色とりどりのお菓子も、泡の沸き立つジュースにも。
 普段なら立ち止まって眺める大道芸にも目もくれず、吉田はまるで異世界のように化した校内を奇抜な衣装で疾走する。
(も―――! 佐藤、どこだよ―――――!!!!)
 たった一人の、その姿を探して。


 10月の最終日曜日、当日でないがその数日後に訪れるハロウィンを校内の敷地内で楽しもう、という企画は中間テストが始まる前に生徒会から発表があった。
「これって、絶対あの会長の計画だな。大方綺麗に着飾った佐藤が見たいって所なんだろうよ」
 したり顔で言うのは野沢・姉の方だ。大抵の女子が佐藤の魅力に心酔している中、全くと言って良い程影響を受けていないのはこの姉くらいしか吉田は知らない。
 佐藤に声を掛けたのはあくまでモデルとしての事で、個人への関心は全くないと断言する。実際佐藤争奪戦であったマラソン大会に、参加はしたが事前の練習、というか特訓はしていなかった。
 佐藤に興味のない女子が居て、吉田は安心する反面、あんなに格好良いのに無関心でいられるなんて、とちょっと釈然もしない。そんな真反対の胸中に、自分は一体どうあって欲しいんだ、と誰にともなく頭を抱えたくなった吉田だった。
「でも、自由参加って事になってるけど」
 そのハロウィンパーティーの事項が書かれたポスターの前、吉田が言う。
「いや、でも、アイツは参加すると思うね」
 つくづく、この校内で佐藤を「アイツ」呼ばわりするのはこの野沢姉くらいなのだろう。
 しかし、そこは吉田も思った事だ。そうだろうなぁ、とため息代わりの返事をする。
「最近、女子が強くなったって佐藤言ってるし」
 断りきれないかもな、と次いで呟く。
「ん~? 別にそういうつもりで言ったんじゃないぞ」
 その声に、えっとなって顔を上げる吉田。にやり、とした顔で相手は一言。
「吉田の仮装みたいから、佐藤は多分参加するぞ」


「ああ、出ようと思ってるけど? まあ、吉田が行かないなら俺も出ないけど」
「……………」
 念のため、というか流れで直接佐藤本人に訊いてみたら、野沢姉の言った事、ほぼそのままの内容だった。吉田は時々思う。彼女は、自分たちの関係のどこまで気付いているのか……
 思えば初対面、とでも呼べるべき場面では、佐藤が吉田の顔を引き寄せていたという所だった。見るものが見れば、あるいは十分悟れる所かもしれない。最も、そういう観点をまるで持ち合わせていない人間なら気付かないだろうが。例えば牧村なんて正にそうである。牧村たちの前でなら、頬にキスくらいなら大丈夫そう、と笑顔ながらも若干の本気を感じとった吉田は、そう言った佐藤に絶対そんな事はしないようにと、再三に渡り言い募らなければならなかった。それが功を制しているのか、今の所はされていない。
「で? 吉田は?」
 行くの?とそこは表情で問われ、吉田はううん、と困ったように悩む。
 正直、ハロウィンパーティーは楽しそうではある。行ってみたいという気持ちはあるのだが、煌びやかな衣装で仮装を施した佐藤を女子たちが普段より5割増しでキャーキャー言うであろう場面に立ち会うのは、面白く無いというか楽しいものではないというか。自由参加と銘打っているが、女子はもれなく、全員参加だ。
 俺、心狭いのかな?と人知れず悩む吉田であった。佐藤が耳に入れたら抱きつぶす勢いで可愛いと言うだろう。
「佐藤、仮装……するんだよな?」
「ま、それが参加条件だし」
 ある意味、ドレスコードのようなものだろうか。ハロウィンパーティーに参加するものは、もれなく仮装の条件を強いられる。まあ着替えは教室内でするから、来るときは普通の私服ではあるが。
「何の仮装するんだ?」
 吉田が聞くと、佐藤は人の悪いような笑みを浮かべる。な、なんだよ、と多少たじろいで、吉田は佐藤の返事を待った。
「気になる?」
「へ?……そりゃ……」
 というか、気になるからこそ聞いているのだが。そういう回転の悪い会話を佐藤がするのは、明らかに何かを企てている時だ。野沢姉は現・生徒会長の有馬を腹黒だといつか言っていたが、そうだとしても佐藤の足元にも及ばないだろう。及んで欲しくも無いし。
「じゃー、教えなーい」
 鼻歌でも歌いそうな朗らかさで、佐藤はいきなり意地悪な事を言った。なっ!!とあまりに子供っぽい対応に、吉田の二の句もすぐには出て来てくれなかった。
「なんだよ、それ!詰まらない事言うなって!!」
「ここで聞かなくても、その内解る事だろ」
「……そうだけどさー」
 そもそも、佐藤の方から持ち掛けてきた事だと言うのに。何なんだよ、もう。と呆れたような、疲れたような顔をする吉田だが、次の佐藤の一言に目を見張って顔中を真っ赤に染める。
「当日まで、俺の仮装、一杯予想してみてよ」
 俺の事ばかり考えていて、と佐藤は吉田にそう強請るのだった。


 別に、当日解るんだろ!とその場で突っぱねてみても、その後ふとした空き時間で頭にぽっと浮かぶのは、佐藤はどんな仮装をしてくるのか、という事ばかりだった。まんまと佐藤の策に嵌っている。
 数年前までは全くと言って良いほどスルーされてきたこの行事だが、最近では大型スーパーなどでも関連商品を売られるようになった。それらのグッズを見て、吉田は佐藤を思う。
 何を着せてみても様になる。悔しくなるほど格好良い。だから女子たちが騒ぐのは解るのだけども、そんな当然ともいえる光景をあまり見たくない。きっと、自分だけが見たくない。
 野沢弟にモデルを頼まれた時の一件の中で、佐藤が言った。吉田が可愛いのを知っているのは、自分だけで良いと。
 逆の立場でそんな事、思わないようにしていたのだけど。
 でも、自戒していたと言う事は、やっぱり思ってた、という事なのだろう。
(そして今日も佐藤は女子たちと……か)
 やれやれ、と何の意味も無い嘆息をする。女子たちを幾度となく撒いてきた佐藤だが(どうやって撒いてきているのか吉田には解らないが)最近、佐藤の逃げる手腕に女子たちの追跡能力が切迫していると言う。完全に尾行される程ではないが、姿を眩ますのが難しくなった、と憎々しげに佐藤が言う。これはきっとあれと一緒だ。麻を植えて、その出た芽の上を毎日ジャンプしていけば、行く行くは高い跳力が身に着くという。
 どんなルートを辿って来たのか、落ち葉や泥まみれになって現れる佐藤に、もう無理して撒いてこなくていいよ、と言ってやるべきなのだろうが、それより会いに来てくれて嬉しい、と思ってしまう吉田なのだった。
「吉田さん」
 自分の考えが恥ずかしくて、知れず俯き加減になっていた顔を上げさせたのは、自分を呼ぶ声だった。まるで鈴を転がしたような可憐な声。この声には聞き覚えがある。
「艶子さん!」
 びっくりした衝動が、そのまま音量となった。夕暮れの住宅街に、その声が思いのほか響き、吉田は言ってしまった後ながら、慌てて自分の口を塞ぐ。
 艶子は、そんな一人で賑やかな吉田の様子を楽しげに見つめた後、数歩歩いてより吉田の元へと赴いた。
「隆彦から訊きましたわ。学校で、とても楽しい催し物があるみたい」
「うん。あ、艶子さんも来る?」
 その日、大っぴらな告知はしていないが、生徒以外でも入れる事になっている。本当の一般参加というよりは、知り合いを招くといった趣向だ。
 吉田の誘いに、しかし艶子は物憂げに瞼を落とす。
「本当に残念なのだけれども、その日はもう予定が入っているの」
 その表情は、吉田には本当に残念がっているように見えた。そっか、と吉田もつられるように落胆する。
 それでね、と艶子はころっと表情を一転、いっそ無邪気のような顔で言った。
「少しでも参加した気分を味わいたくて、吉田さんの衣装を用意させて貰いましたの」
「え……ええええええ!いやそんな!悪いよ!!!」
「あらもう、すでに手配を済ませてしまいましたのよ」
「っえ―――――!!!」
 あっさり言ってくれた艶子に、改めて衝撃を受けた吉田だった。お金持ちの感覚がこうなのか、あるいは艶子だからこうなのか。
 しかし、まだ数えるほどしか会っていない艶子だが、自分の言った事を撤回しないタイプであるのはひしひしと感じる。そういう所を思うと、佐藤と友達だというのも頷ける。
「衣装は、隆彦に届けさせるわ」
 と、艶子。その台詞に、吉田はとある可能性を思う。
「もしかして、佐藤の衣装も艶子さんが?」
 もしそうならこの場で……聞き出せるかどうかは解らないけど。何せ相手はレベルとしては佐藤と互角である。
 あんな風に言われて、まんまと衣装を当てて見せて佐藤の裏をかきたい、という気持ちが吉田にも無くは無い。それは佐藤を陥れようとか、自分を優位に立たせたいとかではなくて、多分佐藤と同じ。もっと自分を見て貰いたいだけなのだ。
「私としては是非そうしたかった所でしたのだけども、隆彦は自分で用意すると聞かなくて」
 まるで出来の悪い弟の事でも言っているように、艶子が頬に手を当て、首を傾けて言う。顔の角度を変えた時、まるで細波のような髪も揺れた。
「折角、吉田さんと対になるようなデザインに仕立てようと思いましたのに。隆彦ってば」
 つくづく私の思うようにはならないのね、なんてちょっと物騒な事を言いだす。
 ともあれ、佐藤の衣装は、いよいよ当日までの機密事項になりそうだった。


「なー、結局、何着て来るんだよー」
 そう言ったのは、いよいよ当日を明日に控えた日。土曜日、明日はゆっくり会えないだろうからと、午前中から佐藤の家にお邪魔している。
「っていうか、俺の服も秘密にしてるんだよ」
 さも不満げに吉田が言う。
 艶子から仮装の衣装を受け取ったという佐藤は、自分の服のみならず吉田の分まで内緒と決め込んだ。そりゃ吉田も、知っているすべてを打ち明けろとまでは言わないが、自分が着る衣装の分くらいは教えてくれても良いんじゃないだろうか。
「どうせだから、楽しみは増えた方が良いだろう?」
 と、不貞腐れる吉田に、佐藤はしれっと言う。確かに知った時の驚きが喜びに変わる事もあるだろうけど、そういうのって本来隠してある事自体も内緒にするもんじゃないの?と吉田は腑に落ちない。これでは自分だけが悶々としているだけではないか。
 むーっ、と口をへの字にする吉田に、佐藤はテーブルに出していたマカロンを長い指先で摘まみ、吉田に「アーンv」と差し出してくる。
 甘いもので懐柔しようとしている!と思った吉田は文句を言おうと口を開いたが、勿論開いた口にはすぐさまマカロンが放り込まれる。今一詰めの甘い吉田であった。
 両親共々酒呑みだからか、母親にしてもあまい甘いものには熱心ではなかった。けれど吉田は甘いものが好きな性質で(まだ飲酒をしていないのでそこは何とも言えないが)佐藤の家はそんな吉田用にと佐藤が甘味を用意して待っている。吉田とは違い、抜かりの無い佐藤である。
 そーいや、明日はお菓子も出るんだよなー、とマカロンをむぐむぐと食べながら吉田は思う。文化祭ほどの規模ではないが、料理系の部活動は模擬店らしきものを出すそうだ。例のお菓子か悪戯か、の合言葉は各々トラブルの出ない範囲で楽しむようにという事になっている。
 高校になってから、あるいは中学から続いた友人の中に悪戯をけしかけそうな人物が居るので、吉田はちょっとはお菓子を用意して来ようと思っている。最も、その最たる人物は目の前のこの佐藤なのだが。
 佐藤は、一体何を着て来るのかな。ぐるりと巡って、当日を目前にまたその考えが頭を過ぎる。
 けれど、それももう、今日で最後。明日には明かされる。
 それを控えた今日は、遠足の前日というより、サンタの訪れる前の晩の感覚の方が近い気がした。


 パーティーの開催は4時からだ。だから、皆は大体3時くらいに集合している。着替えの時間を食うからだ。
 学校まで佐藤と一緒に行こうかと思ったのだが、先に現地集合と言われてしまった。徹底に衣装をその時まで秘密にする気だ。ここまでくれば、もう何でもやれば、という気になってくる。
「吉田の衣装は、席に置いておくから」
 前日、佐藤は吉田にそう告げた。
 主な会場は体育館と校庭。自分達の使っている教室で、男子は着替える事になっている。女子は講堂や特別教室にそれぞれ割り当てられている。
 自分の教室の、自分の席に着けば佐藤の言った通り、クリーニングから戻って来たスーツのようにカバーがかかった衣装がぽん、と置いてあった。これが置いてあると言う事は、すでに佐藤も来ていると言う事だ。
 一体何処に、という不満と疑問を同じくらい詰めて、吉田はそんな事を思いながら着替えた。


 艶子の用意してくれた衣装は、吉田の中の語彙で言うのなら白いタキシードだった。が、ただのタキシードにはついていないものは付いている。
「……尻尾?」
 そのズボンから、何故か尻尾がついていた。白で合わせた服の中、その尻尾は黒い。そして机の上を良く見れば、服とは別のアイテムがあった。
 猫耳のついたシルクハット。
「……………」
 何となく、艶子が目指したコンセプトが解ったような気がした吉田だった。頭部が猫で、身体は紳士みたいになっているキャラクター。吉田のやるRPGにも、たまに見かける。
 艶子の中で自分は猫に擬えられていたらしい、と何とも複雑な気分に見舞われた。最も、サルやカッパよりかはマシだが。
 耳や尻尾というオプションさえ無ければ、他は生地も仕立てもものすごくちゃんとしたスーツだった。服飾にはずぶの素人の吉田でも、これは良いものだと思わせるくらいの。小市民らしく金額の気になった吉田だが、あえてそこには触れないでいておこう。多分、艶子にとってこれは娯楽の一種だ。
 袖を通し、ボタンを留める。大きな鏡なんて気の利いたものが無いから確認は出来ないが、まあ一応着れたと思う。
 さあ、佐藤は何処に居るだろうと、手っ取り早く本人に尋ねようとした所、ここでようやっと、吉田は自分が大きな失態をしでかしていた事を知る。
 携帯を家に忘れて来た。


 徒歩通学である吉田は、自宅までの距離は電車通学の牧村やバスを利用する秋本よりずっと近い。とはいえ、あくまでそれらに比べた近さなので、気軽に取って来ようと決められるような距離でも無かった。
 こういう時、他の友達なら話はまだ簡単なのだ。共通の別の知り合いの携帯から連絡を取って貰えればよい。
 でも、佐藤は。
 クラスで孤立する事は決して無い佐藤だが、その分巣を見せるまで心を許した相手は少ない。最近は牧村と秋本の前でならそれも由としているが、かといって彼らと番号を交換しているかと思えば、かなり怪しい所だ。2人と佐藤の付き合いは、吉田を介したもので直接の関係とも言い難い。
 けれども、それでも少しは救いになっているのは、この校内に居る、という前提が確かな事だ。広い敷地だろうが、限られた空間でもある。虱潰しに探していけば、きっと見つかる。
 そう思って、廊下に出た吉田だが、そこでまた新たな問題に突き当たった。
 ――仮装をしていたら、あるいはその顔も解らないという事に。


 こうして始まった佐藤の捜索であるが、思った以上に難航している。何しろ、手当たり次第に聞く訳にはいかない。というか、うっかり女子に佐藤の所存なんて尋ねれば「アンタがそれを知ってどうするっていうの!?」と理不尽に怒られかねない。
 いや、全ての女子がそうではないと、吉田は偶然目にした人物を見てその事実を思い出した。
「野沢さん!」
 割とこういう行事には率先して出ている野沢(姉)を見つけ、吉田は声を掛けた。が、その直後にぎょっというかぎゃっとなった。
 たまたま、見ていた角度で解らなかったが、野沢姉は外国風の襟の大きなワイシャツを着ていて、それは良いのだが血まみれだった。何故か血まみれだった。しかもかなり気合の入った血まみれだった。
「のっ、ののの、野沢さんっ! それ、どーしたの!?」
 仮装の一環とは解っているが、その血の色があまりにリアルで吉田も動揺してしまう。その再現の高い色合いは、さすが美術部と言ってやるべきなのだろうか。
 慌てふためく吉田の様子に、野沢姉はむしろ賞賛のようにそれを受け取った。
「ああ、これか?切り裂きジャックの仮装なんだ」
 似合うだろ?とそんな意見を求められ、吉田はどう返せば良いかわからない。とても切り裂きジャックぽいよ、と改めて褒め称えれば良いのか。
「何でまたそんな物騒な格好を……」
 口からつい零れるのはそんな台詞だ。彼女は言動と行動と性格がアレだが、顔は美少女と称して良いレベルである。何を好んで、こんな血まみれな仮装を選んだのか。
「ん? 知らないのか? 切り裂きジャックの正体って画家なんだぞ」
「えっ、そうなの!?」
 と、改めて驚く吉田。切り裂きジャックの逸話は、何となくしか把握できていないが犯人未逮捕で終わった実際の事件だというのは知っている。
 面食らったような吉田に、ああそうだぞ、と野沢姉は頷きながら言ってやる。
「ま、あくまで一説だけどな。と言っても、通説みたいなもんだけど。
 そもそも、切り裂きジャックの事件はイギリス王室のスキャンダル隠しだっていう線が濃厚なんだ」
 だからこそターゲットが娼婦ばかりなのだ、と野沢姉がここでも薀蓄を1つ。
 イギリス、と言えば吉田の中でそれは佐藤が3年間暮らしていた土地だ。
 脱線しかけた流れの中、佐藤、何処に行ったか知らない?と吉田は彼女に尋ねた。


 けれども、あまり実のある結果には終わらなかった。そういや見てないな、と佐藤にあまり関心を抱いていない野沢姉に聞いた事が愚かであったのかもしれない。
 結局地味に探すしか無いか、と改めて校内をうろつく。
 と、周りを見て前を見ないで歩いていたせいか、とん、と誰かにぶつかってしまう。
「あっ、ごめん……・って!!!!」
 謝った後、吉田はしまった!と臍を噛みたい気持ちになった。よりにとって、その相手は西田。そう、西田であった。
 顔の隠れる仮装であったなら、そのまますたこらと逃げられただろうが、生憎吉田のこの衣装は顔はそのままだ。吉田が西田に気付いたように、すぐさま西田も吉田に気付いた。「吉田!!」と声まで出されてしまう。
「吉田……!!ああ、今日はまた、一段と可愛い……!!」
 しかも、何だか感極まっている。西田は、良く見れば顔に傷痕のようなメイクキャップに、大きなボトルが頭から2,3生やしている。おそらくだが、フランケンシュタインのつもりだろう。
 爛々と目を輝かせて自分を見てくる西田に、若干引きつつ尋ねてみる。こっちから何か言わないと、記念撮影とか強請られそうだ。
「あ、あのさ、佐藤知らない?」
 吉田がそういうと、西田の顔に若干の陰りが浮かぶ。佐藤と吉田が付き合っていて、好き同士なのは勿論西田も知る所なのだが、だからと言って感情が綺麗に整理出来る訳でも無い。その辺りの事情は、少なからず吉田も共感できる。気持ちなんてしきちんと整理出来る筈も無い。本気で好き合っている自覚も自身もあるのに、佐藤が女子にきゃきゃー言われているのを見ると、むす、としてしまう。
「ごめん……見かけてないな」
「あ、いや、それなら良いんだけど」
 だからそんなに申し訳なさそうにしないで欲しい、と思う吉田だ。
 見ているこちらが恐縮しそうな程肩を落とした西田だが、不意に表情を険しく曇らす。
「佐藤のヤツ、吉田をほっといて何をしているんだ」
「いやまぁ、佐藤にもいろいろあるだろうし……」
「でも、好きな人の事を一番にするべきだよ」
「……うーん……」
 確かに、西田ならそうなのだろう。でも、当然ながら佐藤は西田じゃない。彼の理想に沿わない形で自分たちが好き合っていても、生憎だが西田には関係無い事だ。
 あ、と等々に西田が声を上げた。今度は何だ?と身構える吉田。
「お菓子、沢山貰ったんだ。吉田、好きなのあげるよ」
 悪戯の選択を無しにお菓子だけを与えるつもりの西田らしい。手提げ袋にいっぱい入った菓子類は、吉田の目をこれでもかと引いたが、ここはぐっと堪えた吉田だ。
「ううん。それは西田が食べてやれよ」
 じゃあな、と手を振って、吉田はそこを離れた。


 佐藤は別として、当日何を着て来るんだろうと期待したい人物がちらほらと居た。
 例えば、牧村とか。
「ああ、佐藤かー。なんか、見たような気もするけどな」
「ホントか!?」
 と詰め寄る先の牧村は、今日の為に作ったであろう、とても特殊なシャツを着ている。黒地に人体の骨がデフォルメで描かれていて、暗闇で出会ったなら白い骨のイラスト部分だけが浮き彫りになり、あたかも骸骨のように見えるだろうという一種のトリック・アートのような衣装だった。こう言ってはなんだが、今まで見て来た牧村の服装の中で、一番本人の印象に合っているように思う。
 初めての目撃情報だと色めき立った吉田だが、実際には見たような気がするという話だった。あてにならない。
「どこに行ったんだかなー、佐藤」 
 思わずため息も零れてしまう。そんな吉田に向かい、牧村が言った。
「まあ、迷った時はアレだよ。原点に戻る事だな」
 それは多分、真理だ。けれど、人探しの原点って一体なんだよ?と突っ込みのように吉田は思う。
(原点……か)
 今一度、胸中で呟いてみた。
 佐藤は何処に居る?何処に居そう?
 そう考えた吉田は、知らず天井を見上げていた。
 けれど、本当に見据えているのはさらにその上だ。


 佐藤は屋上が好きだ。位置が高いからとか開放的だからとかじゃなくて、人が少ないから。
 校内の中での非日常が待ち受けていそうな屋上だが、実際赴いてみるとそうでもない。何より、夏は日差しを遮るものが無くて暑く、冬は風から避けるものが何もなく寒いという悪環境にある。娯楽としてなら、一度行ってみれば十分、という全生徒の認識である。
 そしてだからこそ、あまり人に聞かれたくない話をするのにうってつけの場所とも言える。吉田もたびたび、そういう名目上でこの場所に呼び出された事は多々ある。
 自分で率先して訪れるのは、本当に佐藤くらいなのではないかと思う。
 それでも、本当に果たして屋上に居るだろうかと、実際に向かいながら吉田は懐疑的でもあった。
 10月も終わりになって、気温は真夏を忘れたようにぐっと下がっている。まだ太陽の出ている時なら良いのだが、暮れてしまった今はかなり空気も冷え込んでいる事だろう。そんな所に、長い間一人でいるだろうか?
 きっと吉田は、居て欲しくないと思っている。そんな、誰も居ない、寒い所で佐藤が1人、だなんて。
 この時にはもう、佐藤がどんな仮装をしているかなんて、すっかり二の次になっていた。いや、それはもう、佐藤を探し始めた時から。
 佐藤に会いたい。ただただ、それだけだ。
 教室の引き戸とは違う、ドアノブのついたスチール製のドア。ところどころが錆びている。これが屋上への扉。
「…………」
 少しの逡巡の後、吉田はノブを捻った。


 頻度の少ないそのドアは、むしろ動きが鈍くて開閉の時には報せるような音を出す。
 開いた先に広がるのは、この時間でむしろ夜と呼べそうな深い色の空だった。満月を目前に控えた膨らんだ月が鎮座している。
 そして、その月の元に立って居るのは―――
「佐藤!!!」
 マントの裾をはためかしているその人物に吉田は一直線に掛けて行った。
 黒いマントに身を包み、シルクハットは吉田と同じだが色は対照的に黒。それよりなにより奇抜なのは、仮面をつけていた事だ。マネキンの表面だけを掬ってつけたような仮面。
「何してんだよ、こんな所で! 寒いだろ!!」
 風邪をひいたらどうする、と憤る吉田。
「…………」
 ぎゃんぎゃんと犬が吠えるように言い募る吉田を、その人物はじっと見ていて。
「……え、あれ、え??」
 そのあまりのノーリアクションに、吉田の脳裏に人違い、間違い、勘違い、という言葉が通り過ぎる。もしやまさかそんな、とぐるぐるしてきた中、相手がようやく動く。
 手が持ち上がり、そのまま顔の上半分を隠す仮面へとかけられる。音も無く、そっと外され、露わになったその顔は――
「見つかった、か」
「なんだよ!やっぱり佐藤じゃんか!!」
「違うと思って声を掛けたのか?」
 紛らわしい事するな!と怒る吉田に、佐藤は切り返しに困る問いかけのような返事をした。
 確信を得たから、というより、ぱっと見てすぐに佐藤だと判断したのだ。理由を求められると困る。本当に、直感だったとしか言いようがなくて。
「……まあ、いいから、行こう。ここ、寒いだろ」
「寒くないよ」
「えー?」
「吉田が来てくれたから」
 言うや早いか、佐藤がばさり、とマントを使って吉田を抱きとめる。ふわり、と包まれたマントからは何だか佐藤の香りがしていそうだ。
「んなっ、ちょ、バカ!!」
 この中から出たいと暴れてみても、そんな抵抗は有っても無いようなものだった。マントが黒で、中に着ていたスーツも黒で、吉田の視界はほぼ黒一色だ。それでも、頭上からは佐藤の楽しそうな声がした。笑ってる、と吉田はちょっとムカ、とした。
「佐藤!!!」
 ぷはっ、とまるで水の中から息継ぎをするように顔を出し、佐藤に向けて言う。ん?と少しだけ首を傾け、佐藤は吉田の言葉を待つ。
 えーと、と吉田は思い出してから言う。
「トリック・オア・トリート!!!」
 発音なんてへったくれの、カタカナ英語だがまあそこは仕方ない。
 先にこの合言葉を言ってやることが出来て、してやったり、という気分の吉田だ。今の佐藤が、菓子類を持ち合わせていないのは抱きしめられて解った事だ。何かを持っているような気配も、菓子の香りもしない。
 やった、佐藤に一矢報いてやった!と勝利にほくそ笑む吉田の頭上、佐藤は「あー、そういえばないなぁ」と呟く。普段の吉田なら、この台詞の言い方があまりに白々しい事に気付けただろうか、今は勝ち誇った気分に酔いしれてちょっと判断が鈍っていた。
「なら、吉田は?」
 切り返され、吉田はへ?と間抜けな声を上げる。
「吉田にも。trick or Treat」
 さすが、本場(?)に居ただけあり、発音がスマートだ。
 と、吉田はここでまた自分が忘れ物をした事に気付いた。こんな佐藤の為に、ちゃんとお菓子を持って来たのに、教室に置いて来てしまったのだ。
 なんだか色んなものを置いて来ている吉田だが、でも良いのだ。
 必要なものはちゃんとここにある。
 吉田、お菓子無いんだ、と佐藤は朗らかに言った。
「じゃ、両方悪戯だな」
 そう言って。
 悪戯なのに、お菓子のような甘いキスを完全ではない満月の下、寒さも忘れて何度も繰り返した。
 11回で終わらないのは、だって何せそう、2人分だからだ。



<END>