度々出張へ赴く父親が、帰って来る日は一発で解る。
 吉田自身はそんな日にちをろくに覚えてないのだが、母親が朝から浮かれているからだ。鼻歌なんて歌ってるし。冷蔵庫にはビールが用意されているし。世の多くの父親、というか夫が安価な発泡酒を飲まされている事を鑑みると、吉田の母親は中々献身的と言うべきだろう。最も本人の嗜好でもあるかもしれないが。
「ただいまー」
「おかえり。義男ー、こっち来てちょっと作るの手伝ってー」
 父親が帰る日の変化は他にもある。いつもなら夕食時前にぱぱっと作る程度の食事なのだが、こうして下準備にも念入りになるのだ。台所から掛けられた声に、はいはい、と胸中で嘆息しながら向かう。
「そこにあるジャガイモ潰して」
 母親が指差す先には、いかにもゴロゴロと言った感じに茹でたジャガイモがあった。
「何作るの? ポテトサラダ?」
「ううん。コロッケよ」
 別の作業をこなしつつ、母親が答える。
「えー、コロッケー? もっと豪華なの作ろうよー」
 父ちゃんだってその方がいいよ、と言うと、思わぬ反論が返って来た。
「だって、お父さんからのリクエストなんだもんv 『帰ったら母さんの作ったコロッケ食べたいなぁ』ってvvv」
 菜箸を持ったまま、ハートをやたら飛ばす母親。これは何を言っても無駄だな……と吉田は達観しながら、ジャガイモを潰す作業に戻った。


「うん。美味しい。頼んで良かったよv」
「そう? 嬉しいわ〜vv」
 本当に「ベタベタ」なんて音が聞こえそうなやり取り。こんな風になるのは、離れていた恋しさ故……と、言う訳でもないのを、吉田は過去の人生で知っている。果たして何時からだっただろう。両親というものが、ここまでベタ甘なのは希有だというのに気付いたのは。
 夕食は、他にも副菜があったが、メインはあくまでコロッケのようだ。それを、父親はとても美味しそうに食べている。確かに、美味しいには美味しいんだけど。
「……なー。父ちゃん。なんでコロッケなの?」
 母親が後片づけと晩酌の準備に掛っている時、吉田は父親にそう尋ねた。成長期は終わったかもしれないが、高校生の身分としてはもっと食いでのあるものが食べたい。そう、肉とか肉とか、肉を。
 そんな風に呟く息子に、父親は言う。
「父さんだって、ステーキやすき焼きが食べたくない訳じゃないさ。でも、暫く離れた後に帰って来たら、食べたいなって思うのはそういう物なんだよ」
 それを聞き、そーかなぁ?とばかりに吉田は首を捻る。
「その内、義男にも解る時が来るさ」
 穏やかな笑みを浮かべ、吉田の父親は言った。


 吉田はまだテレビのある居間でゴロゴロしていたかったのだが、母親の「アンタもうすぐテストでしょ? 勉強しなさいよ」という叱責で追い出されてしまった。これが愛する夫と2人きりになりたいが為の母親の画策だという事を、吉田は気付いていた。……まあ、しかし世の中、気付いただけでじゃどうしようもならない事なんて一杯あるものだから。
 自室に戻った吉田は、一応英語の教科書と向き合っていた。英語はすでに範囲が発表されているし、何より苦手な教科だ。
(う〜〜、ダメだ。全然解らねー……)
 しかし早速挫けそうな吉田だ。
 せめて、次の週末に佐藤の部屋で勉強をする時に備えて、解らない所でも絞ろうと思ったのだが。
 頬杖をついて、吉田は中休みを取った。
 先週は楽しかったな。珍しく変な事(←吉田基準)されなかったし、DVDは面白かったし、佐藤の作ってくれたチャーハンは美味しかったし。
 来るべく苦難に備え、吉田は無意識に頭の中を楽しい事で埋めようとしている。
(あのチャーハン、美味しかったよなー。また食べたいな……)
 冷蔵庫の中のちょこまかと余った材料で作ったと製作者、つまり佐藤は言っていたが、とても美味しかった。その味を思い出して、吉田の顔が綻ぶ。

 ――暫く離れた後に帰って来たら、食べたいなって思うのはそういう物なんだよ――

 吉田はそう思った時、不意にさっきの父親のセリフが被さった。ぱちくり、と思わず吉田は目を見張る。
「……………」
 何だか無性に恥ずかしくなってしまい、吉田は中断した勉強を再開した。
 最も、我武者羅にやっているだけで、ちっとも頭に入って来なかったけども。



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