吉田が恋人と初めて過ごすクリスマスは、何時の間にか終わっていて気付けば26日になっていた。吉田がその事で頭を抱えたのは、佐藤へのプレゼントの所存について。
 25日を過ぎて渡すのは間抜けすぎる……が、かと言って来年に持ち越しにする訳にもいかない。
 笑われるのはいつもの事、といっそ開き直って佐藤に贈ってみると、26日でのクリスマスプレゼント以前にまさか吉田がくれるとは思ってもいなかったのか、佐藤は何だかとても面食らったような顔をまず浮かべていた。
 そんな佐藤の顔を見て、吉田はちょっとだけ、笑った。


 どれだけ着こんで居ても、顔だけは防寒が難しい。いっそ眼だし帽でも被ってみればいいかもしれないが、それでは外見が怪し過ぎる。人に不快を与えないというのがマナーの定義だとしたら、怪し過ぎる格好は控えるべきだ。それにしても眼だし帽なるものは、銀行強盗以外で使っているのを吉田は他に知らない。その辺りがイメージを変な風に固定させているのではないだろうか。
 外に出る。風は無いが、空気がとても冷たい。何より、陽光が無い――何故なら、今は夜だからだ。
 あと数時間すれば今日が昨日になると言う時間、勿論普段なら外出を許される訳ではないが、今日はある意味特別な日。
「とらちん、オス!」
「おー、ヨシヨシ」
 待ち合わせ場所にすでに居た虎之介に声を掛ける。これから2人で、近くの神社に向かう。
 そこは沢山の人で賑わっていた。
 今日は12月の31日――大晦日だった。


「はい、とらちん、甘酒」
 紙コップに注がれたそれを持ち、虎之介に手渡す。サンキュ、と礼を言って受け取る虎之介。
 普段通りかかると、この神社は人が閑散としていて、ともすればその存在すら忘れそうだが、こうして何かの節目節目には、まるで威厳を取り戻したように人を貯める場となる。正直、たまに身動きに困る場所すら生じている。
 何とか留まれる隙間を見つけ、2人は甘酒に口をつける。直前まで鍋にあった甘酒は熱くて、2人してまずはフーフーと息を吹きかけて冷ましていた。
 境内には、他にもテントがあり、そこでは注連縄や正月の玄関を飾る品々が並んでいる。こういうのを見ると、普段はハンバーグやピザを食べていても、やっぱり日本人の血が決して無くなる事は無い、と思う。
 まあ、吉田にしても高橋にしても、実は寒い外に出てまで節目を感じようと言う程では無い。でも、こうして出て来たのは、何だか酷く詰まらないから――その理由は、2人とも想い人がこの場には居ないからだ。どちらとも、親の実家に帰省してしまっている。
 神社で新年を迎えよう、というこの誘いは、虎之介の方からだった。それまで佐藤と一緒に居たからか、折角の冬休みだと言うのに酷く味気ない27日の事。そのメールから「山中は来るの?」という吉田の疑問に「あいつは親の実家」という簡素な答えが戻ってきた。そこで吉田は、虎之介も自分と同じような境遇にあるというのを知った。この虚無感にすら似ている寂寞は虎之介も抱えているのだと。そんな事もあり、あまり行かない初詣に、今年はその重い腰を上げた。
(……そーいや、とらちんは山中とどこまでいってんだろ……)
 根掘り葉掘り聞くのは趣味じゃないが、やっぱり気になってしまう。しかも相手が、男というか同性とかいう以前に、山中だし。
 虎之介への気持ちは本気で本当だが、かと言って可愛い女のコに声を掛けるのも止めようとしていない山中を見る度に、吉田はなんだか頭痛が起きそうな気がする……が、実際頭痛が起きているのは現場を目撃され次第ボコボコにされている山中だろうが。今夜の鐘で山中の煩悩が晴れればいいが……まあ、多分無理だろう。吉田は自分の中ではじき出した結論に頷いた。
「今、何時だろうな」
 虎之介がふと呟く。それは今の時刻が何時かという問いかけより、日付が変わるまであとどれくらいだろう、という意味だった。12時が近づくにつれ、人が多くなっていく気配を感じる。
「んーと……11時30分くらいだな」
 携帯を取り出し、吉田が答えた。あと30分。それで今日も終われば今年も終わる。
「………………」
 ふと、横からの虎之介の視線を感じ、吉田が顔を上げる。虎之介は、まじまじと吉田の携帯を見ていた。いや、正確には、それについているストラップだった。それ、と虎之介が指でさす。
「それって、ヨシヨシが買ったモンか?」
「へ?うん、そうだけど」
 質問の意図が良く解らないまま、吉田が答える。そうか、と虎之介は相槌を打つ。
「いや……この前出掛けた時、それとよく似たのを見つけてな。
 ……いや、見つけたっていうか……」
 その時の事を思い出してか、虎之介が苦い表情をする。それでいて、どこか恥ずかしさも見えるそんな複雑な顔。吉田は山中絡みだと察した。基本割り切った性格の虎之介に、こんな顔をさせるのは、山中意外思い当たらない。
「山中がな」
 やっぱり、とその名前を聞いただけで疲れを感じる吉田。
「そのー、ペアになってるストラップみたいなヤツっていうか、まあそんなの見つけて、「買ってv」とか強請って来て……」
 強請ったのか。せめて自分で買うとかしたらどうだ。さらに疲れる吉田。
「それによく似てるんだけどよ……まあ、別物だよな」
「えっ、あ、う、うん!多分別物!違う違う!」
 吉田は慌てて手を振って、なるべく不自然にならないよう、そして急いで携帯をポケットに入れた。
 ――実は吉田は嘘をついた。虎之介の言い分こそ正しい。これは佐藤が、秋本が洋子へのプレゼント選びの際訪れたデパートで見つけたものだ。ペアのストラップ。あの時、吉田は女子に勘付かれたらと言って、買おうという佐藤の意見を却下した訳だが。
 いざ佐藤へのプレゼントを購入しようと決めた時、佐藤が何かを強請ったのは、キスとかそういうのを別として、吉田の記憶にはこれくらいしか浮かばなかった。佐藤も、どれくらい本気で欲しがったのかも解らないが、ああ言ったからには少なからず欲しいという気持ちもあった筈だ。折角のプレゼントを外したくない吉田としては、とても慎重に事を運んだ。
 ペア物を買うという行為は、かなりの羞恥を伴ったが、極めて事務的な心境に至る事でどうにか購入を済ます事が出来た。暫くあのレジには行けないな……と思いつつ。
 実物を見た時、佐藤は結構面食らった顔をしていた。まさか吉田がこれを贈ってくれるとは、思ってもみなかったのだろう。抱きしめたり、キスをしたり、好きだと囁いたり……そういう、いわゆる恋人的な事を、吉田はまだとても、酷く恥じらうから。違っているとは言わないが、それでも、吉田が主張したいのは、状況が変われば心境も変わると言う事だ。自分たちの関係がバレる心配がない所では、吉田も素直になれる。
 だから、このストラップも、学校で付けなければ良い。ストラップを付けたり外したりは地味に手間かもしれないけど。
 佐藤は嬉々とした顔で、自分の携帯にストラップを付けた。吉田もだが、佐藤も携帯に飾りは付けない主義で、それだけが付けられる事となった。風切り羽を模した、銀で作られた飾り。1つだけでは解らない。2つ揃えば、お揃いだと解る。今は実家に戻っている佐藤にも、これと同じ飾りが付いている。それを思うと、佐藤の居ない寂しさがちょっとだけ癒えるような吉田だった。
 佐藤もそうだといいな。吉田は思う。
 今はもう思って無いと言いながら、佐藤は何処か遠くで1人になりたいような、そんな顔をするから。


(なんだかんだで、あと5分か……)
 携帯を見た吉田は胸中で呟く。そうしている間にも、時間は過ぎて行く。あと4分30秒、あと4分、あと3分50秒……
 何となくカウントダウンを頭の中で描いていると、すぐ近くから携帯の着信音が聴こえた。虎之介の携帯だった。どうやら、設定したその着メロだけで、相手が誰か解ったようだ。虎之介が複雑な顔をする。
「……山中?」
 携帯の相手は、とわざわざ言わないでも、疎通は出来た。おぅ、とやや顔を赤くして頷く虎之介。
 手に取らないでも、その電話をかなり気にしているのが解る。着メロはいっそ執拗なくらい聴こえる。相手が出れないような状態であると考えないのが、いかにも山中らしい。
「……出ないの?」
「…………」
 虎之介はちょっと気まずそうに、吉田を見た。2人しかいない状況で、虎之介が電話に出てしまえば吉田をほっとくような形にしてしまうのに、気が引けたのだろう。この場に来るのを提案したのが、虎之介の方からだというのが、おそらく大きな要因だ。それが解った吉田は、ああ、と頷いた。
「いいから、出てやりなよ。学校で会った時、またしつこいよ?」
「……ああ、そう、だな」
 今からリアルに想像出来たのか、虎之介がややげんなりした。佐藤も大概ベタベタしてくるけど、山中程では無い。佐藤のは、強いて言えばそれでも友達同士の悪ふざけの範囲で収まるくらいだ。あれでいて、佐藤も色々気を遣っているのだろう。……多分。
 虎之介は、携帯を手にした。さっきの着信はとうに終わっている。留守番にでもメッセージを入れたかと思えば、懲りない山中はまた着信して来た。虎之介からかけようとしていた指が思わず止まる。
 このタイミングでの着信は、通話をしながら年明けを迎えようというものだろうという意図は、虎之介にも解っている。「じゃ、ヨシヨシ。来年もよろしくな」とこの場ではちょっと可笑しいかもしれない挨拶を、虎之介もやや恥ずかしそうに言った。吉田も笑顔で、同じく答える。来年も、よろしく。
 そして虎之介は電話に出た。雑踏の中に居ながらも、やはりすぐ近くの声は耳に明確に届く。何だよお前は、しつこいな。今?神社だけど……ヨシヨシと一緒。は?別にいいだろ。え?佐藤?居ねぇけど、何でだ?……
 電話の向こうでも、佐藤の存在に怯えている山中に、これは来年も克服出来そうに無いな……と吉田は密かに嘆息した。問題と言えば問題だけども、改善しない事で特に困るような事も無いと思うので、とりあえずはほっといているけれども。
 さて。
 虎之介は山中の電話に掛りきりだ。これは吉田が促した事で……図った事でもある。
 虎之介が山中と話している事で、吉田も佐藤に電話が出来る。さっき虎之介が抱いていた懸念の様に、虎之介をほっといて電話をするような事はしないが、それでも、やはり、この場に居ないからこそ、せめて声だけはと思っていた訳で。当初の計画では虎之介と分かれた後の所を、早める事が出来た。吉田はちょっとだけ山中に感謝した。あくまで、ちょっとだけ。
 この時間ならまだ起きていると思うけども、まあ、出なかったらその時は留守番にメッセージを入れておこう。吉田は、初めてするでもないのに、ちょっとドキドキしながら佐藤の通話を待った。
 3回くらいの、コールの後。
『吉田?』
 佐藤の声だ。解っているのに、ドキン、と胸が弾んだ。
「あ、えーと、今、話すの大丈夫?」
『ああ、うん』
 佐藤は、ちょっと待って、とも言わなかったが、吉田には佐藤が移動の最中だと思った。バタンパタン、とドアが開閉する音を聴く。ゆっくり話せる場所に移ったのだろう。
「今、家?」
『うん、自分の部屋』
 そう言われて、吉田の頭の中にすぐにマンションでの佐藤の部屋が思い浮かんだが、実際に佐藤が居るのは実家での佐藤の部屋だろう。どんな部屋なのかな、と当ても無い想像をした。いつか、直接訪れる時が来るのだろうか。
『吉田は――今、外か?』
 この喧騒は向こう側にも届いているのだろう。佐藤がそう言った。
「うん、とらちんとね。近所の神社に来て、さっき甘酒飲んだよ」
『そっか』
 佐藤は、現在の虎之介の所存には特に問い質して来なかった。山中も山中だけど、佐藤も佐藤で、未だに許していないようで(だからこその山中の反応かもしれないが)その名前を聴かすのも躊躇うので、ちょっと吉田は助かった。ちょっと横目で窺うと、虎之介は山中と通話中だ。笑みを浮かべている所を見ると、結構良い感じの様だ。良かった……と、言うべきなのか、吉田は激しく迷う。
『あ、』
 と、佐藤が声を上げた。どうした?と吉田が声を掛ける前に言う。
『もう、年明けまで1分も無いぞ』
 そうなのか、と吉田は胸中で呟く。携帯で時間を確かめていたから、こうして通話中になると時刻を調べる術が無くなる。
「今年も、あと1分か」
 今更、感慨深く吉田が言う。
『俺にとっては中々賑やかな1年だったなー』
「俺もだって!」
 まるで人ごとのように言う佐藤が可笑しかった。
 本当に、この1年色々あった。高校進学という人生の節目に加えて、入学から程なく佐藤から衝撃の告白。その後、自分の気持ちと向き合って、佐藤が好きなのだと自覚した。それから恋人同士の付き合いとなり、一緒に出かけたり、部屋でごろごろしたり……キスをしたり。
(あー、そういや、ファーストキスもしたんだっけ……)
 忘れていた訳でもないが、思い出した。本当に、この1年色々あった。それで予感するのは、来年もまた色々あるだろう、という事だ。山中の事もあるし、付随して虎之介に関しても。西田もまだひと悶着くらい残っていそうだし、それに何より女子達だ。絶対、今年よりもパワーアップする事が予想出来る。それから、佐藤のモテっぷりも。
 ……まあ、退屈する暇だけは無さそうだ。良いか悪いかは、この際置いておく。
「来年も俺達、あんな感じかな」
 あはは、と自棄になったように吉田が言う。佐藤からの突っ込み待ちのつもりで言ったセリフだったが、しかしいつまで経っても返事らしい声が来ない。電波でも悪いのか?と思った頃、ようやく「そうかもな」という控えめな返事だけが来た。
 故意か無意識か知らない。でも佐藤は、あまり自分たちのこの先について語らない。まあ、吉田だって率先して言う性質ではないが……それでも、いつか聞いた佐藤の「これから」の話しは自分が佐藤の元から去るような場合の時だったと思う。西田に告白されたすぐ後、つい普段の行動を西田と比べてしまって、意地悪ばかりする佐藤を揶揄した時の事だ。
 何故佐藤と付き合ってるんだろう、と疑問を持つ事はあっても、それは決して離れたいという意味では無かったのに、佐藤はそう受け取ってしまい、酷く表情を沈ませた。あんな顔をされるくらいなら、それこそクラスのど真ん中でちょっかい出されて女子からの敵視を勝った方が、まだマシだ。
 来年。佐藤のこういう面が、この先どう出て来るのか……最悪のケースを思うと、吉田の胸が変な風にドキッとなる。
 そんな感傷に苛まれていると、突然周囲からのカウントダウンが始まった。10、とおそらくこの場に居る全員が、声をそろえる。
「うわっ!なんか、カウントダウン始まった」
『ああ、こっちまで聴こえて来るよ』
 何か、最後に話しておきたい事があったような、ないような。この電話のきっかけも、話しがしたいというより、声が聴きたいというものだったからか、すぐに浮かんでは来ない。
 周りのカウントダウンに合わせるように、吉田の中で目まぐるしく今年の出来事が遡って行く。この前、一緒に過ごしたクリスマスから順番に。そして、ラスト1の所で「俺の事好き?」と尋ねる佐藤の顔が浮かんだ。今はもうあまり言われなくなったけど、そう言われる度にきっとドキドキしていた。
 今言われても、同じようにドキドキしてしまうのだろう。最近、佐藤は言わないから、解らないけど。


 ついに1年が終わりを迎え、新しい年を迎えた。其処ら彼処で新年を歓迎する声が湧き起こり、吉田達と同じように、此処には居ない誰かと電話にて年明けの祝いの声を言い合っている人もちらほら居る。虎之介達の電話もまだ続いているようだ。
 ――また、1年。佐藤と過ごす日々を迎えるのだ。終わっても居ない内から、吉田はそう思って疑わない。
「佐藤」
 吉田が言う。
「今年も、よろしく」
『うん』
 すぐに来た返事に、吉田は嬉しそうに顔を綻ばせた。



<END>