いつも佐藤と部屋デートな吉田だが、身体を動かすのが決して嫌な訳では無い。けれどやはり、好みはあるものだから。
 例えば今日から、体育の授業がバスケットボールになって吉田はちょっと憂鬱だった。スポーツは往々にして体格差がハンデ差になり、バスケットなんて思いっきり身長の格差社会である、と吉田は思う。まだサッカーなら、この自分の背丈でも点数の決めようもあるが、ボールの動きが基本3次元でゴールが頭上にあるバスケットだとそうは行かない。まさに手も足も出ないというやつだ。
 そして更に文句を言って良いのなら、季節と場所が問題である。今は冬、当然のように寒く、そして体育館は学校内で1,2を争う程に寒い場所である。ちなみに理科実験室も何だか寒々しいように思う。
 体育館内の、外気と変わらない気温の中、コートもジャケットも無く厚いと決して言えない体操服の上に防寒機能も無いジャージを羽織っただけでは凍えるに決まっている。それでも風邪にならないのが不思議だ。更に今日は朝一の体育の授業なので、その寒さも一入に感じられた。
「うわっ、さびぃ~~~!!」
 一歩足を踏み入れ、思わず、「寒い」の発音もままならない。そして、台詞と共に白い息があがり、見た目からでも寒さが刺激してくる。
 女子には更衣室を割り当てられるが、男子は基本教室で着替える。そこから廊下、渡り廊下を伝って体育館に行くのだが、その道中より明らかに館内の方が寒い。いや、冷たいという方がしっくりくるかもしれない。
 ひょっとして冷蔵庫より引くんじゃ?と雪国ほどでは無いが、それでも最低がマイナスに突入する事もある。そんな時は登校時間でもまさに冷蔵庫並みの気温だ。母親なんか、外に出しっぱなしでも全然良いわね、なんて呑気な事を言っているが。
 これでバレーボールであればネットの設置なんかあれば、まだ紛らわせる事が出来るのだが。いかんせんバスケットボールではコートはすでに床でテープで表示されている。後はボールを出すだけで、それは体育係りで事足りてしまう。こうなれば授業開始が待ち遠しい所だが、その始まりまであと5分。たかが5分。されど5分。少なくとも、寒さを耐えているには長い時間である。
 息をするにも寒く、せめて摩擦熱でも起きればと腕を組むような形で反対の腕を摩る。が、手の平に擦れる感触があるばかりで、完全の熱は全く起きていない。ように思える。
 寒い寒い、とその場足踏みもし始めた時、突然吉田の身体に重さと温もりが訪れた……というか伸し掛かった。
 一瞬何が起こったかと目を白黒させた吉田だが、ここでこんな真似をするのは1人だけだ。いや、厳密には2人は居るかもしれないが、その内の1人は避けきれるのだし。
 襲い掛かって来ても、避けれないのは、1人。佐藤だけなのだ。
「ちょ……ちょっと何すんだよ!離せ、離~れ~ろ~!!!」
 吉田が一生懸命暴れてみても、がっちりとホールドされたような状態ではその抵抗も無意味に等しいくらい微々たるものだった。佐藤の何一つ動かす事無く、強いて言えば表情が変わったくらいだ。
「だって吉田がとっても寒そうだからさ。こうすれば温かいだろ?」
 そう言っている佐藤が、蕩けそうな笑みを浮かべているのが何だか解り、吉田の顔の温度がまたぐっと上がる。結構顔を下ろしているらしく、旋毛辺りに喋るごとに吐かれる佐藤の吐息を感じた。
「そ、そそ、そりゃ温かいけど!でも!!」
 学校でこんな事するなって言ってるだろ!と小声でぼそぼそ騒ぐ。
「別にいいだろ? ほら、向こうで似たような事になってるし」
 言葉で促されるままの方向に吉田が顔を向ければ、そこには複数の男子(牧村含む)に囲まれ「秋本あったけぇ~」「秋本マジ暖房」とか言われて囲まれている秋本の姿があった。暑さもだけど、寒さも人を狂わせるんだな……と1つの真理を見出した吉田である。
「だから、大丈夫。な?」
 吉田がそれでも精一杯首を捻って佐藤を見上げると、女子の前では浮かべない素の笑顔があった。その顔を見ると、何だか吉田は強気には出れない。怒りとか妬みとか、そんな負の感情が空気でも抜けるみたいに萎んで行く。が、それと立ち代るようにただただ好きな人に抱きしめられて恥ずかしいという羞恥心だけが残る。
「~~~でも、やっぱ、いい。も、いい」
 だから離して、とぐいぐいと力の籠らない手で押すと、すると何故だか佐藤はあっさり解放した。いつも意地悪で詰まらない悪戯ばかり仕掛ける佐藤なのだけども、本気で止めて欲しいと解っている所は弁えてくれているようだった。
 ふぅ、と佐藤解放されて吐く息が、さっきより一層白く見えた。
 抱き合うくらいのスキンシップ、それこそ吉田だって例えば中学では虎之介やなんかとはしていた。今日は特に寒いし、暖を取る為に余計に引っ付く事だってあっただろう。
 でも、ダメだ。佐藤はダメだ。だって、友達じゃないし。
 佐藤はそれを装っていても、吉田にはやっぱり恋人の抱擁なのだ。触れる腕や背中に感じる体躯は、別の事を彷彿させてとても平静ではいられない。逆に佐藤はどうして出来てしまうんだろう、と疑問に思う程だ。尋ねてみた所で「だって吉田に触っていたいから」と納得出来る回答は無いのだろうけど。そもそも吉田も、どう答えてくれて欲しいのか解っていない。
 吉田にとっては「変な事」の記憶が鮮明にならないようにと、てててっと小走りで少しだけ佐藤と距離を保つ。そんな吉田の心境が伝わったか、距離を取った吉田に佐藤は何も言わないし、追いかける事もしなかった。
 それはそれでちょっと、と思ってしまって、吉田はたまに本当に自分が解らなくなるのだった。

 体育の授業があまり好きでは無くなったのは、自分の身長が「チビ」の部類に入り始めた時と、そして最近また一層体育の授業が嫌いになったように思える。それもやはり、背丈に関係する事で。
「佐藤、俺と組もうぜ」
「ああ、いいよ」
 最初のストレッチ。1人でするものも勿論あるけど、バスケットなんて激しい運動では、より入念に2人でのストレッチも組み込まれる。
 大概、2人組のストレッチの場合は、似たような体格の者同士で組むとされている。その方がお互いに良いからだ。差があれば、小さい方の負担が多くなる。だから、佐藤と吉田が組む事はまず無い。
 それは十分解ってる。なのに自分では無いクラスメイトと準備体操をしている佐藤を見て、何でこんなにもやもやとした気持ちになるのだろう。組んだ相手には全くそういうつもりはないし、佐藤だって何も意識していないのも解っているのに。
 いつからだろう。こんな気持ちになってしまうようになったのは。それはつい最近のような、随分前からのような。
 チーム決めはまずは生徒の方で決める。ただ、運動部のある種目だとその部活に所属する生徒が重複しないように、またその人と組む人が重ならないよう、決めた後で教師からの調節が入る事もある。また、運動部に入っていなくても、身体能力の高い生徒もなるべくばらける様に配慮が課せられる。
「吉田、同じチームになろ」
 その、運動部じゃなくても重複不可要因である佐藤が声を掛けて来た。
「……俺、背ぇ低いよ」
 素直にいいよ、とは言えなくて、自分でも妙だと思う返事をしてしまった。佐藤もきょとんとしていたが、すぐに「見れば解る」と余裕で切り返してきた。
 佐藤はそれでもうとっくに吉田とチームを組んだ気になって、ふと見渡して当たり前のように余ってる秋本も入れよう、と吉田に尋ねる。異論なんてある筈の無い吉田は、今度は素直に頷けた。そして、その足で秋本に声を掛けて行く。
 あの返事で、今の自分がちょっと不機嫌だと、佐藤は気付いた筈だ。でもそれは、さっき抱きしめたのが原因だと思っているのだろう。まさかストレッチに妬いたとか、そんな事は思いもしないだろう。
 ばれていない方が良い。もしそうなら、憤死しそうだ。
 だけど、ちょっとは知って貰いたい。
 こんな気持ち、佐藤にもあるのかなぁ、と寒さなんてすっかり忘れた吉田は思う。


 そんな揺らぎがあったからだろうか。あとは帰るだけと言う、もっとも気の緩む時間だったのも要因の1つだ。
「吉田!!」
 その声がすぐ傍まで迫っていて、しまった!と吉田は慌てて警戒した。けれど、もう遅すぎて次の瞬間には大きな腕に捕まっていた―――西田の腕に。
「うわ、ちょ、おいっ!!」
 佐藤にはある意味心因性だが、西田には純粋に物理的行使力で敵わない。心情がそのまま行動に変わる西田だから、この力の分が愛情の証なのだろう。……迷惑極まりないが。
 佐藤が来る前にこれを外さなければ、またややこしい事になる。もがく吉田だが、これまたびくともしないのだった。
「おい西田!いい加減にしろ!!」
 それでも西田も、言えば聞いてくれる方なので(ある程度は)声を荒げて主張する。けれどそれは、近づいてきている佐藤に現状を伝えてしまいかねない諸刃の剣で。
「……おい、西田」
 あーっバレたー!!と吉田がざっと青ざめる。
 色で言ったらまさに真っ黒、ダークな佐藤の声色に、寒い廊下がまた一気に寒くなった。通り縋りの何の罪もない生徒が、原因不明の寒気で身震いをしていた。
「何してるんだ……吉田が嫌がってるだろ。その手を今すぐさっさと離せ!」
 ある意味、佐藤の本性が一番出るのは西田が相手の時かもしれない。出会いを間違えなければもしかしたら良い友達にもなったのかな~と思うと決定的な溝を作った原因としては、何やら複雑な思いにかられる。まあ、佐藤には全力の全否定をくらうだろうけども。
「佐藤に言われなくても、話す所だよ」
 微かに顔を顰め、けれも手つきは丁寧に吉田を開放する。
 西田もまた、佐藤には普段には見せないような顔をする。西田は良い人だけど、完全なる博愛主義でもないのだと思う。山中だって殴る時もある。山中の自業自得だから西田には何も問題も無ければ責任もないが。
 その後、2人はいがみ合うだけいがみ合って、やがてふん、とそっぽ向いて果てしないにらみ合いは終了した。西田はあるいは、何か誘いに来たのかもしれないが、佐藤が訪れた時点でご破算だと踏んだのだろう。
 去って行く背中が小さくなったのを見届けて、佐藤は吉田に向き直った。うわぁ、怒ってる、と解るくらいの壮絶な顔だ。佐藤君は優しい、なんて言っている女子はきっとこんな顔を知らないだろう。
「吉田、ちょっと油断しすぎだぞ」
「え?」
「ほいほい抱きつかれてるんじゃないって事」
「……………」
 別に、別にそんな好き好んで抱きつかれた訳でも無いのに。それにそもそも、今日西田に抱きつかれる隙が出来てしまったのは誰のせいだと思ってるんだろうか。そう思うと、またもやもやとした気分が……いや、イライラとした気持ちになろうとしている。
「何だよ、だって佐藤だって……」
 妬いたら悪いと、そういう気持ちは普段はうまい具合に仕舞い込まれている。なのに最近は表情に出ているらしく、野沢双子に指摘もされた。
 箍がどこか緩んでいる。そして、その緩んだところからぽろっと本音が零れ落ちてしまった。
 自分に非があると言われ、佐藤はん?と目を丸くした。しまった、と吉田は顔を赤くする。勘の良い佐藤は、材料を少しだけ与えればすぐに真相に辿りつくかもしれない。
「…………」
 黙っている佐藤の頭の中が恐ろしい。頼むから真相に気遣いでくれと祈りたいが、手を合わせる前に佐藤がピンと来たような顔で吉田を振り向く。
 何も言わないその顔だけで、佐藤が解ったのだと吉田も気付くのだから、何だか不思議だと思う。声にしなければ伝わらない事の方は多いと思うのに、それでも声に出さずとも通じ合っていると実感できる時もある。それだけ相手が近い存在となっているというのなら、それはきっと、嬉しい。
「……へぇ」
「何だよ」
 何がへぇ、なんだよ、と逆キレしたい吉田である。佐藤はにやっと意地悪く笑ったと、今度はがばりと背後から抱き締めた。体育館の時の再現みたいに。
 わ、わ!とまたも暴れる吉田に、佐藤は抱きしめたのはこの為だと、他の誰にも聴かれない、吉田にだけ届く微かな声で囁く。
「ヤキモチ焼きの恋人持つと大変だなv」
「!!!!!」
 一気にカッと顔に熱が沸いた吉田は、思いっきり佐藤を突き飛ばして走り出す。途中、教師から注意を受けたけど、そんなのは無視した。
 その勢いのまま自宅まで帰り、佐藤と一緒に下校できなかった、と自室でベッドに顔を埋めて自己嫌悪に陥った。
 佐藤、怒ってないかな、とそれを思った時、携帯のメールの着信音が鳴る。佐藤からのメールで、ドキリとしながら開封するとおそらくさっきの台詞の続きなのだろう、そんな文句が認められていた。

<でも、嬉しい>

「………」
 そっか、嬉しいのか。なら良いのか?いやいやダメだろ、とまさに、顔を赤くしながらの1人百面相の吉田だった。


 次の日。ものすごくからかわれると覚悟していた吉田だったが、その日も佐藤は昨日や一昨日や、そして明日と同じように吉田を出迎えた。何だか拍子抜けのように思う。
 けれど、無かった事にもなっていなくて吉田が気にしているんだと解った風に佐藤は動いている。例え、している事は変わらないにしても。
 すると不思議な事に、吉田の中からもあのもやもやとしたものが綺麗になくなっていた。
 気の持ちようなんだなぁ、と合っているのか合っていないのか、そんな事を胸中で呟いて。
「吉田、寒く無い?」
 何かに味を締めたのか、そんな言葉で承諾を得ようとする佐藤。まるで一種の言葉遊びのようで、周りには気づかれない2人だけの暗号が楽しい。
「あったかいな」
「……うん」
 冬のオチケン部室、2人だけで、ストーブなんてろくにないのに、吉田も佐藤もとても温かだった。




<END>