「うわ~~美味そ~~」
 なんて事の無い休日。DVDを見ようとして着けてみたテレビ画面に、堂々ともうすぐ迎えるバレンタインの為、デパートの催事場に特別に組まれたフェアの特集に、チョコレートが好きな吉田の目が釘付けになった。それを察し、佐藤はDVDの再生を少し待つ事にした。
 フランス発祥のチョコレートの祭典とはまた別に、このデパートで独自のフェアを開催している模様だ。決して広いとは言えない催事場に、これでもかというくらいのチョコレート専門店が名を連ねている。中には喫茶コーナー等、その場での飲食を振る舞っている場所すらあった。丁度、今はそんなコーナーを紹介している。
 取材特権を生かし、並ぶ行列に悩まされる事無く席に着いたレポーターの前にはこのフェアの為に作られたと言うプレートだった。鮮やかなクランベリー・ソースやフルーツで彩られた皿に、堂々と主役然として居座っているのは。
「フォンダン・ショコラだって。佐藤、食べた事ある?」
 美味しそう、とは口にしていなかったが、顔を見れば解る、というような表情だった。佐藤は知識としてそういう食べ物があるというのは知っていたが、実際に口にした事は無い。いいや、と首を振って会話が終わってしまうのを佐藤は惜しんだ。
「何なら、食べに行こうか?」
 見ているあの現地では無くても、この季節似たようなケーキを出している所は探せばあっさり見つかるはずだ。吉田とこうして室内でごろごろするのも良いけど、一緒に出掛けるのが楽しくない筈が無い。
 佐藤の呼びかけに、吉田はえ、とした顔でその台詞を受け取り、よくよく何かを考えている。
「……ん~、いいや。だって、恥ずかしいじゃん」
 男同士で食べるもんじゃないだろ、とやや顔を赤くして言う。
「そうかな。最近じゃ男も普通にスイーツ食べるっていう風潮だし」
 スイーツ男子とかよく解らない単語まで出回る始末だ。
 佐藤が何てことないという具合に言ってやると、吉田は何やら物言いたげな、複雑な顔になる。
「そりゃ~佐藤みたいなのが食べれば何でも様になるんだろうけどさ……俺とかが食べても」
 笑われるだけたし、と少しばかり唇を尖らす。
「考え過ぎだと思うけどな」
 吉田がこれ以上触れてくれるなという雰囲気を出しているのを察し、佐藤もこれが最後とばかりにそんな事を口にする。
 割と吉田には、空手を習っていただけに、男としての沽券というか矜持みたいなものがあって、それがあの男前な性格を成形しているのだと思う。
 それが結果として、好物を口にする機会を無くしているのかと思うと、損な性分だなぁと思いながら、そんな所も可愛く思う佐藤だった。


(う~ん、バレンタインか~~。やっぱりあげるべきなんだろうな……)
 と、いかにも能動態のように思う吉田だが、きちんと佐藤の為に贈り物をしたいと言う気持ちがある。そんな時、吉田はこの2月の厳しい寒さすら忘れた。
 こういう時、手作りとかの方が良いんだろうかとも思うが、生憎その為の技術も場所も無い。それでもちょっと調べてみたけれども、ただ溶かして固めるだけで良い、というものでも無さそうでいきなり吉田の範囲を超えた。
 とは言え店で買うとなると、そこはそこで勇気の居る行為だ。佐藤の言った通り、甘いもの好きな男子も然程奇異な目で見られる事も無く、バレンタインでは男子からも贈る側が多くなった近頃であるが、目立つには変わりない。特に、自分のような今一に部類されるような男子には。
 佐藤にはその辺りの意識が足りないんだよな~と平然としてた佐藤の様子に、何やら憤懣にも似た気持ちが沸き起こる。とは言え、責める事でも無いだろう。
 わざわざ大きなデパートに出向くまでもなく、近場の大型スーパーでもその特設会場のようなコーナーは作られている。あの時テレビで見た程ではないが、普段はこの店内にも並ばないような外国のメーカーや、国内の有名ホテルのブランドのついたチョコもある。美味しそう、とすっかり自分の目線で眺めていた吉田は、本来の目的を思い出す。佐藤へのチョコを買いに来たのだ。
 甘いものはそんなに得意じゃないと、自分では無く女子にだが、そう言っていた佐藤。だとしたら、甘さが控えめな方が良いかもしれない。
 甘いものは得意じゃないくせに、チョコは強請るんだもんな、とバレンタインには吉田からのチョコが欲しいとストレートに言ってきた佐藤を思い出し、吉田はちょっとだけ照れた。


「吉田、今週末俺の家においで」
 出だしからそう言われ、吉田は何事かと思わず構えてしまったほどだ。が、その日付を思うと心当たりが無い訳でも無い。
「14日にはまだ早いけどさ、部屋で渡したいから」
 やはりバレンタイン絡みだったな、と吉田は自分の予想が合っていた事を知る。
 校内と言う不特定多数の目のある場所ではないというのは、吉田にも有りがたい事だ。日にちを重要視する人も多いだろうが、吉田は特に拘りはない。ただ、贈物をするのに口実が欲しいだけなのだ。
 佐藤からその予定を聞き、吉田は勿論頷いた。密かにその日を楽しみにする吉田は、表情もちょっとだけ明るい。が、実は普段よりは暗かったりもする。その原因というか理由も、やはり佐藤に会って。
 今日では無く、少し前の事だ。吉田は女子に飛びとめられた。その表情からして、吉田は嫌な予感がした。デジャヴというか、佐藤絡みの時に自分を呼び出すとき、女子たちには共通の表情のような空気がある。
「ねえ、吉田。あんた佐藤君が放課後どこに行ってるか知らない?」
「へ?……知らないけど」
 そう返事した吉田は、その胸中では女子と一緒に下校してるんじゃないのか、と首を傾げていた。そして勿論、自分と一緒に帰っても居ない。
 本当に知らなさそうな吉田に、早々に見切りをつけてその女子はあっさりと立ち去った。普段のような厳しい追及がなくて、良かったと安堵したい所でもあるが、生憎それどころでも無い。
 佐藤、何処に行ってんだろう。
 それまで女子と帰っていると思っていたものだから、全く気にも留めなかったがここ最近の学校を終えてからの佐藤の素行は詳細不明である。
 別に、毎日一緒に帰る必要もないし、佐藤だって一人でぶらぶらしたい時もあるだろう。お互いの全てを知らなくては関係も築けないという訳でもないし、そこはそれで良いんだろうけど。
 でも、気になる。
 悩み事でもあれば相談くらい乗るのにな。というか話を聞く事くらいしか出来ないんだけど、とその日も吉田は佐藤と一緒には帰らなかった。


 けれども、佐藤が自分の知らない所で何かをやっているというのは、ある種今さらでもあり、佐藤が開けさない限り知ろうとしても徒労で終わるか余計に拗れるばかりだ。吉田はそれと経験と本能で知っている。
 今日は待っていた週末。佐藤の部屋に赴くのは宿題を消化する為では無く、バレンタインと言う名の名目の元だ。チョコを贈りあって終わるだけだろうけど、そういう恋人っぽい事は嫌いじゃない。凄く恥ずかしくて、素直にはまだ慣れないけど。
 自分の中で厳選に厳選を重ねた一品をカバンに入れ、吉田は家を出た。
 見慣れてきた佐藤のマンションまでの道中を行き、エントランスに辿りつく。佐藤に玄関を開けて貰って、マンション内へと入った。
 エレベーターで上がり、佐藤の部屋番号の所まで歩く。そしてまたチャイムを鳴らすと、シンプルで素っ気無い室内着を着込んだ佐藤がドアを開ける。
「いらっしゃい。寒かっただろ」
「んー、今日はそんなでもなかった」
 言いながら吉田がダウンジャケットを脱ぐと、佐藤が当然のようにそれを自分の手に持ってしまう。相手の荷物を預かる何だか洗練されたような手つきに、妙にドキマギしてしまうし、大事にされている感が伝わってきて足の裏がむず痒い。
 と、室内に入って吉田は、普段には無い空気を感じ取った。空気と言うより、これは匂いだが。
「すっごいチョコの匂いがするー」
 きょろきょろと興味深そうに、何も無い空間を見渡す吉田に、佐藤がちょっとだけしまった、というような顔になった。
「あ~、そんなに匂うか。ずっと作業してると鼻が麻痺したのかな……」
「え、もしかして、佐藤、チョコ作ってたの」
「まぁな。だって今日はバレンタインだろ?」
 にっ、と女子には見せないような子供っぽい笑みを浮かべる。
 佐藤の手作り、と吉田はある意味2回ドキッとなる。それは勿論好きな人からの、という意味でもあるし、かつての所業である激辛チョコの記憶からである。佐藤の手の器用さなら、もっと辛いチョコを作るのだって他愛ない事に違いない。
「へ、変なのじゃないよなっ!?」
「さーあ、どうかな?俺はあんまりチョコの良し悪しとか解らないし」
「そこからじゃなくてー!ちゃんと甘いのかってうか、辛くしたりしてないのか!!」
 吉田の必死の質問を、けれど佐藤はのらりくらりと真相を先延ばしにし、吉田のジャケットを掛けてからキッチンから持ってくると告げて吉田に待っているように促す。
 こんな日に変なの食わせたら、ホントにただじゃおかないんだからな、と今から来るかもしれないその時に備え、吉田の警戒態勢は最大値まで駆け上る。
 そうして待っていたが、ただチョコを持ってくるだけにしては何だか時間が掛かっている。お湯を零したとかコーヒー豆を撒き散らしたとか、そんな事にでもなってるのかな、と吉田が立ち上がろうとした時にドアが開く。
「お待たせ」
 佐藤が一緒に何か温かい飲み物を持って来て、けれどそれはコーヒーでは無いと香りで解る。多分、紅茶だ。
 無駄に食器をガチャつかせない優雅な手つきで、吉田の待つローテーブルの上に持ってきな品を乗せる。
 白い皿の上に乗せられたのは、カップを逆さにしたようなチョコレートケーキ。これに、吉田は見覚えがあった。
「……フォンダンショコラ、だっけ?」
「お、偉い。覚えてたか」
「馬鹿にすんなっつーの。……で、これ、作った……?」
 吉田には菓子の出来栄えについて、その正当な評価なんて下せる知識は無い。ただ、見た目だけで言えば店で出る物と、あの時テレビで見た時の物と全く遜色劣らないように思えた。
「まあ、吉田食べたそうにしてたし。で、ちょっと調べてみたらそんな難しそうなレシピでもなかったし」
 佐藤が言っているが、その言葉の半分も吉田には届いていない。佐藤が自分の言った事を覚えていて、それを叶えてくれたのは凄く嬉しくて、胸が一杯のあまり耳まで塞いでしまう。
「……あ! 最近、女子とも一緒に帰って無かったのってまさか……」
 これを作る練習をしていたのか、と吉田が問えば、佐藤はあっさり頷く。
「あー、うん。さすがにぶっつけ本番とはいかないから……なんだ、吉田、気にしてた?」
 そう言ってまたあの意地悪そうな、面白そうな笑み。
「ていうか女子に聞かれたっていうか……」
 いかにも自分だけが気にしてたような言い方に、吉田も何となく言い返す。
 それに気にして直接訪ねてみた所で、本当の事なんて教えてくれないだろうし、絶好の揶揄する機会を与えるだけだ。佐藤がそういうヤツだとは解ってるが、率先して餌食にはなりたくはない。
 それにしても、佐藤が女子とは一緒に帰らず、吉田に贈る為のチョコレート作りに励んでいたと知ったら、またとんでもない事態になりそうだ。そこでちょっと怖いのは、その時の女子の様子よりもそうなってもいいかも、とちょっと思っている自分の本心だ。最近、女子にキャーキャー言われている佐藤の姿を見て、どっちに腹を立てているのか微妙になってきた。前は佐藤に妬いていたのだけども、最近は女子にも文句を言いたいような気持ちになっている。敢えて言い方を考えなければ、それは俺んだ、みたいな事を。
 前は思わなかったような事を思ってしまうのは、関係性が変わったからだろうか。前よりもっと、佐藤が好きになったのかもしれない。
 そんな気恥ずかしさを誤魔化す為、吉田は目の前で良い香りを立たせているフォンダン・ショコラをフォークで一口、ぱくりと食べる。あるいは激辛かもしれない、という懸念をうっかり忘れていたのだが、舌の上から口全体に広がるのは、濃厚でとろりとした濃いチョコの味。甘さの度合いも申し分なかった。
「――美味っ! これ、ホントに美味い! マジで佐藤が作ったの?」
「ホントだってば。なんだ、そんなに信用ないか?」
 しかし佐藤は、吉田に喜んで貰えたと、そこを嬉しそうに笑っている。
「……………」
「? どうした?」
 ケーキを食べる手が止まってしまい、自分を凝視する程見上げる吉田に、佐藤が怪訝そうに言う。吉田は別に、と言葉を濁してまだ温かさが残る内にと、ケーキに手を付ける。
 ――食べたいと思っていたのを食べる事が出来て、それがとても美味しくて。
 けれどその感激もその味も、きっと明日には忘れてしまう。
 それよりの吉田の記憶の表裏には、佐藤の満面の笑みの方が余程強烈に残ってしまうから。


「……なんか、佐藤が手作りだったのに、俺のは買ってきたので申し訳ないな……」
 いっそ先に渡しておけば、とすら思った吉田だ。あのケーキの後だと、何だか余計に味気ないと言うか。
「何言ってんだよ。こういうのは既製品とか手作りとか言う前に、気持ちの問題だろ?」
 しょぼんと気落ちする吉田に、佐藤がフォローのように言う。そうかな?と顔を上げる吉田に、勿論だと深く頷く。
 総合的に意地悪の方ばかり多い気がするけど、でも佐藤優しい所あるよな……とほんわりしていると。
「吉田が俺の為に一生懸命選んでくれたってだけで嬉しいよ。
 後はそうだな、そのチョコをあーん、とか口移しで食べさせてくれたら、ホントにもういう事ないよな♪」
「………………………………………………」
 結局優しくても佐藤は佐藤で、吉田がどっちを実行したかは、当人達だけの秘密である。



<END>