佐藤は思う。何故、このナンはここまで大きいのか。これでは、とても一人分のカレーでは賄い切れない。
 これはカレーをお代りしろという暗なる強制なのか、はたまた素直にお持ち帰り分を込めたサービスと受け取ればいいのか……実際、頼んだ料理が来ると同時に、残ったナンを持ち変える為の透明の袋がもれなくついてくる。
「あっ、もー、また皺が寄ってる!」
 向かに坐っている吉田が、いつものように自らの眉間を指して、苦笑ながらも愉快そうに言う。佐藤はバツが悪そうに言い返した。
「……今のは、考え事してたからだよ」
「んー? どんな?」
 自分に協力が出来るなら、と吉田は説明を促すが、思い起こすとあまりにつまらない内容なので、「大した事じゃない」と返しておいた。実際、大した事無かったんだし。
「なー。佐藤のちょっと食べさせて貰っていい?」
「うん、いいよ」
 佐藤が快く自分の皿を差し出すと、吉田が「わあい!」と喜色を上げて喜ぶ。自然と佐藤の顔も綻んだ。こんな時、余程自然な笑みを浮かべている事を、佐藤本人はまだ気付いていない。
 部屋デートの多い2人だが、今日は外出していて昼の食事にはインドカレーの専門店に入った。ランチには2種類のカレーと、サラダ、スープ、ドリンクにデザートも添えられるお得なセットが設けられている。2人はそれを頼んだ。カレーの選択は客が出来るようになっていて、吉田は鶏と羊、佐藤はホウレン草とキーマを頼んだ。1度に4種類の味が楽しめれて、吉田はとても大満足だ。
 しかしながら、佐藤の抱いていた懸念通り、ナンを半分にしてカレーが尽きてしまった。吉田はナンで食べるのが初めてだと言うので、配分を誤ったのかもしれない。カレーお代わりする事を佐藤が提案する前、吉田は豪快に半分残ったナンをかぶり!と被りついた。元が大きいので、半分でも結構な大きさだ。
「おっ、これ、このまま食っても意外に美味いよ」
 食べてみ?と勧められたような気がして、佐藤も一口大に千切り、口に含む。確かに、仄かな甘味が感じられる。おそらくは、バターの甘味だろう。
 美味しい美味しい、と吉田はナンを齧って行く。両手でナンを抱えて、とても可愛いと佐藤は思う。そんな風に可愛いと思うのが、いっそ自分だけなら良かったのに、と思う程。
「何なら、俺のも持って行く?」
 吉田があまりに美味しそうだから、と佐藤は自分の分を差し出した。すでに、袋に入れた状態で。
「えっ、いいの!?」
「そんなに喜ばれるのなら、是非吉田にあげたいよ」
 それに、こうして普通にあげておいて信用させれば、いざという時の悪戯の成功率も高くなるし。
 そんな腹黒い計算には気付かない吉田は、素直に佐藤の分のナンを受け取り、嬉しそうにはしゃいでいた。


 デザートは、マンゴーのソースをかけたアイスクリームだった。これまた、吉田は佐藤から貰ってしまった。
 自分の分のナンを食べつくした吉田の手にあるのは、佐藤の分のナンである。
「いや〜、美味かったな〜vv」
 初めてナンというものを食べたテンションもあってか、吉田はとてもご機嫌だった。吉田が嬉しそうで、佐藤も何よりだ。
「でも、吉田って辛いのも食べれるんじゃん」
 普段からギャーギャー言っている割には、と佐藤は言う。それには、吉田も顔を顰めて。
「普通の範囲まだならいいよ。でも、5倍とか10倍とか、馬鹿な辛さは嫌いって話!」
 美味いとか不味いの前に、口の中が痛くなるんだよな、と吉田はぼやくように言う。確かに辛さというやつは、味ではなくて痛覚なのだから吉田の言い分は合っている。
 それに今日言った所は、ココナツが入っていて大分辛さがマイルドに仕上がっていた。しかし大抵のカレー屋がそうであるように、辛さを注文に応じてあげる事も出来たが、勿論そんなものは吉田は完全スルーである。佐藤はそのままの状態より、ちょっと辛さを足して貰った。ちなみに目安として標準の大人用だそうだ。佐藤の頼んだ辛さは。
「最後のアイスも美味かったな……って、俺が全部食っちゃったんだっけ」
 ごめん、と譲ったのは佐藤の方なのだから、する必要のない謝罪だ。吉田のこんな所が、佐藤は可愛くて仕方ない。思わず、苛めたくなってしまう程に。
「口の端、ソースがついてる」
「えっ、嘘!!」
「うん、うそーvv」
「……………」
 明るく朗らかに佐藤が言うと、吉田が下から睨みつける。佐藤は飄々とした笑みで、その視線をやり過ごした。
「まあ、でも、美味しかったよな。さっきの」
 佐藤が言う。そういう台詞が出る所を見ると、やっぱりあの表情は単なる癖なのだな、と思う。自分が見れない分、難ある癖だ。
 癖って直るのかな、と吉田はつらつらと考えてみる。箸の持ち方だって訓練次第で正しく持てるようになるのだし。
 まあ、でも、あのもげもげとした表情が見るに堪えない、といった具合でも無い。こちらからは強要しないけども、向こうが改善したいというのなら、それは惜しみなく努力するつもりだ。
「ところで、これからどうするんだ?」
 佐藤が不意に、吉田に尋ねて来た。吉田は、適当にブラブラ、と言おうとして手に持っている物に気付く。透明の袋に入った持ち帰りのナンを手にしたまま、どこかをブラブラなんてうろつける訳が無かった。吉田は財布と携帯をポケットに入れただけの出で立ちなので、入れる袋も無い。佐藤も然り。手ぶらの状態である。
 こうなったら、もう行き先と言えば消去法のように1つ。いや、確かに行きたい場所でもあるのだけど。
「じゃあ……佐藤の部屋、行っていいかな」
 もちろん、と佐藤が言う。すぐに頷いた佐藤に思い出すのは、彼の片付いた部屋で、きっと普段から整然としているからこんな突然でも慌てないんだろうな、と吉田は思う。自分だったら一瞬返事に困り、迷った挙句に承諾して玄関先で5分くらい待たせそうだ。部屋の片づけの為に。
 これが虎之介や、牧村等の友達ならそのまま上がらせているのだろうが、何せ佐藤はただの友達では無かったのだった。ついで言えば、世間一般の恋人としてもズレているかもしれないが。同性とか、そんなものを抜かしても。
 きっと自分にとって、自分の中の佐藤に代わる人なんていない。それは全ての人に当てはまるだろうけど、佐藤は多分、類似すら許さないと思う。
「なんか菓子でも買って行こうかな」
 目には行ったコンビニに、吉田が言う。
「一応、クッキーくらいならあるけど」
「あっ、じゃあ、それ食べたい!」
 実際には飛び跳ねていないが、まるでそうているようにはしゃぐ吉田。
 これは、一刻も早く部屋に連れ込んで、可愛がらなくては、と妙に使命感に燃えた佐藤は、さりげなく吉田の手を握り若干歩を早めた。
 等々に手を握られ、驚いた吉田だけども、周りに人が居ないのを十分確認してか、あえてその手を受け入れる対応を取る。
 そんな素直な吉田の態度は、佐藤にはいっそ毒にも等しい。きゅっと控えめに握り返された吉田の手を感じて、佐藤は耳まで真っ赤になった、みっともない自分を想像した。




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