居間に居る両親を振り返り、吉田はドアに手を掛ける。
「……じゃ、俺もう寝るから」
 なんて言ったが、普段の就寝を思えば大分早い時間に部屋に向かうのに、果たしてこのイチャイチャ状態の両親は気付いているのかどうか。
 高校生にもなる息子が居るというのに、初日の新婚夫婦みたいな空気を撒き散らす母親と父親を尻目に、吉田はそっとピンク色で染まった居間を後にした。
 学校というものに上がるまでは、夫婦というのはあんなものだとずっと思っていたので、実はそうじゃないと知った時のカルチャーショックは大きかった。とは言え、仲が悪いよりかはずっといい。……筈だ。………多分。……………きっと。
 母親の顔を見る分には、疑うまでもなく確かに自分の親なのだが、あんな場面を見ると疑問がちらつく。あれは自分の親か、と。
 吉田は、あんな風にイチャイチャベタベタするのなんて、とても出来ない。恋人という存在が居るからこそ、余計にそう思う。
 しかし自分の両親は、父親の仕事の都合で一週間の半分も顔が見れないというのは多々ある。会えない時間が愛を育てるだとか、そんな歌詞みたいな説もあるらしいが、だとしたら自分の親はそれがそのまま当て嵌まる。あの過剰ともいえるスキンシップは、会えなかった時間を補う為の行為なのだろうか。
 それなら、自分も、佐藤と暫く会えない日が続いたら。その後で顔を合わせたのなら。
 居間で両親が現在進行中だろう、濃密なスキンシップをしたくなるのだろうか。
(………いやいやいや、それは無い、それは無い……佐藤だってそんなの絶対引くだろうし、いや引かなければするとかいう事でもないけど……)
 自分だけの部屋で、ぷるぷると首を振って否定する吉田。
 適当に漫画等を読んだ後、時間も時間になって来たので、今度こそ本当に寝る事にする。
 それに多分、毎日顔を合わせたとして、あの両親はずっとあのままだろう。そんな事を思いつつ。


 そして次の日。
 吉田が学校に来てみれば、そこには当然佐藤の姿が居て――と言いたい所だが、今日はまだだった。その事実に、吉田は少し首を捻る。
 学校に、吉田が先に着く事もあるし、佐藤の方が早い時もある。それでも、この時間なら絶対居るというラインがあり、今の時刻は佐藤のそのラインを超えていた。
 佐藤は?と先に来ていたクラスメイト(勿論男子)にそれとなく訊いてみたが、はやりまだ佐藤は来ていないようだ。まあ、よく考えれば女子の態度で佐藤が来ているのかなんてすぐに解る事だ。そんな事にも頭が回らなかった。
 いつぞやのように、誰かに何処かに呼ばれている、という訳でも無さそうだ。
 病欠というのなら、その旨のメールが届きそうなものだし。
 あるいは、メールを打つのも億劫なくらい具合が悪いとか。
 何だか、想像が悪い方ばかりに向かって居るのを感じた吉田は、軽く頭を振ってそれらを払拭した。佐藤だって、所詮は一介の高校生なのだ。寝坊くらい、するだろうし。
 何も大したことは無い、と吉田はそう決め込んだ。


 結果として、佐藤は来た。割とぎりぎりな時間で、遅刻では無い、というくらいに。
 吉田がそうであったように、女子達もまたいつになく遅い登校の佐藤が気になっていた。それらに佐藤は「ちょっと野暮用で」という台詞と共に柔らかい笑みを付け、時間に余裕がないのを利用して席に着く様に促す。いつのように上手に女子達をあしらった佐藤は、通り縋り、敢えて吉田の席の近くを通るコースを選ぶ。
「吉田、おはよう」
 佐藤は、吉田にだけは名指しで朝の挨拶をする。他とは違う特別に、吉田もちょっとドキっとしたけど、遅れた理由が定かではない事の方が気になって、挨拶をし返し損ねた。
 まあ、こうしてひょっこり現れた所を見ると、やっぱり別に大した事でもなかったんだろう。
 敢えて聴くまでも無い、と思っていた吉田は、日直の礼、という号令に合わせて頭を下げるタイミングが、やや遅れた。


 朝、顔を合わせる回数が少なかった埋め合わせをしようと、今日の佐藤の周りには普段よりももっと女子が集まっているように見えた。そんな中で、佐藤と吉田がゆっくり話せるようになったのは昼休みの事だ。最も、この時間をゆっくり過ごす為に、それまでの時間を女子と付き合っていたという見方が正しいだろう。だから、吉田も女子に愛想よく笑う佐藤に怒ったりはしない。しないったらしない(←マインドコントロール中)
 がふがふと八つ当たりの様にオニギリを貪っている吉田に微笑を浮かべつつ、佐藤が口を開く。
「今朝、いきなり姉ちゃんに言わされてさ。光熱費とかの支払い、やっておいてって」
「………。へえ」
 と、何だか吉田は気の無い様な返事になってしまった。ただ、吉田にはそういった手続きをした事が無いから、それを当たり前の雑事のようにこなす佐藤が、ちょっと大人に見えたのだ。
 姉と2人暮らしというのは、どんな感じなんだろう。いかんせん、姉の居ない吉田には想像もつかない事だった。
「朝、昼食買うついでにコンビニで払っておこうと思ったんだけど、レジがちょっとトラブってさ。それが無かったら、いつも通りに着いていたんだけど」
 そんな事があったのか。人知れずちょっと大変だったんだな、と吉田は相槌を打ちながら、しっかりオニギリを食べて行く。
「とりあえず、間に合いそうだったからそのまま来たんだけど――吉田には、メールでもしておけばよかったな」
「えっ?い、いや、別にそんな」
「だって、朝から凄い気にしていたみたいだったし」
 うろたえる吉田に、佐藤は言いきる。
「そ、そりゃあ、ちょっとは気になったけど……」
「ちょっと?」
「……そ、それなりに……」
 ごにょごにょと言い直す吉田が可愛い。もう少し苛めても良かったけど、今日はこの辺りで止めておこう、と佐藤は思った。この先、組み立てたい予定があるからだ。
「吉田。放課後、ウチ寄ってく?」
「ん? 次の英語、課題出るのかな」
 昼食後の授業は、吉田の天敵である英語だ。呟いた後、ちょっと憂鬱な顔になる。
「課題が出なくても、寄っていけよ。今日は学校でゆっくり話とか出来なかったし」
 この先の休み時間も、おそらく女子に取られるのだろう。さっきまでの愛想良い佐藤を思って、吉田の眉間が知らずに寄る。普通にしていてもモテるのだから、それに拍車をかけなくてもいいのに。
 佐藤は山中と違って、人気を集めようとして愛想を振りまいている訳ではないから、妬くべき事では無いとは思う。多少、気に食わないけども。
「で、寄ってく?いいよな?」
 食い下がって来る佐藤だけども、しつこく無いと感じるのは吉田がすでに行くつもりだからだろう。佐藤も、そこを解ってこんなに言い募っているのかもしれない。
「うん、行こうかな」
 吉田がようやっと承諾の台詞を言うと、佐藤の顔がぱっと輝く。女子に向けるのとは質の違う笑みに、吉田はちょっと顔を赤らめた。佐藤は、こんな笑顔はおそらく無意識でしているらしい。
 にこにことした笑みのまま、佐藤が言う。
「よし。これで放課後誘われても、吉田と予定があるからって断れるなv」
「へ?……ちょ、何それ!何だそれ――――!!?」
 食べかけのオニギリを持ったまま、吉田が立ちあがる。
「いいだろ、ホントの事なんだし」
「そうだけど!!!だからってわざわざ言うなよ!!」 
 吉田が女子から恨まれる一番の要因と言えば、佐藤との予定を入れている事だ。嘘でも酷いけど、真実であっても性質が悪い。
「っていうか、すでにそうやって何人か断ってるし」
「何だって―――!!どうりで何か視線が痛いと思ってた!!!」
「まあ、諦めろ」
「何を!!?っていうかどの辺を!!?」
 もういっそ、佐藤の家に行くという約束を反故してやろうかと思った吉田だが、一度言ってしまった以上、覆すのは佐藤が許さないだろうし。それに、こんな目に遭っても吉田の意思は変わらなかった。
 今更と言えば今更だし、部屋で佐藤と寛ぎたい。他愛ない事を話して、ちょっとはキスでもするのだろう。
 いつになく、素直にそう思えるのは、今朝中々現れなかった佐藤の事があったからかな、と両親の血を自覚して、吉田はこれから気を引き締めて行く事を密かに誓うのだった。



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