*若干とら吉っぽいです(笑


 とらちん、今度の土曜日一緒に暇なら出かけよう、と吉田に誘われ、すぐに頷いた。
 その直後で気付いたのは、高校に入ってから吉田と一緒に出掛けるのが久しい事だ、という事実だった。
 中学の頃もべったりとまではいかなかったが、やはり時間が減っていると思う。その代りのように、山中と過ごす時間が確実に潜入している。
 まあ、吉田も吉田で付き合いはあるみたいだ。事のきっかけは知らないが、同じクラスの佐藤と仲が良いみたいで休みには相手の家で英語を教わっていると言う。
 これ、女子に知られたら色々マズイから、絶対秘密な!という吉田の顔を思い出す。
 周りに知れ渡ったら自分の立場が危い事を、自分に打明けてくれる事にちょっと誇りに感じた。それは誰にでもと言う訳ではなく、吉田にこそだと思う。
 これから先、吉田と遊ぶ時間は減るかもしれないけど、決してゼロにはならないのだろうと、虎之介はそんな事を思った。


 大寒を超え、まだ寒さが厳しいながらも、この先それが緩むだろう気配を感じる。
 特に目的がある訳でも無いので、何処に行こうかー、なんて言いながら、駅周辺の栄えた場所を歩く。デパートが軒並み並び、ショーウインドウの中はすでに春だった。中のマネキンは、この春のトレンドを決めている。しかし今から何で春の流行が解るのか疑問だ。と、いうか何故流行ると解るんだ。謎は尽きない。
 いつまでも外を歩いていても寒いからと、丁度前を通りかかったデパートに入る事にした。
「あっ!」
 と、出入り口付近にある各階の説明と特設展示場の報せを見て、吉田は声を挙げた。
「チョコ売ってるー!」
 吉田が目を輝かせて眺めるポスターには、chocolateの文字が躍っている。そう言えば、そういう時期だったな、と虎之介は思った。そして、山中がバレンタインデーに確実に何か強請りそうで、ややげんなりとした。
 10階の催事場にて、そのチョコレートのイベントは開催されているようだ。これはさぞかし混んでいるだろうな……とこの場から見える客が全て女性ばかりなのを見て、虎之介は予想する。
 出来れば行きたくないな、と虎之介は思ったのだが。
「なあ、とらちん。ここに寄っても良い?」
 しかし横から自分を見上げる吉田がそう言うので、虎之介は行かない訳には行かなくなった。


 会場に向かう前、吉田は母親も欲しいものがあるかも、と電話を入れる事にした。
 何だかんだで仲の良い親子だよな、と虎之介は思う。
「うん、うん、――うん、解ったー」
 どうやら終わったらしい。お待たせ!と言いながら自分の元に駆け寄る。
 それで、会場へと向かったのだが――
「すっ……凄い人だね、とらちん……」
「そうだな……」
 エレベーターから降りた所から、すでにその熱気が伝わるかのようだった。
 まるで佐藤が出場していた時の球技大会を彷彿させる会場内だが、黄色い騒ぎ声が無いだけマシ……だろうか。
 とりあえず、一周してみよう、と思ったのだが、とてもとりあえずで巡れるような所では無かったのは、3歩程足を踏み入れた時点で解った。しかし、後ろに人が居るのを感じ戻る訳にもいかないので、進むしかない。
「ヨシヨシ、大丈夫か」
 これだけ人が密集している中、小柄な吉田が気がかりだ。簡単に潰されたりはしないと思うけども。
「だ、大丈夫〜」
 あんまり大丈夫でもなさそうな返事だった。後ろを見れば、今にも人の波にもまれそうな吉田が居た。辛うじて、虎之介の後をついている。
 と、その時、横断する一団に、吉田の姿が虎之介の視界から消えようとしていた。
 咄嗟に手を伸ばし、吉田の手を掴んだ。
「あ。ありがと、とらちん」
 えへ、と感謝をこめて吉田が言う。丁度、会場の端が見えた所だったから、一旦外に出る事にした。
 その間、手は繋がれたままで。


 外に出ると、このイベントのパンフレットが置かれているのに気付いた。配置図と、出店しているラインナップとその詳細な情報。初めからこれ見れば良かったね、と笑いながら吉田が言う。
「おっ。母ちゃんが言ってた所がある」
 吉田が言う。と、なるとあの場にまた入るのか……と虎之介が覚悟を決め直した。
 ところが。
「とらちんはここで待っててよ。俺、ちょっと行って来る」
 確かに、虎之介は用が無いのだし、2人とも入ってあの中ではぐれるよりは、虎之介はここに居た方が良い。
「ああ。その方がいいな。じゃ、ヨシヨシ、荷物と上着持っててやるよ」
「いいの?サンキュ!」
 そうして身軽になった吉田は、再び密集地の中に潜っていく。小柄な吉田の背は、あっという間に埋もれて見えなくなってしまった。
 どれくらいかかるか解らないが、まあのんびり待つとするか、と虎之介は後ろの壁に背中を預けた。どこかで実演販売をしていたブースがあり、そこからの甘い香りが虎之介の鼻孔をくすぐる。その香りから、いつかチョコが好きだと言っていた吉田を思い出し、口の端を微かに動かした。
 ぼんやりと吉田を待っていると、ぼちぼちと周りに人が溜まって来た。その全員が男性で、虎之介と同じように、会場で買い物をしている連れを待っているに違いなかった。しかし大きく違う所は、虎之介が待っている連れは恋人では無く、親友だという事だ。何となくここに居る男性は同じ境遇だという連帯感が生まれた中、虎之介だけが違和感に溺れる。
 ヨシヨシ無事かなーと思いながら待っていると、人の間をうんしょうんしょと懸命にすり抜けている吉田の姿が現れた。ぽんっなんて音が聴こえそうな程、詰まっていた内部から何とか抜け出す。
「ふー。お待たせ、とらちん」
 人の波にもまれた吉田の髪は、少しぐしゃぐしゃだった。虎之介は、それを簡単に直してやる。
「おう。ちゃんと買えたか?」
「うん、なんとかー」
 用が果たせたのなら、いつまでもこんな混雑した所に居る理由も無い。2人は、来た時使ったエレベーターでは無く、すぐ近くにあったエスカレーターで下る事にした。待っている時間を考えれば、とんとんだろう。
 訪れたのが女では無く男の吉田を見て、虎之介はやや視線を感じたが、どうでもいいとばかりに切り捨てた。


 その後、適当にファーストフード店に入り、互いの近況を交換し合う。
 山中との事を言ってみると、吉田の眉間に皺が寄る。色々苦言を零したが、最終的な判断を任せているのが吉田らしい。
 ――同性を好きになったのかもしれない。
 今まで想像すらした事の無い様な事態に、どう相談すればいいのかも解らず虎之介が縋ったのは吉田だった。
 相談して、具体的なアドバイスや対処法が知りたかったのではない。ただ、大丈夫だよと誰かに言って欲しかったのだ。可笑しな事ではないと、そんな風に肯定して欲しかった。
 そして、吉田は虎之介の欲しかった言葉を、確かに言ったのだった。
 俺も解る、と。そう言って。


 ファーストフード店から出た後は、ゲームセンターで過ごした。UFOキャッチャーはいいのが無かったから止めておいて、大画面で映し出されたモンスターを銃でやっつけていくゲームを楽しんだ。2人同時にプレイ出来て、吉田はわーわーいいながらも割と順調に退治していた。それから、ぼちぼち帰るか、という流れになった。
 最寄りの駅で降りて、だらだらと歩く。そろそろ別れ道が近くなった頃、吉田が「あっ」と声を挙げた。
「そうそう、渡すの忘れてたー。さっき付き合ってくれたお礼」
 思い出して良かった、と、吉田は会場で買ったチョコレートの紙袋の中から、小さい袋を取り出した。チョコレート色のリボンで、きゅっと閉じられている。透明だから中が透けてみた。何やら、チョコレート色の小粒が5個程入っている。
「えっ、いや別に……」
 そこまで大した役目を果たしたつもりもない。辞退するような虎之介に、吉田は言い募る。
「これ、さっき買ったチョコのおまけだから。中にローストしたコーヒー豆が入ってんだって。でも俺、コーヒーはミルク入ってないとダメだからさ〜」
 貰ってくれたら助かる、なんて言い方をするから吉田は一寸ずるい。そんな風に笑い「それじゃ、有難く」と虎之介は小さな袋を受け取る。受け取った虎之介を見て、吉田も嬉しそうだ。きゅっと目を細めて笑う。日が暮れ、夜も濃くなってきた頃だが、そんな吉田の表情はとてもよく見れた。


 自宅に帰り、虎之介は貰った小袋を机の上に置く。ちょこん、とした佇まいは、それをくれた人物を彷彿させる。
 あの時――これを取り出す為、紙袋に吉田が手を入れた時、虎之介には見えた。その紙袋の中に、チョコの入った箱と思しきものが少なくとも2つ以上にあった事に。勿論吉田が自分で食べる為に買ったのかもしれないけど――今は本来の風習に則って、男性からもチョコを挙げる例も多い。
 吉田も、誰かにあげるのだろうか。――誰にあげるんだろうか。
 吉田にだって、そういう人が居てもちっとも可笑しくは無い。
「…………」
 虎之介はやや思巡して、チョコレートを手にとって。これはバレンタインとして貰ったのではないから、今食べても構わないだろう。リボンを解き、1粒を掌に転がらせる。
 ややビターなチョコレートのコーティングが剥がれ、その下にカリカリとした食感のコーヒーが現れる。
 苦みを余韻にして、そのチョコレートは全て食べつくされたのだった。
 チョコレートは無くなったが、その味と渡してくれた時の吉田の顔。
 そして、あの会場内で繋いだ吉田の手の感触は、まだはっきりと思い出せる。
 吉田がどんな相手にチョコを渡そうとしているのかなんて、さっぱり見当もつかないけど。
 どうかあの手をしっかり掴んでいて欲しいと、そう思った。


(……まあ、女の手じゃしっかりとか言ってらんねーと思うけどな)
 吉田の好きな人が、実は骨すら粉砕しかねない力のある佐藤だとは知らない虎之介は、そんな風に胸中で零した。




<END>