吉田の扱いはとりあえず簡単である。まずは美味しい菓子を出せば良いのだ。
 しかしその反面、何だか自分の価値がたかが菓子如きに遅れを取っているようで、しかし手っ取り早く確実な手段を放るのも出来ないでいる佐藤だった。恋する男は何かと複雑なのだ。面倒と言えばそれまでだが。
 そうして出したチョコレートの箱だったが、いつもはすぐさま蓋を取る中、何か琴線に触れたか「わぁーっ!」と感嘆に似たような声を上げる。
「これって、アレだろ!ゴディバだろ?」
 蓋にあるアルファベットを読めたらしい。吉田の英語の成績を思うと奇跡に近い快挙だ。まあ、完全に読み取ったというより、「確かこんな文字だった!」みたいなノリだろうが。
  吉田の言うとおり、今日のお菓子はベルギー王室御用達のチョコレートである。確かな伝統に基づいた味を遥々陸や海を越え、日本のまでやって来た。すでに国 内のテナントは数多く、佐藤も買い物がてらにたまたま目をしたから購入したのである。これ程にまで蔓延しているのだから、その知名度も推して知るべし、 だ。吉田も食べるのは好きだがそれなりにまあまあな知識の中、ゴディバ=高い、美味しい、という構図はあったようだ。
 食べて良い?と改めて尋ねる吉田に、佐藤もいいよ、と頷く。それを待って、早速吉田は手を付けた。
 慎重に指で摘まみ、カリッと齧る。「んーっ!」と目を閉じて味を堪能する吉田を見るだけで、口の中に甘さが広がるようだった。
「美味いなーっ! やっぱ、コンビニのお菓子とかとは違うな」
 そりゃ違うだろう、と可笑しな吉田の物言いをつまみのように、佐藤はコーヒーを啜る。吉田のとは違って、佐藤はどこまでもブラックだ。
 でも、俺、コンビニのお菓子も好きーと言いながら、上等なチョコを摘まむ。3個目をむぐむぐと味わいながら、吉田が佐藤に言う。
「佐藤ん家って、やっぱ金持ち?」
「へ?」
「だって、こんな美味しいチョコあるし」
 不躾な質問であるが、その基準がチョコレートだというなら、却って微笑ましい。
 家が金持ちかどうかより、家の事自体を聞かれるのが佐藤にとって難儀な事だった。そうでもないと思うけど、と適当に濁しておいた。
「俺の小遣い、中学の時から上がってなくってさ。今度また言ってみようかな~」
「何、欲しいゲームでもあるの?」
「うん。2本あって……どっちか選べないんだよな~」
 どっちも待ってたシリーズだし、といかにも高校生らしい問題で頭を悩ます吉田。
 しばし考えていたようだが、不意に佐藤をくるり、と振り向いた。
「佐藤は親に小遣い値上げの交渉とか、した事ある?」
「何だ、いきなり?」
「いやー、もしした事あるなら、その方法教えてもらおうかな~って」
 へへ、と悪戯っ子な笑みを見せる。
 吉田の願い事なら、出来れば何でも叶えてやりたいが、生憎そうもいかないようだ。適当にアドバイスしてやれば良いかもしれないが、あまり嘘は並べたくないと思う。本当の事が言えてないのだし。
「生憎だけど、した事ないな」
「へー。あ、じゃあ勝手に値上げてしてくれるんだ?」
 いいなー、と見上げる吉田に、佐藤はまだどうかな、と首を傾ける。
「あんまり、欲しい物とか思った事が無いから」
 吉田と違い、自分はそれが無いから自分の財産にあまり興味が無いのかもしれない。それに、あの両親が稼いだ金だと思うと、何だか使う気も失せるというか。
 きっと強請れば金を与えるのだろうけども。あの両親は。
「本当に欲しいものって、お金じゃ買えないから」
「ええ~~。そういう事言うの、まだ早くね?」
「でもホントだろ?」
 そうだけど、と物欲まみれの自分を恥ずかしく思ったのか、吉田は口を尖らせる。
 佐藤の欲しいものは金では買えないし、さらには努力で手に入れられるというものでもない。
 本当は、まだ手に入れてないのだろうけど、とりあえず隣に居る事は出来る。
 それで満足してしまう自分は、欲が無いのだろうか。自覚としてはとても強欲だと思うのだが。
 こんな眩しい存在を、自分の横に、なんて。
 手を伸ばせばすぐに触れられる。これが贅沢であると、自分は解っている。
  いきなり佐藤に髪を撫でられ、きょとんとした吉田だが、撫でられることは嫌いではないのか特にやめろとも言わないし、そういう素振りも見せない。学校でな く、佐藤の自室だと、吉田のハードルはとことん低くなるのに、吉田本人は多分気づいていない。校内ですら、徐々にそれが甘くなっている事に。
 悪戯のように、キスをしてみる。やはり、吉田は避けない。さらに調子に乗って、口内を軽く舌で擽ってやった。小さく撥ねた吉田の顔は近すぎで拝めないが、容易く予想できて、少し笑えた。
「甘い」
 敢えて口にして出すと、真っ赤な吉田がさらに赤くなりながら「チョコ食ったからだろ……」ともごもごと言い返す。
「リキュール入ってるな」
「えっ、そうなの?」
 気づかなかったー、と呑気な顔に戻って言う。
「酔ったりする?」
「いや、そこまでなら、こんな普通には売らないだろ」
 気にしたのか、ただの戯言か、そんな事を言う吉田に言い返す。それもそうだな、とカラリと言った後、また1つ手を取った。
 それは特に気に入った味だったのか、目をキュっと綴じて悦に入った顔をする。
 金なんて、佐藤は本当に興味はない。そんなもの、何の価値もない。
 けれど、こうして吉田と過ごす空間や、吉田に美味しいチョコをあげられるだけの金銭は常に確保したいと思う。
 やっぱり自分は欲深いな、と幸せな自嘲の後、2度目は吉田も騒ぐだろうと解っていながら、チョコレートの味の残る口を、佐藤はもう一度味わってやろうと手を伸ばした。



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