最初は穏便に「興味ありません」から、しつこい相手には「警察呼びますよ」で追い払う。
 佐藤と外出すると、決まってかけられるモデルのスカウトを断る文句だ。
 大抵この手のスカウトは、人の出入りが激しい駅周辺に屯している。それが解っていたとしても、回避して行動するのは事実上不可能だろう。特に、駅を利用したのであれば。
 吉田はこれまで、よく芸能人なんかで「渋谷を歩いていたらスカウトされた」みたいなエピソードは話し半分、いやまるっきり信用していなかったのだが、こうして現場を目の当たりにしてしまうと、その意見を変更せざるを得ない。
 芸能人になるのも必死かもしれないが、獲得する側も必死、という事だろうか。原石どころかすでに宝石として完成していそうな佐藤は、いわば棚からボタモチのボタモチなんだろう。同じ人が声を変えて来る事も少なくは無い。
 以前、あまりにしつこい人がいて(ちなみに女のひとだった。どうでもいいけどby吉田)佐藤はそれまでの苛立たしさを一掃させ、突如いきなりにこりと相手の女性にと向き直る。それで、吉田にちょっと待ってて、と告げて2人して姿を消した。
 吉田がその行動に、何のヤキモチも抱かなかったのは、その笑顔に隠された素顔を感じ取ってしまったからだった。
 戻って来た時、勿論――というか、佐藤一人だけだったが、吉田にはとても相手の行方を尋ねる勇気は出てこなかった。佐藤がとっても良い笑顔だったので、特に。
 スカウトを振り払った後の佐藤は、ちょっと不機嫌だ。それは勿論、吉田との時間を邪魔されたからで。
 おそらく、軽いキスの一つで治る単純なものだろうけど、だからこそこの場では絶対出来ないと言うか。部屋に着いたらしてあげるからね〜、と泣く子を飴玉でなだめるような、そんな事を思っていた。
「あのー、ちょっといいかな」
 しかしタイミングというものは重なるもので、本日2度目のスカウトがやって来た。今の声だけで、佐藤の機嫌にビキ!!と皹の入ったのが吉田には見て解る。あまりにも。
 相手は、20代後半くらいの男性。メタリックなイメージのフレームの眼鏡に、カジュアルな感じのスーツ。度々スカウトの人を見て吉田も目が肥えたのか、この人はしっかりした出版社の所から来たんだな、と解った。例え社員一人単体が出て来ただけでも、その会社の格調、みたいなものは染みついている。
「君、格好いいねー。読者モデルとか興味無いかな」
「ありません」
「まあまあ、ちょっとだけ見てくれない?この雑誌やってるんだけど――」
 そう言って、鞄から手早く開いた雑誌に、吉田は目を見張った。それには、見覚えがある――というか、ちらほら、教室内でも見かける表紙だった。つまり、それだけ大手の所、という事で。
 吉田がその事に気付いたのに、向こうも察したのか、眼鏡越しの双眸がきらりと鋭く光る。
「ウチの雑誌、結構売れてるんだよね〜 もしかしたら、テレビ局の人から目を掛けられて、そのままドラマ出演!っていうのも珍しくないんだよね。例えば――………」
 そう言って、人の名前を挙げていく。全てではないが、吉田も知っている名前はいくつかあった。
「どう?」
「…………」
 佐藤が足を止めた。そして、男性に向き直る。よし!かかった!とばかりの得意げな顔をしている男性に、佐藤は周囲には聴こえない声で低く呟いた。
「そうだな。そこまでしてテレビに出たいくらいなら、今この場でお前を張り倒して、雑踏の中で人を半殺しにした男としてニュースで報道されるのが一番手っ取り早いだろうな。
 ああ、でも未成年は顔出しも名前もNGだったっけ。残念だ」
「―――――――」
「じゃ、そういう事で。
 ほら、行くぞ」
 うっかり佐藤の瘴気と冷気の余波を食らってしまい、男性みたく凝固してしまった吉田の腕をとり、佐藤は何事も無かったかのように歩き出す。吉田の名前を呼ばなかったのは、相手にこちらの情報を何一つ教えてやるもんか!という主旨を徹底した為である。
 固まった男性が動けるようになったのは、人にぶつかって――というか、ぶつけられてよろめいた時だ。
 その相手がヤのつくヤバい人で、男性が軽く地獄を垣間見た臨死体験をするのだが、そこまでは佐藤もあずかり知らない所だった。


(いやー、それにしても、あんな所からまで声がかかるんだなぁ……佐藤………)
 佐藤の部屋に着き、そこで外出疲れを癒すようにまったりして吉田はさっきの出来事を反芻していた。佐藤の発したセリフは省いて。
 今まではリトルプレスというか、ローカル誌というか、良く言えば地域密着型の出版社だったのだが、今日のはいわば全国版。日本全国を相手にする商売の人が、佐藤に目を付けて来たのだ。載せる価値があると。
 まあ、佐藤の顔のレベルからしてみると、その注目は遅いくらいかもしれないが、何せ佐藤が今の顔で戻って来たのは、つい最近と言えばつい最近の事だ。向こうからしてみれば、突如現れた奇跡の逸材、くらいな感覚かもしれない。本当は、ちょっとのブランクを開けただけで、随分と此処に住んでいるというのに。
 きっと、この手のスカウトは、今度も増えるだろうなと吉田は思う。だって減る要素が見つからないのだから。
 今までは、佐藤も歯牙にもかけない態度だったけど、今後、あるいはもしかしてお眼鏡にかかる所があるのかもしれない。もし、そうなったら――
「………………」
「……田、吉田、」
 すぐ近くからの佐藤の声に、吉田は飛び上がらんばかりに驚いた。ちょっと、本当に飛び上がったかも。
「うわっ! えっ!!! ごめん! 聞いて無かった!!!」
「いや、飲み物、コーヒーと紅茶どっちがいいかって聞いただけだけど……
 何か、考え事?」
 佐藤が吉田の顔を覗き込みながら言う。端正なその顔に、吉田がうっとなって顔を赤らめる。
「……考え事っていうか……」
 やや口籠って、吉田は言う。俯き、暫くは口を噤んだが、吉田はぽつぽつと話し出す。
「その……今日もスカウトの人が声をかけて来たじゃん」
「……ああ、そうだな」
 特にしつこかった今日のスカウトの不愉快な記憶に、佐藤の顔も歪む。
 どうしてほっといてくれないんだろう。こっちは、吉田と楽しい時間を過ごしているのに。それは自分にとって、大切な思い出になるのに。
 ぐつぐつと似詰まっている佐藤はさておいて、吉田はそこで佐藤に問いかけた。
「佐藤って、モデルとか、そういうのに本当に興味無い?」
「いきなりだな……。無いよ。全く無い」
 これっぽっちも未練も感じさせないくらい、佐藤の声はさばさばしていた。昔の肥満体も、今の端正な容貌も、佐藤にとっては無意味という点では同じ価値だ。吉田も勿論、その事はよく解っているのだが。
「本当に? これっぽっちも?」
「……何か今日はしつこいな……
 全然無いね。だって、そんな事したら、吉田と過ごす時間無くなっちゃうじゃん」
 何時に無く執拗に尋ねて来る吉田を訝しみながらも、にこっと甘さたっぷりの笑みをオマケに付けて、佐藤は言う。この笑顔とこのセリフを合わせたら、吉田の反応としては「何言ってんだバカ!!」と顔を真っ赤にさせるのが佐藤の中ではお約束なのだが。
「じゃあ、俺が居なかったらしてるかもしれない、って事?」
 思っても無かった吉田からの切り返しに、佐藤も目を見張る。じ、と自分を見つめる吉田の顔は、勿論冗談で言っている訳ではない。
 質問の意図が掴めず、佐藤が返事に戸惑っているのが解ったのか、吉田が話す。
「……俺さ、こう見えて大抵のトラブルならなんとかこなせそうな気がするんだ。
 例えばこの先、佐藤が妙な気起こして、俺を置いて外国行っちゃっても、絶対追い詰めて延々説教する自信はある」
「……………」
 ともすればそういう行動をとりそうだという自覚のある佐藤は、そのセリフの反応に困った。畏れればいいのか、喜べばいいのか。
「でも……そういうモデルの世界に入られたら、さすがにもう追いかけられないというか、追いつけないと言うか……」
 うーん、と考えをまとめながら、吉田は言う。
「それはちょっと困る?っていうか……なんていうか……」
「――要するに――」
 低迷しっぱなしの吉田に、佐藤が口を挟む。
「俺と一緒に居られないのが嫌って事?」
「……ぅ、まあ、それもある……」
 顔を赤らめつつ、吉田は答えた。
 理由が他にもありそうな、含みある返事だったが、佐藤はあえて追求しようとは思わなかった。
 今ので十分嬉しかったし――それに、何となく解る。
 具体的な将来を考えされられて、吉田はそれに不安を抱いたのだ。佐藤も思う事だ。この先、どれだけ一緒に居続ける事が出来るのだろう。
 どれだけ、傍に居るのが許されるのだろう。
 気持ちだけではどうにもならない。そんな無慈悲な事は、この世にごろごろと転がっている。
 それに、自分達が選んだ未来の選択肢が、必ず寄りそうものとも限らない。吉田は今、特にその辺りを懸念しているのだ。先のモデルの一件で。
 いつか決断の時、吉田が進むその道は、自分も歩けるものだろうか。佐藤はふと思った。
「………………」
 佐藤は、そっと視線を下に移す。
 特に体を支えるでもなく、床に置かれた吉田の手。昔、自分を守ってくれた。きっと今も守ってくれている。苛めっ子達を蹴散らしたような、物理的な事では無く。佐藤が自身を喪失しそうになった時、引き戻してくれるのは吉田なのだ。
 佐藤は吉田の手を、床に置かれたまま、その上に自分の手を重ねるように、きゅっと軽く掴んだ。その感触に驚いてか、吉田が目を丸くして佐藤を見上げる。吊り目が膨らんだ双眸は、何だか子猫みたいで可愛い。
 佐藤は、自分を見つめる吉田に何も言葉をかけず、そっと口付けた。吉田は逆らわずに、黙って受け入れる。
 自分たちの距離を確認するような口付けの間、佐藤はずっと吉田の手を掴んだままだった。
 行く先を不安がっている吉田に、本当は言ってやりたかった。心配しなくて大丈夫。だから、この手を離しちゃいけないよ。でも、それを言うには、まだ勇気が足りなかった。
 吉田と一緒に居て、彼から沢山の愛情を貰えば、やがて備わってくるものだろうか。
 そんな思巡の中、吉田がそっと佐藤の手を握り返す。微かな力は、それでも佐藤の手にしっかりとした感触を齎し、足りない何処かが満ちるのを、佐藤は確かに感じ取っていた。




<END>