この高校は制服――服装について結構寛容だからか、目に見えてだらしないと思えるほど着崩している生徒も居る。本人にとっては着こなしているのかもしれないが。
 声をかけて来た男子生徒はそんな連中の内で、佐藤にだけ用があるような素振りを見せたが、佐藤がそれを由としなかったので、吉田同席のまま話が始められた。――自分を抜きにして佐藤と話をしようとした時点で、吉田は何となく話の内容が予想出来た。


「ご、合コン……」
 呟いた吉田の顔が壮絶な事になったのは、佐藤をそんな場に誘おうとした事に対する怒りではなく、以前牧村に誘われた場での悪夢が蘇ったからだ。たまに魘される。
「って言うか、俺本命居るんだけど」
 すぐ横に、と続けて言いたい佐藤だった。
「いやまぁ、そんな浮気しろって言ってんじゃないよ」
 その男子は、佐藤の懸念を払拭させるよう、極めて軽く言う。
「でも、ほら、どんなに可愛い子でも、一人だけだと飽きるだろ?だから気分転換に他の子と遊んでみようかって感じでさー
 それでリフレッシュして本命の子と付き合えば完璧じゃん?」
 ――何が完璧だよっ! と、自分に向けられて言われたのであれば、吉田はすぐさま突っ込み返しただろう。しかし佐藤に言われた事で、自分は部外者だという認識以上に佐藤の出方が気になって、それどころではなかった。
 合コンなんて行かない。行く筈が無い、と思いたいが、すでに吉田にはその前科があり、佐藤が何らかの手段でそれを実は知って居て、その意趣返しに引き受けてしまうかも――などという考えがちらりと過ぎる。だってそんな事しそうな性格しているし。
 吉田はハラハラしながら佐藤の返事を待った。自分がどんな顔をしているかも解らないから、意図的に佐藤の顔を見るのは避けた。向こうの顔が見えるという事は、つまり自分の顔も相手に見られているという事だから。
 返事を言う前に、佐藤は、ふぅ、と何だか気の抜けたような溜息をした。
「悪いけど、俺がそういう事気にしちゃう性質だから。この話、無かった事にして」
 行こう、吉田。とクラスメイトの前でも不自然じゃない仕草で、吉田の腕を引く。急に動くものだから、吉田はちょっとたたらを踏んだ。
「えー? 皆口が堅いから大丈夫だってー。集まるメンバー知ってるか?鹿女だぜ、鹿女……」
 未練がましく佐藤を呼びとめる声は、最後に微かな舌打ちの音をさせて途切れた。


 嘘か誠か、最後に聴こえた範疇で、彼は吉田でも知っている有名な学校の名前を挙げていた。勿論、可愛い子ばかりという事で有名な。
 ――今日、たまたま居合わせたけど、今までにもこういう誘いはあったのかもしれない。厄介なのは女子だけじゃない、と吉田は思い知らされた。
 はっきり断ってくれた佐藤に、吉田はとてもほっとした。しかし同時に苦くも思う。女子にもこうやってはっきり断ればいいのに。
 そりゃ確かに、男子と女子とで別の対応を取る必要はあると思うが、それでもあんなに優しい笑顔で言わなくてもいいんじゃないか、とか思う訳で。まあ、クラスの女子に見せるのとは格段に違う、佐藤の微笑みを吉田は沢山知って居るのだが。
 何だか、佐藤の嫉妬深さがちょっと伝染ってきたかも、と思う吉田だった。
「吉田?」
「………うぅえぇっ? な、何っ!?」
「何、じゃないよ。ほっと顔したかと思えば苦い顔になって、ちょっと照れくさそうにしたかと思えば遠い目で薄ら笑み浮かべたりして……そんな面白い顔、部屋で2人きりの時だけにしろ。うっかり他のヤツに見られたら勿体ない」
「……………」
「で、何? まさかさっきの合コン、吉田に隠れて俺が参加するとか疑ってる?」
 しかし佐藤の言い方は、むしろ吉田がそんな嫌疑を抱いている訳が無いと、過信するような口ぶりだった。にやり、と笑った佐藤のその顔は、事の発端といい佐藤の本命を聞きだそうとした時のを彷彿させる。自分の予想が絶対だと思っている顔だ。事実、当たって居たし。そしてこの場でも、佐藤の考えはまたも当たって居る。ちょっとは頷くかもとは思ったけど、それはあくまで自分への意地悪で、向こうの女の子目当てに佐藤は参加しないだろう、と勝手に判断を下していた。
 そもそも、普段からクラスの女子の誘いを断るのに手腕を尽くしている佐藤なのだ(それこそ吉田も利用しつつ)自分からそんな面倒な場に飛び込むなんて、矛盾してるような気さえする。
 だから疑ってなんて居ない、と吉田は素直に答える。
「ただ、女子にもああやってはっきり断ればいいのに、って思っただけ」
 ついでに、チクリとやりこむのも忘れずに。どうせ、そうやって断られてもめげない彼女達なのだから。
「まあまあ、そう妬くなって。最近は毎日お前と帰ってるだろ?」
 そう言いながら、吉田の肩に手を回し――そのどさくさに、額にキスをした。
「なっ――おまっ……!!!」
 往来の道だというのに、何て事を、と顔を真っ赤にして憤慨する吉田。果たして顔の赤みは怒りの為だけか、怪しい所だ。
「誰も居ないって」
「で、でもっ……!」
 そういう問題じゃない。そう言いたいのに、佐藤の顔が一定以上近づくと、勝手に綴じてしまう自分の瞼を、吉田は呪った。


 朝の登校の時間。廊下から教室から、そこらかしこで「おはよー」という声が散乱するように交わされる。
 吉田も、半ば惰性のように、しかしちゃんと挨拶をしながら自分の教室まで辿りついた。
「おは―――ぐぇっ」
 と、途中から吉田の声が潰れたような声に変ってしまったのは、正面から肩に腕を回され、その勢いのまま教室の隅っこに強制移動させられたからだ。
 その相手は、いつものように佐藤――ではなく、昨日佐藤を合コンに誘いだそうとしていた、あの男子だった。何だよ、と乱暴な仕草に腹を立てたように、吉田はまず言う。
 相手はそれに対して謝るのもそこそこに、やけに深刻な顔で用件を切り出す。
「なあ、昨日の話、お前も居たから知ってるだろ?」
 ここでは頷くしかない。昨日の話と言えば合コンの事だろう。吉田の中に嫌な予感が広がる。
「昨日はさ、佐藤の事、ついでみたいな言い方で誘ったんだけど、実は思いっきり佐藤を当てにして女子を集めたんだよ!だから、佐藤が居ないと俺の立場がかなり困った事になる!」
 知るかそんなもん、と吉田は言おうと思ったが、さらに畳みかけられる。
「だからさ、お前からも話持ちかけてくれよ。参加させてやるからさ! 仲の良いお前も行くとなると、佐藤も行くかもしれないだろ?」
 な! な! と必死に誘う男子。吉田の答えは、決まっている。
「………………。やだ」
「何でだよぉ――――!!」
 あまりに悲痛な叫び声だが、こればかりには絶対応じてやる訳にはいかない。
 何が悲しくて恋人が合コンに出席する手引きをしなくてはならないのか!
 自分達の関係は秘密で、勿論この男子が知る筈も無いという事は解って居ても、湧き起こる怒りは止められない。自分の席へと歩く足音も荒くなる。ああもう、朝っぱらから気分が最悪だ。
 しかし、最悪はまだ続くのだった。
 佐藤の登校は解りやすい。というか、女子の黄色い歓声がその合図だ。
「吉田、おはよ」
 入口付近の女子達に挨拶を終え、吉田の席までやって来た佐藤。
「ん、おはよ――ぐぇっ」
 まるでさっきの再生だが、実はやった人物も同じだった。合コンに誘った例の男子。
「な、佐藤!」
 女子には聴かれないように、と配慮した声で佐藤に言う。
「昨日の合コン、吉田も行くってさ! だから、お前も来いよ! な?」
「!!!!!!!!!!!」
 佐藤に向けられた男子のセリフに、吉田がこれ以上ないくらい瞠目する。
 よりによって何て事言うんだ!と目をひんむいて後ろから腕を回す男子に顔を向けると「悪い悪い、後で何か奢るから」みたいな顔で返された。
(それくらいで済む事じゃないんだよバカ―――――!!!!)
 はっきり行って浮気宣言も良い所だ。まあ、返す返すも2人の関係を全く知らないのだから、言ってしまった事に罪は無いと思うが。
 しかしその分の罰が自分に回るのはいかがなものか。
 吉田は恐る恐る佐藤を見上げる。あまりに平素な表情に、吉田の背筋が却って凍った。
(ひいぃぃぃぃぃい!! め……めちゃくちゃ怒ってる――――――!!!)
「ふぅん……ま、それはそれとして、吉田ちょっとこっちに来て」
「…………………」
 これ以上無いくらい、青ざめた吉田が佐藤と連れだって、教室から出て行く。
 その様子を見た牧村と秋本は、何故だか脳内にドナドナが流れたと言う。


 屋上には、こんな時間だからか、2人以外には誰も居なかった。それで良かったような、悪かったような。
(あ〜〜〜ヤバい〜〜〜、めっちゃくちゃヤバい!!)
 逃げれるものなら逃げてしまいたい。でも、逃げれない事も解って居る。歯医者の待合室に居る時や、予防注射に並んだ時だってそうだった。
 こうなったら、先に言いたい事は言ってしまおう。後々、ちゃんと言えるかどうか怪しい所だし!
「あ、あの、あれはアイツが勝手に言った事で、俺とお前が仲良いから、俺が行くなら佐藤も出てくれるんじゃないかな、ってつまりはそんな事で、俺別に、絶対行こうなんて思って無いし、言っても無いからッ!!!」
 ――とりあえず、言いたい事は言えたと思う。勢いに任せたから、理論整然とは言えなかったが。
 もしも、佐藤が昨日彼の口から出たように、吉田が自分に隠れて合コンに行こうとしたのだ、と思われていたら、こんなに悲しい誤解は無い。
 どうしたら信じて貰えるかな、と吉田はちょっと涙目になった。その頭に、佐藤の手が乗る。――その感触は、とても優しかった。
「当たり前だろ、そんなの」
「ふえ?」
 吉田は目をぱちくりさせた。てっきり、呪われそうなくらい睨まれるかと思ったのに。
「あの、俺が合コンに出るとか――」
「ん? 最初から信じる訳ないだろ」
 あっさりした口調は、本音を告げていた。――なんだか、坐り込みそうに気が抜けた。まあ、坐らなかったけど。
「まあ、俺を動かす為に吉田を引き合いに出すってのは、目の付け所は良いけどな」
 ふっ、と佐藤は少し笑った。たとえその関係が親友のものだと思われていたとしても、傍目見て仲が良い、と思われるのは嬉しいようだ。
「吉田が行くなら、それは俺も行くよな。合コンでもさ」
「な……行かないって、そんなの……」
「うん。だから俺も行かない」
「……………」
 しれっと言ってしまう佐藤が憎らしくて、吉田は口を噤んでしまう。
 その隙を待っていたように、佐藤は顔を寄せた。


 ――そして、その日の内に。
「ちょっと、アンタ」
 迫力3割増し、といった女子に明らかに穏やかではない調子で声をかけられたのは、やっぱりというか佐藤を合コンに誘いたいあの男子で。
「アンタ――佐藤くんを合コンに誘おうとしたんだって?」
「え、あ、う」
 一番知られたくない相手に一番知られたくない事を知られたらこんな反応になる、という見本を晒すように、数名の女子を前に、彼は凝固した。
 他校の女子には佐藤の姿も見せたくない、とい彼女らなのだ。そんな女子達に、佐藤を合コンに誘おうとしたのだと知れたら――吉田は身震いした。
「佐藤くん、凄い困ってたのよ! あたし達が声を掛けなかったら、ずっと悩んでたままだったんだから!」
 ――つまり、女子の方から声を掛けさせるよう、あえて困った表情を晒していた訳か。吉田にだけは真実が見える。
「優しい佐藤くんを困らすなんて、あんたサイテー!」
 こうして追い詰められた人間の取る行動は、限られている。
「あ、あああ、わ、悪かったよ――――!」
「あっ! 逃げたわよ!」
「追いかけるわよ!」
「逃がすものか―――ッ!!!」
「ゆーるーしーてーぇぇぇぇ………っっ」
 声の余韻を追いかけるように、女子の足音が轟く。廊下は走らないものだが、今日だけはそれも無力だ。
 彼女達の追跡劇は、校庭にまで及んだ。物好きな野次馬根性の男子数名が、窓から顔を出してその様子を窺う。女子は皆彼を追いかけてる為、現在クラスの中には男子しか居なかった。
「おー、逃げてる逃げてる」
「あ、捕まった」
「うわー……袋叩きだ……見てらんねぇ……」(←見てんじゃん)
 破壊音というか、打撲音が校庭から薄っすら聴こえる。
「まあ、自業自得ってヤツだな♪」
「…………」
 吉田の肩に手を回しながら、晴れやかな笑みを浮かべる佐藤に、何故女子を敵にしないかがよく解ったような吉田だった。



<END>