佐藤の前で、吉田は泣いている。
 鼻を啜り、嗚咽を混じえ、悲痛な様相で涙を流し続けていた。
 そんな吉田に、佐藤はいっそ冷淡に告げる。
「だから、最初から無理だったんだよ。どうしてそれが解らなかったんだ?」
「だって……うぅ……やってみなくちゃ……ひっく、ぐす」
「俺以外の奴の言う事なんか聞くから……ま。自業自得だと思えよ」
 あまりに突き放す様な言い方に、さすがの吉田も頭に来た。そこまで予見していたというのなら、同じくその場に居た佐藤が止めるなりしてくれたら良かったのに。最終的に後押ししたのは、佐藤の言葉だったのだから。
 吉田はキッ!と眦を吊り上げて言う。そして文句を言うべく、口を開き―――
「!!!! ぎゃああああ空気吸ったら痛い!痛いぃぃぃぃぃぃ!!!!」
 慌てて口を押さえて悶える吉田に、佐藤は思う。
(……さっきの坦坦麺、そんなに辛かったか?)
 辛い辛い!と喚く吉田が面白くて、佐藤はそのまま暫く眺めていた。


 吉田の通う高校の生徒が活用する駅付近に、そのニーズに合わせたようなラーメン屋が出来た。どんなのかな、と気になっている最中、いち早く食べに行った秋本と牧村から良い評判を聞き、行ってみる気になった。そこでオススメされたのが、店の名物である坦坦麺だったと言う事だ。しかしながら、吉田は辛いのが苦手だ。とても。
 辛いのは嫌い。でも美味しいのは食べたい、という葛藤の果て、吉田は思いきってそれを注文する事にした。はっきり言って、無謀以外の何ものでもない。
 しかし佐藤は口を挟まず、敢えて傍観していた。吉田の憤りの理由だ。
 さすがに、吉田も佐藤の特製激辛チョコレートに懲りた様で、素直に引っ掛かってくれなくなった。まあ、それでもやりようが無いわけでもないけど。けれど折角のチャンスだと、自分の謀略外で文字通りの痛い目に遭う吉田を楽しむ事にした。ヒイヒイ言いながらしっかり食べる吉田も可愛かったし、その後辛さに悩まされてぐずる吉田も可愛いし、素っ気なく言う自分に言い返そうと口を開いた所で辛みがぶり返して騒ぐ吉田は、それはそれはもう楽しかった。
 自らが直接手を下したからではないこその味わいがあった。何と言うか、自分の料理では無くて外食をした時の気分の様な。
「うぅぅ〜辛いよぉ〜」
「…………」
 ぐすんぐすん、と吉田が鼻を啜る。最初こそ、楽しんで居られた佐藤だが、それでも自分以外の手で吉田が泣いている事実が、段々気に入らなくなってきた。複雑なドS心だ。
 普段から女子受けの良い態度を取っていたおかげか、最近は女子の方で勝手に盛り上がってくれていて、肝心の佐藤の周りは台風の目のように静かだった。これもジャック達の助言を聞きいれた功績なのだろうか……とはあまり真剣に想っては無いけど。
 女子が群がって来ないおかげで、こうして放課後には吉田とラーメン屋に行く程充実出来ている。そこのラーメン屋はほぼ男性客だったので、佐藤に集まる女性の視線で吉田の眉間に皺が出来る事も無かった。まあ、そんな平和な時間も、吉田が坦坦麺を口にするまでだったが。
「う〜……アイス食べれば収まるかな……」
 ひりつく口内は、未だ吉田を悩ませている。
「いや、アイスよりも……ちょっと待ってろ」
 上手い具合に自販機を見つけ、佐藤はそれに近づく。目当ての物を買い、吉田の元へと舞い戻る。
「ほら、ミルクティー」
 数あった種類の中で、一番ミルクが多そうな銘柄を買った。「……ありがと」とちょっと恥ずかしげに言って受け取る吉田が可愛らしい。告白してから日も浅い内に、缶ジュースを奢った事があったが、その時と大差ない顔を見せる。
「なー、さっきの坦坦麺、美味しかった?」
 吉田は味の感想を佐藤に尋ねた。明日、秋本達に報告した時「辛かった」だけでは侘しいと思ったのだろう。
「そうだな。麺もスープもしっかりしてたと思う」
 そっか、と吉田は笑った。自分には辛いだけの物でも他人が美味しければ、行って良かった、と。
「そういや、確かに麺がモチモチしていて美味しかったよな。普通の醤油ラーメンとかを今度食べてみよっかな」
 いいながら吉田は、貰ったミルクティーの蓋を開く。口を付け、こくこくと飲み下す。
「……………」
 ペットボトルを食んでいる唇や、ミルクティーを飲み下す時に僅かに上下する喉。そして飲み終えた後の微かな吐息まで、佐藤は何となく注目してしまう。一時は単なる情景かと思った吉田への想いだが、こんな気持ちになるのだからはっきりとした恋慕なのだろう。
 佐藤に見られている事に気付いた吉田が、なんだよぉ、と顔を赤らめて睨む。
「こっち見んなよ。口がアヒルだから」
 唇が腫れているといいたいのだろう。吉田らしい言い回しに、佐藤が小さく笑う。
「別に腫れてないよ。ちょっと赤くて、色っぽいくらい」
「……は、はぁ!?な、何言ってんだよ!男に色っぽいとか使うな!!」
「えー、そういう表現って性差は無いと思うけど?」
 予想以上に赤くなってくれた吉田に、佐藤は満面の笑みを見せる。
 好きという自覚してからこっち、真っ赤な顔を見る為の揶揄に吉田はストレートに返して来るので、佐藤へのカウンターが凄い。ままならない事態に、佐藤も隠しておくべきだった素が出てしまい、かなり参っている。吉田が嬉しそうなのがまたなんとも。
 佐藤の目から隠す為か、吉田はすっかり口を覆ってしまっている。そこから、くぐもった声が漏れる。
「そ、そりゃあ……佐藤みたいなのはいいかもしれないけど……」
「へえ、俺の事色っぽいと思ってるんだ。吉田はv」
「!!!!!!」
 相変わらず綺麗な墓穴を掘る吉田だった。いっそ芸術的でもある。
 さっき食べていた坦坦麺よりも余程顔を赤くして、吉田は唸ってしまった。
 一体どんな時に色っぽいとか感じたのだろう。まだ最後まではしていないから、即物的な場面では無いのは確かだ。今度、その辺をちょっと注意深くして吉田を見てみよう、と佐藤は密かに決める。
「吉田。こっち向いてよ」
 これはキスに繋がる流れだと、吉田は多分気付いている。ここが校内では無いからか、あるいは人の気が見られないからか、吉田は応ずるように覆っていた手をおずおずと外す。
「うん、やっぱり赤い」
「っ!!」
 そっと唇に指をあてると、吉田の戦きがそこから伝わる。そこから、流れるような自然な動きで、そっと口付けた。
 口付けた唇は、やや腫れぼったいような気がした。気のせいかもしれないけど。
 その口の中は、散々吉田を悩ませた辛いような味はせず、ミルクティーのマイルドで芳醇な味わいだけが広がっていた。奥に潜む甘さは、ミルクティーではなく吉田からのものだろう。それこそを味わいたいように、佐藤の舌は執拗に口内を弄った。
 場所を弁えていない様な、激しい口付けに吉田は佐藤の腕をバシバシ叩いて止めさせた。ここで足が砕けてしまったら、どうやって帰るというのか。
 そんな吉田の無言の訴えを聞いたか、単にある程度気が済んだか、佐藤は唇を離す。そして何かの仕上げのように、最後にちゅっと軽くキスをした。
「…………。し過ぎ!!!」
 間が空いたのは考える時間だったのだろう。結局、吉田が言えたのはそれだけだったが。
「だって、吉田が色っぽいから」
「…………」
 顔を赤らめたままの吉田は、フン!とそっぽ向いてミルクティーを飲み下す。それが佐藤に火を付けた仕草だとは知らないからの行動だ。そうでなければ、とんだ誑しだ。
 誑し込むのが自分だけならいいのに、と佐藤は思う。無意識だからこそ、止めさせるのは不可能だろうけど。
 きっと西田も、こうした何気ない所から吉田の魅力を感じてるのだろう。そう思うと、いよいよ腸が煮えくり返る。
「……佐藤。佐藤!」
 吉田の声に、佐藤は我に戻った。向き直った視線の先、吉田は自分の眉間を指差していた。つまりは、佐藤の眉間を指摘している。
「なんか、凄い険しい顔してたけど。どうかした?」
「………」
 またしても西田に妬いていた、と言うと吉田もうんざりするんじゃないか。特に今は、西田もこの場に居ないと言うのに。
 吉田に嫌われるのを何より恐れる佐藤としては、別に、と言葉を濁すしかなかった。何せ相手はバカがつくようなお人好しなので、これだけで済むのだ。
「? ふーん……変な佐藤ー」
 そう言いながら、吉田の顔は笑っている。何であれ、佐藤の素が見れるのが嬉しいのだ。
 そんな吉田なら、みっともないと思っている自分の本性全てを晒しても、傍に居てくれるのだろうか。ある意味、吉田はすでにそんな自分の姿を見ているけども。そう、出会いでもある小学生の頃に。
「じゃあな、佐藤!バイバイ」
「ああ。バイバイ」
 手を振って、吉田に別れを告げる。以前なら、諦める前に望みもしなかった事。
 今日は、辛さに喚く吉田を見れて楽しかった。それなら明日は、甘いものを嬉しそうに食べる吉田を観賞するとしよう。
 佐藤は真っすぐ帰宅せずに、ちょっと足を伸ばせて好評のあるケーキ屋まで足を運んだ。
 明日の吉田は、どんな風にどれだけ可愛いのだろう。そう思って、顔を綻ばせながら。



<END>