「佐藤。今日の放課後って空いてる?皆でミスドに行くつもりなんだけさ」
「皆って?」
「牧村と秋本」
 つまりお馴染みのメンバーか、とコロッケパンを齧る吉田を眺めて佐藤は思う。うっかり女子に誘われたのかと思った。佐藤を吊る餌として。
 ごくん、と口の中の物を飲み下した吉田が言う。
「洋子ちゃんがポンデのぬいぐるみ欲しくって、秋本がポイント貯めて頑張ってんだよ。
 んであと少しって所まで来てるみたいで、俺らも貢献してやろうって事でさ」
「ふーん、健気な事してたんだな、アイツ」
 そういえば最近より丸くなってたような気がしたのは、その健気さが生んだ副産物なのだろうか、と佐藤は振り返ってみた。まあそれさておき。
「うん、いいよ。俺も行く」
「そっか。4人分なら、今日で貯まるかな?」
 貯まるといいよな、と言って吉田は昼食の残りに取りかかる。
「……そういや、あの2人って結局付き合ってるのか?」
 ここで佐藤の言う「あの2人」とは、秋本と洋子の事だ。んー?と吉田は首を傾げる。
「まだなんじゃないかなー。そういう素振り見せないし……
 早く付き合っちゃえばいいのにな。洋子ちゃん絶対秋本好きだし……
 って、何だよその生ぬるい視線」
 半目になった佐藤から、明らかに責めるようなオーラを受けた吉田だった。
「別にー?吉田だってすぐに俺と付き合ってくれなかったくせに、どの口が言うんだと思っただけ。
 この口?この口か?ん?」
「ひへへへへへへ!!!!」
 向かいの席から身を伸ばし、イイ笑顔を浮かべた佐藤が吉田の両頬をぎにゅい〜と抓る。口が無理やり横に広がる痛みに、吉田は喚いた。
「な、何だよー! 今はちゃんと付き合ってるんだから、いいだろッ!」
 言いながら吉田は、抓られた頬を癒すように摩った。
「解ってるよ。だから言える事だろ」
 怒る吉田を余所に、しれっと言い放って佐藤も自分の食事を始める。自覚は薄いが、おそらく眉間には吉田曰く皹が出来ているのだろう、などと思いながら。
「〜〜だ、だって……」
 と、抓られたせいではなく、頬を赤くして吉田がごにょごにょと言う。
「いきなり好きって言われて付き合ってとか……考える時間は、要るじゃんか」
 そう言った後、ふと思い立ったように。
「佐藤は、そういう時間無かったの?」
 女子の恨みを買いまくるあの佐藤の傍迷惑な行動が、そのまま捻くれた愛情の為なら、結構入学初期から佐藤は吉田が好きだったという事になる。
 まあ、小学校の頃から、という自己申告ならばあの時期からでも頷けるが。吉田は思う。
「…………」
 吉田のセリフを受けて、佐藤はちょっと過去を振り返る。
 心が揺れるのを恐れ、大事な事程無視できるように蓋をして閉じ込めた。一番自分の心を乱した吉田への感情は、一番下に押し込められていた。厳重に包み隠していたからか、思い出したそれらは色焦る事無く、当時の思い出で胸が締め付けられる思いもした。
 他のどの出来事でも無く、吉田の事にだけそうなってしまうのは、昔からずっと吉田が好きだったからだと気付いたのは、高校に入って再会してからだ。想っていた期間は潜伏していた時期も含め長いが、表に現れてからは吉田とそんなに変わらない。自覚から告白までの間、全く思巡しなかったかと言えば、それは多分嘘になるだろう。でなければとっくに言っている。
 まあ、だけど。
 ここでは。
「……うん。俺は吉田がずっと好きだったよ」
「……っ!」
 今の佐藤のセリフでは、悩む時間は無かったのかという返答にはなっていないのだが、顔を赤くした吉田は「そ、そっか」とどもりながら頷く。上手く騙される吉田を見ると、自分で企んだ事ながら少し心配になる。
 それでもこんな駆け引きを許して欲しいと佐藤が乞うのは、吉田が佐藤に振り回されているように見えても、実際は吉田の一挙一動で佐藤が左右させてしまうという事実の為だ。
 本当は吉田の方が立場が強いという事に気づくのはいつの事になるだろうか。
 まあ、気付いたとしても、何も変わらないと思いたい。
 とりあえずは、吉田の顔の赤さが引かない内に、口の端に着いたパン屑を舐め取るついでに唇の感触も楽しもう。再び身を伸ばした佐藤は、今度は抓らずそっと頬を両手で包んだ。


「飲茶セットにしようかな。肉マンがセットのヤツ」
「あ。俺もそうしよ。冷やし中華みたいなのがいい。
 佐藤は?」
「んー、吉田、何がいい?」
「えっと、それじゃあ…って何で俺に聞くの」
 いつもの奢られるパターンだと気付いて、吉田は横の佐藤をじろりと見上げる。
「俺はコーヒーだけでいいんだけど、それじゃポイントに貢献できないだろ?」
 秋本の為、という大義名分をくっつけて自分を丸めこめるつもりだ。
 それくらいなら吉田は解るが、断る上手い手段が出ないのが最近の大いなる悩みでもある。そこそこ混んでいる店内で、いらないあげるの押し問答をするのは気が引けて、仕方なく吉田は佐藤のトレイに2,3つパイやドーナツを置く。まあ、ここの飲茶セットじゃちょっと男子高校生の胃袋には物足りないくらいだし。秋本も別品でドーナツを頼むみたいだし。
 後で回収するとして、秋本がまとめて会計をする。セットは出来上がるのにタイムラグがある。すぐに出されたドーナツとコーヒーをトレイに4人は席に着いた。
 ……その途端、周囲の女子の目がハートになって佐藤に集中するが、なるべく気にしないようにする。
「皆、ありがと。佐藤も、ありがとな」
 頼んだものが揃った所で、秋本が皆に礼を言う。
「いいよ、このくらい」
 そう言ったのは吉田だった。付け加えて、聞く。
「そういや、今日のでポイント貯まった?」
「うん、バッチリ!ぬいぐるみは取り寄せる事になるんだって」
 だからこの場では貰えないのだそうだ。秋本が説明する。
「ふーん、残念だったな。早い所彼女の喜ぶ顔が見たいだろ?」
 そう言うのは佐藤だ。彼女、の部分で秋本がかあああっと顔を赤くする。
「だ、だからね、あのね、洋子ちゃんはそんなんじゃ……」
「あーあ!秋本には可愛い幼馴染が要るし、吉田も吉田で好きな人居るし!
 俺だけ1人かよチクショウ!!!」
 秋本のセリフを途中でカットインして牧村が嘆く。おかげで秋本の否定がうやむやになったが、誰も信じてないし(それはそれで酷い)。
「ひでぇよな〜。俺だけ残して彼女作りやがって」
 恨み節炸裂に牧村が言うが、誰が彼女を先に作るか競争だぁ!と入学3日目ではしゃいだのは他でも無い彼であった。その事を思い出して、何だか遠い目になる吉田と秋本。
 牧村の愚痴は続く。
「佐藤も、本命居るしな。どう?最近上手くやってるか?」
「まあ、ぼちぼちって所かな」
 平然と答える佐藤の横で、快適な気温に保たれている筈の室内で吉田が汗をかいていた。そんな吉田を横目に見て、笑いを忍ばせる佐藤。
「そういや、佐藤。前にまだ童貞って言ってたけど、その辺りはどう……」
「あっ!牧村!なんかあの人牧村の事見てる!」
 牧村が気になってるんじゃないの、と吉田が言うと、すぐさま牧村は「えっ!誰だ誰だ!?」と意識を女子達に飛ばした。そんな相手は居ないというのに。
 牧村の話を逸らすのに上手く行った吉田は、ほっと胸を撫で下ろした。
「……友達騙して、悪いんだ」
 ぼそっとそんな声が耳に届く。佐藤を見れば、案の定にやりと見降ろしていた。
「佐藤と付き合ってるから、性格悪いの移ったかも!」
 ふん!と意趣返しに吉田が言うと「じゃあ俺達どんどんお似合いになってるんだね」という佐藤のセリフで、吉田は顔を真っ赤にしてしまった。
 それは傍目見て解る程で、不思議に思ったままを秋本が口にすると、いよいよ慌てふためく吉田を、佐藤は隣で楽しそうに眺めた。
「なっ!吉田、どの子なんだよ!?あの子か?あの子なのか!?」
 牧村はまだ探していた。


 牧村や秋本達とは家の場所がまるで違うので、店を出るとすぐに佐藤と2人きりになった。手を振って去って行った牧村の顔には、力一杯のビンタをされた手形がくっきりと浮かんでいた。吉田の嘘を真に受けた牧村が片っ端から女の子に声をかけた末の惨事である。
 迷惑条例違反で訴えてやろうかと言わんばかりの相手だったが、佐藤が出ると態度を豹変させたのには秋本と手を取りあって怯えたものだ。女子の演技力怖い。
 その後、相手の女子と一緒にお茶でも〜的な流れになりかけたのを察し、ビンタで床に伸びている牧村は秋本が拾い、それじゃ失礼しました!とさっさと退散したのだった。何せ食べ終えた後で良かった。まあ、その為に牧村が声をかけ始めた訳だが。
 ふと吉田が言う。
「……牧村、あんなに彼女欲しがってるのに、なんで出来ないんだろうな」
「……さあな……」
 顔じゃないのか、というのは声にしない2人だった。あまりに残酷すぎるから。
「佐藤さー、知り合いとかで良さそうなの居ないかな」
「うーん……と、言われても女は艶子くらいしか居ないけど」
「……それはちょっとあまりにも上級過ぎる」
 表情を落として吉田が言う。その吉田を見て、佐藤は艶子は言う事を聞く人が好きだか案外上手くいくんじゃないかな、という意見はそっと胸にしまっておいた。
 ふと吉田の視線を感じたような佐藤が、隣に目を落とす。ちょっと表情を潜めたような吉田が見つめていて、視線がかち合うと慌てて逸らした。
 その理由が解る佐藤は、口元を緩めた。
「気になる?知り合いの事とか」
「え、いや………」
 言葉を濁すが、佐藤の指摘が正しい事の表れだった。知り合いというか、むしろ過去の事全般だろう。
 吉田が知っている佐藤の中学時代といえば、艶子から聞いた肥満施設に居たと言う事と、あと女遊びに盛んな時期があったという事だけだ。空白の3年を埋めるにはあまりに足りない。
「……そりゃ気になるけど……無理に聞いても意味ないじゃん」
 不貞腐れたような、拗ねるような口調が佐藤には愛しい。キスするタイミングを計らうように、頭をくしゃりと撫でた。その手を、何だよ、と吉田が振り払うのは恥ずかしさからのポーズだ。
「俺だって、聞かれたら困る事とかあるし……。…………」
 言ってから、吉田はちょっと黙る。そして、少し経ってから心許ないような声で言うのだ。
「……顔の傷の事、なんか、ホント記憶になくってさ……怪我したってのは、まあ、覚えてるんだけど……」
 気まずい、というよりは申し訳なさそうに吉田は言う。佐藤がずっとその事を覚えていたのを、何となく感じるから。
「……まあ、怪我した、って事に驚いて、記憶がちょっとごっちゃになってるんじゃないか。よくあるだろ、そういうの」
「んー……そうかな」
 そもそも、誰かのせいで怪我をした、という認識が無いのだ。むしろ怪我した後、病院行かない!と駄々をこねた記憶の方が濃い。
「あるいは、最初から大した事じゃないから記憶になかったとかな」
「!そ、そんなんじゃ……」
 まるで突き放すような佐藤のセリフだったが、見上げて窺った彼の表情は、むしろ睦言を浮かべたような顔だった。
 佐藤は続けて言う。
「それくらい当然の事のように、誰かを助ける吉田が俺は凄く好きだよ」
「………――――ッ!!!」
 ボカン!と爆発したように真っ赤になった吉田に、キスをするなら今だな、と佐藤は吉田の背に合わせ、身を屈ませた。




<END>