外は灼熱、中は冷房が効いていてとても涼しい。
 それに加え、基本寝足りない男子学生が、長期休暇を良い事に朝寝坊と夜更かしのダブルコンボ。
 と、なればこんな状態も止む無しなのか。
 佐藤だったら窮屈で堪らないソファの上、吉田はすやすやと心地よさそうに眠っていた。自分の腕を枕にした。
 やれやれ、と、佐藤は少し嘆息しつつも、自分の傍で安らいでいる様子にはまんざらでも無い。自分も、いつか吉田の部屋で居眠りする事あるのかな、なんて思いながら。
 吉田は全く気にしてないようだが、こんな場所で眠って居ては寝違えるだろうし、そもそも身体が凝ってしまう。やはり、ゆったりとして眠らなければ。
 吉田の睡眠が決して浅く無いのは、すでに知れた事だ。佐藤は吉田の身体をそっと持ち上げ、もうひとつ奥の部屋へと向かった。


 エコだのなんだのと言って、中々エアコンを入れてくれない母親と違い、佐藤の部屋はいつだって快適だ。自分の好む温度になっているように思う……とは多少言い過ぎかもしれないが。
 今日は午前中からお邪魔して、1日中ゆったりというか、まったりと過ごすつもりだ。夏は刺激を求める季節だというが、自分たちはそんなのと関係無く過ごしている。まあ、たまにはそういう事もしたりするけど。
 色々と旺盛な男子学生としては、いさかか枯れていると、仮に牧村が事情を知ったらそう言うかもしれない。
 けれど、まるでドキドキしない訳でもないのだ。ちょっとした仕草や、ふとした表情に何だか落ちつかない気分になってしまう。ありきたりな表情を使えば欲情してると、そう表されるのだろうか。
 けれど、そう思う反面、ぎゅうと抱きしめられると、す、と良くない胸の動悸が治まる時もある。
 ヘンな感じ、と吉田は思うものの、どっちにしろ悪いものだとは思っていなかった。


(……ん?)
 何かの節に感じた違和感に、吉田の意識は浮上した。そのまま沈んでも可笑しくないおぼろげな覚醒だったが、吉田の目はぱちくり、と見開かれた。さっきまで無かったものが、そこにある。佐藤の顔だ。
(ぇっ……な、えっっ!!!)
 どうにか、大声で驚いてしまいそうになるのを堪え、吉田は間近の佐藤の顔を見つめて仕舞っていた。
 綺麗な顔だと、普通に思う。整った顔。時代の流行とは違う確かな美しさがそこにはある。
 けれどその奥に、ちゃんと小学生の時の、肥満児の面影も吉田は感じ取っていた。
 あの時は、自分が女子にモテていて、佐藤は苛められっ子で――そんな自分達が、まさかこうして同じベッドの上で寝ているなんて。
 いつの間にか、ソファで寝ていた自分がベッドに移動していた事に関して、吉田は不思議には思わない。佐藤が運んだに決まってるからだ。
 そうして、ベッドの上に寝転ばせて、その寝顔を間近で眺めていて、佐藤も眠ってしまった、という状態だろう。これは。
 となれば、当初より形勢逆転という事か。へへ、と吉田が口元を緩める。佐藤の寝顔を拝められる、この特権に。
 女子に向ける笑顔は綺麗なのだけれど、どこか隙が無くて余所余所しい。それよりも、吉田としては眉を顰めたりするヘンな顔の方が余程好きだ。そしてこんな風に、完全に無防備な寝顔とか。
  出来れば頭とか撫でたい所だが、体勢的に少し無理、というか、佐藤の腕が自分の身体の上に乗って居るので、少し動けば佐藤がそれに気づいて起きそうなの だ。気配に敏感な佐藤は、寝付きが悪い……というか、すぐに起きてしまう。寝てれば、と進言してみても、吉田と話して居たいから、とその後は寝ようとはし ないのだった。
 最も、佐藤は寝坊とか授業中の居眠りとは無縁の人物であるが。吉田と違って。
 いつかは授業中に佐藤との一件を夢で思い出してしまい、叫び起きてしまったものだ。仕方ない、それくらいの衝撃であったのだし。
「……………」
 相変わらず、浅い寝息を零しながら、佐藤は吉田の前に寝顔を曝け出している。微塵も警戒のない様子だ。安らいでいてくれているのだろうか。
 何だか、何処に居ても切羽詰まって居る様な感じだった。昔の佐藤は。
 今は、自分の前では余裕を見せるように微笑んでいるけども、自分の居ない時はどうしているか、解った物では無い。全く知らない、中学の3年間とか。
 それでも、今の佐藤を見る分には、それなりに良い事もあったのだろうと解るから、まあ、それで良いか、と思う吉田であった。


「……しくじった……」
「別に良いじゃん。なあ、佐藤」
 額に手を当て、沈痛な面持ちで呟く佐藤に、けれど吉田は逆に噴き出しそうになるのを堪えて言う。
「ちっとも良くない」
 と主張する佐藤の顔は、吉田の気に入る「ヘンな顔」だった。言えば顔を逸らしてしまうので、言ってやるのを我慢する。
「だって、これから暫く会えないだろ」
 佐藤の言った事に、それには吉田も異を唱えない。
 夏休み入って早々、佐藤は家族旅行に経ってしまう。家族旅行なら吉田も覚えはあるが、長くてもせいぜい3泊4日の所、佐藤はその何倍もある。ちょっと羨ましいなぁ、と思った吉田だが、佐藤が旅行の事を告げた時の顔を見たら、とてもそんな台詞は言えなかった。
 佐藤は、自分の家族と仲が悪い訳じゃない、と思うけど……思う、けど……な、印象を持つ吉田である。
「そりゃ、こうして直接は会えないけどさ」
 でも、と吉田。
「携帯あるんだし、メールとか、電話とか……あっ、もしかして、圏外とか?」
 行く先によってはあり得る事だ。しかし吉田の危惧した事は、杞憂に終わりそうだ。佐藤が言うには、そうはならないと思うけど、とやや確証には乏しいが。
 もし圏外だったら絵ハガキでも出せよ~なんて軽口を言いながら、帰り支度を整える。ちょっとした昼寝の筈が、しっかり夕方まで眠ってしまったのである。佐藤にとって、ここ最近稀に見る失態だった。以前なら、意地でも起きていたのに。
 いくら会っていても、吉田が帰った後は寂しいくせに、一緒に居る時間を何故大事に出来ないか。居眠りしていた自分を殴って起こしたい佐藤だった。
 でも、こんな風に油断してしまえる辺り、自分の飢餓も大分癒されたというのだろうか。
 吉田が居なくなったら、1人で生きて行くしかない。そんな、後の無いような恋の仕方、本当は良くないと解って居る。自分にも、吉田にも。
 隙あらば食らいつくしてしまいそうな、そんな凶悪な感情を抑えて抑えて、吉田とこうしてお付き合いを続けてるのだけども。
「――ん、じゃあ、解った」
 何でも良いからメールしろよ、と再三に渡り佐藤は吉田に言い募った。その甲斐あってか、吉田からは快い返事を貰えた。交わした約束を破らないのは、佐藤が吉田を尊敬する所だ。
「じゃーな、佐藤。旅行、気を付けて行けよ」
「吉田もな。お父さんの実家に行くんだったっけ?」
「おう。母ちゃんの所にも行くんだ」
 名物とか無い所だから、土産とか無いけど。しかしそういう吉田は、嬉しそうだ。滅多に家に居ないという父親と旅行する事も、一家が揃う事も嬉しいのだろう。吉田が嬉しそうだと、佐藤も何だか嬉しい。
 自分が窮屈な思いをして居ても、吉田はきっとのびのびと夏休みを送って居る事だろう。そう考えれば、少しは気が紛れる。後は、吉田からメールを貰えれば。それだけで。
 玄関口に立ち、帰路に着く吉田を見送る。まだ日は高いが、かと言って油断すると痛い目に遭うのもこんな季節だ。特に吉田は、実際の年齢よりずっと年下に見られるのだし。
「じゃあな、吉田。次会うのは多分登校日だと思うけど」
「そっか」
「宿題、ちゃんとやっとけよ」
「……うっさいなぁ」
 むー、っと膨れて吉田が言う。まあ、出来ていなくても、手伝ってやるつもりではある。勿論、ご褒美は貰うとして。
 これでしばしの別れとなる。吉田の顔を、じっくり見ておこうと、素振りだけは普段通りに目に集中する。
 と、ドアに向かって一歩歩いた吉田の足が止まる。忘れ物か?と佐藤が口にする前、吉田が振り返る。
 そして、佐藤の腕をぐいっ!と力強く引っ張る。完全に不意打ちとなったその動きに、佐藤も体勢を崩して、そして――
 唇に、押し付ける様な、でも柔らかい感触。
 視界は完全に潰れた。近すぎる吉田のせいで。
「…………」
「じゃ、じゃーな!!」
 また登校日!!!
 捨てゼリフのようにそう言って、吉田はバタンとドアから出てしまった。
「……………」
 まるで夢のように一瞬で、けれど確かに感触を残す唇に佐藤は現実だと認識した。
 事実は小説より奇なりとはよく言ったものだけど。
「……全く。敵わない、なぁ」
 完全降伏した発言を佐藤は口にして、しかしそれとは裏腹に、至極、幸せそうだった