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 再会して、小さくなった吉田――と、いうか相対的な問題として、吉田はそのままでこっちの方が大きくなったのだが、まあとにかく。
 目の前でちょこんとしている吉田を見ると、何やらそのまま口の中に含んで転がしてみたいなぁ、などと思ってみたりする。そう、キャンディのように、舌の上でコロコロと。
 別にこの感情は、カバリズム信仰だとか、そんな物騒なものではないと思う。これはつまり、アレだ。
 所謂――”食べちゃいたい程可愛い”というもの。
 初めてその表現を目の当たりにした時、何で可愛いと食べたくなるんだ、と冷静なツッコミというか野暮な意見しか出てこなかったが、吉田を眺めているとその表現の適切さに唸るしかない。吉田は可愛い。思わず、味をみたくなる程に。
 きっと、その味はとても甘いのだと思う。恋とは甘いものだ。勿論苦みや辛さもあるけれど、可愛い、なんてぼんやりした夢心地の中で思うのは甘さ以外考えられないだろう。
 しかしながら、甘味というものも、良い事ばかりでは無い。特に、日常生活によく出回っているあの白い砂糖には、依存性や中毒性が認められていて、重症患者の為の施設も作られるほどだ。
 時には身を滅ぼす――けれど、無しでは生きていけない。恋と甘さには、そんな共通があると思われる。共通するものは、同一視し易い。
 人は無意識でも意識的にでも、甘味を求める生き物だ。遥か昔から、それを求めて葉や樹を齧ったりもする程、貪欲に。
 自分はケーキや甘いものは受け付けない、という人は酒で糖分を摂っているのだ。下戸が甘党に多いのは、つまりはそんな理由からだ。例えその酒に甘味が無くても、糖分からの呪縛からは逃れられない。
 人はいつも甘さを求めて、恋する気持ちはとても甘くて、だから好きな人を見ると食べたくなる。
 食べちゃいたい程可愛い、という例えの謂れのひとつとして、とりあえず提示してみたい。

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「……………」
 そこまでざっと打ち込んでみて、佐藤は無言でバックスペースキーを押して、画面を白紙に戻した。
 そして改めて本来の課題に取り組む。休み明けではなく、間の登校日が〆切となる課題だ。果たして、吉田はこのレポートの事を覚えているだろうか。最近会ったあの様子だと、かなり景気良くスコーンと抜け落ちているように思うが。
 とりあえず、前日に確認でもしてみようか。折角、メールも教え合っているのだから。
 最後に会ったのは、何日前だったか。まだ数日前だというのに、会いたさが募ってついこんな散文めいたものを書き散らかしていた。書かなければならないのは、世界情勢に関するレポート。話題性が普遍的な分、資料の段階である程度纏められている環境問題にしようと、課題を貰った時から決めていたというのに、頭の中では吉田の事で一杯だ。
 自分のすぐ横にちょんと居て、声を掛ければ見上げて意地悪な事を言うと眦を釣り上げて怒る。ちょっと弱さを見せると吉田の方が泣きそうになって、好きだよと囁くとたまにこっちが恥ずかしい程顔を染める。
 手も指も全部小さくて、ぎゅうと握り混むとその体格差が悔しいのか、逃げようと掌中で暴れる指先がとてもこそばゆい。
 可愛い可愛い、なんて可愛い。
 全く、それこそ。
「……食べちゃいたい」
 まあ、別の意味もだけどv と自分しかいない自室で、佐藤はひっそりと微笑む。

 それと同じ時間。吉田は物凄い悪寒を受けたとか、受けないとか。



<END>

*レポート話の裏舞台的な。
 まあ、この時は7月下旬か8月上旬かと。佐藤は夏休みの課題をさっさと終わらせてそうだなぁ…