その日の朝は、女子の悲鳴が鳴り響いていた。それも感激の為の悲鳴では無く、悲愴や悲観が入り混じったものだ。
「さ、さ、さ、佐藤君の手首にぃ〜〜ッ!!」
「ほ、包帯がっ!!……怪我したの!?怪我したの!?ねえ、佐藤君!!」
 その原因は勿論と言うかやっぱり佐藤で、現在彼の手首から掌にかけて、包帯がきっちりと巻かれていた。ひと目で解る怪我の様子だ。
「ああ、ちょっと捻っちゃってね。通院が必要だから、暫く皆とは遊べないな」
 少しだけ眉をひそめ、佐藤は残念さを演出した。勿論、それにころっと騙される女子達。ちょっと離れた場所からそれを見ていた吉田は「あーあ」と溜息をついた。
 遊べないというその事実に、そ、そんな!!と、佐藤が怪我をした時点で顔色の悪かった女子達は、いよいよ蒼白へと変えていく。今にもゾンビになりそうな女子達であったが、「ごめんね、心配かけて」という気遣うような佐藤の表情とセリフで、一気に漲った。解りやすいのは良い事だ。多分。
 これまで以上に佐藤君をサポートするのよ!と色めき立つ女子達を横に、佐藤は席に向かう。
「おはよ、吉田」
「……おー」
 その途中、吉田に挨拶する。吉田が無愛想なのは、さっき、女子達に微笑みかけたのが気にくわないからなのだろう。小学の時の手の届かない存在から、そしてついこの前まで会う事も叶わなかった相手に、こうして可愛いヤキモチ妬かれるなんて、誰が想像出来たこの幸せだろう。そう思って浮かべた佐藤の微笑は、さっき女子に向けた煌びやかさは無いものの、止め処ない愛情に満ち溢れていた。ぷい、と逸らした吉田の顔は赤いのは気のせいでは無い。
「で?実際はどうなんだ?」
 佐藤が女子達に話す事はほぼ偽り、が吉田の中で定説だ。佐藤が正当な理由で女子の誘いを断った時があっただろうか。いや、無い!(反語)自分こそがその生き証人であると、吉田は文句なく言える。残念なのは言える場所が無い事だ。
 最初から嘘吐き呼ばわりされている事をものともせず、佐藤は吉田にだけ実情を打ち明けた。
「完治3,4日って所かな。この包帯はあくまで念の為、って事で。利き腕だからさ、怪我したの」
 怪我した箇所をあまり動かさない方が治りは早い。しかし佐藤が負った所は利き腕で、気を付けたところでどうやったって多少は動いてしまう。あくまで固定の為なのだそうだ。
「ふーん、て事は、怪我したのは本当なんだ」
「さすがの俺も、してない怪我で包帯巻いてまで女子の誘いを断るような悪趣味な真似はしないよ」
 佐藤は言うが、果たしてそうだろうか。もっと悪趣味な事もしてると思うけど。主に俺に、と吉田は思った。
「それに、本当なった時に困る嘘はつかないんだ。実際に怪我した時、信用して貰えなくなるだろ」
「俺にはそーゆー嘘、たまにつかれてるような気がすんだけど」
 じと目で佐藤を睨む吉田。しかし、睨まれた当人と言えば。
「だって、吉田は俺の事信用してるし、俺も吉田の事信用してるしvv」
「…………。ばか」
 おそらく罵る為に言ったのだろうその単語は、口調を顔色のせいで、むしろ睦言のように甘く感じられた。


 佐藤が怪我をして、彼が痛い思いをしたのはとても可哀そうだと彼女達は嘆く。
 しかし同時に強かでもあるので、このトラブルをチャンスにお近づきになれるかもしれない!!と頭を回転させる事も忘れなかった。例えば、移動教室の時、筆記具を持ってあげるとか、ノートを代わりにとって上げるとか!!
 佐藤君は優しいから(←女子的観念)きっと感謝してくれるに違いない。そしてあわよくばそのお礼に……vvという事で。
「吉田ー。次の教室まで俺の荷物持ってってv」
 と、いう声はまぎれも無く佐藤の声だ。えっ、そんな!!とその役割を虎視眈々と狙っていた女子達が戦く。
「えー、それくらい持てるだろー?」
 吉田はさも面倒臭そうに言う。そこに付け入る隙を見つけた女子が素早く割り込む。
「佐藤君!だったら、あたしが……」
「あ、ちょっとずるい!」
「わたしだって―――!!」
 途端に群がる所となり、吉田はいよいよげんなりした。もう、さっさと行ってしまおう……と、こそこそと喧騒の間を抜けようとしたが、佐藤に襟首捕まれて、敢無く失敗する。
 なんだよー!離せよー!とじたばたする吉田をしっかり確保しながら、佐藤は女子達ににっこりと笑って言う。
「皆、ありがと。その気持ちだけで十分だよ。2人分の教科書って地味に重たいからさ、女の子に持たせる訳にはいかないからね」
 佐藤のセリフに、それまで競い合って喚いていた女子達が、はっと息を呑むように声を止めた。
「さ、佐藤君……vv」
「なんて、優しいの………vv」
 ぽーっと熱に浮かされる女子軍。ここまでくると、恨みも妬みも無しに却って感心するな……と周りの男子達は思う。
「それじゃあね。ほら吉田、さっさと行くぞ」
 と、言って自分の分を持たせた吉田を引きずるように歩き出す佐藤。
「………………」
 片腕で自分を引きずる力があるなら、別に手助けいらないじゃん、と言っても無駄だと悟った吉田は、何も言わなかった。


 繰り返しになるが、佐藤が怪我をしているのは本当だ。近寄ると、湿布薬の匂いがするし。
 その為、多少佐藤の我儘が過ぎる要求を、吉田は何となく受け入れてしまう。そして吉田はそれを自覚していないで、勿論解っている佐藤はこの状況を利用して、大いに楽しませて貰った。
「吉田、着替えさせてよ」
 体育の前の時間、今度はそんな事を強請る佐藤。ええー?と吉田が一旦嫌そうな顔を取るのは、いっそ定型美に思える。
「もー、しょうがないなー」
 と、言いつつ吉田は制服のボタンに手を掛け。
 3つ目まで外した所で、気付いた。
「……って、お前見学なんだから着替えはいら――――んッ!!!」
「あ、解っちゃった?」
 あはは、と愉快そうな佐藤に、一層突っかかる吉田。その様子を見て、楽しそうだな、うん、と牧村と秋本が言う。女子がいないと基本平和な室内だった。吉田を除いて。


 そんな風に意地悪されているにも関わらず、昼の食事の時には、サンドイッチのフィルムを佐藤に言われる前から剥いでやる。吉田のこう言う所が、佐藤は好きなのだ。
 でもさすがに、食べさせてvという我儘は困らなかった。明日は弁当にしてやろうかな、とちょっと企む佐藤だった。
「ところで……どうして、捻挫なんてしちゃったんだ?」
 あれこれ強請る佐藤のせいで、その質問を今ようやく言えた。別に言いたくないならいいけど、と吉田が言いだす前に佐藤は言う。
「ああ、風呂場で滑ったんだ」
 佐藤はあっさり告げる。そして、食事を再開させたが。
「………何だよ。本当だってば」
 あからさまに探るような吉田に、ぼそりと言う。
「いや、別に疑ってる訳じゃ無いけど……
 そういう後にまで引くようなドジするなんて意外だなーって言うか。
 佐藤って、何でも完璧にやれそうな感じするし」
 そう言って、自分の食事に手をつける。しかし、ふっと佐藤が笑ったような空気を感じ取ると、また顔を上げた。
「俺が完璧でもなんでもないのなんて、吉田が一番解ってるくせに」
 自虐的にも取れそうなセリフだけども、言っている本人は楽しそうというか、嬉しそうだ。
「風呂場でコケて怪我する時もあるし、好きな子に我儘言って困らせたりもするよ。知らないなら教えてあげるけど♪」
「い、要らないから……」
 解ってるから、と顔を染める吉田。ああもう、全く可愛い。
 俯き加減になってしまった吉田だが、何かに気付いて佐藤に向き直る。
「あっ! だからお前、ホントは痛いのに我慢とかすんなよ! テーピングの巻き直しくらいなら、俺でも出来ると思うし」
 空手道場でそういう事も教わったのかな、と佐藤は思ってみた。しかしそれ以上に、これだけからかわれていても、相手を気遣う事を忘れないんだなぁ、という事実に顔が綻ぶ。
 以前はクラスの中心だった吉田だが、今は何だか縮こまっている。その時はちょっと戸惑ったりもしたが、でもやっぱり吉田は吉田で。だから変わった所もそのままの所も、どっちも佐藤には愛しい。
 痛くないよ、と嘘偽りも無い無防備な言葉も、吉田になら言える。
 そっか、と吉田は目をきゅっとさせて笑う。ちょっと嬉しそうなのは、相手の痛みが自分のもののように思えるからだろう。
 純粋に相手を思う時には、こういう笑みを浮かべるものだ。女子達のそれには、自分への労りがまるきり無かった訳でもないが、それ以上にこのチャンスに自分を売り込もう!!という気迫をひしひしと感じられた。まあ、そういうエネルギッシュな所は、さほど嫌いでもないのだが。癒されたいなら、吉田が居るし。
「……あー、でも、痛くはないんだけど、思いっきり不都合している事が……」
「ん? 何? 」
 俺に出来る事なら言って、と吉田は表情で訴える。その真摯な顔には、ちょっと罪悪感を覚えるけど。
「いやー、さすがにこの場ではちょっと……ね」
 はぐらかすというより、歯切れの悪い佐藤に、吉田も首を傾ける。
「何なんだよ、はっきり言……。…………。…………………」
 セリフの途中で、佐藤が言わんとする「不都合」に気付いた吉田は、みるみる顔を赤らめる。その様子を、佐藤は悪戯が成功した子供のような笑みで眺めた。
(き、気付かないフリ! 気付かないフリ!!)
 自分に念じながら、吉田はがふがふとパンにがっつく。佐藤はいよいよ楽しそうだ。
「じゃ、放課後。俺の部屋で頼むねv」
 佐藤の声に、ダガシャー!!と椅子ごとこける吉田。
「なっ、なっ、なっ、なっ………!!」
「だって仕方ないじゃん。こっちの都合も無視して溜まるものは溜まるんだし」
「ひ、昼間からそういう事を言うなっ!!!」
「だって、吉田解って無かったみたいだし……それともホントは解ってて、」
「わーわー!何も聞こえない!!何も聞こえない――――!!!」
 真っ赤になって取り乱す吉田に、別に初めてでも無いくせに、と呑気に思う佐藤だった。
 とにかく、包帯の取れる4日後まで、吉田は普段の3割増しくらい、佐藤にからかわれる羽目になる。
 すっかり疲弊し、こうなると自分の方が医者が必要だと吉田は思ったが、それでも自分にだけ我儘を言う佐藤の事も、ちょっと可愛く思えたりもする。
 あくまで限度を考えればだけど、と吉田は自分の思いに、いい訳程度に付け加えた。



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