った佐藤が、至って平然と構えていた。普段よりちょっと荷物が多いのは、試験帰りだからだろうか。
「そりゃ、丸一日試験受けてる訳じゃないから」
「じゃなくて、なんでここが解って……」
「まあ、偶然かな。俺も本屋に寄ってみたかったから」
「そ、そっか、」
 偶然で同じ行動を取っていたのが、吉田的に気恥しいのか、顔がどんどん赤く可愛くなっていく。抱きしめたら怒られそうなので、ここはちょっと堪えておこう。折角、可愛い吉田が拝めたのだから。
 偶然、というのは半分事実で、半分はちょっと違った。
 きっと数日前のやり取りで、この日をヤキモキと迎えていた吉田はそれに辟易し、気を紛らわす為に街に出て来たとしたら。
 友達と連れ立ったのなら、ファミレスにでも入るだろう。1人なら、多分本屋だ。この時期、吉田の財布の中は乏しくなっていくから、ゲームセンターはちょっと控えるだろうし……と、吉田の行動パターンをよく分析し、そして吉田が居る確率が高いと思われる本屋へと赴いたのだ。
 しかし、以前、確実に通り縋るのを見越して待ち伏せていた時とは違い、あくまで「居たら良いな」くらいのつもりだ。そもそも、吉田が外出しなければそこで終わりなのだし。
 でも、吉田は、佐藤が思った通り本屋に居た。その小さい姿を見つけた時、うっかり「運命」の二文字が過ぎったくらいだ。
「その本、この前の授業でやったヤツだな」
 いかにも目敏く、佐藤は吉田の手にしている本を見抜いた。
「ああ、うん。授業じゃちょっとしかやらなかったから、最後がどうなるのかとか、気になって」
「ふーん、その本家にあるから、貸してもいいけど」
「えっ、本当?」
 ぱたん、と吉田が本を閉じる。
 お互い、願ったり叶ったりの状態だ。吉田は読みたい本が借りれるし、佐藤は吉田を招く理由が出来たし。
 小学時代を思うと、奇跡か天国のように共に居る時間があるけれども、まだまだ佐藤には足りない。一緒に居る時は満ち足りるけど、見送る時「もう十分」なんて思った事は無い。
 姉と暮らすのではなく、自分だけが住む部屋なら、もういっそ合いカギを渡して出入り自由にさせたい所だけども、それはまだ早計だな、と佐藤は思う。
 そういう訳で、佐藤の家に向かう。幸い、まだ着いた先の部屋でまったり出来る時間はある。
「なー、試験どうだった?」
「多分、大丈夫だと思うよ」
 佐藤がしれっと言う。ここで顔色無くして「ダメかもしれない……」なんて沈痛な面持ちで言えば、慰めてやったのに、と吉田は胸中で唇を尖らす。まあ、そんな佐藤はむしろ佐藤じゃないというか、演技だろうけど。試験くらいでグラつく人間じゃない。
「1級受けたの?」
「いや、2級」
「え、1級にすれば良かったのに」
 どうせ受かる癖に、とこれまた胸中で呟く。
「いや、やっぱり試験に出る傾向とか、見ておきたかったしさ。その方が確実だろ」
「んー、まあ、そうだなぁ」
 確かにその方が一理あるけど、自分が佐藤の立場だったら、さっさと1級に臨んでいるかもしれない。この辺りの姿勢が、勉強への態度に繋がるのだろうか……などと吉田は思ってみる。
 佐藤のマンションに着き、早速本を出して貰った。今更思うが、下手な図書館より佐藤の部屋の方が余程本が揃っているように思う。
 そこまで思って、吉田はそれは違う、と気付いた。本の種類が豊富なのではなく、自分の読みたい本が揃っているだけなのだ。
 かなりピンポイントで好みが合っているという訳でもないが、傾向が何となく一緒、というだけでちょっと嬉しい気がする。そんな気持ちも混ぜて、吉田はほくほくとした気持ちで本を受け取った。
「なあ、吉田。今から聞くけど、次の休み予定ある?」
「ううん。無いけど?」
「じゃあ、ここに一緒に行こう」
 そう言って、佐藤が引き出しから出して来た物に、吉田は目を向いた。
「なっ……こ、これって!!」
 「それ」を見た吉田の驚愕の程と来たら。目を剥いてまじまじと見るが、見間違えようも無かった。
 驚く吉田を余所に、佐藤が言う。
「うん、プラネタリウムの入場券」
 そう、佐藤が出して来たのは、なんと秋本にあげた筈だった、あの券だったのだ。一体、どんな巡り合わせというのか。
「この前、日直の仕事変わってやったから、そのお礼だって」
 佐藤が言う台詞に、吉田もふと思い出した。洋子との用事が入って、一刻も早く帰宅したいけど、秋本はその日の日直。相手もそれを承知なのだが、待たせてしまう事に心苦しい思いをしている秋本を見て、佐藤が代わりを引き受けたのだ。日直の仕事なんて、基本誰がやってもいい雑用なのだし。
 ちなみにその日、吉田はお仕置き宿題を出され、図書室でひいひい言いながらそれをやっつけていたのだった。秋本の仕事を変わったのは、その間の佐藤の暇つぶしとも言える。
 吉田から券を受け取った時か、あるいは手にした後佐藤を見た時からか。秋本は返していない恩を思い出し、貰った券をあげたのだろう。
「本命の彼女と、一緒に行ったら良い、って言われたよ」
「う、」
 吉田は2重の意味で呻いた。そうやって誘われた事と、自分もそれで誘おうとした事で。
 果たして佐藤は、この券のそもそもの所有者が吉田だと知っているのかどうか。オチケンで、ちょっと雰囲気が崩れた時の原因がこれである事も。
 いくらなんでもさすがの佐藤も、とも思う傍ら、こいつなら把握しかねん、とも思えてしまう。
「…………」
 吉田は、そっと窺うように佐藤を見た。その佐藤は、ただ優しげな笑みを携えているばかりだった。それを見て、吉田も何だか気が抜ける……と、いうか、和む。
 どっちでもいいか。佐藤が知っていても、いなくても。佐藤が言わないのだから、自分もわざわざ打ち明けたりする事も無い。あの時の自分も言った。あの話は、もう終わりだと。
 吉田はふっ、と息を吐くと、きゅっと目を細めて佐藤に笑いかける。
「うん、行こう」
 快い吉田の承諾に、佐藤の笑みが一層嬉しそうに染まる。それから、身体の向きを吉田の方へと変える。
 たったこれだけの動作で、吉田には佐藤がキスをするつもりだと解る。これは直感ではなく、純粋な経験に基づくもの。
 佐藤と過ごした時間が、吉田にそう気付かせるのだった。



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