クリスマスと言えば、家族や恋人や友達と、レストランなんかで美味しい食事をした。ケーキを食べたり、りプレゼントを贈りあう日。
 けれどそのためには当然ながら、レストランを営業する人達、ケーキを作るする人達、プレゼントを販売する人達が居て、全ての人がクリスマスを楽しめられるという訳ではないのだ。何となく、そんな事に気付いたのはいつだったか。そして今年の吉田は、その渦中に放り込まれる事となった。

 1つ学んだのは、買うのが大変な状態ではそれ以上に売る方がもっと大変だと言う事だ。レジには長蛇の列、売っても売ってもきりがなかった。同じように対応しても、怒る人も居れば感謝をする人も居るし、無言の人も居た。人生経験だなぁ、なんて吉田は思ったりした。
 永遠に終わりが来ないのでは、なんて思ったりもしたが須らく物事には始めがあれば終わりが付く。それは、絶対である。
 まだ完全に終わった訳ではないが、9時を過ぎてようやっと落ち着いた、という感じだ。今日はイブでも無くてクリスマス当日。後日に引きずられる事は無い。
 9時半が吉田の上がり時刻だ。その時刻が目前にまで迫っている。このクリスマス帽ともお別れか、なんて弄っていたら、店長らしき人物からそれあげるよ、なんて声が掛かってしまった。断るのもなんだし、と遠慮なく貰っていく事にする。実際、100均で売ってるようなレベルなので、この日を過ぎれば破棄、捨てられるのが運命だろう。
 クリスマス、イブとその当日。飲食業界に置いての大きな繁殖期の1つであり、超短期な吉田のバイトは終わりを告げた。

「さぶっっっ!!!」
 客の立場では絶対に出入りしない裏口から出てみると、その冷気が吉田の僅かに露出した肌に容赦なく襲う。堪らず、口に出していた。
 今日は寒期が来ると前々からニュースで騒いでいたから、一番分厚いコートを選んできたのに深々とその寒さが沁みる。頭には帽子、耳には耳当て、手には手袋。けれど顔だけはどうにもなくて唯一の弱点を突いてこられた。耳なし芳一ってこんな感じだったのかなぁ、などと思ってみる。
 店内はむしろ制服の半袖でもむしろ汗ばむ位だった。手渡された当初、半袖?と戸惑ったものだが、半袖で大正解だ。長袖なんて来ていられない。そんな店内の気温に慣れた体でそのまま出たら一発で風邪をひいてしまいそうだったが、着替えのロッカールームが丁度良い中間点になって労働に火照った体も程よく収まった。後は寒さに打ち勝って帰るだけである。
 見れば、ちらほらと路上駐車している自動車が見える。ランプがついたままのを見ると、ここから仕事を終えて来る人の出待ち、と言った所だろうか。クリスマスのバイト=負け組だと思ったら大間違いだからな、と牧村が教室で喚いていたのを思い出す。
 じっとしていると寒いが、じっとしてないともっと寒いような気がする。全ての動きを最小限にし、吉田は上を見上げた。こんなに寒いのだから、きっと星が綺麗に見える筈だ。と
 その目論見は正しくて、近くのイルミネーションより余程輝いて見える星々が吉田の目に飛び込む。今日は風も無くて空気が穏やかだからか、一層はっきりと見えた。
 クリスマスに星を見るなんて、逆に滅多にない気もする。この日はさっさと家に戻って、御馳走とその後のケーキを待ちわびるのだから。
 小学生の真ん中くらいまでは、父親も母親も揃っていた。その内、父親の方がイブか当日かのどちらかにだけなって、吉田も友達と遊びに行く予定を入れるようになった。そして今となっては、母親と夫婦水入らずでホテルのディナーへ行っている。両親に囲まれたクリスマスも良かったが、今が嫌な訳じゃない。吉田だって、一緒に居たい人をもう見つけているのだから。
「吉田」
 きっと、吉田が出て来る前から居たのだろう。けれど吉田の視界とは全く別の所から声がかかって、ようやくそこで存在が知れた。
 濃い茶色のコートを身に纏って、自転車を後ろに立っている。たったそれだけだが、写真として切り取ったら冒頭を飾れそうな佇まいだ。
「あ、佐藤」
 それを見つけた吉田は、マフラーに埋めていた口元を上げて言う。何だか久しぶりに顔を見た気がするなぁ、と終業式からまだ大して日も経ってないのにそう思えた。そんな吉田のすぐ後ろから、また別の誰かが声を掛けて来た。。
「お迎え? お兄さん?」
「ううん。友達」
 その返事で興味は満たされたか、相手はそっか、とだけ応え、軽い挨拶と手の振りで吉田に別れを告げる。 今、声を掛けて来たのは昨日今日と同じ仕事に就いていた人だった。高校は別だが同じ年の男子である。このバイトを入れなかったら出会いもしない相手だったし、今後も会ったりする事もないだろう。だから、さっきの質問、冗談みたいに恋人と言っても良かったかな、と吉田は思った。本当は、冗談じゃないけど。本当なんだけど。
 言ってたらどんな顔してたかな、と佐藤譲りのような事を考えていると、その佐藤からの視線を感じる。
「今の、誰?」
 まるでものを食べている時のようなしかめっ面だった。呪うと言ってしまう程、嫉妬深いとは知っていたがさっきくらいのやり取りでこうも妬かれるとは。
 けれど、日を考えれば無理も無いかな、と佐藤のやきもちを享受する吉田。
「一緒に働いてた人。チキン、一杯詰めたんだー」
 説明してやっても、ふぅん、とつれない態度の佐藤。誰だと聞いておきながら、関心は無いようだ。
 吉田の入ったバイトはファーストフード店であるが、フライドチキンの味が良いとも評判だった。クリスマスと、そして年末年始にもフライドチキンの1ダースはおろか、2ダースや3ダースも売れると言う。本当にちゃんと食べてるのかな、と気になった吉田だ。こっちがこんなに必死になって作ってるんだから、買った方も誠意を尽くして食べて貰いたいと思う。吉田も、これか外食する時は心して食べよう、と決めた。
「じゃ、帰ろうか」
 自転車に跨り、佐藤が言う。多分見えてないだろうけど、うん、と首を上下に振って荷台に乗り上げる。吉田の荷物はとうに佐藤が取り上げ、前の籠に乗せていた。


 深夜、と呼ぶほど夜更けでは無い。けれど商店街はさておき、住宅街の中に入ると殆ど出歩く人影は見れない。代わりに目につくのは、窓からの明るい灯。温かさを感じる仄かなオレンジの明かりだ。
 時折、やり過ぎなんじゃないかってくらい軒先や庭にイルミネーションを飾りまくった家を過ぎる。
「……………」
 後ろに人を乗せているなんて、全く意識もしてないような自然な運転で自転車は進む。バイト先の店は吉田の自宅から3キロ。歩きは遠いし、電車は帰って面倒。そしてまだ高校生の身分の吉田には、必然的に自転車という選択肢しか残らない。
 そこで何を思ったか、佐藤が送り迎えをすると言い出した。嫌だ恥ずかしいと吉田がごねると、なら手前で降ろすと佐藤も言い張る。
 最終的に吉田が折れたのは、少しでも一緒に居たいという佐藤の気持ちをくみ取ったからである。
「……なー、佐藤」
 風が無いと言う時は走行の時でも耳に着く風を切る音に苛まれる事も無いという事だ。佐藤がペダルを漕ぐ音すら、聴こえそうなシンとした空気。
「やっぱさ、怒ってる?
「んー?」
「イブもクリスマスもバイト入れちゃって」
 吉田だって、そんなつもりじゃなかった。イブもクリスマスも、佐藤と過ごすと当然のように決めていた。
 しかし予定という物は、自分達だけが決まっていればそれで通るという物でも無かった。
 吉田がそう聞くと、佐藤の身体が振れる。腰に腕を回してしっかりしがみ付いているから、そんな些細な動きが文字通り手にとって分かった。そして、顔は見れないけど、佐藤は笑っている。
「怒ってたら送り迎えなんてしないだろー?」
 そりゃそうかも、と間抜けな質問をした自分を恥じた。
「まあ、バカだなーとは思ったけどな。他人のデートの為に自分の予定潰すとか」
「…………」
 怒ってないのは事実かもしれないが、言う事は言う佐藤である。ちょっとでも殊勝な気持ちを持つのがまさに馬鹿であった。
 むー、と吉田が顔を顰めているのが、見えないながらにも解るのか、佐藤はさっきより一層可笑しそうに笑った。
 しかし、吉田だってそこまでお人好しでは無い。いきなりデートの予定が入ったからと言っておいそれ頷く訳も無いのだが、今回は少々特殊なケースだったのだ。海外留学中の恋人が、急遽クリスマスに合わせて戻って来れる事になったという。しかし吉田の知人のその相手は、どうせ帰って来れないからとイブもクリスマスもきっちりバイトのシフトを入れてしまった。このままだと、一生懸命時間をひねり出して帰国してきた恋人を放置してしまう事になる。ほとほと困り果てた相手を見て、吉田の方が思わず声を掛けていた。そのバイト、代わろうかと。
「でも、それも吉田らしいなって」
 佐藤が誇らしげに言う。
「困ってる誰かの分、背負わなくてもいいのに持っちゃってさ。
 でもそれが、俺の好きな吉田だよ」
「…………」
 目の前のドラマチックな恋愛に驚かされて、思わず引き受けてしまったが佐藤の承諾を得ないままだった。不味いなぁ、とちょっと焦ったけど、そんなに危機感は感じなかったと思う。
 多分、佐藤は解ってくれるんじゃないかな、と。
 この日にしか会えない人たちの為に、クリスマスを不意にした所で自分達はその他をずっと一緒に居る。それに、今年がダメなら来年もあるし。そう思って吉田は引き受けた。
 それでもいざ言い出す時は戦々恐々として、おずおずとした切り出しになってしまったが、佐藤は途中一度も怒らず、口を挟まず吉田の言い分が全て終わるのを待った。
 吉田が語りつくすと、佐藤ははあー、と深い深い溜息をつき、吉田の額を軽くデコピンする
 そしてそれから、仕方ないな、と柔らかい苦笑を浮かべてくれた。それを見て、吉田はああ、佐藤解ってくれたんだー、と。
 その時の佐藤を見た時、本当は抱き締めたくて堪らなくなった。けども、やっぱり恥ずかしさの方が勝ってしまって。
 こうしてしがみ付く理由のある今、自転車の後部座席に座る吉田は前に居る佐藤の堂に回した腕にぎゅう、と力を入れる。
 頬に佐藤のコートの布地を感じる。
 空で瞬く星も、電柱に括りつけられた蛍光灯も、まるで流れ星のように過ぎて行った。


 吉田の家に着こうかと言う少し前、自転車から降りて歩きで向かう。どこからともなく、パーティーでも催しているらしい家庭からの独特の喧騒が耳を擽る。
「佐藤、昨日と今日、何してた?」
 ある意味、尋ねるのは酷かもしれないが、やっぱりちょっと気になるし、知りたいと思った。
 佐藤は答える。
「”ダイ・ハード”シリーズを網羅してた」
「……過激だな」
 他に何ともコメントのしようのない吉田だった。クリスマスに関する作品なら、他にいくらでもあるだろうにそれを選んだ佐藤の心境を察するのが、ちょっと怖いというか。とは言え、クリスマスに最も不運な男と謳ったこの作品で、4作品あるシリーズの中でクリスマスに激闘を繰り広げたのは1と2だけであるが。
「吉田が乗ってる飛行機の空港がジャックされたら、俺が絶対テロリストやっつけてやるからな」
 冗談めかして佐藤が言った。これは2の内容である。
「最初のは何だっけ」
「ホテルが占拠されるヤツ」
 そう言えばそうだったなーと吉田も記憶を掘り返す。そしてホテルと言えば。
「母ちゃんたちもさ、ホテルに泊まって行けば良いのに」
 カラカラと自転車の車輪が回り音に紛れながら吉田が言う。ホテルのディナーと洒落込んだ2人だが、夜には家に帰ってくるのだ。そのホテルから家は結構距離もあるし、どうせならもっと2人でゆっくりしてくれば良いのに。予約したが取れなかった、という訳でも無く最初からその予定のようだった。
「それって、誘ってるって思って良いの?」
 佐藤が吉田の顔を覗き込みながらそう言うと、吉田は一瞬きょとんとしたがすぐに内部で爆発したように真っ赤になった。そうじゃない!と大声で言いかけた「そ!!!」という音が聖夜の街に軽く響く。寸での所で声を出さずに済んだのは、実際に吉田が自分の手で口を封じていたからだ。その様子を見て、佐藤が朗らかに笑う。
「やっぱり、家族と過ごしたんじゃないか」
 そう言った佐藤の目は少しだけ伏せられていて、自分の家族の事でも思っているのだろうか。詳しくは訊いてないが、何となく佐藤の家がちょっと特殊と言うか複雑であるのを、吉田はその一端だけ知っている。息子の肥満を治す(治すという言い方もどうかと思うが為に海外の施設に入れたという両親。吉田が思う範囲では、そんなに健康に害を及ぼすような肥満体でも無かったと思うのだが。
「来年のクリスマスは、俺と一緒に過ごしてくれるよな?」
 まるで挑戦するように佐藤が言った。見降されるのは身長差として仕方ないが、こういう時は少々腹立たしい。
 そりゃ吉田だって、今回にしても、どこどこに行くと詳細に決めていたら代わろうなんて言わなかった。せめて、代われそうな人を探しに奔走するくらいで。
 あのまま、何事も無かったらイブや当日の自分達は、佐藤の部屋でまったりしてチキンやケーキを食べるくらいだっただろう。後は、プレゼントを贈りあったりするだけで。それならその日にしか会えない人達に時間を提供しようと思ったのだ。
 吉田も、佐藤と出会うまでは漫画にあるようなラブストーリーを思い描いたりしていた。クリスマスには何が何でも予定を入れて、一緒に過ごすものだと。でもこうして実際に付き合っていて吉田が思うのは、クリスマスだから一緒に居るんじゃなくて、一緒に居る時間の間にクリスマスと言うイベントがあるという事だ。名目を高らかと上げるのは、いつもよりちょっと違う事をして楽しみたいから。たったそれだけの事なのだ。
 大事な所は、他にある。


 いよいよ、自分の家の明かりが見える距離になった。ここで、佐藤とはお別れだ。あーあ、とちょっとだけ嘆息したい気分になる。
「はい、吉田。プレゼント」
 その声と共に、にゅっとシンプルな包装紙に包まれた贈り物が視界に入り込む。あ、ありがと、と慌ててそれを掴んだ。そしてまた、わたわたとカゴから取り受けた鞄の中から、小さな包みを取り出す。
「俺も」
「うん、ありがとう」
 佐藤が笑顔と一緒に受け取る。その包の中は、吉田が雑貨屋で激選してきたストラップが入っている。毎回これなので、芸が無いと思うが邪魔にならなくていつも身近におけるもの、と思ったら大抵これに行きついてしまう。おかげで、佐藤はストラップを自分で買う必要が無い。元々、携帯を飾り立てる趣味は無かったし、それに吉田、恋人からという事で防波堤になる。女子が自分のストラップについて話題を移したら、すかさず恋人からと佐藤は言う。言い過ぎて、たまに吉田に怒られるけども。
「じゃあな、吉田。良いお年を」
「うん」
 新年の挨拶をここで済ますのは、明日から佐藤は始業式前日まで家族と海外旅行に行ってしまうからだ。だから今年の冬休みはあまり一緒に居られなかったが、それは今年の話。
 来年は、一杯、一緒に居よう。
 

 リビングでまったりしていた、すっかり普段着の両親に挨拶をして、吉田はとりあえず自室に引きこもった。佐藤からのプレゼントを、早く見たくて。
 こんなにそわそわして包装紙を剥がすのは、幼いころのサンタからの贈り物以来だ。
 開けててみれば、そこにはオレンジ色の皮の手帳。手触りがしっかりしていて、良い物だと思える。
 それは来年のスケジュール手帳だ。中のリフィールを変えれば、ずっと使える物。
 今は時間の確認も、スケジュールも携帯電話に入れてしまえる時代。それでも電子司書ではなく蔵書を本棚に収めている佐藤らしい贈る物だった。手帳サイズのコンパクトなものだから、どこにだって入れて持ち運べられるだろう。
 どれくらい活用できるのかな、とスケジュール帳がその用を終えるであろう来年の今頃を思いながら、ぱらぱらと捲って行くと、ふと何か目についた。
 多分、文字だったように思う。見たのがついさっきだから、12月の末の方だ。戻ってそこを見てみれば、あっさり見つかる。そして吉田は目を見張る。
 来年の、12月の24日と25日。そこには、佐藤の流暢な字で、《佐藤と過ごす》と記載されていた。
 自分で書くかー、と若干脱力しながら、佐藤のこういう所は決して嫌いではない。むしろ、好きと言って良い。
 今年は他人の為に使ったこの日を、来年は佐藤と一緒に過ごそう。その次は、一体どうなるだろうか。それでも、佐藤と一緒に居る今後が、当然のように思い浮かべられる。
 今頃、佐藤も自分の家に戻っただろうか。自分のプレゼントを早速開けて、ストラップを付け替えているかもしれない。
 それが解るのは約二週間後。
 まあ、メールもするし、年越しの瞬間は電話もするって決めてるけどね。
 誰に言うでも無く、吉田は胸中で呟き、貰った手帳のまずは始業式の日付にカラーペンで丸を付けた。




<END>