愛し合うのに、身体の構造として、男同士は男女のようにはいかないとは思っていた。
しかしこれは予想外。
「…………」
佐藤は上半身を脱いだ状態で、脱衣所の鏡を向き合っていた。とは言え、これは決して自分の肉体美に見惚れている訳でも、ボディラインをチェックしている訳でもない。
佐藤の脇腹付近が、赤く変色している。これから多分青黒くなっていくのだろう。
「や、やっぱり痣ついてる?」
「……まあ、な」
別に堂々入って来てもいいのに、戸の陰からこっそり窺う吉田へ佐藤は答える。まあ、そんなひっそりしている吉田も可愛いのだが。そうやってこそこそしている何かを思い出すな、と考えて思い当たる。絵本の「てぶくろを買いに」の子きつねみたいだ。折角母きつねに、片手を人間に変えて貰ったのにきつねのままの手を出してしまう粗忽さが可愛いのだ。
「ご、ごめん」
しょぼんと謝る吉田こそ、他でもない佐藤の脇腹の痣の製作者である。しかし被害者である佐藤は、その事に対し吉田に恨みは無い。全く。
「いいって。そりゃ、いきなりあんな所触られたら驚くよな」
佐藤のセリフに、吉田は真っ赤になった。
週末を迎えて部屋デートの最中。そこでさっき、ベッドの上でいい感じに盛り上がって……佐藤が何をしたかと言えば、自分が収まるだろう箇所を指で確認してみた訳だ。ちなみに衣服の上からであった、と付け加えておこう。
で、そんなとんでもない所を触られた事で、驚いた吉田は何か自分の想像を超えた事をしようとする、目の前のものを思い切り蹴りあげた。つまり、佐藤の腹だった訳で。
果たしてその脇腹に、見事過ぎるくらいのニードロップが決まったのだった。おかげで、佐藤の呼吸は1分弱止まった。
こうして立ちあがれる程回復出来たのは、吉田が本気で救急車を呼ぼうかと考え始めた時だった。
(これは暫く、身体を捻ると痛そうだな……)
最も、先を急ぎ過ぎた代償としては、むしろ軽い方だと思う。それにこうしてダメージを負ったのが吉田でなく、自分で何よりだ。
それにしても、鋭く凄まじい衝撃だった。昔取った杵柄は現在も健在という事か。
「湿布、貼った方がいいんじゃないか?」
部屋に戻り、ベッドの上で向き合ってるというのに、まだこそこそとしている風な吉田が言う。吉田が非を感じる事なんて、ちっとも無いのになぁ、と佐藤は苦笑する。
「このくらい、平気だよ」
あえて軽く佐藤が言うが、吉田は首を振る。
「そうやって軽く見るのが一番いけないんだからな。痣って言えば大した事ないみたいに聞こえるけど、つまりは打撲傷だぞ、打撲傷」
立派な怪我なんだからな、と吉田は言う。やはり空手道場に通っていただけあり、怪我への危機意識は高そうだ。それとも、好きな人相手だからより心配気味なのかな、と佐藤は自分に嬉しい想像をしてみる。
「時間が経っても傷むんだったら、ちゃんと病院行けよ」
吉田は、真剣に身体の事を案じている。
こういう顔を見ると、崩したくなるのが自分の悪い癖だ、と佐藤は自負する。
「解った。初な恋人に手を出して強烈な反撃食らいました、ってちゃんと説明するよ」
「………っ……! っっ!! !!!!!!」
あえて真面目な顔で、しれっと言った佐藤の内容に、吉田は憤死しそうに真っ赤になる。
そんな事言うなと言いたいのと、医師へ正確な状況を伝える必要性との、板挟みなのだ。
「か、勝手に言えばッ!」
ふん! と精一杯顔をそむけるのが、吉田の結論のようだ。あまりに吉田らしくて、佐藤は笑ってしまう。
「………いっ」
「!! ど、どうしたの!」
「いや、さすがに今笑ったらちょっと響くかな、って」
顔の筋肉を動かすのではなく、腹から笑う事は佐藤にとって普段はあまりない事だが、その例外が今此処に居るのだった。
「そ、そっか。早く湿布貼ろ。どこにある?」
どうやら吉田はすっかり治療する気らしい。はっきり言って佐藤はどうでもいい事なのだが、吉田の気づかいは無碍に出来ない。幸いその手の日用品も自室に全て備えてある。タンスの上の治療箱を佐藤は指した。
「貼るよー」
そうやって声をかけるのは、貼った瞬間の感覚に備えさせる為だろう。湿布を貼った途端、皮膚の下から体温を奪うような、スーッとした感触が襲う。
「〜〜〜っう、わ〜〜、鳥肌立つっ……あ、いけね、笑ったら痛い………!」
「だ、大丈夫か?」
笑顔で痛がってる、おかしな状態の佐藤に、吉田も心配しながら笑えてしまう。当事者でなければ、思いっきり笑い転げていたかもしれない。笑ってはいけない、と思えば思う程、全てが可笑しく感じてしまうものだ。
腹を抱えたついでに、佐藤はその場でごろん、と横たわった。
「寝てる方が楽?」
「うーん、気休めかな」
外部の痛みなので、寝てれば良くなるというものでもない。が、何となく全身をリラックスしたい気になり、横になってみた。
吉田が、ひょこっと視界に入りこむ。普段とは逆の位置に、また笑みが込み上げてくる。
「ねー、子守唄歌ってv」
「は? 眠るの?」
「そうじゃないけど、横になったから、折角というか」
何が折角なんだ? と吉田も首を捻りつつも、佐藤の所望通りに歌ってあげる事にした。腹を負傷した引け目があるし、そんなに無茶な要求でもないし(今はまだ)。
吉田は体育座りのように膝を抱え、歌う。
「……何でミヒマルなの」
しかも気分上々。
「だって子守唄とか知らないし」
だからぱっと思いついた歌を歌っただけ、と素っ気なく言う。きっと、照れてるのだ。仰向けになってる佐藤の姿勢では、その顔は窺えないが。横を向くと腹が捻り、痛くて敵わないし。
程なくして、歌は終わった。もういいのか、それともまだ歌えというのか。しかし待っても、佐藤からの声は何も発しない。
まさか本当に寝入ってしまったのか、と顔を覗きこむと、その切れ長の綺麗な双眸とばっちり合ってしまい、何だか気まずい思いをした。
「黙ってるから寝てると思ったのに」
すぐさま顔を引っ込め、吉田が少し責める風に言う。腹に響かないように、佐藤は小さく笑った。
「ちょっと、色々考えてたから」
「色々って?」
人に歌わせておきながら、悠長なものだ、と吉田は思った。
「色々は色々」
しかも、誤魔化されるし。
そりゃ確かに、吉田も佐藤に隠してる事もそれなりにあるし、付き合っているのだから全てを曝け出さなければならない、とも思っていない。
でも、一人で抱え込む真似はされたくないと思う。自分には力の足りない事かもしれないけど、何も出来ないけど一人じゃないと証明する事は出来る。
佐藤は自分を守るために孤独を願っていたけど、それ以上に基本は寂しがり屋だと思うから。
……しかし、その為に先ほどのような行為を強請られたら。
「……あのさ、」
膝に顔をくっつけるようにして、吉田は言う。
「……嫌、じゃない、と思う。よく解らないから、パニくるだけで」
「うん」
寝たまま佐藤が頷く。とても落ちついた声だった。
佐藤は、長く思い続けていた分だけ、覚悟も心の準備もすっかり出来ていると思う。しかし吉田はまだ最近だ。同じ速度で合わせようと言うのが無理かもしれない。
佐藤から見ると、カメより遅い早さかもしれないけど、でもちょっとは前に進んでると思う。一歩一歩、慎重に歩いてるから、見放さないで、と思う。
そういえば、身長の違い分差があるだろう歩幅なのに、なんだかんだで佐藤は自分を置いて先に歩いたりはしない。急に浮かんだ事実に、吉田は笑みを浮かべた。
「……何?」
吉田が笑ったのに気付いたのか、佐藤が声をかける。
「別に。まだ痛い?」
何かして欲しい事は無いかと訊くと、「じゃあキスして」とさらりと強請られた。うぐ、とまさに言葉に詰まった吉田。
まあ、結局はその願いもかなえてやるのだが。せめて、目を瞑ってと譲歩しながら。
佐藤とキスをするのは嫌いじゃない。抱きしめられる体温も心地よい。
これらの気持ちの先に、佐藤が求める行為があるのなら、きっと大丈夫だと、口付けの寸前、吉田は思った。
<END>