初めて自室に吉田を招いた時、逸る気持ちのままにちょっかいを出し過ぎたせいか、その次から吉田は警戒してか中々素直に頷かなくなった。けれどそこで諦 める佐藤では無く、あの手この手で、時には脅し、時には勉強の名目の元、ちょいちょい吉田を誘い込む事に成功していた。吉田だって、別に行くのが嫌な訳で はないのだ。ただ、行った先で学校以上に手を出されるから身構えているだけで。
 しかしその割には、部屋に来たら吉田は結構好きに寛いでいる。ように見える。少なくとも、ソファで寝転がって本を読んでいるというその様子は、佐藤の基準では無防備と称して良いと判断する。背後を晒すのは危険だ。そこは死角なのだから。
 そっと近寄られたら、視覚からでは感知出来ないだろうに。このように。
「吉田」
「わっ、わぁ!?!??」
 ぎゅう、と背後から伸し掛かれるように抱きしめられ、吉田が佐藤の体の下でばたばたと暴れる。本が、本が、と何か言っているようだが、聴こえない事にする。
 間違っても押しつぶさないように気を付けながら、それでも軽く押さえ込む程度には伸し掛かる。吉田の動きを全身で感じる。
  体温が心地よい、と感じるのはきっと後にも先にも吉田だけだ。肌を重ねる事は多数あったけど、そんな感慨を抱いた事は一度も無かった。一時期は本当に心が 死んだかと思ったが、事実は全くの逆ですでに呼応する存在を見つけていたからこその、その他には無関心だったのだ。だから、吉田の方は解らないけども、佐 藤は吉田の体温が自分の表面にとても馴染む。自分よりも自分の温もりらしい、吉田の温かさ。最近は女子が手強くなって、校内はおろか、下校も一緒にままな らない。吉田は悪い冗談としか思わなかったようだが、本当に教室の真ん中でえげつないキスでもしてやろうかと思う。自分が好きなのは吉田だから、もう構わ ないで欲しいと。
(ん?)
 そんな事をつらつらと思っていた佐藤だが、下に抱きしめている吉田の動きが、いつもとは違うのに気付く。ただ照れているだけとは違う、ここから逃れたいという意思を持った動きだ。これは。
 けれど、嫌がっている風にも見えない。吉田は佐藤にとってこの上なく可愛い存在だが、それでもれっきとした高校生男子。気に食わない相手には手も出すし足も出す。しかし、決して陰口とかの陰湿な報復には出ないのが吉田という男だ。
  トイレにでも行きたくなったのかな~と少しだけ体を浮かしてやり、吉田の逃げ場を作ってやるが、しかし吉田はそこから逃げる事は無かった。うんしょ、と体 を反転し、顔を上向かせて佐藤と目が合うとへへっ、と目を細めた。きっと本人は無意識のその表情に、佐藤の心臓は射抜かれる。
 なんだ、そうか。顔が見えなかったのが嫌だったのか。
 じわじわと射抜かれた胸から広がるくすぐったさに、どう対処しようかと密やかに悩んでいると、次に佐藤に更なる衝撃が見舞う。事もあろうに――佐藤にとっては――吉田は腕を伸ばし、佐藤の背中に回してぎゅっと抱きついた。
 背中にある小さい手の感触に意識の全てを持って行かれた佐藤の動きは止まる。
  けれど、そんな佐藤に吉田は特にも不審には思わず、やはり吉田も女子のせいで以前よりも少なくなってしまった佐藤の時間を、この隙にとばかりに埋めようと しているようだった。姿勢の為に、まるで下からぶら下がるような格好だが、これは紛れもない吉田からの抱擁だ。仕掛ける事には手馴れても、その逆には佐藤 の免疫は薄い。他でもない、付き合いたての吉田がとことん初心だったからだ。佐藤の経験値は吉田相手でしか上がらない。
 一方の吉田は、当初から 佐藤にちょっかい出されまくりで、触れられるという事を受け止める術も出てこようというものだ。全く佐藤の自業自得である。この4文字熟語は度々因果応報 と混同されそうだが、「得」の文字もあるように良い事にしろ悪い事にしろ自分に返ってくる、というのが正式な解釈である。なので、まさに自業自得。
 好きな人に抱きつかれて、どうすれば良いか、困る。
 でもそれ以上に、好きな人に抱きつかれて、嬉しい事この上ない。
 しかしこれは、最近の女子の猛攻からのお預けで、普段は意地っ張りの吉田もすんなり行動に移して来てくれているという事だろうか。だとしたら、彼女らの追撃も満更悪い物でも―――いや、やっぱり帰りは吉田と一緒が良い。それでも。
 そろそろ本気の片鱗を見せるべきか。全力を出せば捲くのは簡単だが、今度はその素性を疑われそうだ。実際簡単には話せない経歴を持っているのだから、仕方ないのだが。
 多少不恰好ながらも吉田の抱擁が続く中、その片腕が佐藤の背中からふと離れる。終わりか、と嘆息する佐藤は甘かった。
 髪に神経は通っていない。けれど、撫でられたらすぐに解る。
「…………」
「やっぱり、佐藤の髪ってすげーサラサラだな~」
 さらさらと指を滑るり落ちる絹のような感触を楽しみながら吉田が言う。どうやら兼ねてより、見るだけでさらりとしている佐藤の髪質に興味があったようだ。
 すげーすげー、と連呼しながら髪を、頭を撫でる吉田。
「…………………」
「こういうのって遺伝なんかなー……て、え?」
 頭を撫でている手を、そっと佐藤に掴まれ。
 そしてそのまま自分の頭の横へと持って来られる。
 佐藤に捕まえた手は、指と指の間に相手の指が入っていて……吉田の脳内言語辞典では「恋人繋ぎ」と呼ばれる状態だ。
 ま、まあ、別に、俺と佐藤はお付き合いしているんだから、別に良いけど!と自分を納得させて落ち着かせようとするものの、真っ直ぐに貫くような視線で佐藤から見つめられ、じわじわと顔に熱が上がっていく吉田。っていうか、近い。佐藤の顔、近い、近すぎる!
 何かこのシチュエーション、覚えがある~~とぐるぐるする吉田。そのデジャブは勿論、初めて訪れた時が起因とされているに相違なかった。が、それに気付く余裕は吉田には無くて。
「吉田が悪いんだ」
 不貞腐れたような、佐藤の声。ふへ?と妙な声を上げ、改めて佐藤を見上げれば、そこには「変な顔」の佐藤。
 眉を思い切り顰めて、口元を歪めていて、なのに吉田はそんな佐藤がとても可愛いと思うのだ。本人はこの顔を見らえるのすら不本意そうだが。
 それより、悪いってなんだろう。何か俺、悪いことしたか?と疑問符を大量生産していると、佐藤が続けて言う。
「今日は大人しく、ゆっくり寛ごうって思ってたのに……」
  さすがに鈍い吉田でも、佐藤のその台詞が何を示唆しているかは否応なしに思った。とはいえやはり、一体自分の何が悪かったのかは解らないのだが。だって、 した事と言えば、ちょっと抱きついて髪を触っただけじゃないか。しかしそう思う吉田も、同じ事を佐藤にされたら、とても平然ではいられないだろうに。
 むしろ、ちょっと迫られたこの段階で首元まで真っ赤だ。くせっ毛から見え隠れする耳も、見事なまでに熟れている。
「……う~……さ、さとう……」
 縫い付けられていない手で、その名前を呼びながら佐藤の背中の服をぎゅう、と握りしめる。
 抵抗とも呼べない意思表示に、佐藤が小さくくすりと笑った。
「嫌? ダメ?」
「……ダメ、とかじゃなくて……」
「じゃあ、良いの」
「…… ………… ………………」
 反論も承諾も無い。と、いう事は肯定なのだ。まだちょっと素直になれない吉田の表現。
 吉田はこのソファでも十分なスペースだろうが、さすがに佐藤までもそうは行かない。寝室に行くと言うと同時に、吉田を横抱きに抱き上げた。急に上昇した体に、うわあああ!と慌てる吉田。
「離せよ! 降ろせよ!! 自分で歩く!!!」
「へー、積極的だな」
「!!!! そういう意味じゃなーいッ!!!!」
 このマンションの防音が聞いていて良かった、と耳元で騒ぐ吉田と、この後の事を思いながら、ご機嫌にそんな事を思う佐藤だった。



<END>