夏は秋本にとって憂鬱な季節だ。いや、秋本では無くても憂鬱だけども。
「大丈夫だって、秋本。洋子ちゃんは暑いのが嫌で、お前が嫌なんじゃないってば」
「うう……」
 ふくよかな体形の秋本は、冬は暖かく夏は超暑いという性質の持ち主だ。例え洋子が秋本を邪険に扱ったとしても、それは秋本本人ではなく、暑さの為だ。そうとも、みんな、暑いのが悪いんだ!
 それはそうと、離れて歩いてと言われてこの秋本の凹みようだ。ここまで影響力があるとなると、洋子とは単なる幼馴染、という自己申告は、今後いよいよ信憑性を失うだろう。
 皆が暑さで茹だれる中、そうでないのが若干2名。夏は恋の季節だと勤しむ牧村と、相変わらず涼やかな笑みを携える佐藤である。最も佐藤は、暑さを感じないのでは無く、それを周囲に悟られないだけなのだが。
 そういや、佐藤の汗だくな所って、あまり見た事無いなー、と吉田はつらつらと考える。自分の前で暑さは堪えなくても良い、とは言ってみたけども、素直に従う相手では無いのも知っている。
 詳細は忘れたけど、昨日の夕方のニュースとかで、汗をかかないのはいけない事だ、みたいなのを言っていたような気がするし。
「………。吉田、何?」
 じぃ、と見つめる眼差しに、戸惑いながら佐藤が尋ねる。好きな子に見つめられるというのが結構な威力だと、吉田は知らないのか。
「いや、汗かかないなって。かいてもいいんだぞ?」
 吉田なりの配慮が、とても可愛らしい。少し噴出したの佐藤を見て、吉田は真面目に取り合って貰えていない、と少し腹を立てる。
「汗かかないと、身体に悪いんだからな!みっともない事じゃないんだから、我慢とかするなよ、ホントに」
「特に、必死に堪えてるとかじゃないんだけどな〜」
「でも、かいてないじゃん。俺は汗出てるのに」
 自分を実例にとって、佐藤に苦言する。そんな吉田を見て、佐藤はやおら顔を近づける。そして――
 べろん。
「!!!?!???」
 頬を舌で舐め上げられ、吉田は硬直した。
「ホントだ、しょっぱい」
 しかしそんな事をしでかした佐藤と言えば、至って平然に、まるで料理の味見をしたみたいなコメントをしていた。
「…… ………〜〜〜〜!!! ばっ、ば! なっ、なな、何してっっ!!!」
 しかも此処は、通学路の真っただ中。住宅街で人気は薄いが、決して立ち入り禁止でもないのだ。誰かに見られる可能性は常に潜んでいるのに、こんな行動に出れる佐藤が、吉田には全く信じられない。
「き、き、き、汚いだろ―――!!?」
「頬舐めるのも唇舐めるのも、同じだよ」
「全然同じじゃないぃぃぃ――――――!!!」
 全力で否定する吉田が楽しくて、くすくす笑いながらやり取りを続けていた佐藤だが、不意に吉田が言葉を詰まらせて眦を吊り上げたのを見て、少しやり過ぎたか、と内心で少しの冷や汗を流した。
「なんだよ! さっきからふざけてばっかりで!!」
 案の定というか、吉田は怒りだした。
「だって、佐藤が倒れたら俺の力じゃ運べないんだからな! だから、ちゃんと気を付けて欲しいって言ってるのに!!」
 カッカしながら吉田は言う。その怒りは、佐藤にも勿論だが、佐藤の危機に何の手助けも出来無さそうな自分にも向けられているのだろう。
「〜〜〜、もう、知んない!!!」
 ぷいっと顔を逸らした吉田は、佐藤を置いて大股でずかずかと歩き出す。しかし歩幅の関係で、吉田がいくら足早で去ったとしても、佐藤にあっさり追いつかれてしまうのだ。
「吉田。吉田、ごめんって。ふざけてた訳じゃないってば。ほら、俺、身体丈夫だから、そんな心配されてるなんて思わなくて」
「……………」
「大丈夫。吉田の心配するような事にはならないから」
 喚起の為だろうが、最近ニュースでも日射病や熱中症の危険性を特に謳っている。それで吉田がまず案じたのが、佐藤だったという事だ。これをどうして喜ばずにはいられようか。
「……ああ、でも、吉田に言われて気付けたけど」
「何?」
 佐藤の謝罪を聞いて、怒りは無事鎮まったようだ。ほっと安堵しつつも、簡単に許してしまう辺りが不安でもある。だから山中に襲われる寸前にもなったのだし。
「いや、俺はさ。吉田が倒れたら、抱きあげて運ぶ事が出来るんだなって。
 まあ、今まで気付かなかったって事でも無いけど……改めて思うと、少し嬉しいなって。いや、少しじゃなくて大分だな」
 欠けているものだらけの自分でも、少しは吉田の為になれそうだ。それも、吉田が教えてくれる。
 ふっ、と佐藤が表情を和らげて笑う。対女子用のキラキラした笑顔ではないこの表情が、吉田はとても弱いのだ。
「べっ……別に俺だって、簡単に倒れたりしないし」
「どうかな。身体がちっちゃいから、すぐに熱が溜まるのかも」
「何だと―――!!?」
 再び目を吊り上げる吉田だったが、今度のはじゃれあいの様なものだ。佐藤は諌めるように、頭を撫でる。本当は、抱きしめたい所だけども。
「で、ウチ来る?」
 にっこり、と佐藤が言う。吉田の家は、母親の方針でまだエアコンはつけていない。冷気に飢えている吉田としては、あまりに甘い誘いだ。とはいえ、のこのこと言ってしまうの何だか格好悪い様な。
「来てくれないと、ここで……」
「! わ、解った!!行く!行けば良いんだろッ!!」
 慌てて承諾する吉田に、佐藤も満足そうに頷く。普通に誘えば良いのに、とそれだけでは素直に応じない自分を棚に上げ、吉田は思う。


 あ〜、涼しい、と佐藤の家の玄関に入って、悔しいながらも快適さに目を細める。タイマー設定をしてあるから、帰った時点で十分部屋は冷えている。
 アイスティーを持ってくる、と言って佐藤は自室の前にキッチンへと寄った。冷蔵庫が開閉するような音が、何となく聴こえる。
 ひと足早く佐藤の部屋へと訪れは吉田は、特に何かするでもなくぼうっとしていた。今日は英語の課題は無いのだ。
 おまたせ、と一声かけて佐藤が現れる。両手には手にはアイスティーの入ったグラス。氷が涼やかにグラスの中で光を放っている。
 ダラダラと過ごしていて、ふと時計を見れば夕方に差し掛かる時刻だった。とは言え、外はまだ大分明るい。と、言う事は暑さも以前現在だろうか、とここから家までの距離を思ってげんなりする。
「あ〜、帰りたくない……」
「ふーん、嬉しい事言ってくれるな」
 ぼそり、と呟かれた言葉に、佐藤が何故だか嬉しそうに返事をした。一瞬理解出来なくてきょとんとした吉田だったが、すぐに意味する事が掴めて顔を赤らめる。
「そ、そういう意味で言ってんじゃない!解って言ってんだろ、佐藤!!」
「あー、やっぱり解る?」
 ちっとも悪びれない調子で佐藤が言った。全く、折角涼しい室内なのに、体温を上げないでもらいたい。
「時間、まだ良い?」
「ん? うん、」
 佐藤の問いかけに、何気に吉田が答える。その返事を待ってから、佐藤はそっと吉田に顔を近づけた。キスされる、と思った吉田はすでに目を瞑っていた。もう条件反射に近い。
 すぐ目の前で目を閉じる、無防備な吉田に佐藤はふっ、と笑ってしまう。あるいは、吉田がこの世で最も警戒しなくてはならないのは、この自分なのかもしれないのに。勿論佐藤には吉田を傷つけるつもりなんて毛頭ないが、だからこそそんな結果を招いてしまうかもしれない歪みを抱えている。
 深く、弄るような口付けと、表面を弄ぶような軽いキスをかわるがわる施して吉田を翻弄する。もう降参、と吉田が佐藤の袖を掴むまで、そんな戯れが続いた。
「し……し過ぎ!」
 痺れるような口を拭って、吉田はようやく、それだけ言った。真っ赤な様子がとても可愛らしい。慣れているようで慣れてないが、でもやっぱり慣れて来ている。と、いうか応え方を覚えつつあった。
「いいだろ? だって、外だと汗とか気になって存分に触れないし」
「えっ、汗?」
 そう言って吉田は、半袖から出ている自分の腕を気にする。
「あー、違う違う。吉田のじゃなくて、俺が、自分のを気になってんの。汗でベタついたりしないかな、とか」
「? でも佐藤、汗かいてないじゃん」
 それはもう、年季の入ったプロの女優かと例えたくなる程に。
「さあ。俺、吉田の前だとよく素が出るし」
 本人にとっては不本意のように呟かれた台詞だが、吉田には酷く嬉しい響きに聴こえた。何となくだけども、佐藤が色んなものを抑え込んで居るのは感じ取っているから、せめて自分の前だけでは感情に蓋なんかしないで貰いたいと思う。……まあ、そう思う反面、場所構わずに手を出すのも勘弁だとも思っているが。
「別に、汗とか気にしないよ」
「そう?」
「だって、俺も同じだろうし」
 吉田がそう言うと、佐藤も「それもそうだな」と言って少し笑う。女子に向ける王子様みたいな笑顔では無しに、16歳の大人になりきる前の少年じみたものだ。
 佐藤も結局は、皆と同じ高校生だ。訳の解らない我儘で困らす時もあるし、不貞腐れてへそを曲げたりする。最も、佐藤の場合「普通の高校生」にはとても当て嵌まらないものもまた多いけども。例えば、そう、顔とか。容姿とか。
「だから、汗我慢するなよ。マジでヤバいってよく言ってるし」
「またその話しか」
 なんていうか、折角恋人と2人きりと言うシチュエーションなんだから、そんな家庭の医学的な話題に勤しみたくないというか。ある意味、非常にマイペースな吉田だ。
「俺、佐藤が汗ダラダラでも、別に嫌じゃないし」
 そう言って吉田は、にかっと笑う。太陽みたいな笑顔だ。しかし今の季節のように凶暴な熱を決して与えず、凍えた所を確実に溶かしてくれる温かみだ。
「……そっか」
 と、佐藤が頷く。佐藤が素直に応じてくれたのが嬉しくて、吉田もそう、そう、と何度も頷いて見せる。
「って事は、家の外でもベタベタしてオッケーって事だなv」
 にこにこしていた吉田の表情が、無邪気を装った佐藤のその一言で皹が入る。
「またそういう事!! 外はダメっていつも言ってんだろ!!」
「あれ? ダメなのは校内だけじゃないの?」
「人目があるって時点で、どっちもダメに決まってんだろ―――!!」
 喚く吉田を、佐藤は楽しそうにあしらう。からかわれていると解ってはいるが、それでも吉田は言いたい事を言わずにはいられない性質なのだ。
「大体、校内でも守ってない癖にそんな……わ、ぷ」
 むぎゅ、と唐突に抱きしめられ、吉田の言葉が途切れる。ぎゅう、と力が籠っているが、この抱擁に不思議と息苦しさは無かった。
「これでも頑張って抑えてるんだから。ちょっとしちゃうくらいは許して欲しいな〜」
 何せ果たし状を送りつけて来た恋敵(西田)が居るのだ。彼を見る度に溜まるストレスは、吉田に触れる以外解消はされない。
「………。も〜………」
 言いたい事はある筈なのに、言わずにはいられない筈なのに、それでもこうして抱きしめられてしまうと、言い返すのが億劫になってしまう。それはやっぱり、身体に触れた事で言葉以外のものが感じ取れているからだろうか。何より肝心なのは、自分は佐藤に触れられて決して嫌では無い。
 好きな人と触れ合えるのは、とても嬉しい事だ。
 秋本の事を思い出し、そっと彼に同情して、佐藤の腕の中に居る自分を改めて思った。



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