*前の話から続きです〜〜^^*


 佐藤と一緒に帰る事になったのは良かったのだけど、とても良かったのだけど、しかしバックの中のこれをどうするか。
 2人で並んで歩く初めての道を新鮮な気持ちで景色を眺めるも、吉田の頭の片隅にはどうしてもそれが引っ掛かる。
「女子達にバレたかな?」
「さあ。でも、もう終わったからどうでも良いよ」
 所詮人の口を完全に塞ぐのは不可能なのだ。だから、考えるべきは出てしまう被害を最小限に食い止める事。佐藤はそこの見極めが上手いのである。
「知ったら、みんなまたキャーキャー言うんだろうなー。球技大会だけであんな盛り上がりなんだから……
 て、何?」
 もそもそと思うままに口を動かしていたら、佐藤がこっちをじぃと見つめていたのに気付く。視線と言う物には何かしらの力でも込められているのではないだろうか。特に佐藤のは。
「ヤキモチ?」
 にっ、と楽しそうに言うその単語は、吉田にとってある種禁句というか、地雷である。
 すぐさまぼっっと顔を赤くし、猫の様にぎゅっと目を細めて閉じて、妬いてないばかりを連呼する。
 妬いたら悪い、なんて、とても健気で殊勝な事だが、佐藤としてはそんな可愛い我儘、もっと見せて欲しいと思う。
 引き出し方も心得ているけれど、やっぱり吉田が自分から見せて欲しいなぁ、と、妬いてないからな!と何度目かのその台詞を言う吉田を見て、佐藤は思うのだ。


 何だか、当然の様に佐藤の部屋に来てしまったなぁ、と吉田は玄関にまで来て、そんな事を思う。
 こうなると、いよいよバックの中の物が気になる所だ。今出すか?いや、もう少し後……
「吉田、鞄掛けようか」
 床に物を置く事を由とはしない佐藤が、手を軽く伸ばして言う。
 あーうー、とバックの紐をぎゅっと握って唸った吉田だが、やっと決めたらしい。
「……あのさ、」
 バックを一旦テーブルに置き、その中からごそごぞと取り出したのは、タッパーであった。勿論と言うか、中に何かが入って居る。
「蜂蜜にレモンつけたヤツ。……作って来たんだけど」
 一応、と何が一応なのか解らないが、そう付け足す吉田。
 え、と軽い驚きの声を上げた後、佐藤は吉田の元まで赴き――
 びし、と軽いデコピンをした。ふぎゃっとのけ反る吉田。
「今出してどうするんだよ。会場来た時に出してくれなきゃ」
「う〜〜だって……」
 軽い衝撃かもしれないが、何せ額は薄い皮膚の下にすぐ骨があるのだ。些細な衝撃でも結構響く。
 吉田だって、勿論作り始めた時も、作ろうと思った時も佐藤の言う通り、試合前に、会場に着いた時に差し入れようと思ったのだが。
 思いの外人が混雑していたのと、佐藤の顔を見た途端、自分のした事が物凄く恥ずかしくなってしまい、結局渡しそびれてしまったのだ。
「……まあ、でも、」
 と、佐藤。
「黙って持ち帰らなかっただけ、よしとするかな」
 そう言って、とても嬉しそうにタッパーを持ちあげる。本当に、嬉しくて嬉しくて仕方ない、という顔だ。たかが、ハチミツの中にレモン入れただけなのに。
 だけ、ではあるが。
(……一応手作り? になるのかな)
 佐藤と出会う前、淡く描いて居た青春像の中には、彼女の手作りの品を贈られる自分を思ったりもしたものだ。逆に自分もあげたいと思っていた。
 夢達成、てやつかな〜とまた顔がカッカと熱くなって来た。
「これなら、お茶うけに出来るかな」
 紅茶を淹れて来るよ、と佐藤は立ち上がった。佐藤がこうして立ってしまうと、吉田は手持無沙汰だ。勉強会の名目の下で訪れているのなら、まだ問題の回答欄を埋めるという作業があるのだが、今はそれも無い。
 着いて行ったら可笑しいかな〜と思いつつも、すでに吉田は腰を上げていた。
 着いて来る吉田に、佐藤は一瞬、ん?とした顔をしたが、その行動に特に何を言うでも無く、そして当然の様に吉田と一緒にキッチンへと向かった。


 佐藤が持つとヤカンでも格好いい、なんて吉田は思ってみる。実際佐藤の家のヤカンは何か格好いい。ぼてっとした自分の家とは大違いだ。ヤカンというよりケトルと呼んでやりたい。
「アイスティーで良い?」
「うん」
 美味しいものは無条件で好きだが、その反面吉田に拘りは無かった。美味しければなんだって良いのだ。インスタントだろうかミシュランの三つ星だろうが。
 佐藤は沸騰させる傍ら、紅茶の缶を見比べて銘柄を決めていた。2,3取り変えて、これと決めたらしい。
「やっぱりアイスティーはアールグレイだな」
「そうなの?」
「うん、クリームダウンしにくいし」
 クリーム?と吉田が頭を捻るので、佐藤が紅茶が濁る現象、とだけ言っておいた。その説明を聞き、紅茶って濁るんだ、というような顔をする吉田。
 テキパキと紅茶を淹れる佐藤を見て、喫茶店でバイトしたらモテるかもな、とぼんやりと思う。最も、そんなバイトしなくても十分モテているが。
 佐藤は勉強が出来る。スポーツも堪能で、その他秀でる能力は多い。
 でもそれは今の佐藤の話で。
 吉田はそうじゃない佐藤も知っている。
 そして、どっちも佐藤だと言う事も。


「何かこの味久しぶり」
 佐藤が淹れてくれたアイスティーを味わいつつ、自分の持って来たレモンを軽く齧る。そうなの?と目で問いかける佐藤に、吉田は言う。
「空手の試合とかで、たまに母ちゃん持って来てくれたんだ」
「へー」
「ホントにたまにな。あと、バナナとか」
 今はまだ、空手をしていた期間の方が辞めた時よりも長いのだが、そう遠くない内にその比率は逆転するのだろう。それはちょっと、寂しいと感じる。辞めたのは考えて、納得した上での事だったのだけど。
 元々、大した量でもなかったレモンは、2人の口の中にあっという間に消えて行った。足りないとは見ただけで佐藤も判断したのだろう。クッキーがそれとなくテーブルに出された。クッキーというか、正確にはラング・ド・シャという薄焼きのクッキーだ。佐藤が何となくこれを選んで買ってしまうのは、きっと名前の由来からだろう。フランス語で、猫の舌を意味する。
 その形をしているからの名前なのだが、という事はこれを作った人か名前を付けた人は、猫の舌をまじまじと見た事でもあるんだろうか。軽い口当たりの後、噛まずに溶ける様な食感を口内で感じながら、佐藤が胸中で呟く。
 こんな軽いクッキーを口にして居るだけでも、佐藤の例の悪癖は顔に出る。あまり言うと怒るので、少しは控える吉田なのだが、やはりその佐藤の顔を見ると口元がムズムズしてしまう。
「吉田は助っ人とか頼まれないの?」
 ふとした折に、佐藤が言った。ええ、と吉田は驚いた顔をする。
「そ、そんなの……だってまだ1年生だし、そんなの頼まれる訳ないだろ?」
 佐藤が異例過ぎるのだ。そもそも練習試合とは言え、助っ人を頼まれるなんて中々の事なのではないだろうか。
 至極真っ当に吉田は反論したのだが、佐藤はその隣で頬杖をつき、詰まらなさそうにふーん、と呟く。
「じゃ、もし吉田が助っ人頼まれたら、俺、差し入れするから」
 だからすぐに知らせろよ、と。
 柔らかな笑みを携えそう言われ、そんな時は多分来ないのだろうけど、その微笑みを崩したくなくて、吉田はうん、と首を動かして返事をした。


 後日。
「吉田! オイこら、吉田!!!」
 物凄く乱暴な声で女子に呼ばれ、しかし佐藤から見では無いのは声の人物から察せられる。
「な、何の用かな野沢さん……」
 佐藤関連ではないが、厄介なのは変わりなく、吉田は野沢(姉)の雰囲気に圧倒されるように、身を仰け反らす。
「何の用って、絵の用に決まってんだろ!」
「え?」
 と、またダジャレの様な受け答えになってしまったのに、吉田は顔を赤らめた。それはさておき、絵の用とは一体?と尋ねる吉田に、野沢は決まってんだろ!と同じ事をもう一度言った。
「モデルだよ、モデル! またコンクール出すぞ!」
 自分の好きな事にやる気を出す彼女は、意欲的でいっそ魅力的とも言える。誰もそれについていけないのが難点であるが。
 モデル、と吉田はその申し出に顔を引き攣らせた。おそらく、校内で最も、吉田は彼女のモデルになりたくない男だ。それは描かれるのが肖像画ではなくて抽象画だから、という事では無くて。
 佐藤が妬くからだ。呪う程に。
 だから、もっと言えば野沢に限った事ではないのだが……とにかく、モデル云々という話を聞くと、その時のトラウマに近い思い出が蘇る。
「い、いや、えーと、」
 佐藤も厄介だが、野沢もまた厄介である。この危機をどう乗り切る!と脳内がまるでモンスターに遭遇したRPGのように切り変わる。これがゲーム脳というヤツか!(多分違う)
 良い断りの文句を吉田が考えていると、のし、と肩から背中にかけ、重みが圧し掛かった。それと、体温も。
「吉田。モデル頼まれてるの?」
「!!!!!」
 来ちゃった!!!とざっと顔色を悪くする吉田。えーあーうー、とますます言語回路がショーとする中で、野沢がかなりとんでもない事を言い出した。
「おう、佐藤! アンタからも吉田に受けるよう言ってやってよ。そもそもそっちが持ちかけて来た話なんだからさー」
「え。」
 なんですと?と吉田が後ろの佐藤を見上げる。姿勢的にかなり辛いが。
 目が合った佐藤は、吉田に対しにやりとした笑みを浮かべる。その様子だと、佐藤から持ちかけたと言う野沢の言葉は事実なのだろう。
 一体何故こんな真似を、と思い出したのは前のやり取りだ。試合があったら差し入れに行くよ、と。
 だがしかし、現状で吉田に助っ人の誘いが来る事はまず、無い。そこで考え方を切り替え、運動部では無く文化部で、助っ人という形に拘らず、用は手助けの要請があれば良いのだと佐藤の辿りついた結果がこれなのだろう。
 よくよく考えたら、恋人を他の女に差し出す様な事ではあるが、そこは野沢のキャラクターのおかげか、支障はないと判断したらしい。弟の方は思いっきり警戒対象たのになぁ〜〜と吉田としてはその基準に困る。やはり男の方が油断ならないのだろうか。まあ、性差だけの問題でも無さそうだが。
 佐藤め、と自分が良い様に扱われているのは間違いなく、そこは恨み節を込めて佐藤を睨む。そしらぬ様な顔をして、それをしっかり受け取る佐藤。
「――って事で、じゃあな! ちゃんと来いよー」
 相変わらず、相手の都合そっちのけで段取りを決めてしまい、スケッチブックを片手にこの場は去っていった。こうなっては行かねばならないだろう。行かなかった時が恐ろしいし、何より佐藤の言い出した事とは言え、約束してしまった。約束は、守らないと。
「……全く、もう」
「差し入れ、するよ」
 ちゃんと甘いの持って行くよ、と今からその時を心待ちにしているのか、遠足前の子供のような無邪気さを覗かせる。
 そんな佐藤は可愛いのだけど、この場は絆される訳にはいかない。
「〜〜〜、佐藤のバカッ! バカバカバカ――――!!!」
「なんだよ、いきなり」
「バカヤロ―――――ッ!!」
 モデルしてる間、佐藤と居られないなんて。
 恥ずかしくて言えないから、吉田はずっと「バカ」ばかりを繰り返していた。



<END>