例え趣味や嗜好が被さる事はあったとしても、吉田という人物は自分の対極に位置するのだと思う。行動でその心理を読み取り、言葉巧みに当人にその自覚すら感じさせずに誘導する事なんでまず出来ないと思う。そもそも、する必要が無いからだ。
 佐藤は吉田のそんな鈍感な所も好きだった。
 しかし、全てに対して鈍いという訳でもない。時折、どんなに隠したつもりでも、吉田にあっさり看破されてしまう時もある。
「佐藤……お前もしかして、具合悪いとか?」
 このように。
 昼休み、2人だけの時を狙って言い出したのは吉田なりの配慮なのだろう。うっかり教室内でそんな事を言い、まして女子に聞かれ様なものなら……とりあえず、ピラニアの群れに水牛が放り込まれた映像を思い浮かべて欲しい。そんなイメージだ。
「いや、単に寝不足。……徹夜しちゃってさ」
 隠す必要が無くなった佐藤は、眉間をおさえてから大きく伸びをした。少し晴れやかな気になるが、まるで鉛のように身体に溜まった眠気は消えない。そんな佐藤の始終疲れたような様子を、吉田だけが気付いていたのだ。
 寝不足だ、という佐藤の説明に、吉田は納得して「そうなんか」と頷いた。嘘じゃないとは言え、鵜呑みにしたように微塵も疑いもしない様子は何だか心配になってくるような、嬉しい様な。
「何してたんだ? ネットゲームとか?」
 いかにも吉田らしい言葉に、佐藤は少し笑った。
「違う。本。上中下の大作でさー」
 そしてその大作に見合うような内容だった。上巻を終えた時点で寝なければならない時刻を過ぎていたのだが、集中して読み込んでいた佐藤は内容を追いかける事しか頭になかった。そして、中巻を終えた頃には開き直り、ここまで来たら何が何でも読み終えてやる、と開き直った。
 無事に、というか登校前に読み終える事は出来たのだが、当然睡眠は一切していなかった。若いから、まだ何とか持ちこたえられている。早い時間に体育があった事も幸いだった。少し目が覚めた……が、睡眠による回復がなされない身体では疲れが溜まり、より一層の睡魔も抱える羽目になった。そして現在に至る。
(へぇー、佐藤でもそんな事あるんだな)
 吉田は胸中で呟く。高い身長と整った顔で年齢より上に見られる佐藤は、中身すらも大人にあるように思える。自制が出来、欲や感情に翻弄されない。
 しかし、ちょっとした嘘で押し倒すまでに激昂したり、モデルを引き受けたくらいで呪うと妬くあたり佐藤もまだまだ人間が出来ていないのかもしれない。いや、出来てない(断言)
 佐藤は意外と子供っぽい。まあ、まだ高校生なのだから、年相応なのだろうけど。
 こんな風に佐藤を見るのは自分だけなんだろうな、と思うと吉田は何ともない気分になる。優越感に喜ぶべきか、佐藤の境遇に嘆くべきか。佐藤が固くて重い鎧を着けているのを、吉田は知っているから。……最も最近、牧村や秋本が佐藤の本性に触れ始めているが。それもまた喜ぶべきか嘆くべきかが解らない吉田だった。
「あ、じゃあ、屋上行くか。其処でちょっとは眠れるじゃん?」
 丁度これから昼休み。いつものようにオチケンの部室に向かう道の最中、目的地を変える事は容易い事だ。
 吉田の提案に、佐藤も「いいな、それ」と好感を持った。2人は予定のルートを変え、屋上へと向かった。


 この季節は風が強い。まるで何かを急かすようにも感じられる。始まりの季節なのだろうか。
 それでも、出入り口の脇に身を移すと、風を防ぐ事が出来た。日陰になるから少し肌寒いかもしれないが、そう気になる程でも無い。
「それじゃ、寝ようかなー」
 簡単に昼を済ませた佐藤が言う。大欠伸をすると見た目の美麗さとのギャップが何だか面白かった。自分だけが見れた特権に、吉田はちょっと嬉しくなる。
 笑いを吉田が噛み殺していると、佐藤が何やら期待するような目でこちらを見ていた。何だろう、という疑問と同時に、嫌な予感も過ぎる。
「吉田、膝枕してよv」
 嫌な予感、大的中。
「……何で」
 いかにも「したくないぞ俺はそんな事したくないんだしないったらな!」というオーラを込めて言ってみるが、勿論それが通じる佐藤では無い。
「だってコンクリの上に直接寝転んだら頭痛いじゃん。な、お願いv」
 何がお願いだぁー! と吉田は内心荒れた。実際に荒れても佐藤には効かないし、疲れるだけだし。
 佐藤が一度言いだした事を引かないというのは、嫌という程解っている(本当に、嫌という程)。文字通りの下手な議論は時間の無駄なのだろう。そもそも、佐藤を寝かせてやりたくてここに誘ったのは自分なのだか、睡眠時間を摩耗するような事はしたくない。
「もー……ほらよ。どうせ固くて寝心地悪いと思うけど」
 最後に、精一杯の皮肉をこめて言ってみた。肉付きのいい女子ならともかく、筋肉質な男子の膝でどう寛げるというのだろう。
 しかし佐藤は投げ出された足に嬉々として頭を乗せに来る。感触が悪いだとか、一切思って無いような素振りだ。
 それでも、頭の落ちつける位置を探してしばしごそごそしていた。何だか、大きな動物を飼っているような気分になった吉田だ。
 納得出来る場所を見つけたのか、佐藤が止まる。そして、沈黙。
 定期的になった呼気に、佐藤が寝たと解った。
 こんなにすぐ寝付くとは、余程眠たかったのか元から寝付きがいいのか。
 起こさないよう、微かに首を傾ける。
 吉田に触れてるからこそだ、という正しい結論には到達出来なかった。


 何分くらい経っただろうか。時計は校舎についているが、屋上に上がっていては見えない。当然だが。
 時の経過を報せるように、風が吹いて過ぎるが時刻までは教えてくれなかった。
 何時だろう、と思っている吉田の耳に、チャイムの音が飛び込む。これはまだ予鈴だけど、教室からの距離を考えると今すぐ行動に移さないと遅刻してしまう。
「…………」
 起こそう、と思って吉田は膝の上の佐藤を見下ろした。相手が佐藤に限らず、見下ろすというのは結構新鮮な感じだ。すっかり、低身長の自分に慣れてしまった。これでも一時期は誰よりも大きかった事があるというのに。
 自分の膝に頭を預けた佐藤は、チャイムの音に気付かず、昏々と眠っている。
 安らぎを求めるように。
 壊してはならないように、思えた。
「……………」
 チャイムの音は空に余韻を残して消えた。
 そしてそのまま次のチャイムもここで迎えたのだった。


 ふと覗き込んだ佐藤の顔には、前髪が掛っている。しかし、それを吉田が払う前に、本流から零れるように舞い込んだ風が梳いてしまった。風の音と一緒に、佐藤の髪も綺麗に靡く。
 佐藤の髪は、ズボンの上からでも解るくらいにサラサラだった。美しい程に光の輪が出来るし、毛先も綺麗に纏まっている。髪が固くて、てんで纏まらない自分とは大違いだ。最も、吉田の所は家族そろって強い髪質なのだから、仕方ないが。
(――触ってみたいな)
 思わず、そんな事を思う。その声はすぐに佐藤が起きてしまう、と諌める事は出来たが、欲求というものは叶えない限り中々消えないものだ。中には叶えても消えないものもあるけど。
 不意に湧き起こった欲望に、吉田は赤くなっておろおろする。他に誰も居ない為、そんな醜態を見られる事も無いが、助けも無かった。一人、吉田はうろたえる。
 改めて佐藤を見る。……しっかり、眠っているようだった。
 その髪は、吉田の手を誘うように、流れるように揺れている。
「……………」
 自制が無くなったのは、きっかけではなく時間の問題だったのだろう。
 吉田はそっと手を伸ばし――佐藤の髪に、触れた。何故だか、隠された素肌に触れるような背徳感を覚える。
 見た目からして柔らかそうだった佐藤の髪は、まるで水を掬った時のように掌を流れて滑る。その感触はとても心地いいものだった。
 佐藤が起きない事を何度も祈り、その度に触れる。まるで、病みつきだった。
 最初は極度の緊張状態の吉田だったが、佐藤に触る事で癒されたのか、その顔つきが段々と和んでくる。
 こんな風に穏やかになるのは、佐藤だからだ。きっと、他人の髪に触れた所で、手触りの良さはあるかもしれないが、それ以上は何もないだろう。
 無防備な佐藤に触れる立場にこそ、吉田が喜びを感じているのだから。


 少しの名残り惜しさを残しつつ、吉田は手を遠ざけた。まだ、掌に感触が残っている。
 そ、っと手を佐藤の頭からどかし、起きてない事に吉田はほっと胸を撫で下ろす――が。
「……キスとかしないの?」
 その声に、吉田は身体が飛び上がったかと思ったが、佐藤の頭が依然と膝の上にあるのに、実際は微動だしなかったのを知る。
 その佐藤は、にやり、というような笑みを浮かべていた。……起きている。
「な、な、な、な、さ、さ、さ、さ、さ、…………」
 顔の熱は吉田から言語機能を奪っていた。
「い、いいい、いつから来てたんだお前はッ!!!!!」
「危ない危ない、膝枕したまま暴れるなって」
 誰が原因だッ! と吉田は唸ったが、床に頭をぶつけても可愛そうだから、相手が起き上がるまで待ってやった。同じ姿勢になると、やっぱり佐藤の顔を見上げなければならない位置になる。
 少し寝たからか、佐藤の表情がさっきに比べさっぱりしていた。格好良いとか思ってやらないんだからな!と思った時点で吉田は負けている。
「別に最初から起きてた訳じゃないよ。何か頭撫でられてるなーって」
 どっちにしろ一番知られたくない所で起きられた訳だ。吉田は赤くなって唸る。
「――って、まさか起こしちゃった?」
「んー? いや、寝てるのが勿体ないなって」
 危惧した吉田に、少しちぐはぐのような返事が来た。吉田は何のこっちゃ、ときょとんとする。
「だって、吉田が触れて来るのって滅多にないから」
 佐藤の説明に、吉田は言葉が詰まった。
「う………そ、そうかな」
「そうだよ。……もっと触っていいのに」
 吉田はね、と特別性を強調すると、ただえさえ赤かった吉田はまるで沸騰したかのようだ。その様子を見て、佐藤はクスクスと笑う。全く意地が悪い。
 佐藤は、携帯で時刻を確かめた。
「授業……始まってるか」
「あー、うん……よく寝てたからそのままにしちゃった。ごめん」
 思えば吉田は勝手に授業放棄に出たのだ。謝罪を口にしたが、佐藤はむしろ2人の時間が増えた事で嬉しそうだ。
「次までまだ時間あるか……」
「そうだな。なんなら、もうちょっと寝とくか?」
 膝なら貸すぞー、と茶化して言ってみる。そうした方が恥ずかしさも薄らぐ……ような気がしたけど、どうだろう。
 しかし佐藤はここで頷かず、ただ吉田を見つめているだけだった。穏やかな顔で、愛しさを募らせた顔で。
 こんな時、どういう対応を取ればいいのか解らない吉田は、顔を赤らめて俯くだけだった。いつまでも初な吉田の反応は、佐藤の心を何より癒す。どれだけ栄養豊富な食物を取り、安息の睡眠を十分摂ったとしても、傍に吉田が居なければ心の中は空虚のままだ。再会するまではそれに近い様な状態だったから、想像には終わらない。
 ただ――あの時と違い、今は想いを通わせ合っている。前は他人同然の付き合いだったから、持ち堪えられたかもしれないが――今の状態で吉田と離れてしまったら、自分はどうなるんだろう。
 壊れてしまうかもしれない。
 でも、それでもいいとすら思う。
 吉田の傍でだけ、自分は自分に戻れるのだから。
「……ね、寝ない、の?」
 佐藤の視線に坐りが悪くなったのか、吉田はいっそ促すような事を言う。
「んー……?」
 佐藤はそれに、とぼけたような声で返した。
 吉田には悪いが……今は睡眠より、吉田が欲しい。疲れた体は、それで完璧に回復する。
 じ、と眺めていると、吉田の中にある自分に対する気持ちがどんどん飽和状態になりつつあるのが解る。吉田は解りやすいから、めでたく両想いになった時は吉田の態度でバレるんじゃないか、と期待していたが、中々吉田も強かだった。最も、佐藤も人の目がある時はそれなりに加減してやってるけど(あくまで佐藤基準のそれなり)。
「――わ、ぶ」
 屋上で吹き荒れる風が、これまでとは向きを変えて2人の位置を襲った。かなり激しい風で、真向かいに浴びてしまった吉田は一瞬息が出来なかった程だ。
 その強風に続く様に、髪をかき混ぜる程の風が襲う。きっとこの風が終わったら頭がボサボサだな、と吉田は達観すらした。
 ビュウビュウと存在を主張するように風が過ぎる。
 そして――大きな掌が、風から守るように頭に触れた。
 視界で確認せずとも、吉田は感触だけでその相手が誰だが、解る自信を何となく感じた。
 まだ風は吹いているというのに、その最中でもその手は吉田の髪を整えた。――いや、前髪で隠れてしまった顔を曝けたのだ。まるでオールバックのようになっている。
 風はまだ吹いているから、相手の髪も荒れるように舞う。けれど、自分と違って綺麗な軌跡を描いていた。
 さららさと実際には聴こえない音を感じながら、この強風よりもずっと強く、優しい感触で撫でる掌に頬を包まれ――
 寄せてきた佐藤の顔に、吉田は目を瞑った。


<END>