年末の慌ただしさの中、それでもゆっくりと過ごした正月もすでに3日を経過した。おおよそ、学校というのは年が明けて1週間はまだ休暇中だ。だから吉田も、ベッドの中でぬくぬくしながら眠っていた。が、しかし。
「義男、義男ー! 起きなさい!」
 16歳の誕生日なら冒険に行けと言われそうなくらい猛烈に起こされた。吉田はのっそりと時計を掴んでみる。まだ、休日としては朝早い時刻だった。
「……何だよ~~まだ良いじゃん……」
 夏休みの3分の1にも無いような冬休みだが、その分凝縮しているように体は酷使された。特に年末の大掃除。父親が年末最後の出張となり、吉田はこの家唯一の男手としてあれやこれやとかなり活躍したのである。粗大ゴミを出す為に早起きした日だってあったのだ。
「ダメよ!」
 再び寝ようとした息子に対し、布団をばっさり取り上げるという暴挙に出た。今年は年末年始に寒波が押し寄せ、夜の間に冷え切った空気が厚手とは言えパジャマ1枚を越して寒さを沁みさせてくる。何すんだよー!と眠気が一気に吹っ飛んだ吉田が、喚いて母親に噛み付く。が、相手は平然と。
「お父さんは今日から仕事始めなの。一緒に見送りなさい」


 玄関に立つ父親は、休みの間しっかりクリーニングされたスーツをビシッと着込んでいる。吉田は社内での父親の立ち位置はよく知らないが、それでも出張を度々任される分には能力を期待されているのだと思う。
「じゃあね、お父さん。お仕事頑張って~」
 そう告げる母親は、とてもさっき容赦なく自分を叩き起こした人物と同じとはとても思えない。これが伴侶と息子の差だというのか。
 父親を見送った後、また2度寝する気である吉田はパジャマの上に綿入り袢纏を引っ掛けての見送りだ。さすがに綿が入っているだけあって、温かい。
 行ってくるよ、と玄関を潜る父親は、家族に見送られて確かに嬉しそうで、こんな恰好じゃなくてちゃんと着替えれば良かったかな、と吉田はちょっとだけ反省したのだった。


「そうか、仕事始めか。そんな感覚も薄いな~」
『外国って仕事始めとか無いのかな?』
「そもそも新年に休むっていう風習でも無いし」
 そうなんだ~と相槌を打つ吉田の顔が想像出来る。想像しか出来ないのは、今佐藤が居る場所は日本からかけ離れた場所だからだ。
 冬は寒くて嫌だからと、年末年始の旅行は南半球へと繰り出した。冬が寒いのは当然だろうに、と施設での過酷な鍛錬を超えて来た佐藤にとっては、何とも鼻白む。別にどこに何をしようが勝手なのだが、家族旅行となると自分も駆り出されるから厄介だ。結局は自分は被保護者で、独り立ちするには何もかもに許可が居るのだと思い知らされる。
 吉田と離れて過ごすにはもはや中学の3年で懲りた。例え離れるのだとしても、ただのクラスメイトだったあの頃と違ってそれでも繋がりが欲しいし、強請る事も出来る。メールは勿論だが、佐藤はやっぱり吉田の顔も見たいし、声も聴きたかった。
 まず思いついたのがスカイプだったのだが、肝心のパソコンを吉田は持って居なかった。だとしたらもう電話しかないのだが、吉田は国際電話の手続きと料金に尻込み、中々やる気を見せてくれなかった。しかしそこは弁の立つ佐藤なので、あれやこれやと資料を見せて上手く言い含める事が出来た。吉田本人、最後の方は何をもって納得したか自分でも解っていないだろう。
 ともあれ、そんな佐藤の努力の結晶としてこうして遠く離れた吉田と話が出来ると言う事だ。電子越しなのに吉田の声だと温もりを感じるから不思議である。
 思えば、吉田と電話なんてそう記憶にない。大体がメールで済ませてしまうし、電話をしたとしても要件を終えたらすぐに切ってしまうくらいだ。こんな取りとめのない話は、実際に顔を合わせてするものだから。
 だからこそ、こうして顔を合わせられない今、こんな風に電話で長話をしている。
 一緒に居たら出来ない事だ。逆に貴重かとも思うけど、やはり実際に会う悦びに比べれば微々たるものだろう。
「……あ~、早く帰りたい」
 つい、こんなぼやきも出てくる。
『観光できそうな所とか無いのか?』
 やはり解ってない吉田からの、そんなコメントが来た。脱力するように口元を綻ばせた佐藤は「違うよ」と軽く否定する。
「吉田が居ないから、つまんない」
『…… ……………』
 無音の返事。だが、吉田が顔を赤くして言葉を詰まらせているのだと解る。
『……6日に帰ってくるんだっけ』
 無言が勿体ないと思ったのか、吉田が口にしたのは前から全く続かない台詞だった。照れ隠しかな、と佐藤も小さく笑う。
「うん、始業式前日だな」
『そっか…………』
 また言葉が途切れる。けれど、今度の沈黙が吉田が言おうとしている台詞を考えているものだと解って、佐藤は待つ事にした。
『あのさ、』
 と吉田の声がする。
『俺、休みが長いとか思ったのって―――えっと………』
「…………………」
 佐藤は今が電話で良かったと、心の底から痛感した。窓に鏡のように映る自分は、とても見っとも無く呆けていた。
 休みが長い、だなんて。それは佐藤こそが思う所で、つまりその意味は。
 意味する所は。
『……そういえばさー!!』
 吉田は自分で言ってて恥ずかしくなったのか、またも急な話題転換を吉田は計って来た。なんだよ、と佐藤は不貞腐れる気分もあるが、どこか妙に助かった的な感も否めない。そんな台詞を吉田から言われてしまったら、いよいよ自分から離れる事が出来なくなってしまう。勿論、そんな事は無い方が良いに決まってるのだが。
 そして話を逸らせた吉田の言う事は。
『佐藤って、7日用事ある?』
「え、無いけど?」
『えーっと、じゃあ、七草粥ウチに食べにくる……?』
「……えっ?」
『母ちゃんが七草粥作るからさ』
 いつもは夜に家族そろって食べるのだが、生憎今年はまたその日から父親が出張になってしまった。だからという訳でも無いが。
『んーまぁ、良かったら……というか、暇なら』
「うん、行く。絶対行く」
『そ、そこまで乗り気にならなくても』
 引いたような吉田の雰囲気を感じ取ったが、これがテンション上がらない筈が無い。
「だって嬉しいじゃん。正月一緒に過ごせなかったけど、チャラに出来た感じ」
『七草粥にそこまでの事があるとは思わないけど……』
「でも一応、無病息災祈って食べるんだし」
 ちなみに、本当は朝に食べるのが良いとされている。
『へー、そんな意味があったんだ』
「知らないで食べてたのか?」
『……そういう細かい所は良いんだよ』
 吉田らしい意見に佐藤が笑う。
 俄然帰国が楽しみになった佐藤を余所に、っていうか、と吉田は話し出した。
『母ちゃんがさー、また佐藤連れて来いって言うんだよ』
「へぇ」
 クラスの女子には辟易するが、吉田の母親にそう思われるのは満更ではない。というか嬉しい。
『~~~お前、格好良すぎ!』
「褒め言葉として貰っとく」
『オイッ!』
 音声が割れるくらいの吉田の声に、またも佐藤は愉快な気持ちになって笑う。
 素を見せるのは自分としてあり得ないが、かといってあまりにも自分をさらけ出せないのも辛い。けれど、昔はそれでも良かったはずだ。大丈夫では無くなったのは、施設で出来た仲間たちと吉田のせい。それが決して不快だとは思わない佐藤だ。
「あと3日か」
『うん』
 思わず口に出ただけの佐藤の台詞にも、吉田はちゃんと反応してくれる。吉田に会いたい、と焦がれる部分がまた疼いた。
「会いたいよ」
『うん』
「―――えっ?」
『え、あ、いや、その、あっ、もう時間だから―――!!』
 じゃじゃじゃ、じゃあね!!と台詞になってないような言葉で今日の電話は締めくくられた。これで良かったんだろうか、と佐藤はちょっと振り返りたい。
 けれど、電話で話していると吉田は何だか比較的に素直に感情を言葉でくれるような気がする。顔が見れないからか。あるいは、会えない時間がそうさせているのかも。
 それでもやっぱり直接会いたいと、小さな機具でしか繋がれない今の自分達を思い、佐藤は携帯を知らず握りしめていた。
 遠く離れた吉田も、同じように携帯を片手で握っていたのだが、それも解らない程今は離れている2人だった。



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