いつぞや、村上から貰ったチョコレートは美味しかったなぁ、なんて事をその日の吉田は思い返していた。村上のくれのは所謂「生チョコ」というヤツで、生クリームたっぷりのガナッシュは口に入れるとすぐに溶ける。その心地よさと言ったら。
「吉田、チョコ食べる?」
 佐藤からそんな事を言われたのが、そうやってチョコレートの事を思い浮かべていた時の事だった。さしもの佐藤も頭の中をそっくり覗く事なんて無理(だと思う)から、たまたまタイミングが重なっただけなのだろう。何やらそれがちょっと嬉しい様な、そう思うのが少し恥ずかしい様な。場所が佐藤の自室だと、吉田はそんな自分の気持ちにちょっとは素直になれて、ちょっとは肯定的になる。
 そんな風にもじもじし始めた吉田を少し怪訝そうに見て、佐藤はもう一度「吉田?」と名前を呼んでみた。それで吉田も我に返る。
「えっ!あ、あー、食べる!もちろん!……あっ、でも、ヘンなのは食わないからな!!」
 チョコレートが好きで辛い物が嫌いという吉田を罠にはめる為、佐藤はワサビやらハバネロの入った激辛チョコなるものを差し出して来るのだ。まったく油断ならない。と、いうかどこで売っているのか。まさか佐藤の手作りなのか?
「今日のは普通のだよ」
「……今日のは、って……」
 激辛チョコの件を認めつつも悪びれない佐藤に、吉田はなんだか脱力してしまう。
 こんな酷い仕打ちなのに、なんだかんだで許してしまうのは、自分を憎んだり嫌ったりして佐藤がそんな悪戯をしているのではない、と理解出来ているからだろう。何せ佐藤は、告白時にていじめっこ気質まで打明けてみせるドSなのだから。
 しかし佐藤はドSでも、その対象は限られているというか、自分以外だとたまに秋本が毒舌吐かれるくらいというか。山中と西田に関しては、排除の為にしている作業という感じで、ドSの嗜好からくるものでもないような。まあ吉田もその道のプロ(?)というものでもないから、本当の「ドSとは何ぞや」と考えた所で埒が明かないし、そもそも突き詰めて考えたい事でも無いし。
 なんて事を思っていたら、佐藤はチョコレートを取り出していた。
 佐藤から差し出されるチョコレートは、いつも箱に入っていて目に見えて高そうで、手を付けるのをちょっと躊躇ってしまう程だ。でも、とても美味しいのを吉田はすでに知っているから、やっぱり手を出してしまうのだけど。
 どれにしようかな、と仕切られて個別に並ぶチョコレートの中。吉田はまずは表面がでこぼこした感じの、丸いチョコを摘みだす。ぱくん、と口の中に入れると、ミルクチョコレートの甘い味わいが口いっぱいに広がった。
「ん〜v うまい〜vv」
「それは良かった」
 チョコレートより蕩けそうな吉田の顔を見て、佐藤は幸せそうに呟いた。まるでチョコレートに手をつける様子の無い佐藤に「お前も食べろよ」と吉田は勧めてみる。何せ高そうなチョコだし、そもそも佐藤のものであるし。
 俺はいいよ、と退く佐藤に、それでもと吉田は半ば強引に進める。せっかく2人で居るのだから、美味しさを共有したいじゃないか。
 そんな吉田の気持ちが届いたか、佐藤は一番細長い形のチョコレートを取った。長さ的に一口で頬張れる物では無いから、パキン、と半分辺りで噛み切られる。
 相変わらずのもげもげとした顔で咀嚼する佐藤を、吉田はにこにこしながら見つめた。
「それ、どんな味?」
「んー」
 吉田はただ感想が聞ければ良かったのだが、佐藤は言葉で返すよりも半分残っているチョコレートを口に突っ込んだ。ある意味、百聞は一見に如かずといった所だろう。
 佐藤の食べていたチョコレートは、カカオの含有量の多いもので甘さを求める吉田には苦いと感じるものだろう。けれども、佐藤の食べかけという事の方が吉田は気になる。これも間接キスの内なんだろうか。食べてしまったけど。ビターなのに、なんだか甘い。顔が赤くなるくらいに。
 もっと食べて良いよ、と佐藤に言われる間でも無く、吉田はチョコレートを次々頬張っていく。どれもこれもとても美味しい。コンビニで売っている菓子とはレベルが違う。とは言え、コンビニのお菓子も吉田は好きなのだけども。
「……そういや、佐藤って俺にチョコレートよくくれるよな」
 それはもう、こんな美味しいのからとんでもないものまで。
「別のが食べたかったか?」
「いや、そうじゃなくて何となく……別に大した意味がないんならそれでも」
 チョコレートというジャンルは同じでも、その味はかなり違う。飽きたり、他のを要求したりなんて少なくとも今は考えられない話だ。ただ、ランダムに用意をしているというのなら、チョコレートばかりなのはどうしてかな、と思っただけで。
 さっきの村上の話に戻るが、あの時のチョコレートを佐藤の前で美味しそうに食べたから、すっかり自分の好物としてインプットされたのかもしれない。別に間違っては居なのだから、問題は無いが。
「まあ、俺も何が何でもチョコレートじゃなきゃ、って思っている訳でもないけど、でもやっぱりチョコを用意しちゃうのかも」
 佐藤が言う。
「吉田、チョコレート好きそうだし……それに、」
 そこまで言って、佐藤が少し意味ありげに微笑む。意地悪なものではない、深い微笑みに吉田がちょっとドキッとなった。こういう表情や雰囲気を指して「色気」と讃えるのだろうか。自分と同じ年齢のくせに、もう色気があるとは佐藤のヤツめ、と吉田は胸中で唸る。
 オチケンでの部室とは違い、佐藤の私室であるこの場所では隣同士で並んで座る。その間の些細な距離を、佐藤は身体を近づける事でさらに縮めた。それから、続きを言う。
「チョコレートに含まれる成分には、カフェインやポリフェノール、テオブロミンなんかがあって、フェニルエチルアミンっていう物質には脳内にβエンドルフィンを分泌させる働きがある」
 まるで目の前にある教科書を読みあげるように、実際は何も手にして居ない暗記で佐藤はすらすらと日常では聞き慣れない物質名を上げて行く。おそらく吉田に今の台詞と同じ事を言えと言われても無理だな、と吉田本人が思っていた。
「幸福感や陶酔感も齎すこの物質は、恋する気持ちを生み出す「愛の分子」とも呼ばれているんだってさ」
「へぇ〜……って、あ、あい?愛?」
 そんな言葉にいちいち反応してしまう吉田。最も、言ったのが佐藤だからなのだが。
 そのたった一文字にたじろぐように赤くなる吉田を見て、佐藤はふっと表情を和ませる。そして、箱の中のチョコレートを細い指で摘みあげる。それは佐藤のではなく、吉田の口へと運ばれた。
 半ば条件反射のように、口元に寄せられたチョコレートに、吉田は受け入れるように口を開いていた。その中に、そっとチョコレートが押し込まれる。
 チョコを含ませた口に、佐藤はそっと唇を寄せる。
「!」
 そのまま、口内への侵入も覚悟した吉田だが、そのキスは唇を合わせただけで終わりを告げる。思わず瞑ってしまった目を開けると、そこには佐藤の微笑が待ち受けていた。思いっきり目の前で見てしまい、吉田は真っ赤になって止まってしまう。
 咀嚼されないままでも、口の中のチョコは口内の熱で溶け、ゆっくり胃の中へ落ちて行く。愛の分子を含んだその食べ物が。
「ねえ、吉田。もっと俺に恋してよ」
 そう言った佐藤を見て、吉田はこれからも、佐藤からチョコを貰うのだろう、と何となく思ったのだった。



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