「あれっ、秋本は?」
教室に入り、吉田は言った。普段はすぐに見かける秋本の姿が、今は無い。
特に用があるという訳ではなく、単に気になって吉田は口にした。その疑問に答えたのは、佐藤だった。
「ああ、秋本なら、あっちで複数の男に身体を求められている」
「……なんでそういう言い方するんだよ……」
意味はさておき、実態の言い表しとしては間違っていなくもないとも言い難い事も無いが(←どっちだ)
夏は暑いと疎まれまくった秋本だが、その分冬はモテまくりだった。暖を求め、秋本の身体に隙間なく人が張り付いている。あったけ〜マジあったけ〜と、どこからともなくそんな声が聴こえる。
「秋本も大変だな」
しかしさほど同情的でも無く、佐藤は言った。秋本本人も、歓迎しているとは決して言えないが、苦笑しながら現状を受け入れて居る、という感じだった。
「まあ、本気で嫌がってたら俺も止めるけど……
でも今朝、洋子ちゃんと腕組んで登校してたしな。暫く機嫌がいいと思うし」
クラスメイトとああしている事で、朝の甘美な時間を思い出しているかもしれないし、と吉田は傍観していた。
「――でも、今朝はマジ寒かったよな〜 もう、寒いって言うか冷たいってくらいだった」
帰りにまたあの極寒を味わうのか、と1時限目が始まる前から、吉田は下校に対して憂鬱だった。
「確か、明日は今日より寒いらしいぞ」
新聞の週間予報を見る限りでは、の話だが。佐藤のセリフを聞いた吉田が「マジで!?」と慟哭した。
「ヤだな〜 明日、学校行きたくない〜」
むしろ外に出たくない、と今から駄々を捏ねる吉田だった。
「――なら、秋本達みたいに、腕組んで登校しようか」
佐藤が言う。吉田だけに届き、周りには聴こえない、絶妙の音量で。
「んなっ!! おま、何言って……!!」
激昂して顔を赤くした吉田が、言いたい事を言い終える前、まるで邪魔するようにチャイムが鳴った。佐藤も、吉田も席に着かなければならず、強制的に話しは終わった。
(佐藤の奴、全く………)
反応が面白いからと、自分をからかうのも大概にして貰いたい。
あるいは、それとも本気の提案だったのだろうか。
訊いてみようにも、「朝の続きだけど」とは何となく吉田は切り出しにくく、佐藤も話を蒸し返したりしなかった。だからやっぱり、おちょくりたかっただけだったのかも、と吉田はこの件は終わりにして、明日の為に寝床に着いた。
……寒い。布団から出ている顔が冷たい。
音をあげるように吉田は起き上がり、ストーブのある居間へと向かう。暫くは暖を取って居られたが、これから寒い外へと行かなければならない。最低気温は、佐藤の言っていた通り、昨日よりも1度低い。たった1度だが、されど1度だ。差を肌で感じる。
(う〜、寒い!)
鼻先が冷える。髪を長くして良かったと思うのはこんな日だ。小学の時みたいに、刈り込んだような頭では耳が剥き出しで、寒いを通り越して痛いくらいだった。マフラーをしっかり巻き、吉田は外に出た。防寒をしても、吸い込んだ空気の冷たさで内側から冷えて行くようだった。
早く温かくならないかな、とまだ遠い春を思いながら、吉田はやや足早に歩く。徒歩運動で少しでも身体を温める作戦なのだ。
十字路に差し掛かる。この場所は吉田にとってちょっと特別だ。帰る時、佐藤と分かれるのはこの場所だからだ。
そこで吉田は、思わぬ人物と対面した。いや、別に居ても可笑しくはないのだろうけど。
「――佐藤? 何、こんな所に居るんだよ?」
一応防寒をしていても、吉田より大分すっきりしてる服装の佐藤が、そこに立っていた。帰り道が同じなのだから、行く時も勿論同じ道を通る。だけども、朝、偶然に出会う事は今までにない事だった。佐藤も吉田も、家から出て行く時間を特に決めて居ないのだろう。佐藤が早く学校に居る時もあれば、その逆もある。
吉田より軽装なのに、吉田より平然としている佐藤は、好きな人の姿を目に入れた事で、僅かに口元を緩める。その変化が解り、吉田はちょっと顔を赤らめた。
「いや昨日、お前あれだけ学校行くの嫌がっていたからさ」
佐藤が言う。まさか、迎えに来たのかな?とこの期に及んで佐藤に対し真っ当な期待を思う吉田は、まだまだだった。
「どれだけ寒がっているんだろう、って思って見たくなって来ちゃったv」
「……ご覧の通り、超寒いよ。マジ寒いよ」
口元をマフラーに埋めて、吉田が半目で睨んで言った。
「佐藤はそんな恰好で寒くないのかよ」
あまりに自分だけ着こんでいると、みっともなく思える。佐藤は、学校指定のコートを着て居るだけだった。自分も着ているどうってことないデザインのコートなのに、何だか佐藤が着ていると、どこぞのブランドのように見える。
「ああ。俺、寒さには結構強いから」
けた外れに鍛え上げた筋肉が熱を発しているのだろう。佐藤は思う。
吉田は、あまり信用していない風にふーん、と頷いた。きっと夏の時のような思い違いでもしているのだろう。
「まあ、いいけど……でも、あんまり我慢とかするなよな」
やっぱり、と面白くて笑みを浮かべる佐藤だった。吉田から見てみれば、その表情は心配を茶化されたようなものであり、ちょっと気に入らない。
そういえば、佐藤はいつごろから此処で待っていたのだろう。吉田はとても気になったが、訊いてもおそらく佐藤は「ついさっき」としか答えないのだろう。そのセリフはとても信じられないが、かといって嘘だと断定できる材料も無い。疑う方が証拠を提出する義務があるというのは、通常の裁判でも同じ事だ。
そもそも待ち伏せていたのだって、寒がっている所を見たいから、という理由も嘘とは思えないが、1人だと余計に気が滅入る寒い朝を賑わそうとしてくれたのではだろうか。そんな事を訊いても、やっぱり佐藤は頷いてくれないんだろうな。吉田はそう思う。
恥ずかしいのか、照れているのか、それ以外の気持ちがあるのか……全て真実を打ち明けろなんて言わないけど、ちょっとは教えてくれても良いのに。
「吉田、行こうか」
佐藤が促す。うん、と頷いて歩き始める吉田。
不思議な感覚だった。同じ道だけど、辿っている向きが逆だからか、時間が違うからか。
吉田も、何だかいつもと違う事をしてみたくなった。佐藤の手を、ぎゅっと握る。吉田?とやや面食らったような佐藤の声。いつもからかわれてばかりだから、佐藤の意表を突く事が出来て、吉田はちょっと良い気分だった。
「……大通りに出るまでな」
ややぶっきらぼうになってしまったのは、仕方ないと思おう。表情を引き締める為には必要だったのだ。
敢えて見なくても、佐藤が優しく微笑んだのが吉田にも解った。きゅ、と軽く握り返される些細な力に、けれど吉田は心臓を大きく跳ねさせた。
「……出来れば、腕を組んで貰いたいかなー」
秋本というか、全ての恋人たちに対抗したいかのように佐藤が呟いた。
「……いや、だってさ。腕組んだら、歩きにくいじゃん」
いわば両腕が封じられた状態にある。手を振りこのようにする事で、歩行時のバランスを取っているのだから、かなり歩きにくいのではないだろうか。最も、昨日見た秋本に腕を組んだ洋子は、普通に歩いていたけれども。
「なら、抱っこしてやろうかv」
それなら歩きにくい以前だろうし、と嬉々として言う佐藤に、吉田がギャースカと顔を真っ赤にして喚く。
それでも繋いだ手は離さなかった。
人通りの多い商店街に出ると、佐藤はすっとした自然な動きで吉田の手から離れた。
人の多い所になっても、離してくれないんじゃないだろうか、という吉田の仄かな懸念は杞憂で消えた。
別にそれでもいいかな、という吉田の気持ちと共に。
教室にて――
「ちょ……佐藤!離れろ離れろ――!!!」
べったり、という感じで、背後から佐藤が張り付いているというか、抱きついていると言うか。佐藤の腕に包まれ、吉田の身体は殆ど見えない状態だった。全身に佐藤の温もりを感じて、実際の温度より熱く思う吉田だった。
「えー。ケチな事言うなよ。ああ、吉田、あったかいv」
そう言って、より一層ぎゅう、と抱きしめる。それに伴い、厳しくなる女子の目。それを見て吉田に悪寒が走るが、それは気温とは無関係だ。
「さ、さっきは寒さに強いって言ってたくせに!!!」
「んー? そんな事言ったか?」
「な、無かった事にしやがった―――!!!」
まさかのスルーに吉田がぎゃー!と叫んだ。
「いやー、冬っていいなぁーvv」
吉田にくっつく良い口実とばかりに、佐藤は上機嫌の声で言う。まるでその代りの様に、自分たちを眺める女子達の機嫌は下降の一途を辿っている。
「いくない!春!春早く来いッ!!!」
吉田は次の季節の到来を心から待ち望んだ。
最も、春になろうが夏になろうが、佐藤は常にこんな感じではあるが。
吉田がその事に気づくのは、毎季節を迎えてからだった。
<END>