その時の昼休み、女子の悲鳴で出来事は幕を開けた。
「いや――――!! 牧村!何あんた教室でエロ本なんて読んでるの!!」
 誰が言ったかその声を皮切りに「えっ、エロ?」「エロ本?」「エロ?」と細波のように単語が伝わって行く。こんなにエロエロ聞いたのは初めて……と言いたい所だが吉田は割と最近覚えがある。悲しい事に。
「ば、ば、ば、馬鹿言ってんじゃねぇよ~! エロ本なんかじゃねぇって~~~!!」
 突如としてクラス中の女子から軽蔑と嫌悪の対象となってしまった牧村は、その落書きのようなというか落書きそのものの顔を青ざめ、必死に弁明した。
「嘘つけー!だったら何、その女の人の裸の写真!!」
 ずびぃ!と件の女子が指さしたのは牧村が今し方読んでいた雑誌。ジャンルとしてはファッション雑誌なのだが、掲載される記事としてはアダルトな類もある訳で。どうやらピンポイントにそんな部分を見咎められたようだ。
 女子はそれこそもう、犯罪者でも見るような眼つきだが、男子陣から送られるのはひらすら同情である。運が無いと言えば運が無いが、迂闊と言えば迂闊だ。こんな所で読むなよ牧村よ。
 こうなってしまえば、その勢いの如くに天災と同じように対処するのが良いだろう。身を低くし、ひたすら通り過ぎるのを待つのみだ。
 だというのに、牧村は保身の為にとつい要らない事を言ってしまった。気付いたとしても後の祭りだ。
「そ、そ、そ、そんなん言うけどなー! 佐藤だってな、俺と同じ男なんだから、こういうの見てるんだぞ~~~~~!!」
 あっっ!あのバカ!!!なんて事を!!!!とは吉田のみならず、この場に居る男子全員の胸中の突っ込みだ。全員、この後襲い掛かるだろう事態に備え、牧村と女子たちからそれとなく距離を取る。
 室内は一旦、しん、と水を打ったように静かになった。しかしそれも、所詮は嵐の前の静けさ。
「「「「「……ぬわんですってぇぇぇぇぇぇぇぇえええええ――――――!!!?!???」」」」
 彼女らの発したその怒気は、天井すら吹っ飛ばせそうだった、とその一部始終を目撃してしまった人たちは思った。


「へー、俺が日直の仕事している間にそんな面白い事になってたのか」
 その場に居合わせなかったとはいえ、ある意味当事者であるのにまるっきり他人のように笑う佐藤に、吉田も思わず叫んだ。
「面白くなーい! お前が来た時は収まったけどさ~」
 いや違う。収まった頃に佐藤が来たのではなく、佐藤が来たから収まったのだと吉田は考えを改める。。割と信じられない話だが、彼女たちはそれでも佐藤の前では可愛い女子生徒のスタンスを貫きたいようだ。例え独占権を巡って相手のスケッチブックを破いたり、マラソン大会の為にボイコットしたり、他校の女子とステゴロのタイマンを張っていると佐藤本人が知っていたとしても。
 その辺りの心理、吉田には解るような、解らないような。
 地獄の獄卒達も震え上がるような光景の後、佐藤も戻って来たし授業も始まると言う事で一旦は沈下したが、学校が終わって放課後、女子たちは今度こそ心置きなく牧村を追いかけ回しているようだ。そのおかげで自分たちがこうして帰れるというのは、皮肉とでも言うべきか。佐藤は純粋にラッキーと思っているようだが。
 牧村には同情するが、自業自得の面も否めない。佐藤が彼女たちにとってどういう存在か、解らない筈も無いだろうにあの発言はまさに失言だった。言ってはならない一言である。佐藤が女子に人気なのは、当然その整った顔もあるが何より佐藤は処世術の一環として、結果的に女子が嫌う男の要素を出さないでいる所だ。爽やかで、優しくて。馬鹿な事を言って騒いだりしない。その辺の男子とは違うのが彼女たちにとっての佐藤なのだから。
 それと一般のその辺の男と同じだと言われては腹も立つだろうし、殺意も抱かれるだろう。……いや、そこまでは行きすぎかもしれないが。
 教室に戻って、佐藤も何かあったなと直感で解ったが、吉田がその渦中ではないようだからほっといた。というか興味がそんなに湧かなかった。今こうして、吉田から事実を告げられてるのである。
 そんな騒動の時に丁度日直の仕事をしていたとは、佐藤も運が良い。逆に牧村はひたすらついていないとしか言いようがない。あの場に佐藤が居れば、すくなくともその時だけは女子も静かだっただろうに。最も、刑の執行が伸びた訳で決して無効にはならないだろうが。
 今頃、牧村どうしてるかなぁ、と暮れなずむ空に吉田は牧村を思った。明日は五体満足で拝めれたら奇跡だろうか。それにしても、女子にモテる為の雑誌を読んで女子を敵に回すとは。やろうと思ってできる事では無い。その時読んでいた雑誌は、吉田がそっと回収していた。これが彼の遺品になるやもしれない。
 完全な興味で中身をちょっと見たら、下着姿の妙齢の女性が挑発的なポーズを取ったページが出てきて、吉田は慌てて閉じた。が、下着だから過激に見えたかもしれないが、その露出は水着とさほど変わりない。週刊少年誌くらいのレベルだろうか。これでエロ本呼ばわりはどうかな、とも思ったが、やはり下着姿というのがネックなのだろう。
「……………」
 鞄の中の例の雑誌を気にしながら、吉田は牧村の発言を思い浮かべる。佐藤だって同じ男だから、こういうのは読んでいる筈。
 佐藤に懸想する女子たちは怒り心頭だったが、お付き合いしている吉田にとってもドキリというかギクリとさせた発言だ。いや別に、彼女らのようにヒステリックに咎め立てる訳じゃないけども。
「……なあ、佐藤」
「ん?」
 そう言って自分と顔を合わせる佐藤は、髪がさらさらで睫毛も長くてまさに王子様のような佇まいをしている。しかし佐藤は物語の住人ではなく現実を生きる人物だ。そう言う点では、牧村の言うように自分と同じである。神聖化はあくまで神聖化で実際にそうなる訳じゃない。
「やっぱ、佐藤もこーゆーの見たりすんの?」
 これ、と実際に雑誌を広げて見せる。人気の無い通路だし、大丈夫だろう。
 女性の下着姿が突然目の前に現れ、さすがの佐藤も柔和な笑みを象れなくなったようだ。ちょっと、ぎょっとしたように目を見開く。そして、外でそんなものを広げるなとばかりに眉間を潜めて雑誌を畳み、そして自分の鞄へと突っ込んでしまう。あ、と吉田はその行方を見たが、牧村にしてももはやトラウマの象徴になってそうなその雑誌を探し求めたりもしないだろうし。もし求められたら軽く何か奢ってやれば良い。
「読むの?」
 佐藤としては終わらせたつもりらしいが、吉田は追及の手を緩めなかった。佐藤はちょっと困ったように頭を掻いて、考えるように顎に指をやった。
「吉田は?」
「えっ?」
 急に質問が自分に回って来て、今度は吉田が泡を食らう。
「な、何だよいきなり」
「いきなりはお互い様だと思うけど……ちょっと聞いてみたいなって」
 その気持ちはよく解る。というか多分同じだ。
「俺が先に訊いたんだから、まずは佐藤が先に答えろよ」
 吉田は全うだと思う主張を通す。が、しかし佐藤は。
「だって、俺の返事訊いて、吉田が意見変えたら」
「変えねーし!!」
 お前じゃないんだから、と目を吊り上げて怒る。佐藤が先に言わないと言わない!!と強固な態度を貫いた甲斐があったか、佐藤が口を開く。
「……そりゃまぁ、俺も男だし、女性の身体に全く関心を持たないかと言われると、嘘かもしれないけど、」
 そうでなければ決して惚れた相手では無かったが、出来なかったと思うし。
「…………………」
 言った途端、ちくりとした視線を感じて佐藤はむしろ、喜ばしい気持ちだった。吉田に妬かれるのは気分が良い。というか嬉しい。
「まあ、前にも言った事だけど、好きな人とじゃないと、意味が無いから」
 本当に、何も。してしまった佐藤だから解る。あるいはそんな事、解らなかった方が良いのかもしれないが。
「あったら目を引くけど、自分から見ようとは全く思わない。はい、これが俺の返事」
 言い終えた佐藤は、さっき言い渋るような素振りとは裏腹にとてもさばさばしていた。何だか悔しいな、と晴れやかな笑顔を見て吉田は思う。
「で、吉田は?」
 言われ、う、と言葉に詰まったのは佐藤の言葉に耳を傾けていて自分が返答するという事をちょっと頭から無くなっていたからだ。考える時間はあっただろうけど、無かったに等しい。
「お、俺は、その~……」
「うん、何?」
 先を促す佐藤は、吉田の隙を狙って本音を引きずり出そうとする算段みたいに思えた。自分の本音なんて覗いたって、何も楽しい事無いのに!と吉田は喚きたい。
「興味はあるし、……うん。たまに見る、かも」
「ふーん」
「で、でも、雑誌についでに載ってるようなのだから!それ目当てで買ったりはしないっていうか……」
 とはいえそれは、恥ずかしくて手が出せないという面が大きいのだが。
 けれど、買おうと思えば買えるのだし、やはり自分も、そこまでではないのだろう。興味はあるが興味だけだ。熱中は、しない。
「……怒った?」
 何も言わない事が逆に怖くて、吉田は恐る恐る尋ねてみる。
「吉田は怒ってるの?」
「え、別に」
「じゃあ俺も別に」
「……佐藤の方が意見変えてるだろ!!!」
 すかさず、噛み付くように突っ込むと佐藤はさも愉快そうに笑う。
 背も高くて頭も良い。なのに、時々こんな子供みたいに笑うから佐藤はずるいと吉田は思うのだ。


 翌日の事であるが、牧村は五体満足で登校してきた。あの女子の猛攻を潜り抜けたとは、と佐藤が密かに一目置いたりしたが、それは誰も知らない事実である。
 あの雑誌が次の廃品回収の時、きちんと他の雑誌と一緒にまとめられて出された事も。



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