*今月号のネタバレ含んでます〜






 土砂降りの様子を指した表現として「バケツをひっくり返したような」というのがあるが、現在の天候はさながら「浴槽をひっくり返したような」大雨だった。まるで何かの神の怒りでも触れたかのようだ。大昔であれば、生贄の用意でも成されたかもしれない。
「よく降るなぁー」
 と、吉田は見たままを思わず口ずさんでしまう。口を出てしまうくらいの豪雨であるし、快晴を祈願するてるてる坊主を作成した身としても何だかちょっと複雑だった。
 最も吉田は、今日の雨を期待していた。雨なら、牧村の顔を立ててマラソン大会に出る事も無く、心置きなく佐藤の我儘(デート)に付き合える。とは言え、ここまで降れとは願ってないが。
「やっぱり、マラソン大会って延期かな」
 あの女子達の事だから、中止なんてないだろうと吉田は思う。その方向は正しいが、まさか決行しているとは夢にも思わない吉田だった。まあ、混沌状態になってしまってやり直しなので、事実上の延期かもしれないが。
「さあな。別にどうでもいいよ」
 本当にどうても良さそうに言う佐藤だった。自分が賞品という立ち場として、この反応は正しいのか良くないのか。良く解らないな、とそんな経験のない(そりゃそうだ)吉田には解らない。
 吉田は、佐藤に奢って貰っ(てしまっ)たカフェオレをこくん、と飲み下す。
 マラソン大会の優勝の暁には、佐藤が賞品として贈呈されるらしいが、一体何かどうなるのだろうか。吉田もこれでいて一般的な男子高校生であるから、人が賞品とか聞くと所謂身体にリボンぐるぐるしてプレゼントは私よvみたいな事も思ったりもするのだが。
(いや、でも、そこまではない……と、思うけど………)
 やたら物騒で暴力的で直接的な女子達だけども、セックスアピールの面で佐藤に迫ったりはしていない。まあ、高校生の段階でそんな人が居たら、誘われた所で乗る前に引いてしまうだろう。余程のもの好きでも無い限り。そう、山中とか山中とか山中とか。
 本人の了承もなくあんまりな事もしないだろうし……佐藤に(だけ)は優しい女子達だし……でもやっぱり佐藤が好きなわけで……好きな人が賞品となると……
(あ〜〜〜〜!なんかぐちゃぐちゃするなぁ!!)
 吉田は脳内で頭をかきむしった。誰かに何気なく聞いてみたい気がするが、現在目の前に居るのは当の「賞品」ご本人だ。聞ける筈もない。明日にでも、鼻で笑われるのも覚悟で野沢(姉)にでも聞いてみよう。吉田はそう決めた。
 そんな、ふと湧いた疑問から悶絶して一応の結論を出すまでの吉田の工程を、すぐ横に坐る佐藤はそっと横目で眺めて楽しんで居た。人知れずだった筈の吉田の葛藤は、思いっきり佐藤の知る事になっていたのだった。
 佐藤も、自分が賞品となって何するのか(されるのか)気になる所だが、一日独占権の名の元なら、せいぜい誰か1人だけが自分に話しかけたりするだとか、そんな所だろうと正解に辿りついていた。
 ぶっちゃけ、不特定多数が遊びに誘いにくるよりかはその方がずっと佐藤としても楽なのだが、かと言って率先して導きたい状態でも無い。自分の傍には、吉田だけが居て欲しい。
 そう、丁度今のように。
「なあ、もう一本くらい、映画見る?」
 佐藤が物思いに更けそうになった時、自分の中で整理がついた吉田はさっぱりした顔で言う。
 今は、来てすぐに入った映画を観終わった所だ。出掛けに母親から「馬鹿じゃないの」という言葉を投げかけられたくらいの天候だ。他にも遊べる施設が併設しているこの場所だが、今日はそう言った事情でおそろしく人が居ない。現在腰を落ち着けている休憩所も、吉田達以外の姿は見られない。普段の休日通りに受付に立っているのが、何だか気の毒に見える程だ。
 望んだ席には絶対座れるだろう。ある意味、チャンスかもしれない。
 吉田の台詞に促され、佐藤は時刻を確認する。大体一本を2時間半としても、確かに余裕はあるだろう。
 だけども。
「……吉田は何か見たいのある?」
「え?いや、俺はさっき見たいの見たし」
 だから今度は佐藤の番、というつもりらしい。きっとそういうつもりだろうと、佐藤も解っていたけども。
 吉田にしてみれば、他の友達と同じように気にかけているだけだろうが、佐藤にはひどく嬉しい。表面上は取り繕われていたけど、内面は蔑ろにされていた幼少の頃からの経験がそう受けさせるのだろう。あの両親を思うと姉の態度はいっそ潔かったのかもしれない。良いか悪いかは良く解らない……というかどうでもいいけど。
「俺は特に見たいの無いし……それより、ここで吉田と話して居たい」
 普段通りの口調で呟かれた言葉に、吉田はえっ、となり、一拍の間を置いて顔を赤らめた。こういう所は、いつまで経っても変わらないな、と佐藤は柔らかく笑う。
「え、あー、う、そ、そう?」
「うん」
 かなり挙動不審な吉田に、落ちついて頷いて見せる佐藤。傍から見ればかなりちぐはぐだろうけど、これが2人にとっての最上なのだ。
「さ、佐藤がそうしたいなら……いいよ。それで」
「っ、」
 今度は佐藤が言葉を詰まらせて顔を赤らめる番だ。初心は反応は変わらない吉田だが、甘受する懐がかなり広がりつつある。キスするって言えば良いの?と意地悪で言ってみた後の「それなら、いい」はかなり衝撃だった。
 西田にしてみれば、自分が吉田を翻弄しているとしか見えないだろうが、実際骨抜きにされているのは自分の方だ、と佐藤は思っている。
「……それにしても、雨、凄いな」
 またしても吉田が目の前に広がる光景に呟く。天候の話題なんて、話の内容が無い時の常套句でもあるが、今回の場合は常に気にする必要のあるレベルなのだ。出る時は気にしなかったけども、警報や注意報が何処かで発動しているかもしれない。
 返す返すも、雨を期待しつつも照る照る坊主を飾ったというのに、と吉田は思う。まさか牧村の顔にしたのが不味かったんじゃないだろうな、と妙な不安が湧き起こった。
「来る時は普通に来れたけど、帰る時大丈夫かな」
「まあ、いざって時はタクシー拾えば良いよ」
 佐藤がサラっと言う。吉田は学生の身分でとてもタクシーを拾うという発想が出てこなかった。何となく悔しい。
 それに、と佐藤が続ける。
「帰れなくなっても、いいかも」
「へ?」
「その分、吉田と一緒に居られるし」
 佐藤は頬杖ついて、言って見せる。何言ってんの、と吉田は悪戯っぽい佐藤の笑顔ごと、今の台詞を軽くスルーした。
 それから、何事も無かった様に別の話題に移った。
 ――今の佐藤の台詞は、ちゃんと帰れるというのを前提にした、冗談と言うかジョークなのだろうけど、紛れもなく佐藤の本音だった。
 佐藤の望む世界は酷く閉鎖的で、自分が想定する以上の事を拒んでいる。いつかの屋上で聞かされた、かつての佐藤の語る夢がそうだった。言った後の佐藤は、ガキっぽいだろ、なんて一蹴して、それから――
 思い詰める様な佐藤の顔を見て、吉田は困ってしまう。その表情を打ち消すだけの何かを、自分は持っているのだろうか。佐藤はまるでその価値を見出しているように、傍らに置きたがるけども。
 佐藤に対し、何が出来るかと同様、何が出来ないかもよく解っていない。
 完全には程遠い自分だけども。でも。
 吉田は空になったカフェオレのカップを持って立ちあがる。
「なんか、飲み物買ってくる。佐藤のも、適当に頼んで来るから」
 今は少なくとも近くに居て、無くなった飲み物を買ってくる事くらいは出来る。今度は自分が奢るのだと、意気込んで吉田は佐藤に言った。
「ああ。ついでに、何か食べるのも欲しいな」
「ん。じゃあ、ポテト買ってくる」
 ちょっとしたリクエストを、嬉しそうに受け取って吉田は販売所に向かった。小さくなる背中を、佐藤はそっと見送る。
 視線を移し、相変わらず雨を降り続けさせている空を見た。
 このまま、止まなければ良いと思うのは本当。酷く降ってしまって、このまま吉田と閉じ込められるように2人きりになるのも。
 けれど、青い空を背景に、自分に笑いかける吉田も見たいから。
 明日は晴れたらいいな。佐藤は、そう思った。



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