まるで変わらないようでいて、それでもやはり昨日と今日は違うのだと思う。
 その1日の間だけではごく僅かで、気にも留める事が出来ないかもしれないけども、ふとした折に以前との違いを感じる事がある。
 いつものように、部屋でだらだらとデートをしていると(吉田と居るならそれはデートだと佐藤は思う)無防備に本を読んでいる吉田に無性に手が出したくなって、読書の邪魔になると承知で吉田の体を掴み、自分の方へと抱き上げる。軽く胡坐をかいたような自分の足の上に吉田がちょんとのり、佐藤は何だかこの体勢に頬が緩む。
 まるでヒーローのように、苛めっ子から庇ってくれた相手が、再会して自分よりうんと小さくなっていたら、普通はちょっと幻滅というか、がっかりするのが普通かもしれない。でも佐藤は逆に愛しさばかりが募る。それを思うと、やはり吉田に抱いていたのは憧憬よりも純粋に恋の気持ちの方が勝っていたのだろう。初恋の相手が姿を違えずそのままで居たのだ。これは、浮かれるというものだ。運命に祝福されているような気持になる。
 最も、逆に運命が拒んだとしても、佐藤は何としても吉田と結びつくつもりでもいるが。
「もー、いきなりなんだよ!」
 案の定、読書を阻害されたような吉田は、首を捻って背後の佐藤に文句を言う。ごめんごめん、と謝罪の気持ちも怪しい軽い調子で言うと、物言いたげに睨みを効かせる吉田。そんな顔も、佐藤にはとても可愛い。
 そして、佐藤の腕から逃げようと吉田はじたばた―――しなかった。
 あれ?と佐藤は首を捻る。
「吉田、暴れないの?」
 普通に読書を再開した吉田は、その声にへ?とまた振り返る。きょとんとした顔も可愛い。
「無駄な抵抗に暴れる吉田を抑えて抱きしめるのが俺の楽しみなのに」
「……それ、シュミ悪いぞ」
 悪趣味ー、と改めて半目で言うと、ため息一つついてから話し出す。
「だって、暴れでもどうせ出れないし。だったら疲れるだけじゃん」
 なら大人しくしている方が良い、という事らしい。
 確かに、正しい判断というか、賢明だと言えるが。
「ううん、吉田の癖に知恵をつけやがって……」
「おいっ! それ、どーゆー意味だよッ!!」
 首を反転させる苦しい姿勢になるだろうに、言い返す事を諦めない吉田だった。小さい体だけども、年齢相応のエネルギーは詰まっている。
 そうこなくっちゃ、と噛み付くような台詞を発する吉田の首に、逆に本当に噛み付いてやる。本当に軽く噛んだ、というか歯で挟んだだけなのに、吉田はまるで食いちぎられるとばかりにギャー!と叫んだ。佐藤の鼓膜が若干ダメージを負う。
「ななな、何すんだバカ―――――!!!」
 余程驚いたらしく、すでに涙が浮かびつつある。顔が赤いのは驚きすぎたからだろうか、あるいはそれ意外か。
 実は几帳面な所もある吉田は、本を放り出す前に床にちゃんと置いていた。それを脇目で確認し、佐藤はより一層吉田に伸し掛かる。ぎゃー!と吉田が暴れる。佐藤はこれを期待していたのである。
 でも、こうまでしないと吉田は抵抗しないようになっていたとは。
 普通の抱擁は、まるで当然のように感受しているようにすら見受けられる。学校ではダメ、のラインは、一体どのあたりまで下がってしまっているのか。
 どこまで入り込むことが許されるのかと、試したい気持ちもあるが、それが怖い気もある。はっきりさせるのが怖い。まるでぬるま湯のようにだらだら続く関係を、佐藤は知らず望んでいるのかもしれない。最後まで踏み切れないのは、そんな甘えからか。
 いつくらいからだろうか。引っ張って行っているつもりの吉田に、今は手を引かれているような感じがする。
 いや、そんなものはきっと最初からだ。最初に、出会った時から。
「ちょっ、ちょちょちょっとー!?」
 襟を大きく開き、首に舌を這わす佐藤。あー、吉田の味だ、と吉田本人が聞いたら瞬間に沸騰しそうな事をつらつらと胸中佐藤はで思っていた。
 背後から好き勝手に悪戯するのは楽しいが、何せこれだと顔が見れないのが難点だ。少し考え、佐藤は膝の上の吉田の体の向きを反転させる。
 向き合う形にされるとは思ってなかったのか、無防備な程の吉田と目が合う。
「っ、」
 自分でした事とは言え、涙が毀れそうな目とか、片方に襟が偏って肩が見えそうな所とか。
 どれだけプロポーションの良い女性を前にしても、ピクリと反応もしなかった劣情が吉田相手だとこうも簡単に疼く。時折、自分の手にも余るくらい。
「佐藤?」
 見つめ合う形になって、おろおろと視線を彷徨わせながら、吉田が相手の名前を呼ぶ。その声は優しいもので、とても自分の名前を呼ばれたものとは思えない。
 吉田が慌てているのは、つまり。
 この「先」をするか否かを問いているからで。
 佐藤は少し、思いを巡らす。さっきまでは沢山触れ合いたいと思っていたが、今はそういう欲よりも一緒に居る時間を大切にしたいと思う。このバランスを、他の恋人同士はどう加減しているのか。佐藤自身「お付き合い」というものが吉田が最初だし、初めて友達と呼びたい仲間達とは恋愛関係の話はあまりしなかった。
 吉田との関係を進めるのは、闇の中を手探りで進むようなものだが、傍らに温もりがあると思うとあまり恐ろしいとは思わなかった。
 そんな事をつらつらと思っていると、吉田がそそくさと開いた襟を直してしまった。それに興が削がれた、という訳でもないが、何となく佐藤の燻った欲も収まる。
 顔を赤くして佐藤からの行動を待っている吉田の頭に、ぽん、と手を置き、吉田の体を下ろす。えっ、と驚いた顔で佐藤を見上げる吉田。
「え、え……い、いいの?」
「ん? 吉田、したかった?」
 それならそれで、勿論応じるつもりの佐藤だ。しかし、吉田はその台詞にはぶんぶんと横に振って答える。
 今はこんな吉田だけど、佐藤は知っている。吉田にも、自分がさっき抱いたようなのと同じ欲が眠っていて、溢れた時には相手を求めてくる。夏休み、あの島で露見した、佐藤が、そして吉田も今まで知らなかった吉田の深い深い部分。暴いたというより、本当に自然に浮彫になった。
 あのまま、流れに任せて最後までしても良かったかもしれない。でも、こんなに大事な事だからこそ、イレギュラーな事態に任せたくは無かった。最後まではしなかったけど、吉田を求めたり逆に求められたり、今までにない濃密な時を過ごして、帰った後はまた元に戻った。それで良いと佐藤は思う。
 でも過ごした時に体験したことは、しっかり残っていて、きっとあの夏の後と前の時間はどこかが違う。この前、野沢姉が近寄ってきて「お前、変わったな」とか堂々目の前で言って来たくらいだし。
 佐藤としては、自分がどう変わったのかなんてよく解らないけど。
 でも、吉田が大事で大好きだと言う気持ちは、日に日に増していると思う。
 吉田も変わっているのかな、と、散々不埒な事をされたというのに、伸ばした自分の腕からまるで逃げようとしない様を見て、佐藤はそんな事を思った。




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