わざわざ言うまででもないが、佐藤はモテる。クラス一どころか、校内一モテる。むしろ校外を超えてモテる。
そこまでの人気なのだから、イベント毎のプレゼントはさぞかし膨大だろうと思えばそうではない。主にクラスメイトである女子が結託し、どうしても荷物になってしまうプレゼントの類を控えるよう、佐藤の人気が届く範囲へと広く触れ渡っているのであった。相手に迷惑はかめないという意識がある限り、彼女たちは暴徒になってもストーカーのような異常者ではない。他行の女子とタイマンを張って圧勝するのは異常じゃないのかというのはこの際さておく。
これには佐藤も感謝はする。もっと言えば、放課後もそっとしておいてくれたらいう事無いのだけど、とは吉田の前でだけ零した本音である。
季節は、冬。好きなあの人にと、片思いの子ならマフラーでも編み始める頃だろうか。けれど、上記のような事情なのでこの校内は至って静かなものだ。いっそ意気消沈としていて、本来の気温より2,3度下がった気もする。ただし、秋本の近くではそれに当てはまらない。元々の体型のおかげで保温は聞いているし、幼馴染が今年は手袋にチャレンジしてくれるのだと、むしろ春のような陽気を醸し出している。それをばいんばいんと牧村が拳をぶつけるが、悲しいほどのノー・ダメージである。
やっぱり、防寒具っていうのは恋人のアイテムとしてポイント高いのかな、と目下佐藤とお付き合い中の吉田はふと思う。贈り物自体も嬉しいだろうし、この場合は寒さから守りたいという真心も篭る。だから秋本もあんなに浮かれているんだろう。
あんな風に浮かれる佐藤は想像出来ないが、贈ってあげたりしたら喜ぶかな?手編みなんて到底出来ないけど、買う事なら出来るし。
ただの防寒具なら、バレンタインのチョコレートのように買う時に恥ずかしさも躊躇も無い。
教室内、程よい喧騒をBGMにしながら、吉田は頬杖をついてそんな事を考えた。
自分達は言うまでも無く同性だ。とはいえ、相手の事を思うと解らない事も多い。佐藤を好きになったからというでもないけど、こういう事に性差はあまりないのではと吉田は思う。
買うとしたら、出来れば質の良いのを贈りたい。となると吉田にしては高い買い物になるだろうしここは慎重に事を運びたい。
とりあえず、彼氏を持っているという点では自分と同じ立場だろう、井上に話を振って見る事にした。あくまで、日常会話として。間違っても自分の事だとはあまり悟られたくはない。大っぴらに言える相手ではないし。まあ、井上は佐藤に対してただのファン以上の感情を持ち合わせていないから、安全と言えばまだ安全なのだが。
「井上さんは、彼氏とかにマフラーとか編むの?」
それでも隠しきれない照れをちょっと覗かせながら、吉田は井上に問いかける。授業も終わった放課後。昇降口に向かう最中偶然見つけたのをこれ幸いにと、吉田は井上の元へと赴いた。
言われた井上は、一瞬「へ?」という顔を浮かべ、次いでぷーっと噴出してくれた。え、え、そんなに変な事聞いた?と吉田がちょっとおろおろしていると、井上が話し出す。
「あー、やっぱヨシヨシも手編みとか憧れるんだー」
男ってこれだから、とでも続きそうな井上の台詞だ。憧れるとかいう問題より、もっと自分に密着している都合なのだが。
「ま、そういう私も、付き合いたての頃は贈ったかな」
贈るんだ、と胸中で吉田。
「手編み?」
「ううん、そこは買ったヤツ。今は手ごろな値段でいいのが売ってるしね」
さすが手堅いというか、堅実な彼女である。あんまりそういうの、得意な性質でもないし、と付け加えた。
「期間は限られるけど、防寒具って寒い時は日常に使ってくれるからねー。ある意味、一番贈り甲斐があるかも?」
井上自身も、何か確認するように言っている。確かに、他の記念日のような贈り物には、普段使いやおいそれと外には持って行けない感じがする。実際の物がどうこうというより、贈られた方の心構えだ。無くしたり、壊したりしたらどうしよう。それなら大事に部屋で、というような。まあ、あるいはマフラーもそうなる運命になるかもしれないが、他の物よりぐっと確率は低いだろう。
なるほど、と井上の意見に頷きながら、吉田はふと彼女の表情の変化に気付いた。友達としての顔とはまた別の、柔らかい表情。きっと、会話の流れ的に、彼氏の事でも思い浮かんだのだろう。だとすれば、これは恋人としての顔なのか。何やら、自分が見てはいけないもののようがして、吉田は前を向くと見せかけて視線を逸らす。
自分も、佐藤の事を思うとあんな顔になるんだろうか。いやまさか、と思うけど、最近の優しい表情の佐藤を思うとそうでもないとも言い切れなくなる吉田だった。
いつも使うものとなると、登下校に合うものが良い。学校指定のコートや制服を思い浮かべて、吉田はどんなのは良いのだろうとまだ頭の中で想像を重ねている。どんな物をあげても佐藤が上手に着こなしてくれると言う、妙な安心があるので心強い。
とりあえず、次に小遣いを貰える日を待って、それからデパートにでも繰り出して品定めをしよう。
そう決めている頃だった。
また、というか女子に呼び出しを食らった。
何で呼び出しって、いつも屋上なのかな……と吉田は気を紛らわせるように屋上への階段を昇る。何でも何も、あまり人が来ないからに理由は決まっているのだが。だから佐藤も屋上を選んだりするのだ。とはいえ、さすがに今の季節、長い滞在には向かない。
「遅い!!!もっと早く来てよね!!!」
寒いんだから、といきなり相手は怒ったが、時間は遅れてないと言うのにその言い方はあんまりだと思う。だったら屋上を指定してこなければ良いとか、そもそも呼び出さなければ良い、という意見は言った黙殺される所が逆にキレられるだろう。
吉田が辟易するのは、呼び出されるのが自分に理由があるというか、佐藤が原因なのが殆ど、というか100%だからだ。逆に佐藤が居なければ、こうして女子に呼びされる事も無かっただろう。つくづく、自分の人生に影響を与えている存在である。佐藤は。
「んで、何?」
相手も寒いが吉田も寒い。ここは早く話を終わらせようと、吉田の方から切り出した。しかも今日は風もあった。寒い。早く戻りたい。
その思いは共通のようで、彼女はこれ、と中くらいの紙袋を差し出した。紙袋、といえばマドレーヌの一件を思い出す。これはどうあっても取り戻して、という流れではないだろうから、渡してという事なのだろうか。だがしかし、佐藤への贈り物に関しては、校内に置いては抑止圧ではなく紳士協定(?)で結ばれている。それを打ち破る事はご法度だ。それを解らないでもないだろうに。
「これ、マフラーなんだけど。私が編んだの」
やっぱりか、と吉田は唸る。そういう流れなのだったら吉田は断らなければと決めている。目の前の女子のいう事を聞き入れて不特定多数の女子を敵に回すのはあまりに割に合わない事だ。食べ物と違って、マフラーはずっと残るのだし。何より、それの橋渡しを引き受けた自分に対しての佐藤の仕打ちが何より恐ろしい。
「それで―――」
いよいよ本題、というか核心に入って来た。断らないと。ごめんと言うべきか、しかしそれも妙な気がする。断るとは決めていても、どうやるかは決めていなかった吉田だった。詰めが甘いと言われる所以である。
「これ、吉田に貰って欲しいの」
「……へっ?えっ!!?!??」
可笑しい、今、一番あり得ない台詞を聞いたような気がする。佐藤に渡してが、この場合最も出て当然の発言の筈なのだが、むしろその真逆と言って良い程の。
吉田の狼狽は、すでに相手方の想像に織り込み済みだったのだろう。まともな返答も出来ないでうろたえている吉田に、ふぅ、と軽いため息をついただけだった。そして、言う。
「皆で決めた事だし、佐藤君にあげられないのは解っているけど、でも結局編んじゃってさ。かと言って自分でつけるのも虚しいし、だったら誰かにあげようかなって」
手袋やセーターと違い、マフラーはサイズの違いを気にしなくても良い。まあ、佐藤を想定したものであれば多少長いかもしれないが、着られない程でも無い。
「で、でも何で俺に?」
こんな呼び出してまでピンポイントに譲ろうとしているのだ。とてもその辺の目についた奴にあげよう、なんて適当な意思では無く当たりを決められているように思える。吉田は彼女に対して冷たい態度を取った事も無ければ、特別優しい待遇をしたつもりもない。そりゃ、何か頼まれた事でもあったかもしれないが。
「うん、だってね、吉田って佐藤といつも一緒に居るでしょ?」
改めてそう言われると何やらくすぐったい。決して相手がそういうつもりで言っているのではないにしても。彼女は続ける。
「だから、吉田が着けていてくれたら、佐藤君が私の編んだマフラー、いつも見てくれるって事じゃない?」
「あー……」
これでようやく、吉田も彼女の意図が解って来た。身に着けて貰えないなら、目に触れる場所に。そういう事なのだろう。
「て事で、はい。じゃあね~」
吉田が断る可能性を微塵にも思っていないのか、彼女は紙袋を押し付けてさっさと行ってしまった。素っ気無いとかつれないとかではなく、単に寒さから早く逃れたいだけだろうとは思うが。
「…………」
押される形で、つい、受け取ってしまった。
どうしよう、と屋上で1人、吉田は途方に暮れていた。
マフラーと言えども結構かさばる物で、到底学生鞄の中に収まる代物でも無かった。かと言って、今日はすでにマフラーを巻いてきてしまったので、身に着けて帰る事も出来ない。最も、来る時はしていなかった、マフラーを、帰る時には着用していたとあっては見過ごさない人物が、確実に1人。
そしてこんな日に限って、その確実に気付く1人と帰る事になってしまった。最近は女子と一緒だというのに。
「久々に一緒に帰れるな」
色々常識外れの佐藤であっても、好きな人との帰り道は嬉しいらしい。目に見えて、ちょっとはしゃいでいるのが解る。
久々なのは勿論吉田も一緒で、何も無ければ凄く嬉しかっただろう。そう、何も無ければ。
「………………」
「吉田? さっきから難しい顔してどうした?」
基本的に隠したり騙したりが苦手な吉田は、すでに文字通り抱えた問題について顔に出ていたようだ。佐藤の声にはっとなって、慌てて応える。
「え、別にどうもしてないけど!?」
「…………」
怪しい。さっきから感じていたメーターの針がこれで振り切った。
そして、気になる所が。
「……さっきから気になってたんだけど、そのビニール袋、何?」
「え、あ、う、」
学生鞄の他に吉田はビニール袋をぶら下げていた。勿論と言うか、例のマフラーのカモフラージュである。紙袋のまま入れてあるので、すぐには物がマフラーだとは思われないだろうけども。
「俺には見せられない物?」
はいそうです、と頷いてしまえば無理やり見られるだろうし、違います、と否定してもやっぱり見せろと言われるのだろう。まさに絶体絶命!
「た、大したもんじゃないし……」
とりあえず濁すような返事をしておいたが、勿論それで終わらせてくれる佐藤では無い。
「……………」
「……………」
しばし、無言のせめぎ合いが続く。動きを見せたのは佐藤だった。
「――あっ、」
横に向かい合っていた所から、不意に正面を向いておもむろに小さい声を上げる。単純な吉田はこんなフェイントにもあっさり引っ掛かってしまう。つくづく根が素直なのだ。吉田もつられて顔の向きを変える、その一瞬で佐藤がビニール袋を取り上げる。
「っあ―――!!!何すんだよ!!!」
上に持ち上げられると、悲しい程の身長差のせいで吉田には打つ手がない。そうこうしていると、中身を取り出されてしまった。
「……マフラー?」
しかも、手編みのそれ。入っていた紙袋と合わせて、誰かからの贈り物だと判断するのに頭は要らない。
「で、どういう事なんだ?」
「…………」
全部説明しなきゃ逃がしてやらない。完全捕食者の顔つきになった佐藤に、吉田はもはや白旗をあげるしかなかった。
そしてそのまま、連行されるように佐藤の部屋へと連れて行かれた。きっと事情聴取を受ける時はこんな気分、と吉田は思う。
結局、洗いざらいを言ってしまった。それでも、贈った主の名前だけは出さない吉田であったが。
そして、最後に言う。
「結局、また佐藤のせいなんだからな!俺は、巻き込まれてる、だけ!」
責任の所在だけははっきりさせたいと、吉田はもはや開き直る勢いで言う。自棄とも呼べそうだった。
(……まあ、思わず受け取っちゃったけどさ)
その辺りは、多少の罪悪感というか申し訳なさを感じるのだが。あの場で断るべきだったのだ。こんな事になるのは目に見えていた事なのだし。
全部言ったとは言うが、吉田は単純に佐藤に贈る分が自分に回ってきたとだけ言っておいた。佐藤の目に入るよう、自分に贈ったという彼女の本意は伝えない方が良い気がしたのだ。
言ってしまえば、多分、佐藤は彼女の行為に決して良い思いはしないだろう。それでも吉田は、彼女のその気持ちは無碍には出来なし、したくはない。誰かを好きという気持ちは、等しく尊いのだから。叶うかどうかが解らないから、余計に。
佐藤と好きになって、西田に好きだと言われて、吉田はそういう事を、前より少しは解ったつもりだ。
「で、」
と、ここで佐藤が口を開く。
「どうするんだ、これ? 着けるの?」
「……え、っと……」
至極最もな質問だ。吉田も、ずっと悩んでいた事だ。さすがに着用するのは阻まれる。自分が着る分にも、佐藤に見せるのも。
最初に思ったのは、ずっと部屋に仕舞っておこうかという事だ。何故着てこないと詰られるかもしれないが、数か月をやり過ごせば良い事だし。
でも、やっぱり。佐藤にばれた事で腹が括れた。吉田は少し大きい息をする。
「明日、ちゃんと返す。受け取れないって」
「そうか」
「うん」
会話が途切れる。部屋に連れ込む時の有無を言わせない猛然とした雰囲気とは打って変わって、静かな空気の佐藤だ。穏やかに凪いでいるようにも思えるし、力無く消沈しているようにも見える。
「コーヒー、」
「え?」
「淹れてくる。ちょっと待ってて」
「あ。うん……」
そして佐藤は立ち上がり、部屋から出て行った。残された吉田は、袋の中のマフラーを今一度改める。吉田は編み物に関しては素人であるが、それでも上手だと見て解る。得意なのかな、と吉田は思った。
「…………」
吉田は彼女の意図まで全ては伝えなかった。
でも、佐藤は解ってしまったのかもしれない。佐藤は自分より余程聡いから。好きな人が、自分のダシに使われるような、こんな事態。でも、引き起こしたのはやはり自分な訳で。
コーヒーを淹れながら、佐藤は今、何を思っているんだろう。
そう思うと、吉田も何だか、堪らない気持ちになった。
次の日の朝。
「ごめん」
人気の無い廊下で、吉田は深く頭を下げると同時に例の紙袋を差し出した。きょとんとした彼女は、それが昨日自分が手渡したものだとはすぐに気付いていないようだった。
「昨日は受け取っちゃったけど、やっぱり受け取れない」
「え、」
ここで彼女も、その品が自分のあげた物だと解ったらしい。相手が何か言おうとして口を開いたのを感じ、その前に吉田が言う。
「あの、俺、実は好きな人が居て、それでだから、俺宛てじゃないにしてもこういうのは受け取れないんだ、やっぱり」
「……………」
「昨日の時に言えば良かったんだけど……ごめん!!」
そしてもう一度、深い礼をした。
悲しい事に、罵詈雑言を浴びせかけられるのには慣れている。何を言われてもへこたれないだろうとは思うけど、率先して聴きたいものではないのも確かだ。一体何言われるんだろう~と涙目で吉田が身構えていると。
「……なーんだ」
と、彼女は、吉田が手にしている紙袋をひょいっと摘まんで取り上げた。
「そういう事なら、仕方ないじゃん。何、怒んないから、頭上げてよ」
そう言われ、吉田も恐る恐る顔を上げた。するとそこにはやはり怒髪天をついた相手が……という訳でも無く、至って普通な様子があった。
「一応、吉田にもそういう相手いるんだー。そんな話とか聞いた事無かったから、居ないと思っちゃった」
それは居たら最初からあげなかった、という事で良いんだろうか。
「もう付き合ってんの?」
「……えーと……」
ここはどういうのが正解なんだろうか。事実を伝えると自分の手には負えない事態になりそうだ。が、吉田が言い訳を考えるまでも無く「まあ、そんな訳ないか!」と相手が失礼な早とちりをしてくれたおかげで免れた。
「ま、でも、吉田良い彼氏になれそうじゃん?ちゃんと断れるのは良い事だよ」
「そ、そっかな?」
そんな風に言われて、嬉しいやら照れ臭いやらである。
そして彼女は再び自分の元に舞い戻ったマフラーを手に、教室へと戻って行った。自分に好きな人が居ると、口止めをしておかなかったが、あの分ならやたら吹聴してくれる事も無いだろう。
ちゃんと断るのは良い事。そう言って称えてくれたが、別に吉田は他者にも同じようには思わない。性格も育ってきた道筋も環境も何もかも違うのに、同じようにしろとはおいそれとは言えない。抱える事情が違うなら、同じ言葉でも裏に隠された意味は天と地にも違うだろうから。
案外佐藤も、その辺りを気にして昨日はあれからちょっと口数が少なかったんだろうか。だとしたら、バカだなぁ、と吉田は思う。自分と佐藤じゃ大違いなんだから。彼の人気は膨大過ぎて、吉田のように自分に素直に行動したら、一体どんな事になるか。今は佐藤が周りに対し緻密な気配りもしているから、とりあえずの平穏が保たれているのであって。
あ、そういえば、と吉田はここで当初思っていた事を思い出す。佐藤にマフラーを贈ってあげる計画だったのだけど、こうなってしまってはマフラーをあげるのはちょっと微妙になってしまうかも。
(ま、いつかあげれば良いや)
今日も寒いと予報が言っていた。今日の放課後、一緒に帰れるならコンビニに寄って、肉まんを食べて暖を取ろう。
それはそれで、寒さを紛らわす事が出来るだろうし。
きっとそうしよう、とまだ1時限目も始まらない内に、吉田は笑顔で決めたのだった。
<END>