「カレーピラフに目玉焼きつける?」
「つける!」
 食欲をそそる実に香ばしい匂いを漂わせながら、フライパンの中で出来つつあるカレーピラフに目を奪われながらも、吉田はきちんと返事した。数ある欲の中、食欲が筆頭していような無邪気な吉田の様子に佐藤は微笑みながら、卵を手に取り、片手で器用に割った。綺麗な目玉焼きが出来上がる。
 吉田には出来るまで部屋で待ってろとは言っても、いつもキッチンへとついてくる。辛いものを入れ過ぎない見張りの為だと思うが、自分の傍に居たいからという気持ちが少しでもあればいいな、と思う。
 吉田の用意してくれた皿にピラフを移し、他にサラダも持って部屋で昼食を取る。いただきます!とちゃんと言う吉田に、彼の母親の躾の厳しさを垣間見ながら、佐藤も倣うように言う。
 ぱくん、と一口含んだ吉田は、まるで五臓六腑に染み渡る、というような万感の思いを露わにしていた。
「〜〜〜〜っ、あーっ、美味いッ!!」
「大袈裟だなぁ」
 感無量、といった具合の吉田を見て、佐藤は小さく笑った。味は不味くないにしても、そこまで美味いものではないと作り手の佐藤が一番よく解っている。
 だってさ、と吉田はちょっと表情を顰めて言う。
「この時期だと、父ちゃんのお中元とかで昼とかそうめんばっかりになるんだよな。で、それで文句言うと「だったら自分で作りなさい!」とか怒鳴られるし……
 こっちは食べ盛りの高校生なんだから、もっとボリュームあるの食べたいよ」
 トンカツとかー、唐揚げとかー、と思いままに献立の希望を吉田は口にしている。その間、スプーンの動きも休めていないから、いっそ見事なものだ。
「まあ、せっかくの贈物なんだし、お母さんとしても無駄には出来ないだろ。
 まだピラフあるけど、おかわりするか?」
「えっ、いいの!?」
 わあい!と吉田は歓声を上げる。空になった吉田の皿を受け取り、佐藤はフライパンにある残りのピラフを持ってくるため、席を立った。
(一日に何度も作るのは面倒だし、自分の夕飯の分も含めて多めに作っておいて良かったな)
 吉田の嬉しそうな顔を思い出し、フライパンを手にした佐藤は、またそっと笑ったのだった。


 おかわり分もすっかり平らげ、再びキッチンに2人で並んで今度は後片付けである。
 佐藤が洗うものを、吉田が拭いていく。
 吉田はそうめんに懲りていたのか、カレーピラフが純粋に美味しかったのか。まあ両方ともあったのだろうが、酷く機嫌が良かった。鼻歌でも歌いだしそうだ。いや、歌っている?洗う水音にかき消されて、佐藤の耳にまではよく聴こえない。
 試しにと捻って止めてみると、吉田はやっぱり口ずさんで居た。何かのCMで流れていた曲なのだろう。メロディー部分が繰り返されている。
 可愛いやつ。佐藤はにこにこしてそんな吉田を眺める。吉田が前のようにモテていないのが本当に不思議だけど、佐藤にしてみれば幸運でしかなかった。今は吉田と付き合っているという事実があるから、西田だろうと決して引かないけど、そうでなかったら果たして張り合える所までいけているかどうか。実を言うと、今でも吉田に自分以外の好きな人が出来たらと思うと、逃げるように消えたくなる。
 それでも、吉田はこんな自分を嫌じゃない、と言ってくれるから。
「…………」
「ん?何…… ………………」
 相変わらず恋人の付き合いというものに、解っていないと言うか鈍感な吉田だけども、キスしたいという意思は感じ取れるものらしい。佐藤の顔を見て、はっと息を飲む。そして、赤くなる。
 頬が紅潮するのを確認するようにしてから、佐藤はそっと顔を近寄せて――
「わっ、わっ!ちょ、ダメ!今はダメッ!!」
 わたわたと吉田は、今拭いていた皿を顔の前に掲げ、ガードする。はっきりとした拒否の姿勢に、校内でもないのに断られるとは思っていなかった佐藤は、不満そうに唇を尖らせる。
 佐藤が不服そうな態度をしているのは、吉田にも見て解る程解り易い。だからー!と顔を赤くしたまま言う。
「カレーピラフとか、食べた直後だろ!そんなんでキス出来るかッ!」
 しかも唇同士を軽く触れる程度ならまだ(あくまで”まだ”)許せるが、佐藤の場合決してその範疇では無いのだし。
「……………」
「……………」
 佐藤は手にスポンジを持ったまま、吉田は皿を掲げたまま、しばし無言のにらみ合いをした。先に動いたのは佐藤の方で、スポンジを置き、手を拭いた後吉田の方に足を進める。
 強引にやるつもりか!と身体を強張らせた吉田の横をすり抜け、佐藤は冷蔵庫を開けた。
 何故冷蔵庫を、ときょとんとする吉田の前、コップに注がれた白い液体がぬっと無遠慮な程に差し出された。
「飲むヨーグルト」
 ぶっきら棒と呼べるくらい素っ気なく言い放った佐藤の台詞は、この液体の正体だろう。口の匂いが気になるなら、これで無くなるだろ、とばかりに突きつける。
「…………」
 受け取らければ、無理やり飲まされるだろうと確信に似た予想を持った吉田は、素直にグラスを受け取る。吉田に渡した後、佐藤も自分の分のヨーグルトを注ぎ、早速飲み下していた。ごくごく、と喉仏まで形良い喉が動く。
 これを飲んだら、キスOKって事なんだよなぁ、と吉田は手渡されたコップを見つめる。
 そんなに今すぐしたいのかな。飲み終わってグラスを置く佐藤を見て、吉田はひっそり胸中で呟く。
 まあ、出来ると思ったのを断られて、ちょっとムキになっているというのもあるのだろう。現在佐藤の眉間に皹が出来ているのは、不機嫌というよりただ単に拗ねているのだ。そして、そんな自分を、ちょっと恥かしく思っているのだろう。
 何だかんだでまだ高校生なんだから、これくらいの我儘して可笑しくないと思うけどな。そう思いながら、吉田もヨーグルトを口に含む。飲む様子を佐藤にじぃ、と見つめられ、何だか居た堪れないけど。それでも、吉田がグラスに口をつけたとき、何だか嬉しそうな表情を取った佐藤を可愛く思う。
 若干口の中を漱ぐようにして、吉田がこくん、とヨーグルトを飲み下す。
「良い?」
 確認とは思えないような声と表情で吉田に佐藤は詰め寄った。
「う、うん」
 返事が終わってすぐに唇を合わせる。あまりに早急だが、それでも返事だけはちゃんと待った佐藤だ。
 相変わらず、佐藤のキスは凄かった。口と口を合わせる所の騒ぎじゃない。これだから吉田は、キスという単語だけで紅潮してしまう。
 佐藤のするキスは、とても高校生のするものとは思えないくらいだ。高校生である吉田が思う事だから、ある意味確かだろう。最もしているのも高校生なのだが。
 どこで覚えたんだこんなの、と思うと胸の奥がチリチリする。キスの技術は、一人で体得出来ないから。
 それでも、長く深く続く口付けに、そんな些細な嫉妬もかき消えて行く。最近慣れたと思ったけども、本気を出した佐藤にはまだ足元にも及ばないみたいだ。
 やっと離された時は、足の裏から膝までが痺れているような感覚があった。酷く心許ない。
 けれど不安定な足元は、上半身でがっしり佐藤に抱きしめられているから転倒の不安は微塵もなかった。佐藤も、吉田の状態を解ってこんな抱擁をしているのだろう。
 ある程度、足がしっかりした所で腕からも吉田は佐藤から解放される。
「……部屋で待ってる?」
 洗い物を再開し、佐藤が言う。待ってろ、と言わない辺り、普段は押し隠されている佐藤の弱さが見えた。
「んー、大丈夫」
 どうせ、後少しだから、と吉田も作業を開始した。
「……吉田が気にし過ぎか、それとも俺が気にし無さ過ぎなのかな」
 蛇口を捻りながら、佐藤が独り言のように言う。その顔がちょっと赤い。
 好きな人の前では、全てを完璧にこなし、格好良くスマートでありたい。そんな気持ちは、吉田にも良く解る。それが出来なかった時の、気恥しさも。
「両方だと思うよ」
 吉田はあえてあっけらかんと言い放つ。
 その言い方が良かったか、佐藤もようやっと表情を和らげて笑った。吉田も、つられるように笑う。
 きっと、どっちもどっちなのだろう。
 キスをする時。場所や状況が気になってしかたないのは、決して嫌だからでは無く、むしろその逆なのだから。



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