落語研究会、という立て札が外の壁に備え付けられているからには、ここはかつてはそういう部屋であったのだろう。
 が、今では教室内にて身の置き場に困った男子達の緊急避難所みたいになっている。
 その主な原因となっている佐藤がこの部屋に居座っているのは、当然の流れのような、なんだか腑に落ちないような。
 昼休みを、吉田と佐藤は専らここで過ごしていた。そこにたまに、牧村や秋本がやって来る。そういう場所だというのに、佐藤の自室みたいに手を出してくる。あの2人ならいいんじゃないか、とか佐藤は言ってくれるが、見られてもいいではなくて、そもそも見られたくないと言っているのに、と吉田は憤慨する。解らないで言ってるならまだ可愛げもあるが(そうか?)佐藤は踏まえて言っているから、余計に性質が悪い。
 それでも、好きな人からそんな風に求められて、吉田もちょっとは満更でもなかった。
 まあ、あくまで、、場所を弁えてくれた上での事なのだけども。


 部室の机に、誰かが置いたのか知らないが、輪ゴムを吉田は見つけた。
 それを手に取り、ぐるりと指に回し、銃のように構えた。
「佐藤、これ出来る?」
 言いながら、パチン、と弾丸よろしく輪ゴムが放たれる。結構久しぶりにやったが、綺麗に飛んだものだ、と吉田はちょっと感慨深くなった。
「うーん、やった事無いかも。やってみたいから、吉田、教えて」
 佐藤がそう乞うと、吉田はパッと顔を明るくして真向かいの席から隣に移動して来た。佐藤に教えられる事があって、嬉しいのだろうとその表情で窺える。
 実際は、さっきの構えた時ですでに構造を十分理解している佐藤だったが、佐藤も吉田に教えて貰いたい為、その事実は永遠の秘密にする事にした。自分より小さい指が、慎重に輪ゴムを張り巡らせていく。
「まず小指に引っかけてな、こうしてぐるーっとやって、最後に人差し指にかけるんだ」
 一生懸命だが、それ故要領を得ない様な解説だった。まあ、仕組みはとっくに解っているからいいのだけども。
 ちょいちょい自分の手に触れる吉田の指の感触がこそばゆくて、佐藤は口の端がむずむずとしてきてしまう。
 こんな風にして、輪ゴムで遊ぶ吉田を、小学の時いつか見た様な気がする。その時、何があんなに楽しそう何だろう、と排他的に眺めていたが、それは楽しそうだと認めているのと同義とだった。
 吉田を中心とした、あの輪の中に、当時の自分は無関心を装いながら、そこに入りたいと思っていたのだろうか。
(――いや、違うな)
 佐藤は断言出来る。
 吉田の周りに居る大勢の中の1人では嫌なのだ。
 たった1つの、特別な存在に。
 吉田の中で、自分はそうでありたいと思っていた。
 昔も。今も。


 見た目、何だか古そうだな、と思っていた輪ゴムだったが、本当に古かったみたいだ。
 吉田の手の大きさならまだ良かったのかもしれないが、佐藤の大きな掌に行き渡す程に伸びる力は失われていた。
 バチン!と鈍い様な鋭い様な音を立て、輪ゴムは千切れた。
「――いつッ!!」
「あっ!佐藤!ご、ごめん!!」
 輪ゴムが切れたのは吉田の責任でも無いだろうに、全ての非が自分にあるように、吉田は何度も何度も謝る。そして佐藤の手に怪我は無いか、それこそ怪我を見つけるまで確認を続けて居た。さっきよりもうんと沢山、吉田の指が自分の手に触れる。
 大丈夫、と言おうとして止めた。佐藤の手を診るのに必死な吉田は、佐藤の口元に宿った悪戯な微笑みには気付かなかった。
 吉田の指が纏わる自分の手を、佐藤はそのまま吉田の口元に運んだ。吉田の指を掴んで、自分の口に引き寄せた事がある。これはその逆だろうか。
 口に近づいてきた手に、吉田は驚いたように目を丸くする。何だ?と疑問を浮かべたまま佐藤の方へ顔を向けた吉田は、そこで佐藤がまた性質の悪い事を考えているのに気付いた。
 痛い思いをさせてしまった、という自負があるからか、吉田は顔を顰めるだけの抵抗をして、佐藤の指に口付ける。千切れた輪ゴムが当たっただろう箇所だ。触れた所が、もっと、と強請る様に軽く唇へ更に押し付けられる。仕方ない、と吉田は他の箇所にも、唇を滑らすようなキスをした。
 と、不意に佐藤の指が強い意志を持って動く。
「――んむっ?」
 薄く開いていた唇の中に、素早く指を潜り込ませる。目を白黒して驚いただけの吉田を見て、吉田の表情から嫌悪感が感じ取れなかった事に佐藤は心からの歓喜を覚えた。
 空いている手で吉田の顎を掴み、指をもう1本増やして吉田の口内を弄る。ここまで来るとさすがの吉田も抗議を上げた。もっとも、口は塞がれているも同然だったので、まるで声にもならなかったが。
 2本入れられている事で生じてしまう隙間から、唾液が零れる。それが佐藤の手に伝わっているのを考えると、吉田は息苦しさよりそっちに泣きたくなってくる。やめろばか、やめろ、と佐藤の指を銜えたまま喚く。
 どれくらいそうしていたのか、佐藤の気がようやく済んだらしく、指が指しぬかれる。その時の、ちゅぽ、という水が絡みつくような音を耳にして、吉田の背筋にカッと熱いものが走り、ぞわぞわとした妙な感触が残る。
 そんな感覚にも戸惑ったが、まずはだらしない口周りをごしごしと拭う。思っていたよりも濡れてはいなかったが、量が少なければいいという問題でも無いのだ。
「何すんだよ、バカッ!!!」
 口を開放されて、ようやく言えた。涙目である上に、声が震えてしまったが、どうしようもない。
 吉田の知らない合間に手を拭き終わっていた佐藤は、可愛い吉田の可愛い涙目を堪能していた。
「指咥えてる吉田って結構やらしいね」
「んな…………―――――ッッッ!!!!
 あえてしれっとした顔で言うと、怒りと羞恥の同時爆発で吉田の顔が真っ赤になった。その後、何か佐藤に対して文句を言っているらしいが、パニックの為に言葉がぐずぐずになっていて、はっきり言って聞きとるのを放棄した。
 ――きっと、こんな吉田を見るのは自分だけなんだろうな
 そんな甘い優越感に浸りながら。



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