部屋に招く理由は何だって良い。
 勉強を教える為、美味しいお菓子があるから。
 クリスマスだろうが盆だろうが正月だろが針供養(?)だろうが、吉田が部屋に来てくれるならなんだって良いのだ。
 なのでこの季節、七夕だからという理由で佐藤が吉田を部屋に誘うのは、全く持って当然の理であった。
 そして今年の七夕は土曜日。休日である。幸いにして姉は旅行で出掛ける予定なので、土曜日は七夕にこじつけて吉田と部屋でまったり出来ると。
 そこまでは良かったのだが。


 ドッシャァァァアアアン!と何かが空から降ってきた様な、金属的なものがひっくり返ったような轟音、
 それに負けず劣らずの吉田の声が、室内でも響いた。
「わっぎゃああああああ!!! 光った!? 今、光ったよな!?」
「あー、そうだなー」
 今にも命を取られそうな吉田とは違い、佐藤は間延びした声でいっそのんびりと構えている。
「ちっ、近づいてる!? 近くなってんじゃねーのか? なあ!」
 佐藤の部屋、佐藤の隣で、吉田はおろおろおろおろと周囲をしきりに目を配らす。そんな事をした所で何も無いだろうに、と思うが、その様子がまさに借りて来た猫みたいなので、ほっとく佐藤なのであった。
 本日こそ、七夕。夜には天の川を越え、年に一度の逢瀬を許された約束の日ではあるが、朝からやや雲行きが怪しかった。そして、昼過ぎから一気に豪雨。挙句それに伴い雷まで落ちて来た。今日は一部荒れる天気と予報でも出ていたが、その一部とやらはどうやここのようだったらしい。
 雷が落ち始めた頃の吉田は、何とも見物だった。ごろごろごろっと雷特有の音が鳴ったかと思うと、突然ビクーッと小さい肩をいからせた。そこから、今の様にきょろきょろと辺りを見渡したかと思えば、ドーン!と最初の落ちた音で身体が飛び跳ねたかというくらい、慄かせた。それから、音が鳴るたび、わーわーぎゃーぎゃーと忙しない。
「っもー! なんで七夕だっていうのに、雷なんて落ちるんだよ!」
 ああ、そこ覚えていたんだ、と極度の恐慌状態なのに当初の目的を忘れずに居た吉田に、ちょっと称賛の声を胸中で洩らす佐藤。
「多分、彦星が浮気でもしたんじゃないか?」
 物凄く適当な佐藤の呟き。が、しかし吉田はまともに拾う。
「何だよそれ! 山中みたいだな! そうか、山中が悪いのか!」
 今から山中殴りに行く!とじたばたする吉田を、そうはさせないと佐藤がぎゅっと抱き寄せた。
 吉田はさっきから散々騒いで体力を浪費したのか、思いの外容易く腕に収まる。
「そんなに雷怖がって、面白いし、可愛いな〜吉田」
 くつくつと笑って囁けば、一気に赤くなる吉田。
「こ、怖いとかじゃねーもん! 音が大きくて吃驚……っわ――――――!!!」
 ドーン!とまたしても雷が落ちる。それに伴い、吉田の怒声も。
 佐藤としては、外の落雷より、吉田の声の方が余程大きくて耳に響いた。
 それでも吉田を離さないのは、むしろ逆に吉田がしがみ付いて来たからだ。最も、佐藤以外でも縋っていたかもしれないが、此処に居たのが自分だったのが幸運とばかりに、佐藤はぎゅうぎゅうと吉田を抱きしめた。吉田は雷の方が気になるからか、普段より強い締め付けにも何も言わない。
 お化け屋敷に入った時と良く似ているな、と佐藤は思った。あの時の吉田も可愛かった。自分の背中にしがみ付いて。
 何もかもを頼ってくれているような所が嬉しかった。普段の吉田は、なかなか自分を頼ってはくれないから。
 最も、佐藤だって知っている。いや、佐藤こそがよく知っている。
 今は小さい身なりだけども、吉田は強いのだ。心が強い。
 イジメに同調せずに、それは違うと言い張る事が出来る。
 自分一人だけでも身体を張って、そして。
 ふぎゃー!とまた落ちた雷に、驚いた猫のように毛羽立たせて慄く吉田の頬に、そっと掌を滑らす。その時、本当にさり気なく親指で左目の下の傷跡を撫でた。
 頬に付けた掌に少しだけ力を乗せ、吉田の顔を固定する。真っ直ぐ見つめ合う角度にした時、吉田の顔が目一杯自分の視界に入る。
 この距離が嬉しい。
「何、っ……!」
 聞いたらしても良い、というルールを今は無視した。ちゃんと言って頷いてくれる吉田も可愛いけど、やはり不意打ちのキスは止められない美味みがある。
 いつの間にか、ちゃっかり両手で頬を包む佐藤の腕を、吉田が外そうともがく。けれど、するりと舌を滑り込ませると、その抵抗は面白い程ぴたりと止んだ。うーうー、と何やら唸る様な吉田の呼吸の音が佐藤の耳に心地よい。
 最近は何だかんだで学校でも許してくれるキスだけど、あれでも佐藤なりの自重はしている。ここまでのキスをいつだってしたいのだけど、学校内だからとぐっと堪えているのだ。吉田はそれを、知っているのかどうか。
 最初は舌で唇を舐めるだけでも目を白黒させていた吉田だが、今は大分慣れて来たようで深い口付けを長く続けても酸欠による強制終了までの時間も長くなった。けれどそれは、吉田側に限った事では無く、佐藤も吉田とのキスに慣れてきた事もあるのだろう。吉田の息が切れるタイミングを見計らって、そっと呼吸させてやる。そしてまた重ねれば、ずっと出来る。
 どれだけしてもし足りないキスを終わらせる。
 キスは好きだけど、それだけでも物足りない。
 佐藤の口がようやっと離れると、吉田からぷはーっと水泳の時の息継ぎみたいな呼気が漏れる。
 その後、何か文句を言いたそうに、けれど何の文句を言えば良いのか解らない、とでもいうように吉田は真っ赤になって佐藤を睨む。涙目になっているのは、息苦しかったからと解ってはいるが、中々そそられる。
「雷」
「へ?」
「止んでるよ」
 突然の佐藤の単語に、きょとんとした吉田。その後の台詞に、あ、そーいえば、と外の音を気にする。
 暫くは鳴っていたような気がするが、途中から全く気にならなくなった……というか、それどころじゃ無かったというか。
 佐藤のおかげ、と言うべき所だろうけども、絶対それを言いたくは無い吉田だった。


「本当は、七夕ってのは恋の願い事に限ってするんだぞ」
「え、そうなんだ」
 短冊に「テストで赤点になりませんように」とペンで書いた所の吉田は、佐藤の注釈に顔を上げる。
 吉田の内容は、願い事よりただの目標じゃないのか、と突っ込みたいがそれはさておく佐藤である。
 この手の催しは諸説が様々で、さらに現在に合った風習も取り入られ、いよいよ混沌としていくがそれでも伝承する事に意味があるんだろう。多分。
 佐藤に家に笹は無いが、観葉植物があるので、それをそれっぽく飾り付けして見た。窓の近くへと移動させてみる。
 切ったスイカも用意した。佐藤は食べやすい様にブロック状に切ろうとしたのだが、吉田は皮つきが良い、と断言。そのまま、八等分しただけのスイカを持って、自分達も窓へと移動する。
「う〜ん、晴れたなー」
 清々しい顔で吉田が言う。昼下がり、あれだけの雨を降らせた雲はどこかへ行き、今はピカピカの夜空が広がっている。しかも、雨の後なので吹く風は涼しかった。雷は怖かったけど、それでこの現状が齎せたのなら、良しとするか。
 しゃぐ、とスイカに齧り付き、佐藤が糖度を見極めて買って来たそれはとても甘くて美味しかった。あまーうまー、と吉田の顔も綻ぶ。1つ目をあっという間に、そして2つ目も平らげ、3つ目に手をつけようとした所で佐藤に止められる。何でだよーと口を尖らせたが、残りは凍らせてスムージーにすると言われてここは引き下がる事にした。
 そういやスイカと天ぷらって一緒に食べたらダメなんだよな、と今日は天ぷらも食べる予定も無いのに、そんな事を思う吉田。
 それでは星でも見上げようか、という所で、佐藤が良いものがあるよ、と星座早見表を差し出した。懐かしい、と吉田が思ったのは小学の夏休み、これと同じものを配布されたからである。捨てた記憶は無いから、まだ部屋の何処かにあると思うが仕舞った記憶が無いのでどこにあるか解らない。そもそも、記憶が無いだけで捨ててしまったのかもしれない。
「星、見えるかなー」
「ベガとアルタイルくらいは解ると思うけどな……ああ、あれだ」
 えっ、どこどこ!とベランダの柵に乗り上げて夜空を見上げる吉田。うっかりすると落ちるんじゃないか、と思うが、そうなったら佐藤がすかさず捕まえるから大丈夫だ。
 何となく解ったー!と吉田の声。柵に乗り上げた分だけ、吉田の顔が近い。
「でも、晴れて本当に良かったな」
 織姫と彦星、ちゃんと会えるし、と吉田は童話の中の恋人を祝っていた。
「年に一回しか会えないもんな」
「でも、離れたのだって自業自得だろ」
「そうだけどさ。ずっと年一回なのは可哀そうだろ」
「そうかな。必ず一回は会えるんだから、むしろ恵まれてるんじゃないか?
 中には、どれだけ待っても会えない人だっているんだしさ」
 佐藤が少し意地悪くそう言うと、吉田もうーん、そうか……と難しい顔で考え込んでしまった。人の意見にすぐ左右されて、可愛いヤツ、と柵に頬杖をついて吉田を眺める。
 去年の今ごろは、勿論短冊なんて書く事も無かったが、日本人としての血が今日は七夕であると認識させた。
 その時の佐藤は、正に今の様に、年に一度会えるなんて凄く贅沢だな、と思ったのだった。
 自分には訪れない。きっと、いくら待ったって、永遠に逢瀬の時なんて来ない。
 そんな風に、思っていたのに。
「…………」
「ん? 何?」
 ずっと見続けていたら、いい加減見られている事に気付いたか、吉田がくりっと首を捻って佐藤と向き直る。そのタイミングを見計らい、つばむ様に唇にチュッとキスをした。
 途端、バランスを崩し、後ろに倒れそうになった吉田をすかさず支える。倒れそうになった吉田だが、それでも佐藤からの早見表を手離さなかった。
「危な……っ、何すんだよ!! 危ないだろ!!」
 言いかけた危ないを改めて言い、吉田は怒る。まあ、怒るだろうな、とそこは佐藤も素直に聞きいれる所だ。
「危なくなければ良いの?」
「へ?うん。………あ、そうじゃなくて、だからだな!!」
 後から取り繕ったって遅いのだ。頷いた後では、もう。
 星を見るのはもうおしまい、とばかりに、佐藤はそのまま吉田を抱き上げ、室内に戻ってしまう。星! 星が! と吉田が喚くが、何のそのだ。
「さ、さっき一杯しただろ!!」
 それだけを言うのも恥ずかしいのか、顔どころか首まで赤い。ぎゅーっと恥ずかしさに目を瞑ってしまうのが吉田の可愛さだ。キスをしたがっている人の前で目を閉じてしまうなんて、迂闊どころではない危機管理の欠如である。
 それとも誘っているのかな、と自分勝手な解釈をしてみる。
「俺はね。吉田」
 目を閉じている吉田のごく近くまで顔を寄せ、囁く。声の振動に驚いたように、吉田が身を竦ませる。
 そして、恐る恐る片目だけを開く。その瞼に、軽くキス。ひゃっと吉田が声にならない声を上げ、ぱっちり目を開ける。うん、やっぱり吉田の目を見て居たい。
 吉田の双眸が開いた後で、佐藤は台詞の続きを言う。
「俺は、年どころか日に一回の逢引でも足りない」
「え、……え………」
 だったらどうすれば良いのか。戸惑いに、吉田の目が揺れた。
 表情だけで雄弁な吉田だが、やはりそこは、目は口程に物を言うという奴だ。
 佐藤の本音を知りたい。そう訴える吉田に、佐藤はそれを飲み込んで直接口付けた。吉田はさっきより深い様なそれに、懸命に応える。
「なー、」
 上がった息にもめげずに、吉田が佐藤に問いかける。
「佐藤は、短冊何書いたんだ?」
 さっき、一緒に書いた時は見せてくれなかった。
「んー、内緒」
 しかし佐藤は、とびきりの笑顔を見せて秘密にするだけ。
 むーっと剥れた吉田は、絶対見てやるからな!と宣言をする。そんな事すれば、そうはさせないとより一層警戒させてしまうだけだというのに。詰めの甘い吉田は佐藤にとって楽しむ対象である。それでいて、愛おしい。

 その奥で今日だけの装いになった観賞植物につけた短冊が揺れる。こんな物に付けた短冊なんて、多分叶わないんだろうな、と佐藤はだから思ったままを書いた。

”吉田とずっと、一緒に居られますように”



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