「でぇぇぇ〜〜〜!!??な、何コレ!!」
 と、吉田が叫んだのは、窓の外の景色が雨模様だったからだ。予報ですでに雨だと告げられてたのなら、ここまで驚かないだろうが、しかし今日は新聞の天気予報でもバッチリ、太陽のマークが燦々と輝いていた筈だ。
 こうなると、誰が悪いでもないのに、変に裏切られた気分になるのは何故だろうか。
 時刻は夕方。吉田は、そろそろ帰宅しようと思っていたのだ。しかし、傘も何も持っては来ていない。
「止むまで待って居たら良いよ」
 ひたすら衝撃を受けている吉田とは裏腹に、いっそ嬉々としているのは佐藤だった。ここは彼の部屋で、いつも通りぐだぐだ……お部屋デートをしていた所なのだ。その時間が引き延ばされるというのなら、佐藤には願ったり叶ったりだ。
「なんなんら、晩飯も食べて行けば」
 佐藤の気の良い提案に、しかし吉田は乗り気ではない様にう〜ん、と唸っている。それは普段からされている、佐藤の悪戯を警戒しているからでは無かった。
「今日、父ちゃんが出張から帰って来る日だからさ」
 出来れば家族そろって迎えてやりたい、という気持ちがあった。そうでなければ、吉田も佐藤に言われる間でもなく、このまま、この部屋で雨が止むまでのんびり待っていただろう。
「……そっか。なら、帰らないとな」
 にこにことした笑みを引っ込め、少し真面目な面持ちになって佐藤が言う。そこまで深刻じゃないんだけど、と吉田は逆に申し訳なくなった。
 普段はあんなに聞きわけが悪いのに、吉田の身に関係する事になると、佐藤は自分の意思もあっさりと引っ込めてしまう。仮に吉田が別れたいと言ったら、その場ですぐに頷いてくれるだろう。そして、その後吉田の前から姿を消すのだ。潔く。
 そんな佐藤に、吉田がなんだかもやもやしたものを抱えている最中、佐藤はこの雨の中、吉田を外に送り出す事について考えていた。自動車を持っていたのであれば、吉田を確実に雨に濡らす事無く、早い時間で自宅に送り届ける事が出来るが、生憎今の佐藤には金銭的以上に法律的に不可能だ。
 早く大人になりたい、なんていかにも思春期な事をちょっと世間からズレ気味に思う佐藤。
「じゃあ、傘貸すよ。どれがいい?」
 高校生の身分では、これくらいしか出来る事は無かった。玄関口で佐藤が言う。置き傘も想定してあるのか、傘の数は明らかに住人の数よりも多かった。
 とりあえず、姉のものだろう傘は除外して、佐藤の3本の傘の中から、吉田は一番小さいのを選んだ。大きいのは重いし、第一体躯に合っていない。
「これ、借りて行くな。佐藤、ありがと」
「ああ。返すのは何時でも良いから」
 余分の傘があるのは、もはや解りきった事だろう。慌てる必要性の無さに、吉田も頷く。
「じゃあな。また明日!」
「気を付けて帰れよー」
 女子達と話す時に比べて、かなり呑気な佐藤の声。演技の無いその様子が、それが吉田には、ちょっと嬉しいのだった。


 佐藤の家から出た当初はそれなりに降っていた雨だが、家に着くころには大分小雨になっていた。天候には素人の吉田でも、これはもう、このまま止むな、という予想がつけられた。
 30分も待っていれば、傘も要らなくなる程だったので、傘を借りてまで帰る事は無かったかも、と今更のように思う。とは言え、これから佐藤の家に返しに行くのも何だ。濡れたままではあるし。
 まあ、何はともあれ、3日ぶりの父親を待とう。父親が帰るのは単純に嬉しい事だし、母親の矛先がそっちにばかりに向かうので、吉田も母親からおちょくられる事も無くなる。案の定、夕食の間もべたべたべたべたしていた。高校生の息子が居るというのに、何だか新婚気分が未だ健在しているように思える。多分、良い事なのだろう。……多分。
「父ちゃんって、母ちゃんとそんなにべたべたしていて、飽きない?」
 母親が風呂に入った隙にと、吉田は父親に聞いてみる。ちなみに、一番風呂は当然父親だ。
 イチャつくテンションは夫婦同じだけども、父親は母親と違い、かなり性格が温厚だ。うっかり失礼な事を聞いてしまったとしても、間違っても殴りかかったりする事はないだろう……と、いうかむしろ父親が殴られる側というか。
「勿論!だって今日の母さんは、昨日の母さんよりずっと可愛いからな!ちっとも飽きないよ」
 3日間の出張なのだから、昨日の母親は比較出来ないと思うが、そんな突っ込みより今の台詞が本気な事の方を重要視したい。そ、そうなんだ、と吉田も返答に困り気味に頷いてやるしか出来なかった。
 どちらかと言えば、恋愛に対して奥手寄りかと思う吉田の両親なのに、この双方のアグレッシブな事はどうだろう。もっとも吉田の場合、実の親子じゃないのかも!という懸念は、挟まれる余地も隙間も全くゼロだが。
 まあ、この2人は離れている時間があるから、その分を埋める意味合いで余計イチャついているのかもしれない。そう思おうとした吉田に、父親からの声がかかる。
「義男は、好きな人とずっと一緒に居たいとか思わないのかな?」
「いや、そういう……」
「休みの日とか、どこかに出掛けたりはしないで、ずっと部屋に2人で居たいとか」
 例としてあげられたその事項は、まさに今日の自分にぴたりと当てはまるもので、否定を言いかけた吉田の台詞も顔も一旦停止をした。
「でっ……でも!父ちゃん達みたいにべったりしたりはしないよ!……多分」
 真っ赤になった吉田は勢いに任せて叫び――今のは仮定とした台詞ですよ、と言わんばかりに最後に「多分」と付け加えてみた。セーフ、だと思う。
「そうかなー。実際にひっついたりしなくても、意味は同じだと父さん思うぞ」
「違う違う違う!未遂と実行だと、罪の重さだって大分違うんだからな!!!」
 どこか見当のずれた息子の反論に、しかし父親はむしろ朗らかに「義男は難しい事知ってるなぁ」なんて笑ってすら居た。所謂余裕の笑みというヤツだ。
 全くとんでもない。いくらDNAを受け継いでいるとは言え、この両親と同じ事を佐藤としたいだなんて、全然、全く、これっぽっちも思った事は無い!!!
 大体自分は小学生並とは言え、きっちり男の身体なのだから、佐藤だってべったりされたとしても嬉しくも無いだろう。
(……でも、)
 吉田は佐藤に抱き締められると、ドキドキする。温かくて、いっそ熱いくらいででもとても居心地がいい。離れる時、遠ざかる体温が寂しいと思うくらい――……
(って!これじゃ、それこそずっとべたべたいしたい、って思ってるのと、同じだ!!!)
 父親が目の前に居る為、うわああああ!とのた打ち回りたくなるのを、辛うじて脳内で済ます。それでも、赤くなっていく顔を抑える事は出来ない。
 と、その時、母親が風呂から上がったのを出て来た本人からの声で知り、吉田は「風呂入って来る!!」と現状から飛び出す事に成功した。
 残された父親は、やっぱり穏やかな笑みを浮かべていて。
 風呂上がりの妻がやって来るのを、ビールを注ぎながら待った。


 風呂に入る前から逆上せ上ってしまったような吉田だが、それでも入浴は無事に済んだ。
 風呂からあがると、居間ではやっぱり両親がハートマークを飛び散らす勢いでべたべたしていた。普段ならまだスルーしてテレビ観賞に乗り出せれただろうが、さっきの父親とのやり取りを思い出してしまい、今日は早々に自室に引っ込んだ。
 自分の部屋に向かう途中、佐藤の傘が見えてまた顔が赤くなったようだ。こんな事くらいでドキマギしてどうする、とか自分で突っ込んでみる。
 そう言えば、傘である。借りたはいいもの、返すタイミングが掴めない。学校はまずアウトだ。佐藤に傘を借りたとなると、また女子達から睨まれてしまう。
 放課後、自分の家に一旦戻って佐藤の家に向かうのも何だか手間だし、ここは「いつでもいい」という佐藤の台詞に甘える事にしよう。必要が生じたのなら、佐藤も言って来るだろうし。返すのは、次に佐藤の部屋に遊びに行く時にしよう。
 明日からは天気が晴れで暫く落ちつくようだから(信用に値するのであれば)、まずは明日は傘をしっかり干す事にする。それで、週末はそれを持って佐藤の部屋を訪れよう。
 部屋に行ったら、きっとそのまま、また2人でごろごろするに違いない。
 その時を思うと、吉田の顔が自然とふにゃり、と解れる。
 その顔は今まさに、最愛の夫と存分に触れ合っている彼の母と、とても良く似た顔となっていた。




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