金曜の放課後は他曜日に比べて3割増しで解放的だ。すでに心は休日用にと切り替わっている。
だから吉田も、昼の時点で今日の帰りは久しぶりにゲームセンターで遊び呆けよう、と決めていた。だからこんな事態に陥ったのだ、と分析しても時はすでに遅い。
「……なんかもう、こうなったらどうして気付いちゃったんだ、って気持ちになってきた……」
吉田がげんなりと呟く。これがひとり言にならないのは隣に居る佐藤の存在の為だ。吉田の放課後のプランに、特に誘われた訳でもないが佐藤はちゃっかりついて来て、吉田もそれくらいには何も言わなくなってきた。一緒に居るのが自然な関係が佐藤はとても嬉しい。
「何言ってるんだよ。気付いて良かったじゃないか」
佐藤が言う。
つまる所、吉田が何を愚痴っているかと言えば、月曜に必ず提出のプリントをうっかり学校に置き忘れてしまった事を、ついさっき思い出してしまった事だ。何より、思い出した時間帯が不味かった。とっぷり日は暮れ、夜に姿を変えている。
夜の学校――はっきり言って、肝試しやお化け屋敷が苦手だという吉田には、最も近づきたくない場所だ。とにかく暗い空間と言うのがもう嫌だ。何かが出てきそうで嫌だ。
学校に戻る為、再びバスに乗る。料金を無駄に使ってしまうのも損した気分ですでにブルーだが、すっかり暗い空を眺めてさらに気が重くなる。
「……やっぱり取りに行かなきゃダメかな」
未練がましく吉田が言う。
「だって、担任も言ってただろ。これは凄く大事で内申に思いっきり響くから絶対に忘れるなって。吉田、テストで挽回出来るくらいの自信あるの?」
担任の言葉には若干の演出のような誇張も含まれていたかもしれないが、それでもウソは言っていないだろう。学年1位の佐藤と違い、点数がそんなに芳しく無い吉田はこういう所で地道に点数を確保したい所だ。最近、授業のサボりも多くなってるし(←原因:佐藤)。
吉田は、深〜い溜息をついた。そんな吉田を、佐藤はにこにこして眺めている。
その笑顔の理由は解りきっているから、あえてツッコミもしない吉田だった。
女の顔は昼と夜で違うそうだが、学校も別物のように見える。朝はあんなに歓迎してくれてるような佇まいが、今はあらゆる侵入者を退ける雰囲気を醸し出している。なんか、「入ってくんな!帰れ帰れ!」って言われている気分になって来る。
正門から見える職員室の窓には明かりがついているから、事情を説明すれば校舎には入れてくれるだろう。
「じゃ、吉田。いってらっしゃい」
正門の所で、佐藤が快く送り出す。
「ええ!? 佐藤、ついて来ないの!?」
それだから、ここまでの同行に口を挟まずに居たというのに!
声に出せない吉田の慟哭が体内で轟く。
「だって、別に俺は教室に用は無いし」
それはそうだけども。
吉田があうあうとセリフに困っていると、思いっきり苛めっこな顔を作った佐藤が、ニヤリと言う。
「――まあ、吉田がどーしてもついて来てくれっていうなら、ついて行ってあげてもいいけど?」
「!!!!!」
コ! イ! ツ!!!!
バスに乗ってる間中、ずっと溜息つく顔を見ていたばかりじゃ飽き足らず、そんな事まで言わそうというのかこの鬼!鬼!!超鬼!!!
ただえさえ夜の教室へ向かうという恐怖心で一杯だった吉田は、この怒りに自棄になった。自暴自棄である。
「いいよ!別に来て貰わなくても!」
ついてくんなよ、バーカ!と悪態ついて吉田はまず職員室に向かう。
その顔が涙目だったのは、佐藤だけが知る事だ。
(べ、べべべ、別に大した事なんて無いんだからな!こんな、学校くらい……!!)
それでも、階段を一歩一歩上がる度に、足の底からぞわわわ、とイヤ〜な感覚が湧いてくる。ゾンビをぶっ倒す系のゲームをしているような感覚に近いが、いかんせん倒す武器を持っていないので全く楽しめない。
月明かりの射しこむ廊下は、まるで異世界だった。歩く足音が、やけに耳に大きい。エコーがかかり、例えばもう一人分の足跡があっても紛れてしまう程に。
(……やっぱり、佐藤に着いて来て貰えば……うんにゃ!アイツの事だもの、今後ずっとそのネタ引っ張ってからかうに決まってるんだ!!!)
一緒に来なくて正解!と吉田は無理やり自分に言い聞かせて教室に向かう。それでも、外から救急車のサイレンの音がした時は、ビクッとなった。
この春入学し、寝ぼけながらでも間違えない自分の教室なのに、プレートを見て確認をした。合っている事を見て、改めてドアを開く。やけに身体が引いてしまっているのは、もうこの際置いておこう。
吉田の席は教室の中ぐらいにある。やや小走りで向かい、机の中をぐちゃぐちゃにしながらプリントを探す。
(何処だ何処だ何処だ……!!!)
何せ探す対象物が薄っぺらい紙なので、簡単には見つけられなかった。やっと教科書に挟まっているのを見つけた時は、歓声を上げたくなったくらいだ。
よし、帰ろう。さっさと帰ろう。
走ってしまってもいいだろう。自分が出て来るのを待って鍵を掛けられないでいるのだから、その分急ぐべきだ。だから、決して怖くて走る訳じゃない!!
教室を一歩出てからダッシュをかけるイメージを作りながら、プリントを握りしめて吉田は再びドアを潜り――
「わっ!」
「!!!!!!!!!!」
背後からの驚かす声に、吉田の心臓というか身体が飛び上がった。
「あわわわああああんぎゃぁ――――――――――ッッ!!!!!!!」
「あっ、吉田、」
教室内からイメージトレーニングを行っていた為か、吉田のダッシュはとても速かった。何人たりとも前を走らせねっぺくらいに速かった。
(なんか居たなんか居たなんか居た――――――!!!)
視界も思考もぐちゃぐちゃにしながら、吉田は走った。こんな訳の解らない状態なのに、きちんと出口の方に向かってる辺り習慣は大事だねというか。
(うわぁぁぁぁん!佐藤のバカ!佐藤のバカ――――!)
仮にさっきのが本当に学校の幽霊だったとして、それならば佐藤を責めるのは全くお門違いなのだが、ここ最近の出来事のせいで自分に振りかかる事は全て佐藤のせいだと思ってしまう吉田だった。習慣は大事だね(2回目)
吉田はマッハな速度で走っているが、ここは廊下で何故に走行禁止かと言えば、主な理由に人と当たる事以外に滑りやすい事が取り上げられる。
なので吉田も足が滑った。
「うぇぇッ!!!?」
全力疾走しているのが悪かった。体勢を立てる間すら無く、吉田はズベテーン!とそこに尻餅を突く。尾てい骨から頭まで痺れるような衝撃だった。
(い、い、い、いってぇ〜〜〜!!!)
人間、本当に痛いと声も出ない。今の吉田のように。
痛みで涙目になりつつぷるぷるとしていると、背後からバタバタと駆け寄る足とがした。
「吉田!大丈夫か?」
掛けられた声は、とても馴染みあるものだった。
「……さ、佐藤…………」
後ろから駆け寄って来た佐藤に、来ないと言いながらご丁寧にこっそり尾行し、教室の外で待機して来て出てきた自分を脅かしたのだ、という一連の事が明らかになる。
「お、おお、お前なぁ!やって良い事と悪い事があるだろ!!バカッ!バカバカバカ!!!!」
尻の痛みにまだ立てない吉田は、坐ったまま激怒した。
「ごめんって。ここまで驚くと思って無かったから」
おかげで写メも取れなかった、と内心舌打ちしたい佐藤くんだった。お化け屋敷内は撮影禁止だからね!
「それにしても思いっきり素っ転んだな……」
佐藤が吉田に聴こえない様に呟く。
ホームビデオとして投稿したらスタジオ内の笑いを誘う事は必須なくらい見事であった。つくづく撮れなかったのが悔やまれる。
「立てるか?」
「うぅぅ……お尻痛い」
グスッと鼻を鳴らして吉田が言う。涙を浮かべ、顔が赤いのがこの暗がりでも解った。
それを見て、佐藤は。
「………………………………………」
「何?どうしたの、そんなビミョーな顔」
明らかに何でも無い様な表情だったのに、何でも無いと返す佐藤に、ヘンなヤツ、と吉田は胸中で呟いた。
「おぶってやるよ。ほら」
言いながら、吉田に背を向けながらしゃがむ佐藤。
「いいよ、別に」
その恥ずかしさに吉田は突っぱねる。
「じゃあ置いて行かれるのがいいか、強制的に姫だっこがいいか」
「……………おんぶがいいです」
結局佐藤が絡むと、最悪かもっと最悪かの選択をしなければならないのだった。
よく考えれば、吉田を背負うという事はその荷物も背負うという事だ。ちょっと気になったが、佐藤は割と平然とした足取りで歩いて行く。階段降りも楽勝だった。なんか、悔しい。色々と。
(チクショウ、すっかり伸びやがって)
小学校の時点では、まだ自分の方が高かったのに。
すっかり容姿の変わった佐藤は、本質が変わらないでもその為に色々な物を手に入れるのだろう。解りやすい所で言えば、高所にあるものを容易く掴める利便さとか。
比べて自分はどうだろう。背丈は全く変わらず、体つきというか筋肉のつきが多少変わったくらいだ。戸棚の一番上の物を取るには、踏み台が居る。
(……悔しい)
もう一度、思う。広い背中で自分の荷物ごと運ぶ佐藤が、ちょっと恨めしい。
だって、その逆はもう絶対出来っこないのだから。
「吉田さ、」
昇降口に向かう最中、佐藤が言う。心なしか、浮かれた声で。
「さっき叫びながら走ってる時、俺の名前呼んだだろ」
「えっ、ええええ?」
さっき、というのは勿論、佐藤の他愛ない脅かしに過剰に反応し、全力ダッシュで廊下を駆けた事だろう。改めて羞恥に顔が熱くなる。
「そ、そ、そんな事言ったっけ??」
恐慌した為、呼吸の合間に何か良く解らない事が口から出たような気もするが、何を言ったかなんて頭には無い。
しかし聞いたというならそうなのだろう。……いや、この場合相手が相手だから、与えられる情報を鵜呑みに出来ない。
「うん、言った」
信憑性の乏しい証人が言う。
「もっと俺の事、頼ってよ」
佐藤の声は、まるで独白のように静かだった。負ぶわれている吉田は、この位置から佐藤の表情を窺う事は出来ない。
「……だって佐藤、意地悪な事ばかり言うし」
吉田が不貞腐れて言う。さっきだって、あんな言い方されなければ、ついて来てと言っただろうに。
「そこは、まあ、仕方ないってヤツ?」
「何ソレ」
呆れたような吉田の声に、しかし佐藤は楽しそうだった。暗い校舎内を、今は吉田も忘れられた。
「なー、もう降ろしていいよ。痛いの治って来たし」
「このまま家まで送っても良いけど?」
「……勘弁して」
突っ込むのも疲れた吉田だが、そんな対応も佐藤を喜ばすだけで終わった。
吉田をからかうのに、今日はもう満足したのか、佐藤はそこで降ろしてやった。
「じゃあ、日曜にな」
「うん、バイバイ」
門を出てからいつものルートを辿り、いつもの場所で佐藤と別れる。背を向けて歩き出した佐藤に、さっきあの背中に背負われていたのだと思うと、また顔が熱い。
早く帰ろう。遅くなってしまった事だし。
走りだすとまだちょっと痛いけど、騒ぐ程でも無い。
痛みと共に、佐藤に背負われた記憶も蘇る。
もっと頼って、なんて。
(これ以上頼ったら、ダメ人間になりそうじゃん)
あるいはそうさえて、離れなくさせる佐藤の計算かもしれないけど。
それだっらそんな事しなくてもいいのにな、と吉田は思うのだった。
<END>