*若干とら吉色強めですよ〜

 虎之介は、大学進学の際、寮へと入る事にした。
 量というのはつまり、同じ大学に通う生徒が集まっていると言う訳で。
「――お前と一緒なの見られたら困るってんだろ!!」
「そんな〜!俺、もっと、とらちんと<バキャッ!>イタイ!!」
 山中の台詞半ばで虎之介が近づける一方の顔を殴って退散させた為、最後の「イタイ」が「痛い」なのか「居たい」だったのか、地味に不明だ。
 一応、山中も同じ大学なのだが、こっちは自宅通いである。虎之介も、自宅から通える範囲ではあったが、早く自立したいからと早々に寮入りを決め、山中はどうせ男ばっかだからヤだ、という理由であっさり自宅通学を選んだ。そしてさらに、山中には「とらちんの部屋に転がり込めばいいや」という打算もあったのだが、それは先述した事情で虎之介からの猛抵抗をされていた。未だに入れた試しがない。
「……じゃあ、もうちょっとここに居よ」
 それならいいよね?と山中の方が背丈が高いというのに、覗きこむような姿勢を取り、上目づかいを演出した。虎之介が、こういうのに弱いと解っているが、この行動は無意識だった。だから虎之介もドキッとしてしまう。
「……仕方ねーな」
 そう言って、ベンチに腰掛ける。ここは公園。しかし夕暮れも終わってむしろ夜寄りの時間では、子供の声は欠片もしない。最も、だからこそここに立ち寄った訳だが。いたいけな子供にとって虎之介の強面はいっそ凶器だ。
 とはいえ、やはり場所の選択を間違えたかもしれない。夜の公園なんて、あるいは放課後の保健室並にフラグの立った場所なのでは。
「や、やっぱ帰ろ……」
「とらちん」
 立ちあがろうとする虎之介の動きを、封じるように山中が言った。怒鳴った訳じゃないとても静かな声なのに、何故かその声に虎之介は縛られて身動きが取れなくなってしまった。
「ねえ、とらちん……」
「………!!」
 耳元で囁かれる。全身の産毛が逆立ったような感覚だ。そっと握られた手が、何だか妖しい手つきで撫でて来て――
 そして――
 ♪〜♪〜♪〜♪〜
 微妙に熱っぽくなった2人の雰囲気には、およそ相応しくない軽快なメロディーがその場に響き渡る。虎之介の携帯の着信音だった。
 クソッ!空気読めよな!と不可能な事で山中は電話をかけてきた相手に悪態付く。
 虎之介は、さっきまでの感覚をすっかり忘れたように、電話に出ようとした。
「いいじゃん。後から出直せば……」
「ダメだ。ヨシヨシからだから」
 猫のように身体を摺り寄せて甘える山中を、素っ気ない言葉でぴしゃりと一括する。そこには一切の隙も無かった。
 山中は改めて内心舌打ちをした。電話の相手が吉田なのは、音楽が流れた時点で解った事だ。何せ、自分の前で「ヨシヨシの着信、どれがいい?」「えーっとねぇ」と実に仲睦まじく決め合いっこしていたのだから。
 その時は佐藤も同席していて、そこからの負――というか嫉妬のオーラにビクビクして、自分は妬くどころではなかったのだけども。
 虎之介はジェスチャーで「そこで座っていろよ」と山中に促し、自分は立ちあがって多少離れた所で電話に出る。
「よう、ヨシヨシ。どうした?」
『んーっと、今度の土日って暇?』
「ああ。どっか行くか?」
『っていうか、ウチ来ない?佐藤が実家に帰っちゃってさー。一人で部屋使うと電気代とか勿体ない気がしてさ』
「佐藤が実家って……何かあったのか?」
 佐藤と吉田のお付き合いに関し、虎之介は何だか納得しても腑に落ちないという感じだった。だから、佐藤の行動がかなり気になってしまう。別れるのは良いとしても、ヨシヨシ傷つけたら死んでも許さねぇぞ!!みたいな感じで。
『いや、高校の時もちらほら帰ってたし。多分それと同じだよ』
 多分、という言葉が出る辺り、吉田ははっきりした理由を聞かされてないのではないか。虎之介は思った。
 吉田の良い所は、話したくないのを無理に引き出さない所だ。だから、虎之介も吉田の前で素になれるのだろう。
 しかし佐藤は恋人で、しかも生活を共にしている。その辺りははっきり明かしておくのが筋ってもんじゃないのか。ヨシヨシの人の良さにつけこんで自分勝手な事してんじゃねーだろうなあのヤロウ、と思う虎之介の顔はいよいよ壮絶になっている。つくづく、誰も居ない公園で良かった。
『で、来る?』
 その吉田の声に、虎之介が我に帰る。そういえば、返事をして居なかった。
「おう、行くぜ。なんなら、食料買って行ってやるよ」
『えっ、いいの?』
「ああ。ガスとか使わさせて貰う身だしな」
 そう言うと、「そこまで気にしなくて良かったのに」と吉田は電話の向こうで笑っている。
 そう言えば、吉田は今、どこからこの電話をかけているのだろうか。隣に佐藤は居るのだろうか。
 訊いていいのかどうか、虎之介が何と無く悩んで居ると、その背中にどーん!と重みと衝撃が伸しかかる。
「ねえ!もしかして、吉田の家に泊まるとか!?でもって、佐藤も居ない!!?」
「お前……」
 耳がいいな、とそう思う場面では無いのだろうが、粗方はきとんと聞きとっていた山中に、呆れを越して感心してしまった。
「ねえ!それ、俺も行きたい!とらちんと一緒に居ーたーい――!!」
「あ――ッ!うっせーよお前は!今電話してんだよ!!」
『……山中……まあ、来たいなら来てもいいけど』
 吉田にまで、この小競り合いは届いてしまったようだ。虎之介は羞恥で赤面する。
 この吉田からの許しも、山中はちゃんと聞きとっていた。目敏い……ではなく、耳敏いというのだろうか。この場合。
『でも。来るなら飯の材料お前持ちだからな』
「なっ!!えー!なんでなんで!!」
『どうせいつもとらちんに奢って貰ってばっかりなんだろ!こんな時くらい、払ってみせろ!!』
「ええー。だからって、何でお前にまで。そんなら、今度とらちんに奢るから、それで」
『ダメだ!そう言って、実行した試しがないくせにッ!!』
「……あー、ヨシヨシ。俺と割り勘で……」
『とらちんは山中甘やかさないでッ!!!』
「………おぅ」
 こういう時の吉田は何とも迫力あるなぁ、と虎之介は惚れぼれするのだった。
 佐藤も、吉田のこんな所が好きなんだろうか。
 そうだとしたら、共感できて、そしてやっぱり認めがたい。


 そして、土曜日。
 吉田の言いつけ通り、山中が食材を購入して、吉田――と、佐藤の住む部屋へと訪れた。
 買い物をする時、吉田は同席していなかったが、山中はきっちり自分で金を出した。ちょっと虎之介は見返したけども、吉田の後ろに控える佐藤が怖いからという、なんとも情けない事情からの行動だ。勝手なライバル意識で吉田を襲った一件は、今の所虎之介には伏せてある。……今の所は、だが。
 食事は、メインは豚しゃぶで、後は適当に炒めたものを大皿で出した。いかにも男子ばかりの食事会である。
 そして、食材調達係の山中は、食材以外のものも持ち込んで居た。
「ぃよーっし!飲もうぜ飲もうぜ!!」
 そう言って、山中は嬉々として缶ビールをテーブルに出して来た。糖質0%のノンアルコールではなく、きっちりアルコールが入っている。
「これ、どうした?」
 例え今年の誕生日を迎えていても、酒を買うにはあと1年足りない。
 まあ色々、とへらりとした顔で言った山中に吉田は思った。きっと、年上のお姉さんから貰ったのだろう。ここでの「お姉さん」とは、勿論血縁関係上の立場にあるものではない。
 山中には、作戦があった。吉田をさっさと酔わせ、部屋に引っ込みさせて、事実上虎之介と2人きりになるのだ!
 場所が吉田(と佐藤)の家というのが多少難ありだが、このさい贅沢は言ってられない。
「ほれほれ、いいからさ!」
 そう言って、山中はいかにも気前良さそうな顔で吉田に缶ビールを手渡す。そして、「乾杯!」と朗々に叫ぶ。
 やたらテンションの高い山中に、多少胡散臭さを感じたものの、吉田は勧められるままにビールを飲んだ。


 それから、数十分が過ぎた頃。
 床の上に、無様に酔い潰れて寝込んだ者の姿が。それは吉田――ではなく、山中だった。
「自分で酒持って来て、一番最初に潰れるかよ……」
 馬鹿だな、と口に出すのもおっくうになった虎之介だった。でも言いたい。馬鹿だな。
「悪ぃな、ヨシヨシ」
 虎之介は、苦笑しながら吉田に言った。感謝の意味を込めて。
 酔い潰れた山中を見て、このまま泊まって行けばいい、と提案したのは吉田の方からだ。
「いいって。部屋もあるし、それにどっちかと言えば泊まって行って貰いたかったし。
 なんか、やたら時間を持て余しちゃってさー。とらちん達が来る前も」
 あはは、と笑う吉田だが、何処となく寂しそうにも見える。食事中は山中とやいのやいのと賑やか敷く言い合っていたけども、無理をしてとまではいかないが、意識的に気を持ちあげようとしているようだった。酒に手を付けたのも、その辺りが要因だろうか。
 やはり、佐藤が居なくて、吉田は寂しいのだろう。そしてそれは、虎之介や山中が来た所で、早々に埋まる訳も無い。
 でも、それでいいと虎之介は思う。虎之介に佐藤の代わりが出来ない様に、虎之介の代わりも佐藤には出来ないという事だからだ。
 吉田の、今のこんな顔を見たら、佐藤も簡単に何処かへ行ったりはしないだろう。
 しかし、佐藤の居ない時の吉田の様子なんて、決して見れない顔なのだ。
 そう、佐藤にだけは。


 その後、片付けも終えてまだ残っていた酒を味見するように飲んだ。よく考えたら虎之介はこれが初飲酒だ。身体がカッカするけども、他はどうってこともない。山中の様に潰れ無くて、何よりだと思った。
 山中の現状の原因は、ジュースを飲む時と大差ないペースで飲んで来た事だろう。虎之介は、それなりに注意していたのだった。
 そして吉田は、山中と似たり寄ったりなペース配分だったけども、今もきちんと起きているし、食器の後片付けまでこなした。これは普通に、吉田は酒に強いと思って良いのだろうか。まあ、少なくとも山中よりは強い。
「俺の親、どっちも酒に強いから、そのせいかな?」
 と、吉田は自分を自己分析した。
「じゃ、酔ったりしねえのかな」
「いやー、飲めばそれなりに酔いが出ると思うよ」
 ま、これほどじゃないけど、と山中を視線で指して言う吉田だった。
 ぷしゅ、とまた吉田が新しい缶を開ける。こくんこくん、とそれまでよりは、ややゆっくりめな速度で吉田は飲んで行く。
 その頬が、朱が入っているのに虎之介は気付いた。やっぱり、飲めば酔うのだろう。ただ、そこに至るまでの酒量が多いのだ。
 くぃっと最後の一本だったそれを空けて、吉田はふぅ、と一息ついた。何だか、吐いたその息が虎之介は気になった。
「…………」
 吉田は、テーブルの何も無い所をじぃ、と見ている。どうしたのだろう。
「……とらちんは、さ」
 相談したい事でもあるのかと、虎之介が促す前に吉田が口を開く。何だか、目はぼんやりとしていて、夢を見ている様ですらある。
「とらちんは――」
 吉田は言う。
「山中と週にどれくらいエッチしてる?」
 ……
 ……
 ……………
「……へっ、はっ!?なぁぁ!!!!??」
 何か、何だか今、凄くもの凄ーくとんでもない内容が吉田の口から出た様な気がする!いや多分出た!!!
 顔を真っ赤にして激しく狼狽するすぐ横の虎之介が、まるで目に入っていないように吉田はさらに呟いた。
「俺はー……まあ、ちゃんとしたのはあんまりって感じだけど……」
 ちゃんとしたの!?ちゃんとしたのって何だよヨシヨシ!!!!と硬直した身体とは裏腹に、胸中は粗ぶっている。
「でもさー、触りっことかは殆ど毎晩だったから」
 触りっこだとぅ――――!!!?
「だからなんていうか……一人でしてもなーんか、もやもやしちゃってさ……スッキリしないっていうか」
 そこまで言って、吉田はゆるゆると顔を上げて虎之介の方を見た。
 程なく酒の入った吉田は、頬が赤くて目はぼんやりとしている。うっすら、潤んで居るのかもしれない。
(っていうか、どういう状況なんだよこれは……!!)
 虎之介は混乱して来た。
 今日と明日は佐藤が居なくて、だから遊びにおいでと吉田に誘われて……誘われて?
(ま、まま、ままま、まさか誘うのってこういう意味での………???)
 吉田は一人ではスッキリしないと言っていて……と、言う事は……
(ど、どうする、俺!!)
 →頂く
 →思い直させる
 →寝たふり
(って選択肢作ってる場合じゃねぇし!)
 アホかぁ!と自分を叱責する虎之介だった。大分追いつめられている。
「とらちん……」
 ぽつん、と吉田の呼ぶ声。
 ぼんやりとした顔のまま、吉田の口が薄く開く。そして――
 ふわぁ〜あ、と大きな欠伸を一つ。
「……………」
「俺、もう眠い。ごめんだけど、もう寝るね〜」
 ごしごしと瞼を摩りながら、てこてこと自分の寝室らしき部屋へと入って行った。ぱたん。一人になった(寝ている山中はノーカウント)室内で、そんな些細な音がとても響く。
 そして虎之介は。
「………………… 
 …………………………
 ………………………………………」
 穴があったら入りたかったが、穴が無いので入れなかった。


 この盛大かつ派手は虎之介の思い違いは、彼の中でのみ成された事ではあるものの、うっかり吉田に悟られたらそれこそもう2度と顔が見れない。
 しかし、翌朝、吉田には酔った自覚はあったがその間の詳細な記憶までは留めていなかった。「昨日、眠くなってもうグダグダだっただろー?」と吉田は覚えていないがきっと晒した醜態を笑って見せた。何よりである。本当になによりである。
 ちなみに、見事に撃沈した山中だが、これも朝は普通に目を覚ましていて。
 結局一番酒を飲んで居なかった虎之介が、一番目覚めが悪かったと言う。



<END>