特に必要に駆られた訳でもないが、何となく、予定が入ると報告し合うようになっていた。
 しかしそうなると、自分達が一緒に部屋でくつろぐのは日常となるのだろうか、と佐藤は少しだけ幸せに浸る。
「へー、バスケの試合に出んの!」
 佐藤からの報告を聞きいれ、吉田は感嘆の声を上げる。
「え、大会か何か?」
 確認なのか期待なのか、吉田が興味津津と聞いて来る。
「いや、フツーの練習試合。さすがに大会に助っ人が出る訳にはいかないだろ?
 何だか、因縁ある相手らしくてさ」
 どうしても負けたくないんだとよ、と吉田とは対照的に、佐藤は詰まらなさそうに言う。生憎、スポーツで盛り上がる性質では無いのだ。では何に佐藤は盛り上がるのかと言えば、聞くだけ愚かである。
 そして、その佐藤の気分を左右させる唯一の存在の吉田は、素っ気ない声の佐藤の台詞に、うんうん、と健気なくらいに頷いて居た。空手はあるいはスポーツではないのかもしれないが、選手に選ばれるという事の凄さは知っているみたいだ。
「助っ人って事は必ず選手で出るんだよな」
「まあ、その為に呼ばれたんだし」
 それにしても、どうしても負けたくないのかもしれないが、3年生も居る中、今年入った一年生に頼るのはどうなんだろうか、といまいちスポーツマンシップには則れない佐藤であった。
 勿論というか、佐藤に声が掛ったのは、先の球技大会でその腕を見込まれたからである。対戦した相手の中に居たバスケット部の男子生徒が佐藤に目を付け、誘いを掛けたと言う事だ。
「いつやんの? ここの学校?」
「いや、相手の高校。で、これ女子には秘密だから、お前も誰に言うなよ」
 まあ、女子が押しかけようものなら、試合も出来ないだろうな、と吉田はその惨劇を思い浮かべて冷や汗をかいた。
 内緒にしたい所だが、問い詰められたらその自信は無い。せめて、佐藤の助っ人の話が漏れない事を祈るのみだ。
「で、」
「?」
 佐藤が何か含みある目で自分を見ているのに、吉田は何かあったかな、ときょとんとした。
「いつか、って聞くって事は、応援来てくれるの?」
「え、」
「来てくれる?」
 確認からお願いにスライドし、吉田を見る目にも恋人としての色が強くなった。
 吉田としては、バレー部の助っ人として試合に出る、と聞いた時から、応援に行くつもり満々だったが、改めてそう言われると、何だか素直に頷けない。
 佐藤の好意はまるごと受け入れられる吉田だけど、それでも引っ掛かってしまう時がある。
「……ど、どうだったかな〜〜。何か、母ちゃんに言われてたかも……」
「そっか。それなら仕方ない」
 しどろもどろに、拙い嘘を言う吉田に、佐藤はそれに上手く騙されたふりをして簡単に返事した。
 すると、そんなに簡単に諦めるのか、と吉田がムッとした顔になる。きっとこんな自分の顔、自覚にないのだろうなと思うと、より一層愛しく思える。最も自分も、自分の支配下に及ばない表情を吉田に晒してしまっているのだろうが。
「場所は教えておくから、来れたら来いよ」
 地図を携帯に送っておく、と佐藤は早速自分のを取り出し、それを弄る。
 送られた地図を見て、吉田がパッと顔を輝かせた。
 引き受けて良かった、と佐藤はこの時こそ思った。


 校内の女子には秘密というのは良いが、試合開始ともなれば向こう側に居る女子からバレるのではないか。女子の情報網が途方も無い事は、井上や野沢姉などを見て、何となく感じ取って居る吉田である。
 最もな吉田の危惧は、しかし杞憂で終わった。相手の高校は男子高なのだそうだ。しかも寮が付属されているので、外部からの来訪者には割とチェックは厳しい。端折って言えば、生徒含む学校関係者が「入って良いよ」という許可がないと入れない様なシステムだ。これならば、佐藤のおっかけも入って来れない……筈。
 いっそ一緒に行こうか、と誘う佐藤に、吉田は何となく頷く事が出来なくて、現地集合と相成った。別に一緒に行っても良いのだが、何だか、恥ずかしく思えてしまったのだ。
 佐藤の応援に行くのかー、と、試合の前日、ベッドにごろんと横になり、吉田はぼんやりとそう思う。
 それだけなのに、顔がカーッと赤くなり、じたばたしたい衝動に駆られる。
 これが虎之介とか、牧村だったら、どうせなら試合場まで一緒に行こうかという誘いにだって二つ返事でOKしただろうに。
 あそこで素直に頷けなかったのも、今、じたばたしたくなってしまうのも。
(佐藤だから……だよな)
 差し入れとか、持って行った方が良いのかな……?と火照った頬を枕に当て、吉田はそんな事を思った。


 そして、その試合当日。見事な晴天だったが、バスケットは体育館内で試合するので然程影響は無いが。
 それでも向かう道中、澄んだ青空を見られるのは良い事だ、と吉田は初めて赴く学校を見上げた。さすが、寮が併設されているだけあり、通っている高校より敷地も広くてちょっとした大学並だ。
 校門の近くには警備室がある。吉田は許可を貰っているから、すんなりと入る事が出来た。
 何せ初めて入る校内で、体育館の場所も解らないが、しかし地図を見たりする事をしなくても、人の流れに沿ってみれば、その行き先には大きなドーム状の天井をした建物が見えた。多分、あれが体育館だろう。
 近づくにつれて、ウォーミングアップ中からか、選手の上げる声がする。自分が関わったスポーツではないが、こういう掛け声を聞くと、やはり否応なしに気分の盛り上がる吉田だった。


 来たら真っ直ぐ声をかけに来てね、とは言われたがやはりそんな気にはなれなくて、吉田は大人しく観戦席へと回る事にした。ここの体育館は壁をぐるりを囲う感じで2階からの観戦席がある。凄いなぁ、と吉田はその設備をきょろきょろと見渡した。ここに至る通路に、自販機を2,3個見つけたのだった。
 この、設備の力の入れようが、そのまま選手のレベルに比例しているというのなら、一介の高校である自分達のチームは勝つのは難しいかもしれない。
 吉田はなるべく、全体の動きが見たかったので少し高い位置に腰を降ろした。そこから見降ろすコート上の選手は、何だかボードゲームの駒のようでもある。
 が、それでも吉田の目には佐藤がすぐに解った。佐藤は標準よりも背が高いが、バスケットボールという競技上、佐藤並かそれ以上に背のある選手はざらに居る。けれど、黒い頭部を見つけた時、吉田はすぐに佐藤だと解った。
 何やら、選手たちと打ち合わせの様なものをしている。ちゃんとユニフォームも来ているし、事情を知らなければ佐藤も普通の選手だと思うだろう。
 今でこそ吉田と同じく帰宅部の佐藤だが、ともすればこんな現実もあるのだろう。どこか夢想するように、パスの練習を始めた佐藤を吉田は眺めていた。


 しばらく、コートの半分ずつを使って練習をして居た両チームだが、ピッという鋭いホイッスルの音を聞き、コート内からぞろぞろと出て行く。いよいよだ、と吉田も訳も無くドキドキして来た。自分は試合には出ないと言うのに。
 各5人の選手がセンターライン越しに並ぶ。その中で、いきなり佐藤は居た。助っ人なのにすぐに出るのかというか、助っ人だから出るのか。
 最初のジャンプボールは、やはり正規の選手が行うようだ。佐藤は腰を降ろし、落下するボールに備える。
 真っ直ぐ上に上がったボールを、叩いたのは残念ながら相手のチームだ。
 ああもう!と吉田は歯がゆい思いをする。けれど、文字通りゲームは始まったばかりだ。
 固唾を飲んで、吉田はその成り行きを見守った。


 試合は中々の拮抗と、そして難航を見せていた。両者とも、シュート数はあるのだが、それが決まる事は少ない。選手もだが、観戦側もやきもきする展開である。まあ、確かにこういう展開を見せるのなら、因縁があるというのも、佐藤と言う助っ人を誘いこむのもちょっとは解るけど。
(ていうか! 佐藤、もっとシュートしろよな!!)
 助っ人という立場に遠慮しているのか、佐藤は専らパス回しのアシストが目立って、これまでにシュートは2回だけ。とはいえ、決まらない方が多い事を思うと、その2つを見事に点数へと換算させた佐藤の働きは大きい。
 確かに、佐藤は今日限定と言ってよい仮初めの選手で、他選手との連携は難しい所かもしれない。けれど、それは向こうも解ってる事なんだし、もっと、こう、と吉田はつい唸ってしまう。
 佐藤!やっちまえ!!と大声でも上げてしまおうか。吉田にそんな過激な考えが過ぎったのは、タイムリミットが迫っているからだ。完全な試合終了ではないが、佐藤が次のピリオドに出るとも限らないし。
 ダンクしろ、ダンク!背があるんだから!!と吉田が念を送る様に佐藤に視線を送った。
 と、その時。
(―――あ、)
 佐藤と目が合った。ような、気がした。
 しかしコートから大分離れているのだ。事前に居る事を報せて居ればまだ気づくかもしれないが、そうでなければとても解るものではない。
 多分、ただの偶然だよな、と思うが、それでもその時、佐藤が笑みを浮かべた様な気がして止まない。
 ボールは今、自チームが持っている。確実にパスを繋げ、相手陣地に居る佐藤の手へと渡った。ゴールには、まだ距離があるその位置。
 けれど佐藤は、その場でシュートのポーズを取り、そして、ボールを放る。
 それはとても見事な弧の軌跡を描き、まるで吸いこまれる様、ボールはゴールの輪を潜った。
 本日、始めて決まった3Pシュートである。
 爆発的に湧いた歓声の中、もちろんそれに吉田のも混じって居た。


 やはりというか、佐藤が加わったのは最初のピリオドだけらしい。まあ、所詮助っ人だもんな、と吉田はその後はずっと詰まらない心地でぼんやりと試合を眺めた。
 佐藤が抜けた事で、いよいよ事態は膠着しつつある。けれど、佐藤が決めた点数分をこちらがリードし、それを保つままの形で見事、勝利を掴んで見せた。
 吉田としては試合をして居る佐藤を見に来たようなものなので、試合結果はどうでも良いといえばどうでも良いのだが、けれどやっぱり買って貰った方が良い。
 拍手の続く観覧席をそっと抜け出し、この時ようやっと吉田はコートに繋がる1階分に降りた。
 そうしたら、丁度選手がコートから出て来るタイミングで、ばったり遭遇してしまった。吉田、と最初に声を上げたのは佐藤だった。
「どうだった、俺のシュート」
 その口ぶりは、あの席で自分が見て居た事を知っていた風でもある。とはいえ、観覧席のどこだってシュートは見えるものだ。まさかね、と吉田は自分の考えを一蹴する。
「……あー、うん、す、」
 と、吉田が台詞を続けようとする前に。
「あれっ、吉田じゃん。何だ、来てたのか」
 自分のクラスのバスケ部の男子が、佐藤の後ろからやって来て吉田を見つけた。吉田との会話を邪魔された佐藤から、物騒な冷気がぶわっと広がったが、生憎この彼はそういうものに鈍感らしい。ある意味羨ましい……と鳥肌が経ったような腕を摩りながら吉田が胸中で呟く。
「うん。俺が出るから見に行くって言って」
「え、ちょ、オイッ!?」
 その言い方ではまるで自分の方が強請ったようではないか。来て、と誘ったのは佐藤の癖に!
「ふーん、お前ら仲が良いな〜」
 しかし吉田が真実を語る事無く、相手は納得してしまった。まあ、拘る事ではないのかもしれないが、吉田としては拘って欲しかった。
「じゃ、俺、吉田と帰るから」
 佐藤は唐突にそう言い出し、まるで逃がさないというように、吉田の肩をがっしり抱いた。え、と吉田と共に相手男子も目を丸くする。
「これから打ち上げあるけど?」
 お前、今日のMVPだぞ、と言ってみるが、佐藤は全く関心を見せない。
「部外者が居ても気まずいだけだって。それじゃあな」
 まだ何か言いたそうな相手をその場に残し、佐藤は吉田をがっしり抱いたまま歩き出す。大変歩きにく姿勢だが、哀しい事にこんな体勢は初めては無いので何とな歩けてしまう。
 やがて、人の気配もまばらになった所で、ようやっと佐藤が吉田を解放した。ぶはっと吉田は自由な呼吸を堪能する。
 何するんだよ!と吉田が文句を言う前に、佐藤が気楽な調子で言い出した。
「いやー、吉田助かったよ。良いタイミング」
「へ? 何が?」
「打ち上げなんて行きたくないっていう話」
 大方そこで、正式入部させようっていう腹だろう、と佐藤が顔を顰めるように言った。
「そりゃまあ、引き込みたくもなるよな。佐藤、活躍してたじゃん」
 実際、佐藤が居なかったら今日の勝ちは無かったかもしれない。惚れた欲目を抜きにして、そう思う。
「俺は、吉田が見に来ているから頑張っただけ」
「……………」
 部の事なんか知ったこっちゃない、という佐藤に、吉田は顔が赤くなって反論が出来なかった。
 それに、と佐藤は続ける。
「吉田、球技大会で俺の応援、行ったけど出来なかったって言ってたじゃん」
「? うん」
 確かにそんな事も言ったが、何故にそれがここで出て来るのか。
 と、いうか、あの時のやりとりが実質吉田からの告白みたいなものなので、話題を出される度に、心の隅っこがうずうずしてくる。あくまで「みたいなもの」なので、いつかはちゃんと好きだと言わなければと思っている。
「今日、俺の応援出来ただろ?」
「え、……って、まさか、その為に引き受けたのか!?!??」
 佐藤は吉田の叫びには答えなかったが、その代わりの様ににっこりとほほ笑んだ。それは吉田の言葉を肯定する意味のものである。
 マジでか!!と昨日までの自分を思い、吉田は改めて叫びたくなった。はっきり言って、今日を凄く楽しみにしていた。あの時、女子の壁で見れなかった活躍する佐藤が見れるのだと。
「で、でも、体育の授業とかあるし!」
 何に反論したいのか、負けたくないのか、真っ赤になった吉田はムキになって言う。
「でも授業だと観戦だけにははらないじゃん」
 それはそうだ。というか、だからこそ、あの球技大会だって吉田は佐藤の元へ向かったのだ。チア服のまま。
「で、どうだった?」
「…………」
 解ってはいたが、その質問に吉田は身構える。佐藤が求める回答が、掴めてしまうから。
「……凄かったと思うよ。大きいシュートも決まったし……」
「ふーん?」
「……パスとかよく回してたし……」
「それから?」
「…………………」
 解って居た事だが、佐藤は見逃してくれる気は無さそうだ。
 吉田はささっと周囲を見渡し、誰も居ない事を確認したうえで、佐藤の顔を自分に近づけさせて、その耳の中へと吹き込むように言った。囁くような、その音量で。
 佐藤が言われたかった言葉で、吉田の言いたかった事だ。
 格好良かった、と。
 それだけの言葉に、吉田は呼吸が乱れたように喉が詰まるし、佐藤は厄介な本性を押してまるで子供みたいに無邪気に笑うのだった。



<つづく>
*思いの外長くなったので、ちょっとここで区切りますよ〜*